2013年7月14日日曜日

176.奈良・天川村龍泉寺から女人結界

「アカシア紀行・俳句」2013年7年13日(土)     前へ   次へ

  梅雨明けの猛暑が続く日いつものメンバー7人で、奈良県天川村・洞川
(どろがわ)の龍泉寺から大峰山の女人結界を訪ねました。
 9時半頃飛鳥夢販売所を出て、10時半頃寺に着きました。

 龍泉寺は、2009年8月のアカシア紀行にも書きましたが、
役行者が開いたとされる大峰山行者の寺です。

 役行者が発見したという泉に八大龍王をお祠りする真言宗醍醐派の寺で、
境内には水行場の池のほか、美しい池がいくつかあり、
主なお堂の周囲は清水の流れる溝で囲まれ、まるで「水の寺」です。

 バスで参詣にくる大峰講の人達もおり、参詣後行者姿の先達(リーダー)
と共に大峰山登山に向かうようです。

 本堂に向かっていると、急に雨が振り出しました。夏のにわか雨です。
本堂の屋根や行者像を大粒の雨が叩きましたが、しばらく休んでいると、
小止みになり、本堂の右から法螺の音が聞こえました。
そこには護摩壇が組まれ、一人の僧侶が座り、別の若い僧侶が般若心経などを
声高らかに唱えながら、護摩の火をつけようとしていました。

 10人位の男性が護摩を囲み手を合わせていました。
自分たちの大峰講を解散する儀式だそうで、護摩壇の上に、
講の旗や神具箱のような大きな箱を積んでいました。

 雨も上がり、若い僧侶が火を付けると、最初の白い煙が青い透明の煙になり、
護摩壇の旗や箱が勢い良く燃えて、雷が鳴りました。
外人男性も見守る中、解散式は読経の中終りました。

 その後水行場などを拝見して、お寺を辞しました。
4年前池に鱒がいたので探しましたが、鱒も他の魚も見えませんでした。

       行者像の笈(おい)を叩ける驟雨かな  常朝

       護摩壇に炎上がれば山の雷      常朝

            (龍泉寺山門:クリックで拡大:以後同じ)        
            (八大龍王堂)
            (本堂)
            (水行場)
            (講の解散式)
            (龍泉寺の池)

 お寺の南の「きらく久兵衛」で鮎焼き定食をいただいたあと、
女人結界へ車を進めました。
大峯山は今も女人禁制の修験の山で、結界があります。

 我々は母公堂の先の清浄大橋結界の手前の駐車場に車を留めました。
(洞川温泉町から東へ約3.5キロ)
駐車場に食堂があり、そのそばにいた行者さんによると、
大峰山には(吉野方面からは)結界が3ケ所(清浄大橋、レンゲ辻、五番関)
あり、稲村岳からのレンゲ辻からが一番険しいそうです。

 橋を渡ると、女人結界門と書いた大きな門があります。
鶯やホトトギスを聞きながら、門の手前の石垣に腰掛けていると、
2、3人ずつ下山の行者が門を出て来ました。
中には大人に連れられた小学生の子もいました。

 食堂の東側と西のトイレの東側からは、行場の「西の覗き」の崖を
見上げることができました。

 帰りに山の清水(軟水)をもらうために、「ごろごろ水」採水場に
駐車料300円を払って、車を留め、10ヶ所くらいある蛇口の
一つからクーラーボックスに水を汲みました。

       老鶯や童降り来る結界門    常朝

       杉梢走る夏雲結界門      常朝

            (発菩提心門と清浄大橋)
            (女人結界門)
            (結界の石像)
            (西の覗きの山々)
            (西の覗きの説明板)
その後、飛鳥のぶどう園の直売店でデラウェアのぶどうを買い、
橿原観光ホテルで小句会後7時頃解散しました。
日が当たるとやや暑いですが、下界の暑さを忘れて、天川村の山の涼気を
楽しむことができました。

