「アカシア紀行・俳句」2016年10月2日(日) 前へ 次へ
10月に入って晴天が戻った蒸し暑い日曜日、いつものメンバーの都合のつく4人で、
奈良・大安寺境内にある八幡宮の秋祭を訪ねました。(宵宮は前日1日でした)
9時前JR奈良で集合し、南の大安寺南側の駐車場に駐車し、その南側の八幡宮を訪ねました。
神社の由緒書きによると、この八幡神社は、807年大安寺の僧行教が遣唐使からの帰りに、
宇佐八幡宮より勧請した神社で、859年山城男山八幡宮に奉遷したので、
元石清水八幡宮ともいわれています。
大安寺第七院岩清水房に勧請されたので、岩清水八幡宮と称し寺の鎮守にしたそうです。
慶長元年(1596)大地震で大安寺が廃寺になったので地元の氏神になったそうです。
神事の始まる10時まで時間があったので、すぐ南の大安寺七重塔の跡を訪ねました。
広い敷地が残され、東塔跡基壇と西塔の碑があります。
広場には七重塔を模したアートとして、川俣正氏による木製の高さ25メートルの足場のある七重塔
「足場の塔」が建っています。いつかは塔の復元をというメッセージでしょうか。
現在「古都祝奈良-ことほぐなら」という9月3日-10月23日の奈良のアート祭典中で、
終了後は取り壊されるそうです。
境内へ戻り、本殿や摂社のお供えである、花御供などを拝見しました。
花御供は弓矢のうつぼ(靭)のような形で束ねた麦藁の矢筒の部分には餅が貼り付けられ、
矢には餅、柿、栗、柘榴などが串のように差し込まれて、様々に色紙などで飾られています。
本殿に30個くらい、いくつかの摂社に2個ずつ供えられています。
境内には古い鳥居の廃材が束にされて置かれ、オガタマノキやイチイガシなど
背の高い神社の木々には鵯など秋の小鳥たちがしきりに鳴いています。
10時頃から本殿で5人の太鼓団による奉納和太鼓で祭礼が始まり、祝詞のあと、
3地区の代表の参拝者(大安寺町、八条、東九条町からそれぞれ10人位)が、順次参拝し、
40分頃神事が終わり、各地区からの神輿や御幣が地区を回って戻るまで時間があったので、
我々はJR奈良駅北の日航ホテルに移動し、3階「和食よしの」で早めの昼食をいただきました。
花御供に餅を刺す矢も秋祭 常朝
八幡社の祭ゆっくり小鳥来る 常朝
(八幡宮)
(大安寺足場の塔)
(大安寺東塔基壇)
(仁徳天皇若宮神社の花御供)
(奉納和太鼓)
(秋祭ポスター)
(神功皇后像)
12時半頃神社へ戻り、参道を西へ歩いて戻ってくるお神輿などを待ちました。
参道脇の雑草の多い稲田では草雲雀がピロピロと鳴いていました。
1時前、北側の道にお稚児さんの女子を先頭に、稲とお酒のお供え、神輿、布団太鼓台の
行列が一の鳥居へ向かって進みました。
布団太鼓には10人以上の子供達が乗って、わっしょいわっしょいと掛け声を掛けていますが、
疲れて声がやや小さくなると、付いている母親の一人が「元気出して!」と励ましています。
1時頃、南側からのお稚児さん、お供えと御幣の2地区の行列が着くまで
少し待って、3地区が対面してから鳥居をくぐり参道を本殿まで進みました。
渡御を待つ参道長し草雲雀 常朝
掛け声に元気出してと秋祭り 常朝
(お神輿)
(布団太鼓台)
(南からの行列)
(渡御行列の出会い)
(境内での神事)
2時前より、摂社の一つの前で祝詞と拝礼をし、本殿で御幣献饌などの神事を行ったあと、
本殿前のテントに坐った3地区の人々にお供えのお下がりをそれぞれお盆に置いて渡しました。
祭礼用の衣装は昔はすべての地区にあったようですが、今は衣装が残っている南の2地区のみの
人々が全員正装され、北側地区は殆ど黒い礼服でした。
神事はこれで終了となったので、3時前神社の門前北側の一軒だけの関東弁の男性の
干し店(露店)でたい焼きを買って、再び日航ホテルのロビーに戻り、喫茶室でコーヒーを
いただいてから解散しました。
今日は9月初旬に戻ったような蒸し暑い日でしたが、2時頃からは境内に少し風がきました。
誰も時計をあまり気にしていないようなのんびりした田舎風の奈良の秋祭を楽しんだ一日でした。
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