「アカシア紀行・俳句」2018年8月4日(土) 前へ 次へ
猛暑続きの8月初旬、いつものメンバー4人で避暑を兼ねて奈良・天川村・洞川の龍泉寺などを訪ねました。洞川は3年前の7月末にも訪ねています。(参照:アカシア紀行218)
今回は橿原神宮西口で10時集合し、雲ひとつない8月の青空のもと下市、丹生、黒滝から11時半頃洞川・龍泉寺の駐車場に着きました。
すでにお寺の境内の駐車場は空きが2台しかない状態でした。
龍泉寺は大峰山修行者のための行者寺ですが、さすがに行者祭の翌日は行者らしい人はすくなく、境内は静かでした。役行者像のある水行場も今回は誰もいませんが、立っていると涼しい風がたえず吹いてきて、さすが海抜820メートルの行者寺です。
龍の口という湧き水から出る山の清水が境内のあちこちの池を美しく潤しています。
駐車場に近い南側の池には藻の花が咲いており、大鯉が底の砂に影をくっきりと落としてゆっくり泳いでいます。
見ていると、藻の下から大鯉がぬーっと顔を出して驚かされました。
龍の口の岩の説明書では、男の子を生んだ母親が白蛇の化身であると知らされ、自分の目を子に与えて、岩から湧き出る龍の口の泉に消えて、朝夕の鐘を合図に泉から出てきて乳をあげたとのこと。
また境内には、なでると軽くなり、叩くと重くなるという「なで石」があります。
試しになでてから両手で持つとなんとか上がりましたが、叩くと重くなるというのは、心臓に悪い気がしてやめました。
(龍泉寺山門-修験門:クリックで拡大、以下同じ)
(竜泉寺の前の橋(山上川))
(龍泉寺前のトイレ)
(洞川案内図)
(役行者像と水行場)
(龍の口伝説の説明板)
(なで石説明板)
(なで石(おもかる石))
(藻の花の咲く寺の池)
(藻の花)
藻の花の下より大鯉行者寺 常朝
白蛇の消えしてふ岩清水湧く 常朝
しばらく境内を散策してから、400メートル程南の「とり長」で鮎の塩焼き定食をいただきました。
混んでおり、7組分待ちましたが、その間下を流れる山上川をのニジマスの群れや鮎を見ました。
1時頃机に坐ってからも30分待ちましたが、充分お腹が空いて鮎も美味しかったです。
窓から道をみていたら、下山したのでしょう、頭襟(ときん)、結袈裟(ゆいげさ)姿で錫杖(しゃくじょう)を持った正装の行者が一人通りました。
3年前と同じく、洞川の旅館街で胃腸の薬「陀羅尼」と羊羹を買い、東の女人結界を訪ねました。
洞川温泉の旅館街の皿徳旅館のような行者宿は、夏休み中なので、中学生らしい子供たちがおそらく林間学校として、座敷や縁側で楽しそうに話していました。
結界では絶えず涼しい風が吹く中、父親が男の子に門を見せて子供の写真を撮っていました。
(とり長のメニュー)
(女人結界)
(黒滝・道の駅)
結界の湧き水旨し青葉風 常朝
行者宿は林間学舎子等の声 常朝
帰りに駐車料500円を収めて山の湧き水「ごろごろ水」をタンク一杯、ペットボトル3本分もらい、街で豆腐を買い、3時すぎ洞川を出ました。
途中黒滝の道の駅でソフトクリームをいただき、5時頃橿原神宮西口で解散しました。
下界は最高温度38℃の暑さだったようですが、おかげで暑さ知らずの一日を山の行者町で過ごすことができました。
2018年8月5日日曜日
2018年7月1日日曜日
272. 奈良・村屋神社の夏祓(なつばらへ)
「アカシア紀行・俳句」2018年6月30日(土) 前へ 次へ
梅雨空の6月末、奈良・田原本町・村屋神社の夏越(なごし)の大祓式(夏祓)に参列しました。