2013年7月1日月曜日

175.天理市・夜都岐神社から石上神宮でんでん祭

「アカシア紀行・俳句」2013年6年30日(日)      前へ  次へ

  6月最後の梅雨晴れ間の、いつものメンバー6人で、 奈良・天理市の
夜都岐神社から石上神宮を訪ねました。

 夜都岐神社(夜都伎:ヤトギ、あるいはヤツキ)は、天理市乙木地区の氏神
ですが武甕槌(たけみかづち)の神など6神を祀る本殿の前に、
古い藁屋根の拝殿があります。

 我々が神社に着いた10時前は他に誰もいず、神社の池から牛蛙の鳴き声が
聞こえるだけでした。

 説明板によると、乙木地区にあった2社を統合した神社で、
昔は奈良の春日神社の寺領だったためか縁が深いようです。

 拝殿の藁屋根の左の一部はやや新しく、葺き直したようですが、
残りの屋根には苔が生えています。格子戸から覗くと、藁屋根の骨組みが見え、
数枚の奉額の一つの七福神を描いた布が垂れ下がっていました。

 そのうち、5、6人の男女のハイカーがやってきて、しばらく拝殿などを
興味深かそうに見た後戻りました。

 境内の蹲居(つくばい)にはボウフラが沢山元気に泳いでいました。
左手には古い井戸があり夏落ち葉が木蓋にかかっています。

 北側の池の土手には、ワルナスビやシロツメグサ(クローバー)が
咲いて、よく見ると4つ葉や5つ葉のクローバーが数茎ありました。
神社の周囲の畑道には青い紫陽花が咲き、綿畑に綿が2尺位に育っていました。

       神池の暗きに鳴けり牛蛙    常朝

       ひとところ藁葺き新た青楓   常朝

            (夜都岐神社:クリックで拡大:以後同じ)        
            (夜都岐神社説明板)
            (拝殿の中)
            (神社の池)
            (四つ葉五つ葉のクローバー)


 その後、169号線の景行天皇陵まえの「まほろば」で昼食をいただき、
石上神宮を訪ねました。
今日は「でんでん祭」、「神剣渡御祭」ともいわれる夏越の祭です。

 我々が神宮の末社である神田(こうだ)神社北の駐車場に着くと、
まだ12時半でしたが、神宮には縄で閉じられた「茅の輪」が見え、
ツーリスト社に案内された人も含め多くの人が神宮の境内に集まっていました。

 境内では神鶏が数羽、砂利や土の上に寝ていました。
門から入って右側の鎧櫃の上には、お田植の早苗束が、竹籠とともに置かれて
います。
茅の輪の右手、ワタカという魚がいる鏡池のそばの休憩所の軒には茅の輪の
残りの萱束が積んであり、虫がきていました。

 神剣渡御では石上神宮に古くから伝わる神剣(4世紀百済から贈られた七枝刀)
を行列で200メートル西の末社「神田神社」へ送ります。
夏越の神事は、1時ころから神宮拝殿で、行列後2時ころから神田神社でも
行なわれ、2時半頃から、神田神社で「お田植祭」が行われました。

 我々は二手に別れ、一方は神宮での神事から行列について歩き、
他方の組は、神田神社の境内に斎竹で囲まれ、神剣(本物は国宝のため
レプリカ)を立てたお田植の田(盛土)のそばで行列と儀式を待ちました。

 神宮から神社への行列は30人位で、錫杖を持った先導、太鼓、榊、
花つきの槍2本、早苗籠、早乙女3人、楽人(伶人:笛と笙)、櫃(神具?)、
弊つきの竿先に布で包まれた神剣、それぞれ赤と黄の旗と花つきの槍二本、
でした。
笛を吹きながら歩くので、楽人以降は遅れて、行列がとぎれたり、
道路を横切るのに車を止めたり、進行係は色々大変な様子でした。

 神社での神事のあと、お祓い後、お田植祭が始まりました。
畦を鍬でならしたあと、若い牛役が、年老いた作男に、「早く歩け」など
言われながら、田をたがやします。途中、牛が早乙女に握手しました。

 その後、早乙女が3人神剣の前に進み拝礼後、早苗を一茎ずつ土に挿す仕草の
あと、置いて行きました。

 無事、お田植えが終わったあと、宮司の挨拶があり、参拝者らが、
残った苗を拾って帰りました。多く拾った人は他の人に苗を分けていました。

       茅の輪編み余りし茅に虫きたる  常朝

       行列の伶人遅る夏越祭      常朝

       早乙女に牛握手してお田植祭   常朝

            (石上神宮の茅の輪)
           
            (石上神宮の拝殿)
            (鎧櫃の上の早苗籠と太鼓)
            (行列の出発前)
            (神剣渡御行列)
            (お田植祭の牛)
           
