「アカシア紀行・俳句」2014年4月6日(日) 前へ 次へ
夜の雨が残り、春北風の吹く寒い日曜日、いつものメンバー7人で、
4月の花々を見ようと、広陵町の馬見丘陵公園から広瀬大社を訪ねました。
9時前奈良を出て、天理から25号線を西へ、法隆寺東交差点を南下して、
馬見丘陵公園の北駐車場に着いた10時前は、雨が止んでいましたが、
天候が不安定で、しばらくは降ったり止んだりでした。
公園の北エリアはチューリップの花祭で、広大な丘に色とりどりの
チューリップの花壇が美しく配置され、ふもとからはまるで花の虹の
ように見えました。
花壇に一部は小学校の学童が球根を植えたそうです。
チューリップ花壇には、種が飛んできたのでしょう、ナズナや菜の花が
紛れ込んで咲いていました。
花見茶屋「Cafe' +f」のそばのテントでは、広陵町、葛城市、香芝市、御所市、
大和高田市などの特産品売店があり、葛城店で小麦餅、大和高田店であんぱん
などを買いました。
その後、トンネルを通って、中央エリアに移動しましたが、
ハナミズキなどはまだ早いので、満開の桜や、土筆を見ただけで、
駐車場に戻り、車を前池の北側に移動、池の鴨や桜を見ながら、
天神社、宇賀神社などを参拝、散策しました。
土手の寄せ仏のそばには、ワラビが伸びていましたが、芦の角はまだでした。
チューリップ花の虹なす園の丘 常朝
チューリップ花壇に紛れなずな咲く 常朝
(馬見丘陵公園プレート:クリックで拡大:以後同じ)
(案内図)
(花の広場)
(桜とチューリップ)
(葛城市などの売店)
(前池)
(天神社)
法隆寺東の「さと」で昼食をいただいたあと、広陵町の広瀬大社を
訪ねました。
広瀬大社は、2月の砂かけ祭で有名な神社で、廣瀬大忌神 (ひろせおおいみの
かみ)、櫛玉命 (くしたまのみこと)などを祀る旧官幣大社です。
境内に入ると、ちょうど周囲の桜が春北風に散って、花吹雪となりました。
境内真ん中には沢山の菖蒲の苗鉢がシートで作られた浅いプールに、
ぎっしりと並べられていました。
真中の大きな橘は実が沢山付いており、右手の神馬堂には、神馬像が置かれ、
砂かけ祭の砂が、背中や腹に付いていました。
左手の池の奥の桜の木の下では、2、3組の花見客がバーベキューや
ピクニックを楽しんでいました。時々子供達が飛ばすシャボン玉が
池の上まで飛んできました。
その後、左手の春泥の道を石の太鼓橋まで移動して、
大和の春の景色を眺めました。
花吹雪斎庭にありて昂ぶれり 常朝
春祭の砂背に残し神馬像 常朝
(広瀬大社:クリックで拡大:以後同じ)
(説明板)
(たちばなの木)
(水足神社)
(花びらの池)
(太鼓橋)
その後、斑鳩町三井のCafe Oneで小句会後解散しました。
その頃は、青空が見えるほど天気は回復していました。
上空に寒気があるためか、やや風と雨模様でしたが、
チューリップの花園と満開の桜、花吹雪など、4月らしい花づくしの1日でした。
2014年4月7日月曜日
2014年4月1日火曜日
188.奈良・百済寺から河俣神社
「アカシア紀行・俳句」2014年3月30日(日) 前へ 次へ
歌にあるフランシーヌの場合と同じ3月30日の日曜日は、朝からはげしい雨
でしたが、いつものメンバー7人で、花見を兼ねて奈良・広陵町の百済寺から
橿原市の河俣神社を訪ねました。
元の予定は馬見丘陵公園でしたが、雨が激しかったので、公園に集合後
方向を変えました。
百済寺は広陵町役場の東1キロほどにある、真言宗の古い寺で三重塔と
小さな本堂があります。奈良時代の官寺であった百済大寺の故地との
言い伝えらしいですが、最近の説では、官寺でなく地元の寺であったようです。