村屋神社は4年前秋祭に訪ねましたが、説明板によると彌富津比売(みふつひめ)神社といい、日本書紀の天武天皇元年(672)の項に、壬申の乱に「村屋神、祝に着りて曰く・・と」天武天皇方に味方したとあるように奈良時代前からあった古い神社です。
(巻28には「村屋神、祝(神官)に神懸かりして、今吾が社の中道より軍衆至らむ・・」とあります)(参照:アカシア紀行199)
3時半前に神社の南側の駐車場(3台分)に駐車し、境内に入ると、すでに結界の忌竹、茅の輪が立てられていましたが、まだ人は数人しかいなくて屋台ひとつリサイクルの食器などを売っているだけでした。店主の主婦の男の子が、1枚おまけだよ、と元気な声をだしていました。
あとで調べたら駐車場(20台位)とトイレは神社のすぐ東の初瀬川(大和川)の西岸にありました。
(村屋神社:クリックで拡大、以下同じ)
(リサイクルの屋台)
(社務所)
(神社の説明板)
しばらく境内や南側の梅畑などを見て戻ると,30人位の人が集まり、神主、神官がお祓いの茅束、お供えなどを祭壇に準備していました。
4時前に祝詞があり、4時から神官、町内の役員、参列者が順に茅の輪を本殿の方向にくぐりました。遅れてきた2,3組の親子連れも茅の輪くぐりを終えた頃、神主の祓えの祝詞がありました。その頃には参列者はカメラマンも含め50人位になりました。
祝詞の途中、遠くで雷の音がしました。
祝詞が終ったのち神官が紙の人形(ひとがた)を参列者に配りました。神主の指示の通り、人形に3度息を吹きかけて、神官の箱に入れなした。
1才位の男の子を背負った母が、人形を男の子の口に寄せて息を掛けさせていました。
その後、神官が紙の幣をつけた茅を一本ずつ参列者に配った後、神主の指示のように、その茅で各自が自身を払い、3たび配られた1.5センチ四方の切り幣(ぬさ)を、各自、左からと右から自分かけて自身を祓いました。
切幣は50枚位を同じ幅の紙で丁寧に包んでありました。
(人:ひとがた)
(幣つきの茅を配る神官)
夏祓の祝詞に応へ日雷 常朝
人形に嬰も息かけ夏祓 常朝
すべての祓えの神事が終わった後、神官は結界の縄(恵方の南南東)と茅の輪の縄をカッターで切り、子供たちに茅の輪を初瀬川(大和川)まで運ばせました。
(茅の輪を運ぶ子供たち)
(茅の輪を落とす子供たち)
(流れ行く茅の輪)
夏祓終へ結界の恵方切る 常朝
茅の輪流る初瀬の川の夕風に 常朝
橋の上から茅の輪、茅束、紙幣などを川に落とすと、それらは、夕方の大和の景色の中をゆっくりと流れて行きました。昔遣隋使などの船が大阪湾から飛鳥の方へ通った川と思えば、また趣きがありました。
数百年も続いているだろう夏越の神事は、梅雨雲の下、大和国中(くんなか)の川ほとりで無事終りました。
少しむせる感じはありましたが梅雨雲のおかげで暑すぎず、のんびりとした集落の夏祭を経験できました。
梅雨空の6月末、奈良・田原本町・村屋神社の夏越(なごし)の大祓式(夏祓)に参列しました。
村屋神社は4年前秋祭に訪ねましたが、説明板によると彌富津比売(みふつひめ)神社といい、日本書紀の天武天皇元年(672)の項に、壬申の乱に「村屋神、祝に着りて曰く・・と」天武天皇方に味方したとあるように奈良時代前からあった古い神社です。
(巻28には「村屋神、祝(神官)に神懸かりして、今吾が社の中道より軍衆至らむ・・」とあります)(参照:アカシア紀行199)
3時半前に神社の南側の駐車場(3台分)に駐車し、境内に入ると、すでに結界の忌竹、茅の輪が立てられていましたが、まだ人は数人しかいなくて屋台ひとつリサイクルの食器などを売っているだけでした。店主の主婦の男の子が、1枚おまけだよ、と元気な声をだしていました。
