2016年5月21日土曜日

237. 奈良・田原の茶畑など

「アカシア紀行・俳句」2016年5月19日(木)    前へ  次へ

  5月中旬の晴れた小満の頃、 いつものメンバー5人で奈良市の田原地区の茶畑を訪ねました。

 10時半頃、白毫寺のそばの道を東へ、まず春日天皇陵を参拝しました。
天智天皇の皇子・志貴皇子はなくなってから「春日宮天皇」と天皇号を追尊されたとのことです。

 万葉集・志貴皇子の
  いわばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも

を思い出して、御陵の右側の土手を探すと、緑が美しい夏蕨が数十本生えていたので、
数本を摘みました。 御陵の入口右の植え込みの中にその歌碑があります。

 御陵までは土手に囲まれた細い参道があり、周囲は茶畑や畑です。
御陵の周囲には松葉ウンランや姫女苑など草花がスギナの緑の中にあります。
 左手(西)にある茶業振興センターの茶畑で10数人が集まっていたので、
そばまで歩いて聞くと、農業大学の研修だそうで、茶畑での講習と同時に茶刈機の
準備などをしていましたが、危険とのことで見学はあきらめました。

       志貴皇子の御墓に摘みし夏蕨      常朝

       雲蘭も蒲公英も咲く天皇陵         常朝

         (春日天皇陵:クリックで拡大:以下同じ)       
          (志貴皇子歌碑)
        (茶業振興センター入口)

 その後東の日笠の交叉点手前を左折して、光仁天皇陵を訪ねました。
光仁天皇は志貴皇子の第6皇子ですが、このお墓などは幕末、平城京や近郊陵墓の
調査に貢献した北浦定政が整備したとのことで、東南の藪に顕彰碑があります。

 また最古といわれる絵馬が2006年出土したフシンダ遺跡は御陵のそばの田だったそうで、
その跡を探しましたが、埋め戻されて説明板など一切なく、御陵北側の道が少し
広くなっている四角い植田が、多分出土地だろうと勝手に決めました。
 そばに御陵の濠のようにも見える川があり、川を覆う柿若葉がきれいでした。

       いにしへの絵馬出し跡の植田かな    常朝

       陵の濠を覆ひて柿若葉            常朝

         (光仁天皇陵:クリックで拡大:以下同じ)       
         (フシンダ遺跡の田か)
        (北から見た光仁天皇陵)
        (北浦定政の顕彰碑)

 日笠交叉点へ戻り、少し東へ行くと、茶畑で茶を刈っておられる一家があったので、
車を北側の道に止めさせてもらい、坂を登って見学させてもらいました。

 忙しい中ご主人から、今は一番茶であること、畑中の松は廃寺となった薬師寺の松だった、
北側の杜は河瀬直美監督の映画「もがりの森」のロケの舞台だった、
息子さんが当時色々お世話をした、などと色々教えていただき、ついでに新茶を分けて
いただくため、畑から800メートルほど西のお家まで案内してもらいました。
大きな茶農家の土間の棚にある何種類かの袋のお茶をそれぞれ選んで分けてもらい、
おまけに新茶とお菓子をいただきました。
 
       寺跡の松ある畑に茶摘人         常朝

       三代目は農大出身茶を刈れり       常朝

         (乗用の茶刈機-中尾茶園)       
         (土間で販売の茶)
        (青葉仁会・ハーブクラブ)

 その後369号線水間交叉点の南1.5キロの青葉仁会ハーブクラブで昼食をいただいたあと、
名阪国道・針テラスのレストラン「メルカートロッソ」で小句会後、4時前解散しました。

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