しかし鎌倉時代の三重塔の周囲にけやきの大樹などと共に、
8分咲きくらいの桜が雨に打たれて、風情がありました。
本堂は小さく、十一面観音が祀られているようですが、無住寺で、
同じ境内の春日若宮神社の神主が管理されているようです。
お寺に着いたときすでに雨が激しかったので、
神社の拝殿の軒に雨宿りして塔やお堂を拝見し、桜を見上げました。
ときおり強い風もあり、まさしく春の嵐でした。
嵐の中での花見は初めてです。
絵馬堂もあり、鉄線の鍵を開けて中に入ると、尉姥(じょうとんば)や、
宇治川先陣の絵などが沢山掛けられ、静御前の絵もありました。
三重の塔を雨打つ春嵐 常朝
絵馬堂に静舞ふ絵も花の寺 常朝
(百済寺三重塔:クリックで拡大:以後同じ)
(百済寺本堂)
(本堂の雨と桜)
(百済寺公園)
雨が止みそうもないので、数キロ南の広陵町大塚交差点の北の今日亭で
少し早い昼食をいただき、橿原市雲梯町の河俣神社を訪ねました。
河俣神社は、三輪の大国主命の御子である事代主命(ことしろぬしのみこと)を
祀る神社で、曽我川の桜並木のそばにあります。
ここは、いずれも大国主の御子を祀る御所市の高鴨神社、飛鳥の加夜奈留美神社
とともに、古代の大和を守ったそうです。
雨も小止みになってきた境内は割合広くて細長く、樫やけやきのような大樹が
沢山あります。
参道脇に、万葉歌碑があり、説明板もありました。
思はぬを思ふといはば 眞鳥住む卯名手(うなて)の社(もり)の
神し知らさむ。 万葉集・作者不詳
(あなたを想ってもいないのに、想っていると言っても、鷺の住む、
雲梯の杜の神には、わかってしまうだろうなあ)
鷺はいませんでしたが、拝殿の手前左には、木の柵で囲まれた榊がありました。
境内の東側は曽我川の舗装された土手道で、桜が雨に打たれながら
見事に咲いていました。土手にはニラの花、水仙、仏の座などが
雨に咲いています。
川は雨の増水で、土色に濁り、ときどき花びらが流れてきました。
並木の川濁して止みし花の雨 常朝
濡れそぼつフランシーヌの日の桜 常朝
(河俣神社)
(河俣神社拝殿)
(拝殿より本殿を望む)
(参道)
(万葉歌碑)
(歌碑の説明板)
(曽我川桜並木)
(土手のニラの花)
その後雨の殆ど止んだ頃、橿原観光ホテルでケーキなどをいただき、
今回は句会なし解散しました。
春の嵐の雨風に打たれる桜や三重塔、濁流の上の桜並木など、
めったに経験できない嵐の花見の1日でした。
歌にあるフランシーヌの場合と同じ3月30日の日曜日は、朝からはげしい雨
でしたが、いつものメンバー7人で、花見を兼ねて奈良・広陵町の百済寺から
橿原市の河俣神社を訪ねました。
元の予定は馬見丘陵公園でしたが、雨が激しかったので、公園に集合後
方向を変えました。
百済寺は広陵町役場の東1キロほどにある、真言宗の古い寺で三重塔と
小さな本堂があります。奈良時代の官寺であった百済大寺の故地との
言い伝えらしいですが、最近の説では、官寺でなく地元の寺であったようです。
しかし鎌倉時代の三重塔の周囲にけやきの大樹などと共に、
8分咲きくらいの桜が雨に打たれて、風情がありました。
本堂は小さく、十一面観音が祀られているようですが、無住寺で、
同じ境内の春日若宮神社の神主が管理されているようです。
お寺に着いたときすでに雨が激しかったので、
神社の拝殿の軒に雨宿りして塔やお堂を拝見し、桜を見上げました。
ときおり強い風もあり、まさしく春の嵐でした。
嵐の中での花見は初めてです。
絵馬堂もあり、鉄線の鍵を開けて中に入ると、尉姥(じょうとんば)や、
宇治川先陣の絵などが沢山掛けられ、静御前の絵もありました。