あとで調べたら駐車場(20台位)とトイレは神社のすぐ東の初瀬川(大和川)の西岸にありました。
(村屋神社:クリックで拡大、以下同じ)
(リサイクルの屋台)
(社務所)
(神社の説明板)
しばらく境内や南側の梅畑などを見て戻ると,30人位の人が集まり、神主、神官がお祓いの茅束、お供えなどを祭壇に準備していました。
4時前に祝詞があり、4時から神官、町内の役員、参列者が順に茅の輪を本殿の方向にくぐりました。遅れてきた2,3組の親子連れも茅の輪くぐりを終えた頃、神主の祓えの祝詞がありました。その頃には参列者はカメラマンも含め50人位になりました。
祝詞の途中、遠くで雷の音がしました。
祝詞が終ったのち神官が紙の人形(ひとがた)を参列者に配りました。神主の指示の通り、人形に3度息を吹きかけて、神官の箱に入れなした。
1才位の男の子を背負った母が、人形を男の子の口に寄せて息を掛けさせていました。
その後、神官が紙の幣をつけた茅を一本ずつ参列者に配った後、神主の指示のように、その茅で各自が自身を払い、3たび配られた1.5センチ四方の切り幣(ぬさ)を、各自、左からと右から自分かけて自身を祓いました。
切幣は50枚位を同じ幅の紙で丁寧に包んでありました。
(人:ひとがた)
(幣つきの茅を配る神官)
夏祓の祝詞に応へ日雷 常朝
人形に嬰も息かけ夏祓 常朝
すべての祓えの神事が終わった後、神官は結界の縄(恵方の南南東)と茅の輪の縄をカッターで切り、子供たちに茅の輪を初瀬川(大和川)まで運ばせました。
(茅の輪を運ぶ子供たち)
(茅の輪を落とす子供たち)
(流れ行く茅の輪)
夏祓終へ結界の恵方切る 常朝
茅の輪流る初瀬の川の夕風に 常朝
橋の上から茅の輪、茅束、紙幣などを川に落とすと、それらは、夕方の大和の景色の中をゆっくりと流れて行きました。昔遣隋使などの船が大阪湾から飛鳥の方へ通った川と思えば、また趣きがありました。
数百年も続いているだろう夏越の神事は、梅雨雲の下、大和国中(くんなか)の川ほとりで無事終りました。
少しむせる感じはありましたが梅雨雲のおかげで暑すぎず、のんびりとした集落の夏祭を経験できました。
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2018年6月6日水曜日
271. 奈良・橿原市のシャカシャカ祭
「アカシア紀行・俳句」2018年6月5日(火) 前へ 次へ
6月初旬の梅雨入り直前の火曜日、奈良・橿原市上品寺町(じょうほんじ)の「シャカシャカ祭」を訪ねました。
シャカシャカ祭は、五穀豊穣を祈るため、大蛇を神として祀るために、子供たちが藁で編んだ、7メートルもの大蛇を担いで町中を歩く地域の祭です。
昔、人身御供をせまる大蛇がおり、それを村人と若者が退治したので、その霊を慰めるためにはじまったという言い伝えで、大蛇が竹藪を進むとき「シャカシャカ」と音がしたので、シャカシャカ祭と呼ぶようです。
午後1時半頃、中和幹線(105)と24号線の交差点「葛井町」の北側のアイフル駐車場に駐車し、10分程歩いて、上品寺町の当屋(祭担当の家)の上田さん宅を訪ねました。
上品寺という寺は今はなく、お宅の西隣が浄正寺です。
長屋門のような立派な門を入ると、すでに100平米ほどの庭に、カメラマン4-5人を含む14,5人が集まっており、2-3人の男性が、筵に坐って、藁束で大蛇を編んでいました。
蛇の口は、1尺ほどの舌となる赤布を咥えており、頭から順に、藁束を差し込み、差し込んだ部分を細縄で順に縛っていきます。30数束をつないで、約7メートル、後ろに2-3メートルの縄をつけて完成です。
担い手の子供たちが昔の20人位から減ったので、大蛇の長さも少し短くしたようです。