            (お田植祭神事)
            (神宮へ戻る早乙女)

 その後169号線の勾田南の「さと」で小句会後解散しました。
運良く梅雨晴れ間になったので、大和の国中(くんなか)の夏越の祭に参拝、
楽しむことができました。
 

2013年6月15日土曜日

174.斑鳩・法輪寺から三井瓦窯跡、溜池など

「アカシア紀行・俳句」2013年6年14日(金)     前へ    次へ

  空梅雨の青空の暑い日、いつものメンバー6人で、 奈良・斑鳩の法輪寺などを訪ねました。

 法輪寺は、法隆寺の北東0.7キロほどにあり、聖徳太子の病気平癒を 祈願して
山背大兄王が建てたともいわれています。  
我々が入山料500円を納めて山門に入った10時頃は、境内には ほかに誰もいませんでした。

  左手の三重の塔のそばに、受付の女性が教えてくれた高さ6メートル もあるよう
な菩提樹の花がうつむきながら良い香りを放っていました。

  三重の塔は、斑鳩三塔のひとつといわれ、1944年雷で焼けたのを、
幸田文さんらの努力で、飛鳥様式を守って1975年再建されました。
飛鳥建築らしく円柱はふくらみがあり、屋根の形が流れるようです。 

 正面に講堂(宝物殿)があり、右手にこじんまりした金堂、 右奥には妙見堂、
地蔵堂があります。 地蔵堂の石地蔵には「檜(ひのき)の花」が供えてありました。

  また妙見堂のそばに秋艸道人(しゅうそうどうじん・会津八一)の

       くわんのんの しろきひたひに やうらくの
       かげうごかして かぜわたるみゆ

 の歌碑があります。 

   しばらく境内を散策後、宝物殿の本尊「薬師如来」などを 参拝しました。
丸帽の女性の堂守(ご住職のご息女らしい)が 観音像の裏側も案内して、
十一面観音像の後ろ側の観音の笑い顔を 見せてくれました。
11面は3面ずつ違うお顔らしいです。

  左から毘沙門天、地蔵菩薩、薬師如来、十一面観音、 虚空蔵菩薩、
弥勒菩薩、吉祥天の順にならんでいますが、 平安時代の十一面観音の
あでやかさはともかく、飛鳥時代の 薬師如来や虚空蔵菩薩のアルカイックな
お顔がきれいでした。
 左奥には鎌倉時代の聖徳太子16歳像、2歳像もあります。   

       菩提樹の花に風鐸触るる程   常朝 

       円柱のふくらみゆたか青葉風  常朝

            (法輪寺講堂(宝物殿):クリックで拡大:以後同じ)
            (法輪寺沿革説明板)
            (菩提樹の花)
            (三重塔)
            (三重塔説明板)
            (金堂)

 その後、お寺を辞して近く三井の井戸を訪ねました。

 三井の井戸は聖徳太子が造られた井戸といわれ、 瓦葺の井戸屋があり、
小型ながら鬼瓦もあります。
昔来た時は周囲に十薬などの草が沢山生えていましたが、
今はきれいに刈られています。その分風情がなくなりましたが。
かまきりの子が一匹、井戸屋の柱をすばやく登りました。  

 お寺の駐車場に戻り、9号線の交差点にある 桑の木を見ましたが、
時期が遅いのか桑の実はほとんど 見えませんでした。 

       子かまきり意外に速し三井の井戸  常朝

            (三井の井戸)
            (井戸説明板)

 9号線の中宮寺東交差点の北側の「玄米庵」で昼食をいただき、
ふたたび9号線から法輪寺の東の「三井の瓦窯跡」を 訪ねました。
法隆寺などの瓦を焼いた大きな登り窯で、 上半分が地上に出ており、
覆い屋が建てられています。
格子の窓からのぞくと、登り窯の上部の土壇がいくつか見えます。
 近くの柿青葉がきれいでした。 窯跡の下にある瓦窯池は空梅雨で水が減っていました。

  その後斑鳩では一番大きな池、溜池を訪ねました。
 今日は釣り人はいませんでしたが、いつもヘラブナ釣りの人が 2,3人います。
ゴルフ場との境の藪には夾竹桃が咲き、夏鶯が鳴いて、
岸辺には黒鱒(ブラックバス)がじっと浮いていました。
帰りに留めていた車の上を見ると、大きな桑の木が沢山の実をつけていました。
熟した順に、濃紫、橙色、緑ですが、 しばらく指を紫色にして桑の実を味わいました。