三重の塔を雨打つ春嵐 常朝
絵馬堂に静舞ふ絵も花の寺 常朝
(百済寺三重塔:クリックで拡大:以後同じ)
(百済寺本堂)
(本堂の雨と桜)
(百済寺公園)
雨が止みそうもないので、数キロ南の広陵町大塚交差点の北の今日亭で
少し早い昼食をいただき、橿原市雲梯町の河俣神社を訪ねました。
河俣神社は、三輪の大国主命の御子である事代主命(ことしろぬしのみこと)を
祀る神社で、曽我川の桜並木のそばにあります。
ここは、いずれも大国主の御子を祀る御所市の高鴨神社、飛鳥の加夜奈留美神社
とともに、古代の大和を守ったそうです。
雨も小止みになってきた境内は割合広くて細長く、樫やけやきのような大樹が
沢山あります。
参道脇に、万葉歌碑があり、説明板もありました。
思はぬを思ふといはば 眞鳥住む卯名手(うなて)の社(もり)の
神し知らさむ。 万葉集・作者不詳
(あなたを想ってもいないのに、想っていると言っても、鷺の住む、
雲梯の杜の神には、わかってしまうだろうなあ)
鷺はいませんでしたが、拝殿の手前左には、木の柵で囲まれた榊がありました。
境内の東側は曽我川の舗装された土手道で、桜が雨に打たれながら
見事に咲いていました。土手にはニラの花、水仙、仏の座などが
雨に咲いています。
川は雨の増水で、土色に濁り、ときどき花びらが流れてきました。
並木の川濁して止みし花の雨 常朝
濡れそぼつフランシーヌの日の桜 常朝
(河俣神社)
(河俣神社拝殿)
(拝殿より本殿を望む)
(参道)
(万葉歌碑)
(歌碑の説明板)
(曽我川桜並木)
(土手のニラの花)
その後雨の殆ど止んだ頃、橿原観光ホテルでケーキなどをいただき、
今回は句会なし解散しました。
春の嵐の雨風に打たれる桜や三重塔、濁流の上の桜並木など、
めったに経験できない嵐の花見の1日でした。
ラベル:
吟行案内
2014年2月22日土曜日
187.八尾市・心合寺山古墳から大阪・鶴見緑地
「アカシア紀行・俳句」2014年2月19日(水) 前へ 次へ
雪こそ降らなかったですが風の寒い日、いつものメンバー7人で、
八尾市・心合寺山(しおんじやま)古墳から大阪市の鶴見緑地を訪ねました。
元の予定は14日でしたが、全国の大雪で延期となりました。
国道170号線の八尾市大竹の楽音寺南のさらに南の交差点を東へ400メートル
行くと、濠に囲まれたきれいな前方後円墳があり、市の古墳公園として
整備されています。
心合寺山古墳は5世紀初めに作られた全長160メートルの濠のある古墳で、
約3000の埴輪があったので、復元埴輪が方墳の周囲に並んでいます。
通常は火曜日閉館ですが、あいにく2月は水曜日閉館で、学習館などは
閉館でした。我々が着くとすぐ、鴨が2羽濠から飛び立ちました。
周囲の浅い濠の周囲の歩道などを散策しました。
つめたい風の中、円墳上の2本の大樹の一本の梢に鴉が4羽とまっており、
宿り木が日を受けていました。
西側の畑に数本の梅が白く咲いています。
古墳の土手の水仙の群が、草刈機で刈られており、傍の金網に
清掃業者が刈ってしまったことをお詫びしますと、掲示板が掛けてありました。
しかし数本の茎は水仙を咲かせていました。
しばらくすると、若い男性が来て、ルアー竿で魚形の白いルアーを濠に
投げました。
ブラックバス釣りですが、水が温むのを待ちきれずに来たそうです。
畑の枯蓮や小池の赤い浮草などを見てから、外環170号線を北上、
鶴見緑地を目指しました。
方墳の埴輪の列や冴返る 常朝
古墳池春待ちきれず疑似餌投ぐ 常朝
(心合寺山古墳:クリックで拡大:以後同じ)
(心合寺山古墳2)
(案内板)
(宿り木)