(当屋の上田さん宅:クリックで拡大、以下同じ)
(シャカシャカ祭の案内書)
(大蛇を編む)
(大蛇を編む2)
30分ほど休憩後午後3時から、男性(当屋の主?)が庭の机の上で、米粉とお湯で「ちまき」の餅を練り始めました。熱すぎるのでと水を加えたためか、練り上げるのに少し時間がかかりました。
大きな2つの餅を作り、それぞれ3-4枚のハラン(葉蘭)の葉でくるんで紐で縛り、大きなちまきが2つできました。
ちまき作業中、当屋の1才位の坊やが机の前で眺めたりハランの葉で叩いたりして皆の笑いを誘っていました。
そのちまきを、大蛇の前に置いて撮影後、当屋の坊やと主(祖父?)が、大蛇にまたがり写真を撮ってもらっていました。
(ちまきを作る)
(大蛇完成)
学校の放課後になるまで40分以上、当屋の庭と門前で待ちましたが、4時ころから母親に連れられた幼稚園位の法被姿の子供が数人集まり、近所の人達も合わせて20人以上になりました。中には立派な黒い賢いシェパードを連れた人もいて、行列にも参加していました。
4時15分頃、3才から10才位の法被姿の子供たち12人位が集合したので、大蛇の行列を始めました。
まず、北側の中和幹線の葛本町西あたりまで大蛇を約150メートルほど進ませ、水を飲ませて休憩後、南約250メートルの上品寺町集会所まで行進しました。途中遅れてきた小学生の2人が行列に加わり、14人となりました。
集会所に到着後、南の大きなエノキの木に、梯子をかけて、大蛇を巻き付け、ちまきを頭の部分にかけて完成です。拍手と子供たちの記念撮影が終わった頃、ぽつりぽつりと雨が降り出して解散しました。
(子らを待つ人々)
(いよいよ出発)
(蛇の行列)
(榎に巻き付いた大蛇)
蛇祭子らに大蛇の長さかな 常朝
蛇祭木に巻く蛇の藁飛ばし 常朝
帰りは、行きと同じく、車で葛本町から土橋南交差点、京奈和道路、郡山南のルートで、奈良へ戻る途中、やや本格的に雨が降ってきました。
地域の人たちによる、主人公が子供たちの祭ですが、お天気にも恵まれ、
来訪者の我々にも和やかな気分にさせてくれる、のんびりとした良い夏祭りでした。
6月初旬の梅雨入り直前の火曜日、奈良・橿原市上品寺町(じょうほんじ)の「シャカシャカ祭」を訪ねました。
シャカシャカ祭は、五穀豊穣を祈るため、大蛇を神として祀るために、子供たちが藁で編んだ、7メートルもの大蛇を担いで町中を歩く地域の祭です。
昔、人身御供をせまる大蛇がおり、それを村人と若者が退治したので、その霊を慰めるためにはじまったという言い伝えで、大蛇が竹藪を進むとき「シャカシャカ」と音がしたので、シャカシャカ祭と呼ぶようです。
午後1時半頃、中和幹線(105)と24号線の交差点「葛井町」の北側のアイフル駐車場に駐車し、10分程歩いて、上品寺町の当屋(祭担当の家)の上田さん宅を訪ねました。
上品寺という寺は今はなく、お宅の西隣が浄正寺です。
長屋門のような立派な門を入ると、すでに100平米ほどの庭に、カメラマン4-5人を含む14,5人が集まっており、2-3人の男性が、筵に坐って、藁束で大蛇を編んでいました。
蛇の口は、1尺ほどの舌となる赤布を咥えており、頭から順に、藁束を差し込み、差し込んだ部分を細縄で順に縛っていきます。30数束をつないで、約7メートル、後ろに2-3メートルの縄をつけて完成です。
担い手の子供たちが昔の20人位から減ったので、大蛇の長さも少し短くしたようです。
(当屋の上田さん宅:クリックで拡大、以下同じ)
(シャカシャカ祭の案内書)
(大蛇を編む)
(大蛇を編む2)