       桑の実に腕を伸ばせり白帽子   常朝

       指染めし桑の実の色いつ消ゆる  常朝

             (三井の瓦窯跡)
             (溜池)

  そのあと、法隆寺の水源池である阿摩池を訪ねましたが、
途中に通行止めがあり、中宮寺官墓も車では近くに行けないので、
今回はあきらめ、法隆寺東の「さと」で小句会を楽しんで 3時半頃解散しました。
夕方にはやっと梅雨らしい雲が空を覆い始めました。

2013年5月30日木曜日

173.宇治田原の茶畑から大滝・茶宗明神

「アカシア紀行・俳句」 2013年5年29日(水)     前へ   次へ

 梅雨入りの翌日で雨予報の日、いつものメンバー5人で、
宇治田原の茶畑から茶宗明神などを訪ねました。
天気予報では朝雨で午後時々雨だったのですが、
雲の中に少し青空が見えたので、雨の降らない内に茶畑を見ようと、
24号線の山城大橋の方へ車を進めました。

 途中の木津川河川敷には、大きなオウチ(楝)の木が沢山あり、
淡紫の花が咲き放題に咲いています。

 山城大橋を右折、307号線を東へ湯屋谷の北の谷村製茶工場の
角から大福集団茶畑に登りました。

 奥へ進むと、2人の農家の男性が急坂の茶畑で休憩していたので、
車を止めさせてもらい、話を聞きました。

 今は一番茶の茶摘みが終り2番茶のために茶葉を刈っているとのこと。
刈らないと新しい葉が(6月末頃から)出ないそうです。
茶は一年で4回叩かれる(刈られる)そうです。

 最近は茶をペットボトルで飲むので、急須で飲む本来の茶の味を
若い人は知らないため、宇治茶などは売りにくいとのこと。
本来の美味しい茶は黄色で、青色の茶は美味しくないそうです。
(抹茶などを別にすれば)

 宇治茶は高級品が多いが量が少ないこともあり、
ペットボトル用の(九州などの)大量生産による安い茶には、
勝てないようです。
今回刈る茶葉はほうじ茶として出していましたが、今はビジネスに
ならないので、畑の中に放置するそうです。

 乗用茶摘機が入れるよう、この辺りの急坂の茶畑をならして
平地にする計画があるそうです。
数年後には変化に富んだ美しい茶畑が見られなくなるでしょう。

 どこからか老鶯が良い声を聞かせてくれ、
茶畑の道にはニワゼキショウ、マツバウンラン、シロツメグサ、
ハハコグサなどが咲いていました。

 お二人が一台の弓型の茶摘機を持って茶葉を刈り始めました。
刈られた茶葉が飛んで、さらに山風で飛ばされていました。

 茶山のふもとの土手には木苺が赤い実をつけ、
夏わらびが茂っていたので先だけを少し採りました。

       老鶯や茶畑の畝は四方より   常朝

       茶摘機の弓の曲がりに青葉風  常朝

              (茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
              (茶葉を刈る人)

 その後茶山から307号線の5キロほど西、郷の口近くの
「コメリ」店の筋向いにある食事処「くつろぎ」で昼食をいただき、
茶宗明神を訪ねました。

 再び307号線を東へ4キロ程で右折、湯屋谷に行きましたが、
途中の三叉路で道を間違えたため、そのまま山中の大滝に行きました。

 大滝では、例年9月1日に五穀豊穣と雨乞い祭りをするそうです。
山深い谷道の行き止まりにきれいな細い滝があり、大滝大明神と書いた
鳥居と小さな建物があります。

 滝が細いので滝壺も直径1尺ほどにしか見えませんが、
滝音は山に響いています。
石段を登ると、大岩の下に不動明王が祀られていました。
それでも滝の頂上は木々に隠れて見えません。
時々高くきれいな鳥声がしました。

       谷音の滝音となる行きどまり  常朝

       一尺の滝壺の音山響く     常朝

              (大滝入口)
              (大滝)
              (大滝の不動明王)