鶴見のイオンモール4階に行き、四六時中店で昼食をいただいたあと、
鶴見緑地を訪ねました。
鶴見緑地は、1972年創設され、1990年には花博(国際花と緑の博覧会)の
会場となった、周囲4キロ以上もある広大な大阪市の公園です。
我々は中央第二駐車場で車いすを1台借りて、一人に乗ってもらいまいた。
近くにはガラス張りの大きな屋内植物園「咲くやこの花館」があり、
前の池では業者の二人が底ざらいをしていました。
公園の中央には大池、周囲には、バラ園、風車の丘、菜の花畑、あんず園、
梅園、国際庭園、日本庭園、渓流、子供の森、乗馬苑などもあります。
公園は広いので、30分ごとに無料の園内バスがあります。
「咲くやこの花館前」のバス停から、ビニール張りの7人乗りのバスに乗り、
梅園を過ぎた「日本庭園北側」で降りました。バスは歩くより少し早い位の
速度で進み、親切な運転手は途中の案内もしてくれました。
バス停近くで市の職員らしい人が地面を掘っており聞くと、
水道の漏水場所を探したそうです。工事は水道を使わない時にやるので、
土を埋めもどしていました。
梅園には紅白合わせて20本位の梅がありますが、まだ3分咲き位でした。
寒桜は白い花をつけ、あんずや桜の芽は赤みをつけていました。
建物の周囲や木の周囲の盛り土には草が萌え始め、はこべなども青々と
伸びていました。
園内バスビニール越しに寒桜 常朝
草萌ゆる咲くやこの花館の土手 常朝
(咲くやこの花館)
(梅林の紅梅)
(園内バス)
(園内バス停)
再び園内バスに乗り、「咲くやこの花館」に戻りました。
中の喫茶店は閉店中で、窓口の女性が地図を渡して教えてくれた、
鶴見のガストで小句会を楽しみ解散しました。
空気は凍てたままながら、薄日の天気に恵まれた早春の1日でした。
雪こそ降らなかったですが風の寒い日、いつものメンバー7人で、
八尾市・心合寺山(しおんじやま)古墳から大阪市の鶴見緑地を訪ねました。
元の予定は14日でしたが、全国の大雪で延期となりました。
国道170号線の八尾市大竹の楽音寺南のさらに南の交差点を東へ400メートル
行くと、濠に囲まれたきれいな前方後円墳があり、市の古墳公園として
整備されています。
心合寺山古墳は5世紀初めに作られた全長160メートルの濠のある古墳で、
約3000の埴輪があったので、復元埴輪が方墳の周囲に並んでいます。
通常は火曜日閉館ですが、あいにく2月は水曜日閉館で、学習館などは
閉館でした。我々が着くとすぐ、鴨が2羽濠から飛び立ちました。
周囲の浅い濠の周囲の歩道などを散策しました。
つめたい風の中、円墳上の2本の大樹の一本の梢に鴉が4羽とまっており、
宿り木が日を受けていました。
西側の畑に数本の梅が白く咲いています。
古墳の土手の水仙の群が、草刈機で刈られており、傍の金網に
清掃業者が刈ってしまったことをお詫びしますと、掲示板が掛けてありました。
しかし数本の茎は水仙を咲かせていました。
しばらくすると、若い男性が来て、ルアー竿で魚形の白いルアーを濠に
投げました。
ブラックバス釣りですが、水が温むのを待ちきれずに来たそうです。
畑の枯蓮や小池の赤い浮草などを見てから、外環170号線を北上、
鶴見緑地を目指しました。
方墳の埴輪の列や冴返る 常朝
古墳池春待ちきれず疑似餌投ぐ 常朝
(心合寺山古墳:クリックで拡大:以後同じ)
(心合寺山古墳2)
(案内板)
(宿り木)
鶴見のイオンモール4階に行き、四六時中店で昼食をいただいたあと、
鶴見緑地を訪ねました。
鶴見緑地は、1972年創設され、1990年には花博(国際花と緑の博覧会)の
会場となった、周囲4キロ以上もある広大な大阪市の公園です。
