2011年8月19日金曜日

133.滋賀・醒ヶ井から養鱒場

「アカシア紀行・俳句」2011年8月11日(木)

 立秋をすぎてもまだまだ暑い日、避暑をかねて、いつものメンバー5人で、
梅花藻(バイカモ)で有名な滋賀県醒ヶ井から醒ヶ井養鱒場を訪ねました。
醒ヶ井は江戸時代から中山道69駅61番の宿場町として栄えましたが、
今は湧水の地蔵川に咲く梅花藻などで有名です。

電車などではJR東海道本線の醒ヶ井駅ですが、
我々は車で、奈良を8時に出て京阪奈道、京滋バイパス、名神高速を
利用して、10時半頃醒ヶ井水の宿駅に着きました。

水の宿駅に車を置いて、21号線の道路を越えた駅の南側の道を
東へ数分歩くと、いきなり梅花藻がゆらぐ地蔵川に出ました。
川沿いの道は広く車も通らないので歩きやすかったです。

 地蔵川は巾3メートル程の浅い湧水の川で、水源地は600メートル程
東へ歩いた加茂神社の下の岩です。
川の南側の家はすべて巾2メートル弱の橋があり、家から石段で
川に降りるようになっており、ある家では女の人が白い布を
すすいでいました。盆花を川に浸している家もありました。

        梅花藻の花にあらたな波生まれ     常朝

        梅花藻の流れに浸す精霊花       常朝

       (醒ヶ井の梅花藻:クリックで拡大:以下すべて)

       (地蔵川ですすぐ)


やや上流には地蔵堂があります。これが川の名の由来でしょう。
昔干ばつのとき、伝教大師(最澄)が大きな石の地蔵尊を彫刻して
祈願されたら3日間雨が降ったとかで、最初は川の中にあったのを
お堂にお祭りするようになったそうです。

       (醒ヶ井地蔵尊)
 
       (地蔵尊説明板)


 加茂神社まで歩いて、水源地を見た後、資料館近くの川岸で、
ハリヨという琵琶湖の魚を泳がせている水槽を見ました。
醒ヶ井の地名の由来は、昔日本武尊が、怪我を癒したためとのことです。

        梅花藻の清水は神の岩間より     常朝

       (加茂神社:クリックで拡大:以下すべて)

       (湧水:神社の下:これが水源地)

       (ハリヨ)

       (ハリヨの説明板)

       (西瓜を冷やす店)


 川でスイカを冷やしている店でトマトや鮎の天ぷらなどを
それぞれ食べ、涼しい川沿いの道をゆっくり歩いて、駅に戻り、
車で3キロほどの養鱒場を訪ねました。
南入口のレストラン「養鱒センター きたがわ」で鱒や岩魚の料理をいただき、
養鱒場を少し歩きましたが、時間もなくなったので戻りました。

 梅花藻の川も、養鱒場も木陰が多く、涼しい一日でした。

       (養鱒場南の入口)

       (養鱒場料金所)

2011年8月8日月曜日

132.滝谷不動から滝畑ダム

「アカシア紀行・俳句」2011年8月7日(日)

 8月立秋前日の暑い日、避暑をかねて、いつものメンバー6人で、
大阪府南部、富田林市の滝谷不動から河内長野市の滝畑ダムなどを
訪ねました。

 滝谷不動は821年弘法大師が開いたといわれる「滝谷不動明王寺」ですが、
大阪方面からは、近鉄河内長野線で滝谷不動駅から東へ徒歩15分らしいです。
我々は車で国道旧170号線を古市方面から南下、錦織交差点を東へ左折
約700メートルのお寺の駐車場(本堂から201号線を隔てた東南)に
駐車しました。

 まず道の南側の不動滝を拝見、身代わり泥鰌(どじょう)を
放生しました。
身代わり泥鰌は身の災難を背負ってくれるという言い伝えがあり、
参拝者が来るたびに、1匹ずつコップに入れられた10センチくらいの
泥鰌を、玉垣の台に設置された樋に流して放生します。
そばの小屋には滝守(?)のおばさんが一人、泥鰌のコップを台に
並べていました。

 我々もそれぞれ100円を置いて放生しましたが、
泥鰌は玉垣から垂直におろした2メートルほどの樋を伝わって
下の小川に流れ、元気よく泳ぎだします。
小川は不動滝からの流れで底は岩か砂のようで、泳ぐ泥鰌が
上からよく見えます。私は放生前に願いごとを言うのを忘れましたが。

        放たれし泥鰌の元気谷不動     常朝

       (滝谷不動山門:クリックで拡大:以下すべて)

