2016年10月22日土曜日

243. 湖西線・北小松の落ち鮎料理

「アカシア紀行・俳句」2016年10月21日(金)    前へ   次へ

  10月下旬の曇りながらも秋らしい金曜日、句会の先輩諸氏らと9人で
滋賀県高島郡志賀町の琵琶湖畔の町、北小松を訪ねました。
目的は秋の琵琶湖吟行と、落鮎料理です。

 10月上旬句会の先輩女性が急逝されて少しさみしい吟行となりましたが
京都駅に10時集合、目玉の鮎料理に気を取り直して京都を出発です。
JR湖西線今津行で約50分、北小松駅からゆっくり歩いて
まず途中の樹下神社(じゅげじんじゃ)を訪ねました。

 樹下神社は 平安時代982年日吉大社の摂社「樹下宮」を勧請して建てられたそうで、
境内には天満宮、金毘羅宮、大髭神社が祀られています。
本宮の鈴の緒には、奉納者「追いさで漁組合」の名札が掛かっています。
境内には戦争で供出された神馬像の台岩や、石棺が置かれ、御神水の池には
緋鯉、大鯉が泳ぎ、ムクロジの大樹からは実が沢山落ちていました。
小さい青蛙が一匹、境内の草を元気に跳んでいました。

       車窓より穭田(ひつじだ)見えて湖西線  常朝

       青蛙斎庭に元気直哉の忌        常朝

         (北小松駅-湖西comより)       
     (北小松駅改札口-http://sta.nuttari.net/より)
     (樹下神社-kimamatei-shima.comより)


 その後、161号線を横切って琵琶湖畔に出ました。
桟橋の杭だけが黒黒と残ってゆっくりと波に濡れています。
料理店の松水(しょうすい)に進む皆さんと別れて先輩一人と二人で北小松漁港を訪ねました。
10艘ほどの諸子船が留められており、若者が一人ブラックバスを釣っていました。
諸子漁の時期でないので他に誰もいませんでした。
堤防の下には猫が一匹居り、波の静かな琵琶湖には鳰が10羽くらい泳いでいます。
明るい曇り空を雁が10羽ほど北の空へかぎ形で飛んで行きました。

       行く秋や小さき港に諸子舟       常朝

       行く秋や魞(えり)の向ふに近江富士  常朝

         (北小松漁港-http://taikutuoyaji.com/歩こーなより)       
     (松水玄関-sho-sui.comより)

 12時半ころ松水に入り、出句してから、鮎料理をいただきました。
私には珍しい「子持ち鮎」を、各自が机の上の網焼き器で焼いていただき、
後にはうなぎの蒲焼き、鮎の刺し身「背がき」もいただきました。
食事と句会の2階の部屋からは松水の水槽や琵琶湖を眺められます。
大きな水槽がいくつもあり、大鯉やチョウザメが泳いでいます。

       子持ち鮎目玉黒黒跳ねさうな     常朝

         (子持ち鮎)       
     (鮎の背がき)
     (北小松駅からの眺め-駅前)
     (北小松駅からの眺め)

 句会ののち、15時20分頃、料亭のマイクロバスで北小松駅まで送ってもらい、
4時半頃京都駅で解散しました。
お天気に恵まれ、ご馳走の鮎料理とともに、深みゆく秋の琵琶湖を楽しんだ一日でした。

(写真はタブレットのカメラでしたが、操作ミスで前半の写真が消えてしまいました。
やむなく他の方のブログ等の写真を一部借用させていただきましたのでお許し下さい)

2016年10月3日月曜日

242. 奈良・大安寺八幡宮の秋祭

「アカシア紀行・俳句」2016年10月2日(日)    前へ   次へ

  10月に入って晴天が戻った蒸し暑い日曜日、いつものメンバーの都合のつく4人で、
奈良・大安寺境内にある八幡宮の秋祭を訪ねました。(宵宮は前日1日でした)

 9時前JR奈良で集合し、南の大安寺南側の駐車場に駐車し、その南側の八幡宮を訪ねました。
神社の由緒書きによると、この八幡神社は、807年大安寺の僧行教が遣唐使からの帰りに、
宇佐八幡宮より勧請した神社で、859年山城男山八幡宮に奉遷したので、
元石清水八幡宮ともいわれています。
大安寺第七院岩清水房に勧請されたので、岩清水八幡宮と称し寺の鎮守にしたそうです。
慶長元年(1596)大地震で大安寺が廃寺になったので地元の氏神になったそうです。