30分ほど休憩後午後3時から、男性(当屋の主?)が庭の机の上で、米粉とお湯で「ちまき」の餅を練り始めました。熱すぎるのでと水を加えたためか、練り上げるのに少し時間がかかりました。
大きな2つの餅を作り、それぞれ3-4枚のハラン(葉蘭)の葉でくるんで紐で縛り、大きなちまきが2つできました。
ちまき作業中、当屋の1才位の坊やが机の前で眺めたりハランの葉で叩いたりして皆の笑いを誘っていました。
そのちまきを、大蛇の前に置いて撮影後、当屋の坊やと主(祖父?)が、大蛇にまたがり写真を撮ってもらっていました。
(ちまきを作る)
(大蛇完成)
学校の放課後になるまで40分以上、当屋の庭と門前で待ちましたが、4時ころから母親に連れられた幼稚園位の法被姿の子供が数人集まり、近所の人達も合わせて20人以上になりました。中には立派な黒い賢いシェパードを連れた人もいて、行列にも参加していました。
4時15分頃、3才から10才位の法被姿の子供たち12人位が集合したので、大蛇の行列を始めました。
まず、北側の中和幹線の葛本町西あたりまで大蛇を約150メートルほど進ませ、水を飲ませて休憩後、南約250メートルの上品寺町集会所まで行進しました。途中遅れてきた小学生の2人が行列に加わり、14人となりました。
集会所に到着後、南の大きなエノキの木に、梯子をかけて、大蛇を巻き付け、ちまきを頭の部分にかけて完成です。拍手と子供たちの記念撮影が終わった頃、ぽつりぽつりと雨が降り出して解散しました。
(子らを待つ人々)
(いよいよ出発)
(蛇の行列)
(榎に巻き付いた大蛇)
蛇祭子らに大蛇の長さかな 常朝
蛇祭木に巻く蛇の藁飛ばし 常朝
帰りは、行きと同じく、車で葛本町から土橋南交差点、京奈和道路、郡山南のルートで、奈良へ戻る途中、やや本格的に雨が降ってきました。
地域の人たちによる、主人公が子供たちの祭ですが、お天気にも恵まれ、
来訪者の我々にも和やかな気分にさせてくれる、のんびりとした良い夏祭りでした。
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2018年5月13日日曜日
270. 京都府・和束の茶畑
「アカシア紀行・俳句」2018年5月9日(水) 前へ 次へ
立夏後の雨が上がった水曜日、いつものメンバー4人で茶どころの京都府相楽郡の和束を訪ねました。
9時半頃JR奈良駅で集合し、163号線を東へ、府道5号線を川沿いに北上、白栖橋を左折して、10時半頃まず和束茶カフェを訪ねました。
お茶や菓子など和束の特産品などの売店があり、お店に入るなり小さな紙コップで新茶をいただきました。
新茶や茶団子などを買い、茶摘みなどの見られる茶畑を聞くと、車で行ける場所として石寺茶畑を教えてもらいました。
(和束の案内図:クリックで拡大、以下同じ)
(和束茶カフェ)
(茶カフェの入口)
(お店の商品)
(たくみの寿司-季節の巻物)
(新茶)
北側と南の川沿いの道がありますが、通ってきた川沿いの道を通り、和束高橋から北へ500メートル程登り、ベンチのある石寺茶畑の展望所に駐車しました。
道の東側は大きな丘で一面が見事な茶畑です。除霜ファンがあちこちに立ってゆっくり回っています。
ベンチのそばには矢車草が咲き、手前の土手には、桐、油桐、シュロなどが見えます。
茶畑は、既に一番茶の刈取りが終わっているようで、右奥に刈取機の音がするだけで、茶摘みの人は見えませんでした。丘の左右に鶯の鳴き声が聞こえました。少し歩くと軒にアルミ缶の風鈴?を釣る家があり、茶畑の端には廃屋もありました。
(石寺の茶畑)
(石寺茶畑南側)
(石寺茶畑の説明板)
(近くの家のアルミ缶風鈴?)