       (滝谷不動案内図)

       (身代り泥鰌の放生)

       (泥鰌の小川)


 その後、滝行場となっている不動滝を拝見しました。
高さ5メートルくらいの細い滝ですが、周囲は丁寧に積まれた石垣で、
水しぶきもあるためか、涼しくて気温は25度くらいでした。

       (不動滝)


 道を越えて、本堂に参拝しました。
本堂前の香盤の屋根には大きな葭簀が立てられていました。
案内図には多宝塔などもあるのですが、暑いので
境内を歩きまわるのはやめ木陰で少し涼みました。

        香盤の屋根に立て掛く大葭簀    常朝

       (滝谷不動本堂)


 11時頃お寺を辞して、約15キロ南の河内長野の滝畑ダムを訪ねました。
旧170号線を南下し、河内長野駅の西の本町7つ辻は、ややこしい辻ですが、
218号線を南下し、トンネルを越えて滝谷ダムに着きました。
滝谷ダム近辺は48滝もあるという渓谷ですが、
日曜日のためかキャンプ場や主な滝入口の駐車場はいずれも満車でした。
道は狭く、戻る車との交替も難しいほどなので、我々はダムを過ぎて
61号線の御光滝入口から400メートル程南の谷道に車を止め、
杉山の川辺に下りました。

 そこはたまたま2、3ある滝の上の浅瀬で、滝下から家族連れで浮輪を
持った子供達のはしゃぐ声が聞こえました。
父親に抱かれた子が滝に打たれてキャーキャー騒いでいました。
滝上の浅瀬の石にはゴリ(鮴)の子が数匹止まっています。
カナカナの声も杉山に響いていました。

        鮴の子のとまれる石に谷日差    常朝

        抱かれて滝水受く子声を上ぐ    常朝

       (滝畑の川)

       (滝畑の小滝)



 半時間ほど川辺で涼んだ後、ダムとは反対の方向ですが、
61号線の南の蔵王峠を越えて、和歌山県かつらぎ町に降り、
24号線の西の名手駅手前の華岡青洲の家のレストランで
昼食バイキングをいただいた後、橋本市から371号線を
北へ新170号線に戻り、錦織公園の北の蘭館で小句会後解散しました。

       (華岡青洲の家のレストランからの眺め)

       (蘭館のメニュー一部)


 あまりよい俳句はできませんでしたが、下界の暑い日、
涼しい一日を過ごすことができました。 

2011年7月24日日曜日

131.能勢妙見・野間の大欅・長谷の棚田など

「アカシア紀行・俳句」2011年7月23日(土)

 峰雲の湧く大暑の日、避暑をかねて、いつものメンバー7人で、
大阪府北部の能勢妙見山などを訪ねました。

 能勢の妙見山は1603年清和源氏の流れをくむ能勢頼次が帰依した
日蓮宗の日乾上人が、法華経の守護神である妙見菩薩(北極星の化身)を
山上に祀ったのが始まりで、頼次公が開基とされています。

 電車では能勢電鉄の川西能勢口から妙見口駅(約30分)経由でバス
またはケーブルで参詣できます。
我々は車で阪神高速・池田線11号線から423号線を利用しましたが、
11号線では大阪空港の北側でまっすぐ池田市の方へ出てしまいました。
迷ったあげく、171号線、113号線、176号線経由で10時前池田木部の
ローソンで集合後、423号線の妙見口を左折し妙見荘を左折して、
山を登り駐車場に着きました。

 門前は土産物店が1、2軒あるだけですが、神仏習合の大きな鳥居をくぐると
青銅の神馬像が左右に4頭も建っています。
妙見菩薩のための馬だそうで、お腹には能勢家の家紋である
大きな金色の矢作十字があり、足首には青い布を巻いていました。

       (妙見山案内図:クリックで拡大:以下すべて)

       (妙見山の鳥居)

       (妙見山の神馬)


 石段をさけて、右手の参道を行くとうっそうとした檜林で、
夏鶯が鳴いて、京大地震観測所(無人)がありました。
境内には絵馬堂、経堂、待合所、祖師堂などがありますが、
本殿では虫払会の祈祷中で、待合室で休んでいると、
リズミカルな木鉦の音に合わせて早口の数人のお経が聞こえ、
しばらくすると太鼓が聞こえ、それも止むと蜩の声が聞こえました。