我々は中央第二駐車場で車いすを1台借りて、一人に乗ってもらいまいた。
近くにはガラス張りの大きな屋内植物園「咲くやこの花館」があり、
前の池では業者の二人が底ざらいをしていました。
公園の中央には大池、周囲には、バラ園、風車の丘、菜の花畑、あんず園、
梅園、国際庭園、日本庭園、渓流、子供の森、乗馬苑などもあります。
公園は広いので、30分ごとに無料の園内バスがあります。
「咲くやこの花館前」のバス停から、ビニール張りの7人乗りのバスに乗り、
梅園を過ぎた「日本庭園北側」で降りました。バスは歩くより少し早い位の
速度で進み、親切な運転手は途中の案内もしてくれました。
バス停近くで市の職員らしい人が地面を掘っており聞くと、
水道の漏水場所を探したそうです。工事は水道を使わない時にやるので、
土を埋めもどしていました。
梅園には紅白合わせて20本位の梅がありますが、まだ3分咲き位でした。
寒桜は白い花をつけ、あんずや桜の芽は赤みをつけていました。
建物の周囲や木の周囲の盛り土には草が萌え始め、はこべなども青々と
伸びていました。
園内バスビニール越しに寒桜 常朝
草萌ゆる咲くやこの花館の土手 常朝
(咲くやこの花館)
(梅林の紅梅)
(園内バス)
(園内バス停)
再び園内バスに乗り、「咲くやこの花館」に戻りました。
中の喫茶店は閉店中で、窓口の女性が地図を渡して教えてくれた、
鶴見のガストで小句会を楽しみ解散しました。
空気は凍てたままながら、薄日の天気に恵まれた早春の1日でした。
ラベル:
吟行案内
2014年1月25日土曜日
186.高槻森林観光センター、寒天工場から高槻城跡
「アカシア紀行・俳句」2014年1年23日(木) 前へ 次へ
天気に恵まれた大寒の日、いつものメンバー7人で、
大阪府高槻市の森林観光センターから寒天工場、高槻城跡を訪ねました。
名神・茨木インターチェンジの東、171号線の西河原の御魂神社横に
10時頃集合し、今城交差点から6号線を北上、約40分で森林観光センター
に着きました。
冬なので、駐車場もがらあきで、北側の売店「もりもり館」で寒天、切炭など
を買いました。
そばの池には噴水があり大鯉が10匹くらいいて、周囲にベンチがあります。
売店の右奥には椎茸センターがあり、暖房用か煙突から煙がでています。
そばのコンクリートの水槽にはホダ木が数十本浸けられ、ホースから山水が
流れ落ちていました。
渓音に笹鳴混じる森の園 常朝
椎茸のほだ木に流す冬の水 常朝
(森林センター売店:クリックで拡大:以後同じ)
(森林センター案内板)
その後、車で約2キロ北の田能地区へ移動し、タニチ寒天工場の
近くの一方通行の道脇に車を留めました。
工場は改装中で、誰もいませんでした。
工場の南側の畑には、細長いビニール屋根が何列も立てられ、
下にはぶどうの木が、長い枝を水平に伸ばしていました。
案内板にはJA高槻が設置したぶどうパイロット農園とのこと。
離れた田におられた農婦に聞くと、寒天を干す田は工場の北側
とのことで、移動して見ると、田の畦には雪が残っていました。
寒天干しには寒さが必要なのに、気候温暖化で徐々に寒天工場が
撤退したようです。寒天からぶどうへ選手交代でしょうか。
寒天干し終えし広田にはだら雪 常朝
寒天の干し台軒に春近し 常朝
(寒天工場)
(寒天干し台)
その後、森林観光センターに戻り、駐車場の東側のウッデイという、
山小屋風の喫茶店に入り、昼食(シチュー)をいただきました。
中には大きな囲炉裏があり、炭火が起こされています。
暖房がありましたが、部屋にはペレットストーブが置いてあります。
センターは森林組合が設置・経営しているとのことで、
