「アカシア紀行・俳句」2014年5月22日(木) 前へ 次へ
曇りがちで風の涼しい五月小満のころ、いつものメンバー6人で、
奈良・葛城市の二塚古墳、御所市伏見の菩提寺などを訪ねました。
9時半頃、葛城市の屋敷山公園に集合し、公園北側の道を西へ約1.5キロ
行くと、二塚古墳の案内標識があり、鋭角の坂を登って西端の池に着きました。
途中右手の土手上に説明板がありましたが、気付かずに池の土手まで登りました。
池の土手からは東方向に奈良盆地の南側が全貌できました。
夏霞のなか、棚田の先に大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)が見え、
桜井市や吉野の山々も見えて素晴らしい眺めです。
池の両端にはくくり罠に注意の看板があり、見ていたらホトトギスが
鳴きました。夏鶯の声も聞こえます。
農家の男性が軽四輪をUターンさせるため、池の土手に上がってきました。
100メートル程下の道に駐車、10分位作業をされて、帰りました。
池の菱青葉や箱型の罠も見て、山麓線(30号線)に戻り、南の伏見へ
行きました。
三山のあれが畝傍か夏霞 常朝
くくり罠注意の掲示ほととぎす 常朝
(二塚古墳の池からの眺め:クリックで拡大:以後同じ)
(二塚古墳の池)
(説明板)
伏見地区は山麓線の高天より南ですが、金剛山の水を引いた田があります。
左へ分岐した道の端に駐車して周囲の田を見ました。
田植えはまだのようですが、田には満々と水が張られています。
坂の畑で仕事をしている農家の男性に田植えのことなど、お聞きしました。
田植えは6月初からですが、昨日の雨で田の水が必要以上に増えたそうです。
人参やほうれん草の葉がきれいですねと話していたら、
畑の苺(いちご)を取って食べてと言われました。
お言葉に甘えて、2畝ある苺畑に入ってそれぞれ勝手に苺を
取っていただきました。まだ完全には赤くない苺も甘かったです。
毎年9月頃に伸びた葉柄の先を取って土に挿すと、また苺が育つそうです。
俳句に来ていると言うと、近くに菩提寺があると言われたので、
お礼を言って、山麓を登る道を約1キロ進んで、お寺を訪ねました。
(伏見の田と吉野の山々)
(苺畑)
右手の菩提寺駐車場に駐車して、小さいながら仁王門をくぐると、
奥に桜青葉が覆う寺庭に、小さな本堂と仏殿(仏間)がありました。
大国様(奥様)が、オオデマリの花などを教えてくれました。
境内の隅に先代住職の
「かつらぎの青葉背負ひて仁王立つ 仙將」
の句碑があります。
そばの大きな鉢の蓮の葉の水玉にみじんこがせわしなく動き回っていました。
お寺を辞するつもりで山門をでたら、帰山されたご住職がおられ、
お話を聞いていたら、本堂や仏殿を開けていただき、
五眼の法起菩薩や平安時代の境内絵図などを見せてくれました。
本堂の十一面観音像の右には毘沙門天があります。
江戸時代水争いがあったので、軍神毘沙門天に勝利を祈ったそうです。
愛染明王は修理中だそうです。
お話では、菩提寺は行基菩薩が昔金剛山麓に道場として創建、
弘法大師ほかが修験道場として中興し、33坊もある大寺だったそうですが、
南北朝の頃、南朝に加勢して、お寺を焼かれ、最高部にあった本堂を
中腹に再建し、昭和48年今の場所に修理再建したそうです。
お話を聞いているうちに大黒様がコーヒーとお菓子を用意されたので、
境内の木の長椅子でいただきました。
五條市の王隠堂の話や、高天の野草の里のエビネのこともお聞きしました。
葛城の寺の青葉に包まるる 常朝
みじんこの走る水玉蓮青葉 常朝
(菩提寺本堂)
(説明板)
(先代の句碑)
(蓮葉の上のみじんこ)
名柄の東約1キロの和田金で昼食を頂いた後、住職から教えていただいた
高天の野草の里を訪ねました。
30号線から高天彦神社への道を登ると約700メートルの左側に、20台位の
駐車場から入る高天・野草の里(山草園)があります。