老鶯や視界いっぱい茶の畑 常朝
茶畑の端に廃屋風香る 常朝
12時頃白栖橋へ戻り、運動公園のそばのレストラン「たくみ」 に行き、茶カフェの店で見た筍寿司を
注文しました。筍寿司といってもほとんどは新鮮な魚や卵の寿司でしたが、一つだけ筍が載った寿司が
旬の香りがして柔らかくおいしかったです。
1時半頃、お店を出て白栖橋の北東、約1キロの和束中学校の北東300メートルほどの八坂神社を訪ねました。
海洋センターの前を通って東へ最初の四つ角を右へ登るのですが、道が狭く急坂でした。
神社は小さい社2つですが、樹齢1300年、高さ31メートル、幹周り13メートルもの巨大な八本杉が立っています。
一台分がやっとの坂の駐車場に駐車できました。たまたま一人の男性が草刈りをしていたので聞くと、地区の区長さんで、一人で神社と神域を守っておられるようです。
小さい草がぎっしり生えているのでこれ以上は除草剤を使うしかないと言っていました。
鶯が数羽、八本杉のあちこちで鳴いていました。
(八坂神社と大杉)
(大杉の説明板)
老鶯の四五羽ゐるらし巨大杉 常朝
草刈りて区長の守る八岐杉 常朝
その後、奈良へ戻って喫茶店を探しましたが、あいにく水曜は休みの店が多く、結局お茶なしで3時頃解散しました。午後は天気も良くなり、お茶の香りがいっぱいの爽やかな皐月の一日でした。
立夏後の雨が上がった水曜日、いつものメンバー4人で茶どころの京都府相楽郡の和束を訪ねました。
9時半頃JR奈良駅で集合し、163号線を東へ、府道5号線を川沿いに北上、白栖橋を左折して、10時半頃まず和束茶カフェを訪ねました。
お茶や菓子など和束の特産品などの売店があり、お店に入るなり小さな紙コップで新茶をいただきました。
新茶や茶団子などを買い、茶摘みなどの見られる茶畑を聞くと、車で行ける場所として石寺茶畑を教えてもらいました。
(和束の案内図:クリックで拡大、以下同じ)
(和束茶カフェ)
(茶カフェの入口)
(お店の商品)
(たくみの寿司-季節の巻物)
(新茶)
北側と南の川沿いの道がありますが、通ってきた川沿いの道を通り、和束高橋から北へ500メートル程登り、ベンチのある石寺茶畑の展望所に駐車しました。
道の東側は大きな丘で一面が見事な茶畑です。除霜ファンがあちこちに立ってゆっくり回っています。
ベンチのそばには矢車草が咲き、手前の土手には、桐、油桐、シュロなどが見えます。
茶畑は、既に一番茶の刈取りが終わっているようで、右奥に刈取機の音がするだけで、茶摘みの人は見えませんでした。丘の左右に鶯の鳴き声が聞こえました。少し歩くと軒にアルミ缶の風鈴?を釣る家があり、茶畑の端には廃屋もありました。
(石寺の茶畑)
(石寺茶畑南側)
(石寺茶畑の説明板)
(近くの家のアルミ缶風鈴?)