温泉も木材ペレットのバーナーで湯を沸かすようです。
(ウッデイのいろり)
食事後、6号線を南下して、上の口を右折、摂津峡にいきました。
白滝の近くの駐車場もをさがしましたが、道は慶住院(お寺)のそばで
行き止まりとなっていました。
やむなく数キロ南の入り口(かじか荘)から、駐車場を探しましたが、
3月までは公園駐車場は閉鎖で、花の里の山水館手前にある駐車場も
工事中でした。 山水館の人に聞きましたが、近くには他に駐車場はないとのこと。
摂津峡の谷に降りるのを諦めて、市内の高槻城跡公園を訪ねました。
城跡公園は山の上でなく、阪急高槻市駅の0.5キロ南の槻の木高校の
東隣でした。
案内板によると、高槻城は元亀4年(1573)、キリシタンの高山右近が父と、
和田氏を滅ぼして城主となり、天正9年復活祭を実施、
秀吉のバテレン追放令で、右近が改宗せず没収され、豊臣家、関ヶ原後は
徳川家の直轄となり、慶安2年(1649)以降230年間は、永井家3.6万石の城
として維持され、明治7年の鉄道敷設で破却され、公園となったようです。
(高山右近は徳川幕府の禁教令で国外追放され、マニラでなくなった)
園内には管理事務所、民俗資料館、高山右近の像、営門、連隊跡碑、
作り滝のある池などがあり、子供連れの母親などが散策していました。
池の縁の大きな亀に、2歳位の男の子が話しかけていました。
稚子の亀に声掛く冬麗 常朝
営門の煉瓦に日差春隣 常朝
(高槻城跡の碑)
(営門と門衛所)
(高山右近の像)
(公園の池)
(民俗資料館)
(資料館案内板)
その後、お茶会のできそうなホテルなどを探しましたが、
適当な場所が見つからなかったので、解散しました。
大寒にしては、お天気に恵まれた暖かい1日でした。
天気に恵まれた大寒の日、いつものメンバー7人で、
大阪府高槻市の森林観光センターから寒天工場、高槻城跡を訪ねました。
名神・茨木インターチェンジの東、171号線の西河原の御魂神社横に
10時頃集合し、今城交差点から6号線を北上、約40分で森林観光センター
に着きました。
冬なので、駐車場もがらあきで、北側の売店「もりもり館」で寒天、切炭など
を買いました。
そばの池には噴水があり大鯉が10匹くらいいて、周囲にベンチがあります。
売店の右奥には椎茸センターがあり、暖房用か煙突から煙がでています。
そばのコンクリートの水槽にはホダ木が数十本浸けられ、ホースから山水が
流れ落ちていました。
渓音に笹鳴混じる森の園 常朝
椎茸のほだ木に流す冬の水 常朝
(森林センター売店:クリックで拡大:以後同じ)
(森林センター案内板)
その後、車で約2キロ北の田能地区へ移動し、タニチ寒天工場の
近くの一方通行の道脇に車を留めました。
工場は改装中で、誰もいませんでした。
工場の南側の畑には、細長いビニール屋根が何列も立てられ、
下にはぶどうの木が、長い枝を水平に伸ばしていました。
案内板にはJA高槻が設置したぶどうパイロット農園とのこと。
離れた田におられた農婦に聞くと、寒天を干す田は工場の北側
とのことで、移動して見ると、田の畦には雪が残っていました。
寒天干しには寒さが必要なのに、気候温暖化で徐々に寒天工場が
撤退したようです。寒天からぶどうへ選手交代でしょうか。
寒天干し終えし広田にはだら雪 常朝
寒天の干し台軒に春近し 常朝
(寒天工場)
(寒天干し台)
その後、森林観光センターに戻り、駐車場の東側のウッデイという、
山小屋風の喫茶店に入り、昼食(シチュー)をいただきました。
中には大きな囲炉裏があり、炭火が起こされています。
暖房がありましたが、部屋にはペレットストーブが置いてあります。