 大滝から三叉路へ戻って、あらためて茶宗明神を訪ねました。
ここは6年前の12月訪ねましたが、今回は谷の湿気のうえに
梅雨の湿り気がありました。
神社のそばの永谷宗円の生家(復元)と庭は、竹垣で囲まれて
いました。シュロ縄の輪で閉じられた戸を開けて庭を拝見しました。
以前と同じく茶畑もあり、紫陽花の青葉がきれいでした。
右手の谷の対岸にも茶畑があり、夏わらびの間を黒い蛇が走りました。

       蛇走る茶宗明神の茶の畑     常朝

              (茶宗明神)          
              (茶宗明神本殿)
              (永谷宗円生家)
              (永谷宗円生家の庭)
              (JA宇治茶の郷)
              (お茶の陳列)

 その後JAやましろの「宇治茶の郷」で、お茶を買い、
奈良に戻り旧ドリームランド前のcocosで小句会を楽しみました。
梅雨の雨を覚悟しましたが、一日中傘を開かずに宇治田原の
茶畑や青葉の谷を楽しむことができました。

2013年5月13日月曜日

172.奈良・平群町の千光寺から白山神社・普門院跡


「アカシア紀行・俳句」2013年5年11日(土)     前へ   次へ

 立夏の雨模様の日、いつものメンバー6人で、奈良・平群町の
千光寺などを訪ねました。

 9時過ぎ近鉄生駒線の東山駅前で集合し、五月雨の中を西の
鳴川に沿って急坂を登り修験寺・千光寺に着きました。
いきなり青葉の中の谷の音に囲まれました。

 千光寺は、飛鳥時代に役行者が開いたとされる修験の寺で、
境内の石段などに役行者の石像が沢山並べれられています。
役行者が大峰山などへ移ってからも行者の母の白専女が残って
修行したので、元山上、女人山上ともいうそうです。

 五月雨の降ったりやんだりの中を参拝、散策しました。
時々鳥の声が聞こえましたが、雨が小止みになると
さえずりの声が近くに聞こえます。
燕も堂すれすれに飛んでいました。

 寺の右側の坂の途中に電柵に囲まれた苗代田があり早苗が育っています。
坂の右手には紫の木蓮、すずらん、おおでまりが咲き、
小山の上には青葉の中に藤の花が下がっていました。
だれかが小さいかたつむりをみつけ木の葉に載せました。

       修験寺の御堂かすめて夏つばめ  常朝

       囀や役行者の目は窪み       常朝

              (千光寺山門:クリックで拡大:以後同じ)          
              (本堂)
              (役行者像)
              (苗代田)
              (寺の説明板)

 その後、山を降りて、2キロほど南の福貴地区の白山神社を訪ねました。
白山神社は、平安時代法隆寺夢殿を再建した道詮律師ゆかりの福貴寺の
神宮寺です。
道詮律師の隠居寺として栄え、今はありませんが、60もの坊(建物)の
ある大きな寺だったようです。

 小止みになった田のそばの駐車場に駐車して、石段を登り割拝殿から
奥の本殿を参拝しました。本殿は覆屋があり、若楓が屋根に触れています。
拝殿には小学生の習字の一字書きが貼られていました。
誰もいない境内の左側に弥勒堂があり、その左の集会所のような建物も
戸が閉まっています。
右手の池の岸辺には雨の水輪の下、30センチ程のブラックバス(黒鱒)が
泳いできました。

       五月雨の水輪沸き立つ神の池   常朝

       黒鱒の岸に寄り来し神の池     常朝

              (白山神社)
           
              (神社の説明板)
              (割拝殿と本殿覆屋)


 平群駅東の168号線沿いのガストで昼食をいただいたあと、
福貴に戻り、普門院跡を訪ねました。
普門院は、道詮律師の住房(住まいの寺)でしたが、
今は廃寺跡となり、2008年訪ねた時は庫裏つきの小さな本堂が
壁の壊れたまま残っていましたが、今はきれいになくなり、
青梅と百日紅の木が残っていました。
小さな門だけ残り敷地が金網柵で囲まれていました。
安置されていた聖観音像は法隆寺に保管されているとのこと。

 裏側の畑にはそら豆、えんどうが花をつけており、
柿の花が実になっていました。


       そら豆の花の紫雨濡らす     常朝

       寺跡の堂なくなりて百日紅    常朝

              (普門院跡の門)
              (句碑 六十坊ありしを虫の坊一つ  吟蕗)

 その後奈良に戻り自宅で句会を楽しみました。 
五月雨の一日でしたが、句会が終わる頃は止んでいました。