 神事の始まる10時まで時間があったので、すぐ南の大安寺七重塔の跡を訪ねました。
広い敷地が残され、東塔跡基壇と西塔の碑があります。
広場には七重塔を模したアートとして、川俣正氏による木製の高さ25メートルの足場のある七重塔
「足場の塔」が建っています。いつかは塔の復元をというメッセージでしょうか。
現在「古都祝奈良-ことほぐなら」という9月3日-10月23日の奈良のアート祭典中で、
終了後は取り壊されるそうです。

 境内へ戻り、本殿や摂社のお供えである、花御供などを拝見しました。
花御供は弓矢のうつぼ(靭)のような形で束ねた麦藁の矢筒の部分には餅が貼り付けられ、
矢には餅、柿、栗、柘榴などが串のように差し込まれて、様々に色紙などで飾られています。
本殿に30個くらい、いくつかの摂社に2個ずつ供えられています。

 境内には古い鳥居の廃材が束にされて置かれ、オガタマノキやイチイガシなど
背の高い神社の木々には鵯など秋の小鳥たちがしきりに鳴いています。

 10時頃から本殿で5人の太鼓団による奉納和太鼓で祭礼が始まり、祝詞のあと、
3地区の代表の参拝者(大安寺町、八条、東九条町からそれぞれ10人位)が、順次参拝し、
40分頃神事が終わり、各地区からの神輿や御幣が地区を回って戻るまで時間があったので、
我々はJR奈良駅北の日航ホテルに移動し、3階「和食よしの」で早めの昼食をいただきました。

       花御供に餅を刺す矢も秋祭      常朝

       八幡社の祭ゆっくり小鳥来る     常朝

        (八幡宮)       
         (大安寺足場の塔)
        (大安寺東塔基壇)
        (仁徳天皇若宮神社の花御供)
        (奉納和太鼓)
        (秋祭ポスター)
        (神功皇后像)

 12時半頃神社へ戻り、参道を西へ歩いて戻ってくるお神輿などを待ちました。
参道脇の雑草の多い稲田では草雲雀がピロピロと鳴いていました。
1時前、北側の道にお稚児さんの女子を先頭に、稲とお酒のお供え、神輿、布団太鼓台の
行列が一の鳥居へ向かって進みました。
布団太鼓には10人以上の子供達が乗って、わっしょいわっしょいと掛け声を掛けていますが、
疲れて声がやや小さくなると、付いている母親の一人が「元気出して!」と励ましています。

 1時頃、南側からのお稚児さん、お供えと御幣の2地区の行列が着くまで
少し待って、3地区が対面してから鳥居をくぐり参道を本殿まで進みました。

       渡御を待つ参道長し草雲雀      常朝

       掛け声に元気出してと秋祭り     常朝

        (お神輿)       
         (布団太鼓台)
        (南からの行列)
        (渡御行列の出会い)
        (境内での神事)

 2時前より、摂社の一つの前で祝詞と拝礼をし、本殿で御幣献饌などの神事を行ったあと、
本殿前のテントに坐った3地区の人々にお供えのお下がりをそれぞれお盆に置いて渡しました。
祭礼用の衣装は昔はすべての地区にあったようですが、今は衣装が残っている南の2地区のみの
人々が全員正装され、北側地区は殆ど黒い礼服でした。
神事はこれで終了となったので、3時前神社の門前北側の一軒だけの関東弁の男性の
干し店(露店)でたい焼きを買って、再び日航ホテルのロビーに戻り、喫茶室でコーヒーを
いただいてから解散しました。

 今日は9月初旬に戻ったような蒸し暑い日でしたが、2時頃からは境内に少し風がきました。
誰も時計をあまり気にしていないようなのんびりした田舎風の奈良の秋祭を楽しんだ一日でした。

2016年9月16日金曜日

241. 奈良斑鳩・藤の木古墳の月見会

「アカシア紀行・俳句」2016年9月15日(木)    前へ    次へ

  中秋の名月の日、いつものメンバーの都合のつく3人で、奈良斑鳩町・藤の木古墳を訪ねました。

 夕方6時前JR法隆寺駅で集合し、当初法輪寺で月見を考えていたので、法隆寺北の法輪寺を
訪ねましたが、駐車場に鎖が掛けられていて入山できなかったので、やむなく、
法隆寺の西500メートルほどの藤の木古墳を訪ねました。