センターは森林組合が設置・経営しているとのことで、
温泉も木材ペレットのバーナーで湯を沸かすようです。
(ウッデイのいろり)
食事後、6号線を南下して、上の口を右折、摂津峡にいきました。
白滝の近くの駐車場もをさがしましたが、道は慶住院(お寺)のそばで
行き止まりとなっていました。
やむなく数キロ南の入り口(かじか荘)から、駐車場を探しましたが、
3月までは公園駐車場は閉鎖で、花の里の山水館手前にある駐車場も
工事中でした。 山水館の人に聞きましたが、近くには他に駐車場はないとのこと。
摂津峡の谷に降りるのを諦めて、市内の高槻城跡公園を訪ねました。
城跡公園は山の上でなく、阪急高槻市駅の0.5キロ南の槻の木高校の
東隣でした。
案内板によると、高槻城は元亀4年(1573)、キリシタンの高山右近が父と、
和田氏を滅ぼして城主となり、天正9年復活祭を実施、
秀吉のバテレン追放令で、右近が改宗せず没収され、豊臣家、関ヶ原後は
徳川家の直轄となり、慶安2年(1649)以降230年間は、永井家3.6万石の城
として維持され、明治7年の鉄道敷設で破却され、公園となったようです。
(高山右近は徳川幕府の禁教令で国外追放され、マニラでなくなった)
園内には管理事務所、民俗資料館、高山右近の像、営門、連隊跡碑、
作り滝のある池などがあり、子供連れの母親などが散策していました。
池の縁の大きな亀に、2歳位の男の子が話しかけていました。
稚子の亀に声掛く冬麗 常朝
営門の煉瓦に日差春隣 常朝
(高槻城跡の碑)
(営門と門衛所)
(高山右近の像)
(公園の池)
(民俗資料館)
(資料館案内板)
その後、お茶会のできそうなホテルなどを探しましたが、
適当な場所が見つからなかったので、解散しました。
大寒にしては、お天気に恵まれた暖かい1日でした。
ラベル:
吟行案内
2013年12月7日土曜日
185.宇治川塔の島から宇治上神社
「アカシア紀行・俳句」2013年12年5日(木) 前へ 次へ
師走のはじめの小春日和の日、いつものメンバー5人で、
京都府宇治市の宇治川・塔の島から、宇治神社、宇治上神社を訪ねました。
奈良から京奈和道の終点である、城陽出口から24号線を北上、
城陽平川交差点の北のセブンイレブンで集合し、大久保田原交差点から
15号線経由で宇治平等院東の駐車場に着きました。
そこからすぐの喜撰橋を渡れば、宇治川の中の島である塔の島です。
4年前に来た時と同じく、鵜の小屋があり、10羽ほどの鵜が、小屋の中のプールの
周囲に立ったり、水浴びしたりしており、我々が近づくと羽を拡げガーガー鳴いて
迎えてくれました。
じっと坐っている鵜は少なく、絶えず動いて身づくろいしたりしています。
夏には、鵜飼で活躍するのでしょうが、今は時間を持て余しているようです。
塔の島には十三重塔や、今は葉のないしだれ桜などがあり、
下流側の橘島には、柿本人麻呂の網代木(あじろぎ)の歌碑
もののふの八十氏河(やそうじがわ)の網代木に
いざよふ波の行く方(へ)しらずも
が、立っています。
島の南側の派川(塔の川)は、上流の堰のためゆっくり流れ、屋形船が
数艘係留されており、岸に鴨もいて、ときおり鮠(はや)が白い腹をぴかりと
光らせています。
北側の川は広くて、はげしく流れ、白波も所々みえます。白鷺が向こう岸に
ゆっくり飛んでいきました。
橘島から、朱塗りの朝霧橋が北岸へ架かっています。
鵜の小屋の日差に来る冬の蠅 常朝
宇治川に白き腹見す冬の鮠 常朝
(喜撰橋:クリックで拡大:以後同じ)
(塔の島の鵜小屋の鵜)
(宇治川の観流橋)
(朝霧橋)
(塔の島のノブドウ(?))
