「アカシア紀行・俳句」2010年2月5日(金)
立春の翌日俳句の諸先輩方と柳生の猪宿での薬喰(くすりぐい)に
行きました。
今回は初めて主宰の茨木和生先生が参加されたので、皆さんも気合いが
入っているようでした。
朝10時半タクシーが近くの坂道で止まると、すでに猪宿の犬が
道に坐って待っていました。そばに寄ると、犬は我々を案内するように
先に立って猪宿の門まで連れていきました。
この犬は前回来たときはまだ子犬だったと覚えています。
出句の締め切りが11時半だったので、早速猪宿の周囲の田んぼや山麓の道を
歩きました。近くの紅梅だけが咲いていました。
宿の庭のふもと側は囲いがあり鶏やガチョウが放し飼いされています。
近くの田んぼに荒い目の網が張られていたので土手を登って見ると、
白菜畑でした。
私は、柳生宗矩が後の奥様「おふじ」と出会ったおふじの井戸まで歩きましたが
なかなか良い句ができずあせりました。
宿での句会では、諸先輩の佳句が次々披講されましたが、私の拙句は
先生の選になかなかでてきません。
最後に特選の発表のとき、下の鵞鳥の句が5番句として読まれほっとしました。
さらに先生には「春立ちし」を「春立つや」に添削いただきました。
同じ大先輩の3句も特選だったので、3番句までしかもらえないはずの
先生の色紙をいただき、ますますラッキーでした。
この猪宿は過去何度も薬喰できていますが、先生のご参加は初めてなので、
記憶に残るでしょう。
薬喰は毎回と同じく牡丹鍋(しし鍋)のごちそうでした。
春立つや羽を拡げて鵞鳥鳴き 常朝
大柳生春は名のみの棚田風 常朝
(柳生の景色:2009年1月撮影)
(おふじの井戸)
(井戸の説明板)
2010年2月8日月曜日
99.法隆寺・西円堂の追儺式
「アカシア紀行・俳句」2010年2月3日(水)
節分の夕方いつものメンバー5人で斑鳩・法隆寺西円堂の追儺式に行きました。
駐車場に着くと、空は恐ろしいような黒雲が北から流れていました。
夜7時からの追儺式まで時間があったので25号線の「さと」で夕食後、
再び駐車場に戻り、ゆっくりと西円堂に歩きました。
峰の薬師といわれる西円堂に着くと、堂の周囲に太い鉄管で高さ5メートルほどの
金網が張りめぐらされており、狭い正面以外はお堂に近づくことさえできません。
金網の中と周囲には消防隊員、自警団の人たちが、警護や消火の準備をしていました。
すでに2,30人の人がきていましたが、7時前には100人くらいの人々が狭い庭に
ぎっしり立っていました。
お堂の中からはすでに法要のお経の声が聞こえます。
7時になると、お経は終わり、鐘と太鼓の音が聞こえました。
しばらくすると、鐘の連打が数秒間あり、いよいよ鬼が出てくるかと
かたずをのんでいると、自警団の人がマイクで、この鐘は
7回半のうちの1回目ですと説明しました。
30分ほど間延びのする、鐘と太鼓(小さい音)の数秒演奏を聞いたのち、
お堂の正面から、まず黒鬼がまさかりを持ってあらわれ、堂の周囲の基壇の上で、
ゆっくり前後、上下にまさかりを動かし、最後にそばに立つ人から
松明を受け取り、観客の方へ投げつけました。
松明は、金網に当たって火花が観客の方へ飛び散るので、
悲鳴が上がりましたが、この火花を浴びると今年無病息災に過ごせるそうです。
高い金網の意味がこれでわかりました。
松明や火くずは、たちまち消防団の人たちによって片づけられます。
そのあと、青鬼が如意棒を、赤鬼が剣を持って同じような仕草ののち松明を
投げました。
ときには松明が金網まで届かない時もあり、すこしがっかりします。
とくに赤鬼は、酒に酔っているようで、松明を投げる時よろけていました。
3回鬼たちが同じ仕草を繰り返したあと、毘沙門天が鉾(ほこ)を持ってあらわれ、
基壇を巡ったあとお堂に入りました。
鬼が毘沙門天に退治されたということのようです。
8時前に儀式は無事終わり、大勢の人々は自警団などの警護のなか、石段を
下りて帰りました。
黒雲が去り澄んだ夜空にはオリオン座、冬の大三角形などきれいな冬星があり、
天も地も鬼たちが追い払われたようでした。
われわれは再び「さと」で暖かい飲物をいただいたあと解散しました。
斑鳩の星空澄みて鬼やらい 常朝
鬼やらい鬼の松明飛んできし 常朝
(西円堂の追儺式の黒鬼:写真はすべてクリックで拡大)
(投げられて堂の軒に当たった松明)
