2016年9月16日金曜日

241. 奈良斑鳩・藤の木古墳の月見会

「アカシア紀行・俳句」2016年9月15日(木)    前へ    次へ

  中秋の名月の日、いつものメンバーの都合のつく3人で、奈良斑鳩町・藤の木古墳を訪ねました。

 夕方6時前JR法隆寺駅で集合し、当初法輪寺で月見を考えていたので、法隆寺北の法輪寺を
訪ねましたが、駐車場に鎖が掛けられていて入山できなかったので、やむなく、
法隆寺の西500メートルほどの藤の木古墳を訪ねました。

 藤の木古墳は、6世紀後半に造られた直径50メートルほどの円墳で、1985年から発掘調査され
今は古墳公園として整備されています。
埋葬者は未定ですが、聖徳太子の叔父の穴穂部皇子と宅部皇子ではないかという説もあるようです。

 6時すぎ我々が古墳の駐車場に着いた時は、他に誰もおらず空の殆どは雲で覆われていました。
円墳周囲には遊歩道があり、所々にベンチがあります。時々脇の道を車が通る程度です。
駐車場に近いベンチの前に低い机を車から出して置き、まず茶会の準備を始めました。

 そのうちに東の空の雲間から満月が顔を出してくれました。
無月かもしれないと思っていたので安心しました。

 北側の空の雲は明るかったのですが、灰色から紫色に変化し、月が出る頃は薄墨色となっていました。
雲にはところどころ白く薄い部分があり、そこに月が来るとほぼ満月が透けて見えます。
薄雲に透ける満月も十分明るくて、周囲が特に暗いので味わいがあります。

 野点をいただいてから寿司やぶどうなどをいただき、少し休んでから遊歩道をめぐりました。
遊歩道の木のうち2,3本の木の上からは草雲雀のようなリリーリリーという虫の声がうるさい程です。

       月待ちの古墳の園の茶会かな     常朝

       満月を透く雲なきが如くなり      常朝

       更けてより無月となりし古墳かな    常朝

        (藤の木古墳)       
        (藤の木古墳と周囲の山)

 古墳の周囲の里:西里の家々は夜の闇に包まれています。北西の斑鳩健民グランドのライトが
3本ほどやけに明るかったですが、離れているので月見の邪魔になることはなかったです。
時々夜間飛行のジェット機が赤い尾灯を点けて斑鳩の空を北へ飛んでいきました。

        (野点のテーブル)       
         (藤の木古墳の説明板:一部)

 8時頃月は雲でまったく見えなくなったので、JR法隆寺駅経由で奈良へ帰りました。
当初心配していた雨にも降られず静かで涼しい斑鳩の夜を過ごした中秋の夜でした。

2016年9月2日金曜日

240. 奈良・斑鳩の吉田寺放生会

「アカシア紀行・俳句」2016年9月1日(木)    前へ   次へ

  9月1日防災の日、いつものメンバーの都合のつく3人で、奈良・斑鳩町・吉田寺(きちでんじ)の
放生会(ほうしょうえ)を訪ねました。

 吉田寺は、藤原時代恵心僧都が安置したという丈六阿弥陀如来像を祀る浄土宗の寺で、
恵心僧都が祈祷した衣を掛けられた僧都の母御が大往生をとげたとして、ぽっくり寺として有名です。
JRでは法隆寺駅の北西約1キロ、車では25号線竜田神社南交叉点の南約200メートルです。

 駐車場が少ないので法隆寺に駐車し、松本屋で早い昼食をいただいた後、タクシーで吉田寺に
入山した12時前には、境内にすでに数十人の人々が集まっており、祈祷などの受付所のテントには、
数人の人が机の後ろに坐っていました。また多宝塔の前には結縁帳ご志納受付のテントもあります。

         (吉田寺山門:クリックで拡大:以下同じ)       
         (吉田寺境内)
          (多宝塔)
        (参道脇の菊畑)

 本堂にはすでに祈祷を受ける20人位が坐っていましたが、1時すぎくらいからは放生会の準備で、
僧侶の座席などと共に、中央には20匹ずつ位の金魚の入ったビニール袋を一つずつ5つの金盥に入れ、
そのすぐ向こう側には鳩の箱を5つ置かれました。
外人の女性一人が携帯カメラと扇子を持って本堂のそばで放生会を待っていました。

        (放生される金魚と鳩箱)

 放生会は1時半からということで、南側の参道のそばの放生池や、北側参道のそばの菊畑や
稲の花の咲く田んぼなどを散策しました。

 1時半ころ僧侶が10人ほど本堂に入り、法要が始まりました。
境内のテント前に赤いシートを3枚敷いた上に机を置いたので、すぐ放生かと待っていたら、
結局2時半前までお経が続き、待ちくたびれた頃僧侶がでてこられて、鳩の5箱をテーブルに置き、
短いお経のあといっせいに蓋を開けて鳩を飛ばしました。

        (僧侶の入堂)
        (鳩放生のあと)

 隣の90才のご老人が自分の携帯電話のカメラ撮影ができないと言われたので、
携帯画面をチェックしていたら、鳩達はいなくなっていました。
この方は王寺町の人で、16才頃大阪砲兵工廠に勤務後、少年志願兵として中国の内蒙古へ出征し、
19才頃に無事帰国、退役したそうです。
20才を過ぎると徴兵検査を受けるのですがその前に退役したそうです。

 その後、僧侶は放生池に移動し、係の人が金魚を放生しました。
池の南側(駐車場の北)に遠離穢土欣求浄土と書いた布を置いた机があり、右手に長さ2メートル程の
樋が池に向かって斜めに設置されています。
机の前で短い法要後、担当の方が金魚を一匹ずつ樋に放つと、滑り台のように金魚が滑って
アオミドロの池に落ち、たちまち見えなくなりました。

 数分で金魚の放生も終わり、僧侶は本堂の方へ戻りましたが、我々はタクシーが来るまで、
駐車場で放生会と書いた看板の竹竿を下ろすのを見ていました。


       斑鳩の参道脇に稲の花        常朝

       外人の女来てゐる放生会              常朝

       放生会の金魚たちまち青藻中      常朝

        (放生池)
        (放生池の説明板)

 その後法隆寺参道の平宗の店でかき氷をいただき、奈良に戻りました。
残暑厳しい9月初めにしては境内は涼しく、ときおり風もあって、斑鳩の初秋の風物詩を
ゆっくり楽しむことができました。