 外壁の虫払いの貼紙を見ていたら、お坊さんがきて、虫払いを説明
してくれました。
煩悩の虫を払ってもらうのが目的ですが、もとは、道教の庚申信仰で、
60日ごとの庚申の日の夜、人のお腹から三尸虫(さんしのむし)が
出て天帝にその人の悪事を報告するので、集まって一晩中起きていた、
というようなことがあり、天帝(北極星)である妙見菩薩に、
虫の話を「むし?」するよう頼んだのがはじまりだそうです。
祈祷では霊刀「浪切丸」を頭に当てるそうです。
7月の庚申は4日ですが、虫払は7月22~24日となっています。

 境内にはご神水の浄水堂があり山の清水が龍口から出ています。
また南の石段を上がると山門の奥に大きなガラスの信徒会館が
あり、見晴らしは格別でした。


        木鉦のリズムの中に清水汲む    常朝

        山門に温度計掛く峰の夏      常朝

       (神馬の祠:クリックで拡大:以下すべて)

       (妙見山本殿)

       (妙見山絵馬堂)

       (妙見山浄水堂(ご神水))

       (山門の温度計 24度)


 その後、4号線を野間峠を西へ越えて、野間の「大欅」を訪ねました。
樹齢千年以上と推定される「けやき」は高さ30メートル、幹周り14メートル、
枝張り東西42メートルという巨木です。
何人かの人がベンチに腰掛けて見上げていましたが、中の一人の主婦が
朝アオバズクの子供達が3羽いたが全部飛び立ったと教えてくれました。
木陰も100坪以上あるのですが、陰の南縁に向日葵が咲いています。
近くに「けやき資料館」もあり、木瘤や古墳時代の壺などの他、
保存工事の写真、アオバズクの写真なども掲示されていました。
大欅は昔ここにあった蟻無宮という神社の神木だったそうで、
神社名の由来は紀貫之の歌
「手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそあるけれ」
からきたらしいです。

 昼食の場所を聞くと親切な男性が近くのレストラン「けやき」を
教えてくれ、車を走らせて、開店中を確認してくれました。
そのレストランで昼食をいただき、女将に色々話を聞きました。
8年前開店し、暇をみては畑で玉ねぎワケギなどを作っているとのこと。

        大欅の蔭百坪に蝉時雨       常朝

        向日葵に影届きをり大欅      常朝

       (野間の大欅1)

       (野間の大欅2)


 そのあと、さらに4号線を西へ森上の西の長谷(ながたに)の棚田を訪ねました。
長谷は名の通り、東西1キロ、南北300メートルほどの広大な棚田ですが、
我々は川沿いの道からほぼ中央の道を南へ登り、上から棚田を見ました。
広すぎて全貌は見えませんが、走ってきた道が向いの山すそに白く見え、
広々とした眺めでした。小学生が一人自転車を押して坂を登って来ました。
道端には南瓜の花やノウゼンカズラが咲き、鴨の小屋にマガモやアイガモ
数羽がゲーゲー鳴いていました。

 
        花南瓜棚田見下ろす溝に沿ひ    常朝


 その後、173号線を南へ池田木部へ戻り、高速入口東の
ベビーフェースでかき氷をいただき、小句会後5時半頃解散しました。
店内は音楽が少しうるさい位でしたが、大暑にしては涼しい一日を
過ごせました。

2011年7月7日木曜日

130.東吉野・七滝八壺から日裏

「アカシア紀行・俳句」2011年7月6日(水)

 梅雨晴れ間の最高気温33度の日、涼しさを狙って、
いつもより少ない4人で、奈良・東吉野村の天好園、七滝八壺から
隠れ里のような日裏を訪ねました。

 東吉野の天好園は、国道166の榛原街道を榛原から南下、鷲家から
伊勢街道166号線を東へ4キロの木津(こつ)の松本大橋で左折、3キロほど
北上した「たかすみ温泉」の北側にある料理旅館です。
ここは俳句結社「運河」の人々が吟行・記念会などでよく利用しており、
日野草城、右城暮石、茨木和生などの句碑があります。
また、大山蓮華、ハンカチの木、なんじゃもんじゃの木など珍しい樹や草花が
多く植えられています。
暮石先生の句碑の左の夏椿は白い花がいくつか散っていました。

 我々は10時半頃着きましたが、しばらく渓流の音と青葉に包まれて庭園を
散歩したのち昼食をいただき、涼しい時間を過ごしました。

        夏椿句碑の上より風来たる     常朝

        女将指す大山蓮華終わりしと    常朝

       (天好園:クリックで拡大:以下すべて)

       (右城暮石句碑:鷹舞へり青嶺に隠れ現れて)