老鶯や視界いっぱい茶の畑 常朝
茶畑の端に廃屋風香る 常朝
12時頃白栖橋へ戻り、運動公園のそばのレストラン「たくみ」 に行き、茶カフェの店で見た筍寿司を
注文しました。筍寿司といってもほとんどは新鮮な魚や卵の寿司でしたが、一つだけ筍が載った寿司が
旬の香りがして柔らかくおいしかったです。
1時半頃、お店を出て白栖橋の北東、約1キロの和束中学校の北東300メートルほどの八坂神社を訪ねました。
海洋センターの前を通って東へ最初の四つ角を右へ登るのですが、道が狭く急坂でした。
神社は小さい社2つですが、樹齢1300年、高さ31メートル、幹周り13メートルもの巨大な八本杉が立っています。
一台分がやっとの坂の駐車場に駐車できました。たまたま一人の男性が草刈りをしていたので聞くと、地区の区長さんで、一人で神社と神域を守っておられるようです。
小さい草がぎっしり生えているのでこれ以上は除草剤を使うしかないと言っていました。
鶯が数羽、八本杉のあちこちで鳴いていました。
(八坂神社と大杉)
(大杉の説明板)
老鶯の四五羽ゐるらし巨大杉 常朝
草刈りて区長の守る八岐杉 常朝
その後、奈良へ戻って喫茶店を探しましたが、あいにく水曜は休みの店が多く、結局お茶なしで3時頃解散しました。午後は天気も良くなり、お茶の香りがいっぱいの爽やかな皐月の一日でした。
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2018年5月12日土曜日
269. 奈良・桜井市の安倍文殊院
「アカシア紀行・俳句」2018年5月3日(木) 前へ 次へ
ゴールデンウイーク後半の初日、曇り空でしたが、帰省中の次男一家と7人で、桜井市の安倍文殊院を訪ねました。目的は、孫娘の高校の合格祈願です。
安倍文殊院は、大化の改新の645年創建された華厳宗別格本山の古いお寺です。
JR桜井駅の南約1キロにあり、車では165号線阿部交叉点の南約600メートルです。
我々は、2台の車で阿部交叉点の南400メートルを左折、第一駐車場でなく奥の山門前の境内駐車場に駐めました。
入山料1200円を納めると抹茶の接待がある11時まで少し時間があったので、
祈祷受付所(本堂)で絵馬をいただき、テントの下の机で、孫娘がxx高校合格祈願と自分で書きました。
受験高校はいままで親にも明言していなかったようで、今回初めて希望を示したようです。
境内の古墳などを見学したら時間になったので、受付とは反対側の客殿に入り、室内で7人がならんで、お菓子の落雁と抹茶をいただき、本堂の普賢菩薩の前で僧から説明を受けお参りしました。
本堂を出て、金閣浮御堂の前で7枚の祈祷札をいただいて、全員がそれぞれ7度の別々のお祈りを唱えて、浮御堂の回りを回りました。池には大きな鯉が泳いでいました。
その後、入山受付の左側の丘に登り、安倍晴明の天文観測地から、花の広場を見下ろしました。
広場は秋にはコスモスの迷路になりますが、今は今年の干支である犬の絵が描かれています。
(祈祷受付 右奥本堂:クリックで拡大:以下同じ)
(金閣浮御堂)
(客殿)
(客殿入口と本尊写真)
(客殿の茶室)
(おびんづる様)
(花の広場の犬の絵)
(安部晴明天文観測の地)
(安部晴明天文観測の地2)
七祈願七度巡る春の堂 常朝
合格祈願絵馬に書く娘や花は葉に 常朝
その後橿原神宮前駅のそばのロイヤルホテル8階で昼食をいただきました。
食後窓から景色を見ていたら、小学6年の孫(男子)が橿原陸上競技場のグランドでサッカー試合を見つけました。スマホで調べたら、奈良クラブと今治FCのJFL試合中(14時半~16時)とわかりました。