我々はゆっくり朝霧橋を渡ってまず宇治神社を参拝しました。
このあたりには応神天皇の離宮があったとのことです。
宇治神社は、仁徳天皇の弟君で、父から指名された皇位を兄に譲るため
自殺されたという、
菟稚郎子(ウジノワキイラツコ)を祀っています。
河内から離宮にこられた時兎が案内したということです。
境内には稲藁で編んだ大きな智恵の輪があり、ぼけ防止をお祈りしつつ
くぐって参拝しました。
モチノキのような赤い実のなる大きな木がありますが、名前はわかりません。
そのあと、さらに山手へ歩いて、宇治上神社を訪ねました。
境内には冬紅葉もあり、台に置かれた三宝の中の「願い事人形(ひとがた)」
などに紅葉が散っています。
拝殿左の回廊下では、改装工事業者の人が、槌で土を叩いていました。
世界遺産なので、漆喰で固めるなどはできないのでしょう。
拝殿の前にはきれいな円錐形の清め砂が二つ積まれており、
正面に美しい几帳が掛けられています。 本殿には、お酒が供えられ、
右の台上にはガラスの兎が供えられています。
拝殿の右の井戸屋の中に湧き水「桐原水」があります。
宇治七名水の現存する唯一の泉だそうです。
周囲は岩で囲まれていますが、左の岩から水が湧き出て流れる波が見えました。
智恵の輪を潜りて浴びし楢落葉 常朝
思わせるものでした。
(源氏物語ミュージアム)
師走のはじめの小春日和の日、いつものメンバー5人で、
京都府宇治市の宇治川・塔の島から、宇治神社、宇治上神社を訪ねました。
奈良から京奈和道の終点である、城陽出口から24号線を北上、
城陽平川交差点の北のセブンイレブンで集合し、大久保田原交差点から
15号線経由で宇治平等院東の駐車場に着きました。
そこからすぐの喜撰橋を渡れば、宇治川の中の島である塔の島です。
4年前に来た時と同じく、鵜の小屋があり、10羽ほどの鵜が、小屋の中のプールの
周囲に立ったり、水浴びしたりしており、我々が近づくと羽を拡げガーガー鳴いて
迎えてくれました。
じっと坐っている鵜は少なく、絶えず動いて身づくろいしたりしています。
夏には、鵜飼で活躍するのでしょうが、今は時間を持て余しているようです。
塔の島には十三重塔や、今は葉のないしだれ桜などがあり、
下流側の橘島には、柿本人麻呂の網代木(あじろぎ)の歌碑
もののふの八十氏河(やそうじがわ)の網代木に
いざよふ波の行く方(へ)しらずも
が、立っています。
島の南側の派川(塔の川)は、上流の堰のためゆっくり流れ、屋形船が
数艘係留されており、岸に鴨もいて、ときおり鮠(はや)が白い腹をぴかりと
光らせています。
北側の川は広くて、はげしく流れ、白波も所々みえます。白鷺が向こう岸に
ゆっくり飛んでいきました。
橘島から、朱塗りの朝霧橋が北岸へ架かっています。
鵜の小屋の日差に来る冬の蠅 常朝
宇治川に白き腹見す冬の鮠 常朝
(喜撰橋:クリックで拡大:以後同じ)
(塔の島の鵜小屋の鵜)
(宇治川の観流橋)
(朝霧橋)
(塔の島のノブドウ(?))
我々はゆっくり朝霧橋を渡ってまず宇治神社を参拝しました。
このあたりには応神天皇の離宮があったとのことです。
宇治神社は、仁徳天皇の弟君で、父から指名された皇位を兄に譲るため
自殺されたという、
菟稚郎子(ウジノワキイラツコ)を祀っています。
河内から離宮にこられた時兎が案内したということです。
境内には稲藁で編んだ大きな智恵の輪があり、ぼけ防止をお祈りしつつ
くぐって参拝しました。
モチノキのような赤い実のなる大きな木がありますが、名前はわかりません。
そのあと、さらに山手へ歩いて、宇治上神社を訪ねました。
境内には冬紅葉もあり、台に置かれた三宝の中の「願い事人形(ひとがた)」
などに紅葉が散っています。
拝殿左の回廊下では、改装工事業者の人が、槌で土を叩いていました。
世界遺産なので、漆喰で固めるなどはできないのでしょう。
拝殿の前にはきれいな円錐形の清め砂が二つ積まれており、
正面に美しい几帳が掛けられています。 本殿には、お酒が供えられ、
右の台上にはガラスの兎が供えられています。
拝殿の右の井戸屋の中に湧き水「桐原水」があります。
宇治七名水の現存する唯一の泉だそうです。
周囲は岩で囲まれていますが、左の岩から水が湧き出て流れる波が見えました。
智恵の輪を潜りて浴びし楢落葉 常朝
その後、歩いて5分くらいの源氏物語ミュージアムを訪ね、平安時代の牛車、
鏡箱、ゆずるつき(研ぎ汁壺)、六条の館の模型などを、見た後映画「橋姫」を見ました。
宇治は宇治十帖の舞台なので、建物や展示は、源氏物語にふさわしく王朝時代を鏡箱、ゆずるつき(研ぎ汁壺)、六条の館の模型などを、見た後映画「橋姫」を見ました。
思わせるものでした。
(源氏物語ミュージアム)
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