 そのあと、前登志夫の「朴の花」の歌碑のある、新木津トンネルの東側から、
右へ入り、山道の221号線を南下して、丹生川上神社中社を訪ね、
茨木和生先生の新句碑「こつぽりの子が衝羽根の實を拾ふ」を拝見しました。
そばには衝羽根の樹と百合のつぼみがありました。
夏祓えの茅の輪が残されていたので、くぐった後、220号線を約6キロ東の
「七滝八壺」を訪ねました。

        夏祓過ぎたる茅の輪くぐりけり   常朝

       (丹生川上神社中社)

       (茨木和生先生句碑:こつぽりの子が衝羽根の實を拾ふ)


 七滝八壺は2006年にも訪ね、ナナフシなどをみたのですが、
何故かアカシア紀行には記入もれでした。

 狭い谷道に駐車して、鉄製の吊り橋を渡るとすぐ7番目の滝のしぶきがかかる
程の瀧壺が見えます。
外人を含む男性3人がランニング姿で滝にきて、あっと言う間に滝道を登り降り
して、谷道を下っていきました。キャンプ場にきている人達のようです。
急な坂を鎖を持って登ると、頂上から4つの滝を見上げることができます。
瀧水が連れてきた山の空気が風となり、瀧壺に立つと風圧を感じるほどでした。
吊橋の下にはお歯黒トンボが数匹ゆっくり飛んでいます。
吊橋の脇には「クマシデ」の木がホップのような白緑の花を提げていました。
今回は木製の橋が鉄製の吊橋になっていたためか、ナナフシも尺取虫も見え
ませんでした。

        滝下に風圧受けてしぶき受く    常朝

        吊橋の下をはなれず川蜻蛉     常朝

       (七滝八壺)

       (七滝八壺の上の滝)


 221号線の谷道を西へ戻って、キャンプ場のそばから、北へ山道を5キロほど
登ると、日裏地区です。
ここは、もとは10軒位の山中の集落ですが、いまは、常時は3軒しか住んで
いないようです。
集落の手前に産土神でしょう「天一神社」が道の右側にあったので、駐車して
参拝、散策しました。
狭い境内に大きな杉が2本あり、小さな社ながら大切に管理されているようです。
このどちらかの杉の下で、昔赤ちゃんが生まれたので、安産の神としても
お参りされているとのことです。
男性一人が山歩きの途中で、神社に立ち寄りすこし話をしました。
こんな神社があるのは知らなかったとのことです。
小さな御手洗は引いた谷水を流しっぱなしで溢れていました。
社殿の手前右手の屋根付きの塀に「ミヤマクワガタ」が一匹いました。
また道路の谷側の崖に70センチくらいのよく肥えた蛇がいて崖の隙間に隠れました。

        御手洗にあふるる谷水蛾の寄れり  常朝

        安産の神の社に蛇肥えて      常朝

       (天一神社:榊にとまる鶏:クリックで拡大:以下すべて)

       (天一神社の大杉)


 集落への道は狭く、やっと小型車が通れるほどの崖道で、行止りの集会所の
庭に駐車させてもらいまいた。
ここは以前は小学校の分校だったようですが、廃校後集会所になったようです。
ガラス戸越しに見ると教室はひとつだけの小さな学校跡で、玄関左に小さな鐘が
掛り、裏には朴の木が青葉を茂らせていました。
砂利を敷いた庭には園芸種らしい菫があちこち咲いています。
桜の木は黒紫の実がついていました。
集落は山のほぼ頂上にありますが、裏側はまだ急な山で、表側も急な谷で、
山々が迫っていました。

        廃校の鐘見てをればほととぎす   常朝

        桜の実苦味は大人の味なると    常朝

       (日裏集会所・旧分校)

       (日裏の廃屋)


しばらく涼しい山の空気を味わってから、下界へ降り、166号線の宇陀の道の駅
「宇陀路大宇陀」でケーキセットなどいただいて5時頃解散しました。
帰り道は梅雨の雨に戻っていました。

2011年6月25日土曜日

129.景行天皇陵から石上神宮・影媛コース

「アカシア紀行・俳句」2011年6月23日(木)

 梅雨の曇予想から晴れた暑い日、いつものメンバー7人で、
奈良県天理市の景行天皇陵から石上神宮・布留の滝などの影媛コースを
訪ねました。

 景行天皇陵は国道169(天理街道)の天理ICの南4キロほどに
ある大きな前方後円の御陵です。景行天皇は崇神・垂仁天皇のあとの天皇で
日本武尊(やまとたけるのみこと)の父上です。
若い頃日本武尊はかなりの乱暴者だったので、東国から西国へ
遠征させられ、三重でなくなり白鳥になったとの伝説です。