孫は少年サッカーチームの選手なので参考になるだろうと、皆でホテルからグラウンドまで10分程歩いて、前半の終わりからサッカー試合を見物しました。
私達は奈良クラブを応援しましたが、結果は4対1で負けました。
テレビではサッカー試合を見ますが、生で試合を見るのは初めてで、応援団の歌や太鼓に迫力がありました。
(ロイヤルホテル8Fから橿原神宮前駅)
(橿原陸上競技場)
(サッカー場)
(サッカー応援団と観客)
高高とサッカーボール風光る 常朝
サッカーの応援太鼓五月空 常朝
ゴールデンウイークの暖かい日、孫娘の合格祈願と共にサッカー見物までできてラッキーな祝日でした。
ゴールデンウイーク後半の初日、曇り空でしたが、帰省中の次男一家と7人で、桜井市の安倍文殊院を訪ねました。目的は、孫娘の高校の合格祈願です。
安倍文殊院は、大化の改新の645年創建された華厳宗別格本山の古いお寺です。
JR桜井駅の南約1キロにあり、車では165号線阿部交叉点の南約600メートルです。
我々は、2台の車で阿部交叉点の南400メートルを左折、第一駐車場でなく奥の山門前の境内駐車場に駐めました。
入山料1200円を納めると抹茶の接待がある11時まで少し時間があったので、
祈祷受付所(本堂)で絵馬をいただき、テントの下の机で、孫娘がxx高校合格祈願と自分で書きました。
受験高校はいままで親にも明言していなかったようで、今回初めて希望を示したようです。
境内の古墳などを見学したら時間になったので、受付とは反対側の客殿に入り、室内で7人がならんで、お菓子の落雁と抹茶をいただき、本堂の普賢菩薩の前で僧から説明を受けお参りしました。
本堂を出て、金閣浮御堂の前で7枚の祈祷札をいただいて、全員がそれぞれ7度の別々のお祈りを唱えて、浮御堂の回りを回りました。池には大きな鯉が泳いでいました。
その後、入山受付の左側の丘に登り、安倍晴明の天文観測地から、花の広場を見下ろしました。
広場は秋にはコスモスの迷路になりますが、今は今年の干支である犬の絵が描かれています。
(祈祷受付 右奥本堂:クリックで拡大:以下同じ)
(金閣浮御堂)
(客殿)
(客殿入口と本尊写真)
(客殿の茶室)
(おびんづる様)
(花の広場の犬の絵)
(安部晴明天文観測の地)
(安部晴明天文観測の地2)
七祈願七度巡る春の堂 常朝
合格祈願絵馬に書く娘や花は葉に 常朝
その後橿原神宮前駅のそばのロイヤルホテル8階で昼食をいただきました。
食後窓から景色を見ていたら、小学6年の孫(男子)が橿原陸上競技場のグランドでサッカー試合を見つけました。スマホで調べたら、奈良クラブと今治FCのJFL試合中(14時半~16時)とわかりました。
孫は少年サッカーチームの選手なので参考になるだろうと、皆でホテルからグラウンドまで10分程歩いて、前半の終わりからサッカー試合を見物しました。
私達は奈良クラブを応援しましたが、結果は4対1で負けました。
テレビではサッカー試合を見ますが、生で試合を見るのは初めてで、応援団の歌や太鼓に迫力がありました。
(ロイヤルホテル8Fから橿原神宮前駅)
(橿原陸上競技場)
(サッカー場)
(サッカー応援団と観客)
高高とサッカーボール風光る 常朝
サッカーの応援太鼓五月空 常朝
ゴールデンウイークの暖かい日、孫娘の合格祈願と共にサッカー見物までできてラッキーな祝日でした。
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