 藤の木古墳は、6世紀後半に造られた直径50メートルほどの円墳で、1985年から発掘調査され
今は古墳公園として整備されています。
埋葬者は未定ですが、聖徳太子の叔父の穴穂部皇子と宅部皇子ではないかという説もあるようです。

 6時すぎ我々が古墳の駐車場に着いた時は、他に誰もおらず空の殆どは雲で覆われていました。
円墳周囲には遊歩道があり、所々にベンチがあります。時々脇の道を車が通る程度です。
駐車場に近いベンチの前に低い机を車から出して置き、まず茶会の準備を始めました。

 そのうちに東の空の雲間から満月が顔を出してくれました。
無月かもしれないと思っていたので安心しました。

 北側の空の雲は明るかったのですが、灰色から紫色に変化し、月が出る頃は薄墨色となっていました。
雲にはところどころ白く薄い部分があり、そこに月が来るとほぼ満月が透けて見えます。
薄雲に透ける満月も十分明るくて、周囲が特に暗いので味わいがあります。

 野点をいただいてから寿司やぶどうなどをいただき、少し休んでから遊歩道をめぐりました。
遊歩道の木のうち2,3本の木の上からは草雲雀のようなリリーリリーという虫の声がうるさい程です。

       月待ちの古墳の園の茶会かな     常朝

       満月を透く雲なきが如くなり      常朝

       更けてより無月となりし古墳かな    常朝

        (藤の木古墳)       
        (藤の木古墳と周囲の山)

 古墳の周囲の里:西里の家々は夜の闇に包まれています。北西の斑鳩健民グランドのライトが
3本ほどやけに明るかったですが、離れているので月見の邪魔になることはなかったです。
時々夜間飛行のジェット機が赤い尾灯を点けて斑鳩の空を北へ飛んでいきました。

        (野点のテーブル)       
         (藤の木古墳の説明板:一部)

 8時頃月は雲でまったく見えなくなったので、JR法隆寺駅経由で奈良へ帰りました。
当初心配していた雨にも降られず静かで涼しい斑鳩の夜を過ごした中秋の夜でした。

2016年9月2日金曜日

240. 奈良・斑鳩の吉田寺放生会

「アカシア紀行・俳句」2016年9月1日(木)    前へ   次へ

  9月1日防災の日、いつものメンバーの都合のつく3人で、奈良・斑鳩町・吉田寺(きちでんじ)の
放生会(ほうしょうえ)を訪ねました。

 吉田寺は、藤原時代恵心僧都が安置したという丈六阿弥陀如来像を祀る浄土宗の寺で、
恵心僧都が祈祷した衣を掛けられた僧都の母御が大往生をとげたとして、ぽっくり寺として有名です。
JRでは法隆寺駅の北西約1キロ、車では25号線竜田神社南交叉点の南約200メートルです。

 駐車場が少ないので法隆寺に駐車し、松本屋で早い昼食をいただいた後、タクシーで吉田寺に
入山した12時前には、境内にすでに数十人の人々が集まっており、祈祷などの受付所のテントには、
数人の人が机の後ろに坐っていました。また多宝塔の前には結縁帳ご志納受付のテントもあります。

         (吉田寺山門:クリックで拡大:以下同じ)       
         (吉田寺境内)
          (多宝塔)
        (参道脇の菊畑)

 本堂にはすでに祈祷を受ける20人位が坐っていましたが、1時すぎくらいからは放生会の準備で、
僧侶の座席などと共に、中央には20匹ずつ位の金魚の入ったビニール袋を一つずつ5つの金盥に入れ、
そのすぐ向こう側には鳩の箱を5つ置かれました。
外人の女性一人が携帯カメラと扇子を持って本堂のそばで放生会を待っていました。

        (放生される金魚と鳩箱)

 放生会は1時半からということで、南側の参道のそばの放生池や、北側参道のそばの菊畑や
稲の花の咲く田んぼなどを散策しました。

 1時半ころ僧侶が10人ほど本堂に入り、法要が始まりました。
境内のテント前に赤いシートを3枚敷いた上に机を置いたので、すぐ放生かと待っていたら、
結局2時半前までお経が続き、待ちくたびれた頃僧侶がでてこられて、鳩の5箱をテーブルに置き、
短いお経のあといっせいに蓋を開けて鳩を飛ばしました。

        (僧侶の入堂)
        (鳩放生のあと)