節分の夕方いつものメンバー5人で斑鳩・法隆寺西円堂の追儺式に行きました。
駐車場に着くと、空は恐ろしいような黒雲が北から流れていました。
夜7時からの追儺式まで時間があったので25号線の「さと」で夕食後、
再び駐車場に戻り、ゆっくりと西円堂に歩きました。
峰の薬師といわれる西円堂に着くと、堂の周囲に太い鉄管で高さ5メートルほどの
金網が張りめぐらされており、狭い正面以外はお堂に近づくことさえできません。
金網の中と周囲には消防隊員、自警団の人たちが、警護や消火の準備をしていました。
すでに2,30人の人がきていましたが、7時前には100人くらいの人々が狭い庭に
ぎっしり立っていました。
お堂の中からはすでに法要のお経の声が聞こえます。
7時になると、お経は終わり、鐘と太鼓の音が聞こえました。
しばらくすると、鐘の連打が数秒間あり、いよいよ鬼が出てくるかと
かたずをのんでいると、自警団の人がマイクで、この鐘は
7回半のうちの1回目ですと説明しました。
30分ほど間延びのする、鐘と太鼓(小さい音)の数秒演奏を聞いたのち、
お堂の正面から、まず黒鬼がまさかりを持ってあらわれ、堂の周囲の基壇の上で、
ゆっくり前後、上下にまさかりを動かし、最後にそばに立つ人から
松明を受け取り、観客の方へ投げつけました。
松明は、金網に当たって火花が観客の方へ飛び散るので、
悲鳴が上がりましたが、この火花を浴びると今年無病息災に過ごせるそうです。
高い金網の意味がこれでわかりました。
松明や火くずは、たちまち消防団の人たちによって片づけられます。
そのあと、青鬼が如意棒を、赤鬼が剣を持って同じような仕草ののち松明を
投げました。
ときには松明が金網まで届かない時もあり、すこしがっかりします。
とくに赤鬼は、酒に酔っているようで、松明を投げる時よろけていました。
3回鬼たちが同じ仕草を繰り返したあと、毘沙門天が鉾(ほこ)を持ってあらわれ、
基壇を巡ったあとお堂に入りました。
鬼が毘沙門天に退治されたということのようです。
8時前に儀式は無事終わり、大勢の人々は自警団などの警護のなか、石段を
下りて帰りました。
黒雲が去り澄んだ夜空にはオリオン座、冬の大三角形などきれいな冬星があり、
天も地も鬼たちが追い払われたようでした。
われわれは再び「さと」で暖かい飲物をいただいたあと解散しました。
斑鳩の星空澄みて鬼やらい 常朝
鬼やらい鬼の松明飛んできし 常朝
(西円堂の追儺式の黒鬼:写真はすべてクリックで拡大)
(投げられて堂の軒に当たった松明)
ラベル:
吟行案内
98.柳生・円成寺から月ヶ瀬の探梅
「アカシア紀行・俳句」2010年1月29日(金)
睦月終りのやや寒いながら好天の日、いつものメンバーで
月ヶ瀬に探梅に行きました。
途中柳生の円成寺に立ち寄り、池の周囲を散策しました。
道路に面した入口に勧請縄が掛けられていました。
池には一羽の鴨が泳いだり身づくろいして水輪を立てています。
冬萌えの池の奥には小さな下馬の石がありました。
冬萌えの寺に小さき下馬の石 常朝
(円成寺勧請縄:写真はすべてクリックで拡大)
その後、月ヶ瀬までの道の途中、茶畑の中に炭焼き窯があるので、
そばに車を留め、見せてもらいました。
あいにく窯の持ち主は不在だったので、話を聞くことが
できませんでしたが、以前訪ねたときは、謡を子供達に教えて
おられ、すべて持ち山の木から炭を焼いているとのことでした。
炭窯は冷やしている途中らしくまだ温もりがあり、
窯のうしろ側には蟻地獄がいくつもありました。
炭窯に触れて温みを確かめる 常朝
(炭窯:写真はすべてクリックで拡大)
月ヶ瀬は江戸の昔から有名な梅の名所で、多くの文人たちも
訪ねたようです。
我々はまず南側から湖畔を通って月ヶ瀬橋を渡って山頂付近の
真福寺に行きました。
平安時代に建てられ、木造地蔵菩薩を安置しています。
月ヶ瀬の山道を登り、もう少しでお寺というところで
道の工事中で逆戻りさせられ、迷ったあげく茶作りや
奈良晒しを教えるロマントピアの構内の道をぐるぐる登って
やっとお寺につきました。
その駐車場で初めて月ヶ瀬の咲いた紅梅を見つけました。
いつもこの梅は早いそうです。
境内には、烏梅(うばい)の製法を伝えたという女官姫若の
梅がありました。
以前お話を聞いた寺近くの中西喜祥のお家を訪ねましたが、
ご高齢のため烏梅作りはやめられているとのことで