 影媛は、武烈天皇が皇太子の頃、今の桜井市の海石榴市(つばいち)で
皇太子に言い寄られ、恋人だった平群の鮪(しび)が抵抗したら、
鮪はたちまち皇太子の兵隊に平城山で殺されました。(歌碑など後述)
 石上から平城山まで影媛が泣きながら歩いた道は今はほぼ北・山の辺の道と
なっています。つまり影媛コースは山の辺の道といえるかも。

 我々が9時半頃景行天皇陵に着いて参拝後、そばの植田の、
豊年えびや目高の子や、鮴(ごり)の子、蝌蚪(オタマジャクシ)
などを見てていたら、たまたま田のオーナーの人が水番にきたので、
色々話を聞きました。

 虫たちが元気なのは農薬をあまり使わないためのようです。
水が十分な時はそばの小川の水を、不足の時は御陵の濠の水を田に
引くそうです。
御陵の拝所を溝が通っていて、南の田へ水を引くのですが、
拝所の北側は荒地で、そのさらに北の小川から水を引くので、
小川の堰で止めても、まだ荒地の水が流れこむようです。
そのせいか、植田からは水があふれていました。
荒地の北側は水口神社ですが、すこし荒れた感じの小さな社で、
平地の水口神社は珍しいとのことです。

        陵を通る溝より田水引く     常朝

        陵の濠に沿ふ川目高ゐて     常朝

        陵の濠にありたる造り滝     常朝

       (景行天皇陵と植田:クリックで拡大:以下すべて)

       (田水の取水口)

       (濠から濠の造り滝)

       (景行天皇陵の濠)

       (景行天皇陵より:右に耳成山、畝傍山、左奥に香具山)



 その後、向いの「まほろば」で昼食をいただき、影媛コースの
出発点の石上神宮に参拝しました。北山の辺の道の一部です。
境内にはきれいな「おんどり」や白い「うこっけい」がうろついて、
木の枝にもとまり、コケコッコーと長い声で鳴いていました。
神鶏だそうで堂々としています。

 拝殿から参拝後、東へ200メートルほどの布留の滝まで歩きました。
滝のすぐ下流に「布留の高橋」と名付けた小さな橋があります。
滝へは布留川の岸の崖を「はしご」で降りないと全貌はみえませんが、
橋から木の葉ごしに滝の一部を見ることができます。

 このあたりには、昔恋人を皇太子に殺された影媛が泣きながら通った橋が
あったのでしょう。
滝への道は狭い農道のようで梅の実が落ちており、対岸には真紅の柘榴の花が
咲いていました。


        おんどりのうろつく斎庭花榊    常朝

        羽抜鶏長鳴く最後声かすれ     常朝

        瀧壺も木の葉に隠れ布留の滝    常朝

       (石上神宮:榊にとまる鶏:クリックで拡大:以下すべて)

       (石上神宮拝殿)

       (布留の滝)


 その後、石上神宮の駐車場に戻り、169号線経由で、
天理ICのすぐ北側の「和邇下(わにした)神社」を訪ねました。
影媛の歌碑を見るためです。
ここはこのあたりの古代の一族和邇氏を祀る神社で、いまは素盞嗚(すさのお)尊
ほかを祀っています。
未舗装の駐車場の左側の参道から石段を30段ほども上がると、小さな境内に、
昭和13年再建の本殿がありました。

 石段下を左に歩くとうっそうとした樹下に「影媛の歌」の石碑があります。
アカシア紀行13.2005年5月21日稿にも記入しましたが、
石碑の左の説明板「影媛あわれ」には次の歌があります。

  石の上 布留を過ぎて、高橋過ぎ、大宅過ぎ、春日を過ぎ、
  小佐保を過ぎ、玉笥(たまけ)には飯(いひ)さへ盛り、
  玉盌(たまもひ)に水さへ盛り、泣きそぼちゆくも影姫あはれ

    (字句の一部省略:原典は日本書紀・武烈天皇の項)

 この歌にある地名の高橋は、さきほど歩いた高橋ではなく、
この神社の土地の昔の地名であった、ともいわれています。

 暑さのせいもあり疲れてきたので、さらに北へつづく影媛コース
(円照寺など)はあきらめ、3時前から天理街道の別所・北大路の
「天平庵」で冷たい飲み物・和菓子をいただき、小句会後解散しました。

        鳥鳴かぬ影媛の歌碑木下闇     常朝

       (和爾下神社本殿)

       (和爾下神社説明板)

       (影媛の歌碑)

       (歌碑の説明板)