 隣の90才のご老人が自分の携帯電話のカメラ撮影ができないと言われたので、
携帯画面をチェックしていたら、鳩達はいなくなっていました。
この方は王寺町の人で、16才頃大阪砲兵工廠に勤務後、少年志願兵として中国の内蒙古へ出征し、
19才頃に無事帰国、退役したそうです。
20才を過ぎると徴兵検査を受けるのですがその前に退役したそうです。

 その後、僧侶は放生池に移動し、係の人が金魚を放生しました。
池の南側(駐車場の北)に遠離穢土欣求浄土と書いた布を置いた机があり、右手に長さ2メートル程の
樋が池に向かって斜めに設置されています。
机の前で短い法要後、担当の方が金魚を一匹ずつ樋に放つと、滑り台のように金魚が滑って
アオミドロの池に落ち、たちまち見えなくなりました。

 数分で金魚の放生も終わり、僧侶は本堂の方へ戻りましたが、我々はタクシーが来るまで、
駐車場で放生会と書いた看板の竹竿を下ろすのを見ていました。


       斑鳩の参道脇に稲の花        常朝

       外人の女来てゐる放生会              常朝

       放生会の金魚たちまち青藻中      常朝

        (放生池)
        (放生池の説明板)

 その後法隆寺参道の平宗の店でかき氷をいただき、奈良に戻りました。
残暑厳しい9月初めにしては境内は涼しく、ときおり風もあって、斑鳩の初秋の風物詩を
ゆっくり楽しむことができました。

2016年8月28日日曜日

239. 平城宮跡の燕の大群

「アカシア紀行・俳句」2016年8月16日(火)    前へ   次へ

  お盆の暑い日の夕方、帰省中の孫達と7人で、帰る燕の大群を見に奈良・平城宮跡に行きました。
野鳥に詳しい俳句仲間のSさんに教えていただいたのですが、8月から9月一杯は、
南方へ帰る燕が平城宮跡の芦原に毎夕5~7万羽も集まり、数千羽が夕空を舞います。

 夕方5時半頃家を出て、途中寿司と飲み物などを買い、西大寺の東の二条町南の平城宮跡資料館前の
有料駐車場に駐車し、5分ほど歩いて、第一次大極殿跡復元事業資料館の西側の軒下に着きました。
途中の遊歩道には亀がいました。燕の見送りかもしれませんが。

 資料館前にはすでに10人位の人々が双眼鏡などを持って燕を待っていました。
軒下にシートを敷いて、ライトアップされた大極殿や芦原を見ながら夕食をいただきました。

 6時半過ぎから、数百羽ずつの燕が空を舞い始め、だんだんと数が増えてきました。
我々以外に燕を見る人も30人以上に増えました。
資料館の屋根に月が出る頃には、千羽以上が舞い始め、一時は空が暗くなるほどです。
飛んできた燕は順に芦原に止まって、ねぐらにするようで、目の前の芦の葉が揺れて、
よく見ると燕が葉や茎に止まっています。

 燕たちは飛んでいる時はチュチュチュとやかましいくらいですが、ある時には急に静かになり、
芦原の虫の声がよく聞こえます。そのうち一匹の猫が芦原の前に出てきました。

 7時20分頃になると空が暗くなり、燕の姿も見えなくなりました。
おそらく、眠りについたのでしょう。

 Sさんによると、燕の数は野鳥の会の人たちが、約2ヘクタールもある芦原を1メートル四方に区切って、
双眼鏡で燕を数えて全体を推計するそうで、16日頃は7万羽位いたかもしれないとのこと。
燕たちは朝4時半頃一斉に南の朱雀門の方へ飛び立ち、5分位で飛ばなくなるそうです。
おそらく大部分の燕たちは涼しくなるまで芦原で泊まってから南方へ出発するのでしょう。
一部は74年前父の戦地だったフイリピン南方まで帰るのでしょうか。


       行き先は父の戦地か去ぬ燕       常朝

       宮跡に燕の乱舞夏惜しむ          常朝

       去ぬ燕舞ふ芦原に猫ゐたり        常朝

         (大極殿:クリックで拡大:以下同じ)       
        (遊歩道の亀)
        (大極殿復元事業資料館前)
        (資料館前の芦原)
        (燕の乱舞)