会えませんでした。
寺では作務衣の住職がひとり庭の世話をしたり赤蕪を洗ったり
しておられ、つぼみの「花橘」の名を教えていただきました。
庭には種々の木が植えられていますが、もみ殻の中から
福寿草が一花咲いていました。
湖を見下ろす寺に福寿草 常朝
(月ヶ瀬真福寺の梅:写真はすべてクリックで拡大)
(真福寺の梅若の梅)
(月ヶ瀬)
お寺を辞してロマントピアから山上東500メートルほどの
尾山代遺跡を訪ねました。
ここは奈良時代の杣人(そまびと)の住居跡とのことで、
復元の杣住居と鍛冶小屋があり、紅梅にひとつだけ花が
咲いていました。
梅咲くと声の聞こえて杣遺跡 常朝
(尾山代遺跡)
その後、東1キロほどの月ヶ瀬温泉で昼食後、
さらに東1.5キロほどの八幡神社を訪ねました。
そこには月ヶ瀬温泉の案内板にあったように、茅葺舞台がありました。
今は使われていないようでした。
参道の石段右のモミの木のような高い木は「広葉杉」との
ことです。境内隅には珍しい「日待ち講」の碑と庚申塚
があります。そばに阿弥陀寺があり弘法大師の石像が
立っていました。その後奈良のレストラン菊水でお茶を
いただき5時すぎ解散しました。
鎮守社に茅葺舞台日脚伸ぶ 常朝
(八幡神社の舞台)
睦月終りのやや寒いながら好天の日、いつものメンバーで
月ヶ瀬に探梅に行きました。
途中柳生の円成寺に立ち寄り、池の周囲を散策しました。
道路に面した入口に勧請縄が掛けられていました。
池には一羽の鴨が泳いだり身づくろいして水輪を立てています。
冬萌えの池の奥には小さな下馬の石がありました。
冬萌えの寺に小さき下馬の石 常朝
(円成寺勧請縄:写真はすべてクリックで拡大)
その後、月ヶ瀬までの道の途中、茶畑の中に炭焼き窯があるので、
そばに車を留め、見せてもらいました。
あいにく窯の持ち主は不在だったので、話を聞くことが
できませんでしたが、以前訪ねたときは、謡を子供達に教えて
おられ、すべて持ち山の木から炭を焼いているとのことでした。
炭窯は冷やしている途中らしくまだ温もりがあり、
窯のうしろ側には蟻地獄がいくつもありました。
炭窯に触れて温みを確かめる 常朝
(炭窯:写真はすべてクリックで拡大)
月ヶ瀬は江戸の昔から有名な梅の名所で、多くの文人たちも
訪ねたようです。
我々はまず南側から湖畔を通って月ヶ瀬橋を渡って山頂付近の
真福寺に行きました。
平安時代に建てられ、木造地蔵菩薩を安置しています。
月ヶ瀬の山道を登り、もう少しでお寺というところで
道の工事中で逆戻りさせられ、迷ったあげく茶作りや
奈良晒しを教えるロマントピアの構内の道をぐるぐる登って
やっとお寺につきました。
その駐車場で初めて月ヶ瀬の咲いた紅梅を見つけました。
いつもこの梅は早いそうです。
境内には、烏梅(うばい)の製法を伝えたという女官姫若の
梅がありました。
以前お話を聞いた寺近くの中西喜祥のお家を訪ねましたが、
ご高齢のため烏梅作りはやめられているとのことで
会えませんでした。
寺では作務衣の住職がひとり庭の世話をしたり赤蕪を洗ったり
しておられ、つぼみの「花橘」の名を教えていただきました。
庭には種々の木が植えられていますが、もみ殻の中から
福寿草が一花咲いていました。
湖を見下ろす寺に福寿草 常朝
(月ヶ瀬真福寺の梅:写真はすべてクリックで拡大)
(真福寺の梅若の梅)
(月ヶ瀬)
お寺を辞してロマントピアから山上東500メートルほどの
尾山代遺跡を訪ねました。
ここは奈良時代の杣人(そまびと)の住居跡とのことで、
復元の杣住居と鍛冶小屋があり、紅梅にひとつだけ花が
咲いていました。
梅咲くと声の聞こえて杣遺跡 常朝
(尾山代遺跡)
その後、東1キロほどの月ヶ瀬温泉で昼食後、
さらに東1.5キロほどの八幡神社を訪ねました。
そこには月ヶ瀬温泉の案内板にあったように、茅葺舞台がありました。
今は使われていないようでした。
参道の石段右のモミの木のような高い木は「広葉杉」との
ことです。境内隅には珍しい「日待ち講」の碑と庚申塚
があります。そばに阿弥陀寺があり弘法大師の石像が
立っていました。その後奈良のレストラン菊水でお茶を
いただき5時すぎ解散しました。
鎮守社に茅葺舞台日脚伸ぶ 常朝
(八幡神社の舞台)
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