 暗くなった平城宮跡の虫の声を聞きながら駐車場へ戻り8時前帰宅しました。
空が暗くなるほどの帰る燕を見たのは初めてで、去りゆく夏を感じました。

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2016年7月12日火曜日

238. 奈良・飛鳥寺から高松塚など

「アカシア紀行・俳句」2016年7月11日(月)      前へ   次へ

  7月の梅雨晴れ間の日、 東京から来られた元の勤務先の教育部時代の上司とそのご友人と
3人で奈良・明日香村の飛鳥寺などを訪ねました。

 たまたま車が買い替えの時期のため、近くのレンターカー店で日産の小型車「キューブ」を借り、
新大宮のホテルを9時半頃出発、天理街道を南下、途中崇神天皇陵を参拝しました。
高い石段を上がると御陵の森と濠が見えますが、今回は鳰と思われる一羽しか見えませんでした。

 11時前に飛鳥寺に着き、入山料350円を納めて本堂に入りました。
中庭には高い木に巻き付いたノウゼンカズラが咲いて、古燈籠などがあります。
本堂では大きな飛鳥大仏が見え、若い僧が日本最古の仏像などと説明してくれました。

 その後境内の松瀬青々の句碑や万葉歌碑を見て、西門跡の入鹿首塚を拝見しました。
左の畑にはひまわりが沢山咲いて風に揺れています。
南の苑池跡や板葺きの宮の方向の畑や草原を眺めて11時半すぎお寺を辞しました。

       のうぜんや飛鳥仏の笑み深し      常朝

       ひまわりの揺れのやさしや首塚に    常朝

         (飛鳥大仏:クリックで拡大:以下同じ)       
          (飛鳥寺中庭)

 石舞台の北西、犬養万葉記念館の南の「ことだま」で30分ほど待って昼食をいただき、
南の飛鳥歴史公園の中の文武天皇陵の駐車場に100円を入れて駐車し、
100メートルほど歩いて高松塚を訪ねました。その後入館料250円を
納めて北側の壁画館を見学しました。

 薄暗い館内には周囲に高松塚の壁画の再現壁画が展示され、
説明員の地元の男性によると、右側の壁画は採掘当時の色彩のままで
左側は見にくい汚れなどを落として埋葬当時のように見やすくした壁画だとのこと。
埋葬者は未定ですが、忍壁皇子あるいは石川皇子だろう、
それは盗掘を免れた銅鏡が中国で発見された銅鏡と同じで、年代が700年頃とわかっており、
702年の遣唐使が持ち帰ったと推定され、その頃なくなった皇子はこのお二人だからとのこと。

 昭和45年(1970)頃農家の人が生姜貯蔵の穴を掘ったら大石があり、調査の結果
羨道(石室への通路:せんどう)の入口とわかり発掘が始まったとのことです。

 石室の周囲の3つの壁に、それぞれ北側に玄武(蛇と亀)、東に青龍、西に白虎の絵と、
4人ずつの男子群像と女子群像が2つづつあり(東西計4群像)、天井には星座が描かれ、
なくなった方の頭上にはちょうど北斗七星が描かれています。
南の朱雀は盗掘のとき破壊された壁にあっただろうとのこと。
3年後には修復中の壁画が完成するとのことです。

 館内には再現石室があり、盗掘の穴から覗くと、中の石室が見えて、
壁画も再現されていますが、思ったより狭い感じです。

 中央の台には鎌倉時代の盗掘を免れた銅鏡のほか、木棺の釘や飾りの鉄板などが
展示されています。出てきた盗掘時の燭台から鎌倉時代とわかるそうです。
太陽の絵の金箔や月の絵の銀箔は削り取られています。

 飛鳥美人の4人の群像には、長い柄のついた丸い団扇を持った女性と、
大きな耳かきのような如意棒を持った女性がいます。
説明員の方によると、団扇は貴人の顔を隠すためだろう、如意棒は階段を登る時などに、
貴人のスカートの裾を持ち上げるためだろう、とのこと。
団扇は日傘には小さいし、棒は背中を掻くためではなさそうです。
壁画館を出ると、丘の畑にむくげ(槿)が咲いていました。

       壁画美女の石室出れば槿咲く      常朝

         (ことだまののれん)       
          (高松塚)
        (高松塚説明板)

 その後、稲渕の棚田を見て、飛鳥川の勧請縄である、男綱と女綱を見ました。
女綱のそばでは、よく日に焼けた3人の男性が休憩していたので聞くと、
周囲の草刈りだそうです。いずれの綱もすでに白い紙の幣はなくなっていました。

 甘樫の丘の東側の販売所「夢の楽市」で買物がてら、飛鳥時代の時計台であった
水落遺跡をしばらく見学して、奈良へ戻り、18時頃新大宮のホテルに着きました。

       飛鳥川飛び石跳べば風涼し    常朝

       飛鳥川女綱の土手に野萱草    常朝

        (飛鳥川女綱)       
          (勧請縄説明板)
        (飛鳥川飛び石)
        (水落遺跡説明板)

 飛鳥寺の境内は暑かったですが、午後の高松塚の頃は大分涼しくなっていました。
お会いした上司とは、たちまち40年前の教育部時代にタイムスリップした感じで
お話も弾み、うれしくかつ不思議な再会の一日でした。

(追記:残念なことに8月21日その上司が亡くなられたことを25日別の上司のメールで知りました。
    合掌)

2016年5月21日土曜日

237. 奈良・田原の茶畑など

「アカシア紀行・俳句」2016年5月19日(木)    前へ  次へ

  5月中旬の晴れた小満の頃、 いつものメンバー5人で奈良市の田原地区の茶畑を訪ねました。

 10時半頃、白毫寺のそばの道を東へ、まず春日天皇陵を参拝しました。
天智天皇の皇子・志貴皇子はなくなってから「春日宮天皇」と天皇号を追尊されたとのことです。

 万葉集・志貴皇子の
  いわばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも

を思い出して、御陵の右側の土手を探すと、緑が美しい夏蕨が数十本生えていたので、
数本を摘みました。 御陵の入口右の植え込みの中にその歌碑があります。

 御陵までは土手に囲まれた細い参道があり、周囲は茶畑や畑です。
御陵の周囲には松葉ウンランや姫女苑など草花がスギナの緑の中にあります。
 左手(西)にある茶業振興センターの茶畑で10数人が集まっていたので、
そばまで歩いて聞くと、農業大学の研修だそうで、茶畑での講習と同時に茶刈機の
準備などをしていましたが、危険とのことで見学はあきらめました。

       志貴皇子の御墓に摘みし夏蕨      常朝

       雲蘭も蒲公英も咲く天皇陵         常朝

         (春日天皇陵:クリックで拡大:以下同じ)       
          (志貴皇子歌碑)
        (茶業振興センター入口)

 その後東の日笠の交叉点手前を左折して、光仁天皇陵を訪ねました。
光仁天皇は志貴皇子の第6皇子ですが、このお墓などは幕末、平城京や近郊陵墓の
調査に貢献した北浦定政が整備したとのことで、東南の藪に顕彰碑があります。

 また最古といわれる絵馬が2006年出土したフシンダ遺跡は御陵のそばの田だったそうで、
その跡を探しましたが、埋め戻されて説明板など一切なく、御陵北側の道が少し
広くなっている四角い植田が、多分出土地だろうと勝手に決めました。
 そばに御陵の濠のようにも見える川があり、川を覆う柿若葉がきれいでした。

       いにしへの絵馬出し跡の植田かな    常朝

       陵の濠を覆ひて柿若葉            常朝

         (光仁天皇陵:クリックで拡大:以下同じ)       
         (フシンダ遺跡の田か)
        (北から見た光仁天皇陵)
        (北浦定政の顕彰碑)

 日笠交叉点へ戻り、少し東へ行くと、茶畑で茶を刈っておられる一家があったので、
車を北側の道に止めさせてもらい、坂を登って見学させてもらいました。

 忙しい中ご主人から、今は一番茶であること、畑中の松は廃寺となった薬師寺の松だった、
北側の杜は河瀬直美監督の映画「もがりの森」のロケの舞台だった、
息子さんが当時色々お世話をした、などと色々教えていただき、ついでに新茶を分けて
いただくため、畑から800メートルほど西のお家まで案内してもらいました。
大きな茶農家の土間の棚にある何種類かの袋のお茶をそれぞれ選んで分けてもらい、
おまけに新茶とお菓子をいただきました。
 
       寺跡の松ある畑に茶摘人         常朝

       三代目は農大出身茶を刈れり       常朝

         (乗用の茶刈機-中尾茶園)       
         (土間で販売の茶)
        (青葉仁会・ハーブクラブ)

 その後369号線水間交叉点の南1.5キロの青葉仁会ハーブクラブで昼食をいただいたあと、
名阪国道・針テラスのレストラン「メルカートロッソ」で小句会後、4時前解散しました。