地元の森村さんが持山の一部の桧や杉を間伐して、野草を植えたそうです。
入園料200円を納めて広さ約2町歩(2ヘクタール)の森の中に入ると、
背の高い桧や杉の木漏れ日のゆったりしたすき間に気品のある黄色や紫の
エビネ、オダマキソウ、スズラン、オオデマリ、一人静、二人静、
マムシグサ、シライトソウ、カンアオイ、ツツジなどが咲いています。
森の切株のベンチに坐っているとホトトギスが鳴き、ときどきカッコウが
聞こえました。
見学客も少なく木々が高い森は涼しく静かで快適でした。
森中の日差に浮かぶ海老根蘭 常朝
森の緑花ににじませ大手鞠 常朝
(高天山草園:野草の里)
(エビネ)
(二人静)
3時半頃、山麓道から南阪奈道に入り橿原四条で下りて、
橿原観光ホテルで小句会後6時頃解散しました。
柔らかい日差しの中、葛城の青葉と涼しい風をゆっくり楽しんだ一日でした。
2014年5月23日金曜日
2014年5月11日日曜日
191.宇治田原町の茶畑、禅定寺から御栗栖神社
「アカシア紀行・俳句」2014年5月10日(土) 前へ 次へ
涼しい風の五月晴れの土曜日、いつものメンバー5人で、
宇治田原町の茶畑、禅定寺から御栗栖神社を訪ねました。
茶畑は宇治田原町のあちこちにありますが、去年訪ねた
国道307号線沿いの宇治田原郵便局の北東の茶畑を
今回も訪ねました。
郵便局の東800メートル位から左の山道を車で登り左、左と
Uターンのように約500メートル走って茶畑に着きました。
10時半頃、畑の道の木陰に駐車しました。
北西には変電所が見え、前後左右が茶畑の見晴らしのよい所です。
まだ茶摘みの終わっていない畑の畝は、黒い寒冷紗で
覆われており、大半がまるで黒い山のようでした。
去年来た時は、二番茶も終わり茶刈機で茶葉を刈り落としていましたが、
今回は、一番茶の刈り取りの時期のようです。
木立の前を南へ進むと、左手の畝で夫婦2人が弓型の茶摘み機を、
左右に別れて持ち、後ろに2メートル程の長い袋をつけて、エンジンで
茶摘みをしていました。
1~2分で長さ10メートル程の茶の畝を刈り取っていきます。
その都度一杯になっていないのに袋を変えていました。
茶の畝の中には夏ワラビが飛び出ている畝もあります。
土手にはワラビが沢山葉をつけていました。
茶畑の中には下に307号線道路が見える場所もあります。
高い柱に取り付けられた防霜扇が、風に吹かれて回っていました。
しばらく茶畑の涼しい風に吹かれたあと、307号線に下り、
宇治田原中学校近くの「魚よし」で昼食をいただいたあと、
岩山の禅定寺を訪ねました。
茶畑の風に波打つ寒冷紗 常朝
茶畑の風に吹かれて鳥を聞く 常朝
(茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
(茶摘機)
禅定寺は宇治田原の北部にある曹洞宗の寺ですが、
平安時代に創建され、南北朝の頃という五輪の塔があります。
山門には大草鞋が立てられ、左手には宝物館があります。
あいにく本尊の十一面観音像は、京都国立博物館に出開帳中との
ことでお寺は6月26日まで拝観中止でしたが、
庭仕事をされていたご住職にお庭だけでもとお願いして、
お庭を拝見させていただきました。
そのうち大黒様(奥様)が庭に見えて、
本尊がお寺におられないのは寂しいとか、
5年前葺き替えた本堂は葭葺きで、25年毎に葺き替えが必要と
言われました。
本堂が大きいのは、禅修行の寺であったためとのことです。
お寺の寺領も昔は禅定寺町全体だったが、戦後GHQの
農地改革で、ほとんどの土地を小作に開放し、
今は境内と裏山(府に寄贈)だけらしいです。
お寺の維持管理が大変なようでした。
しかし見晴らしの良い境内には花々が植えられ、
雑草も見えないほど管理された庭に、若楓、ツツジ、百日紅、梅、桜、
などが植えられ、藁葺きの四阿(あずまや)も美しい苔が覆っていました。
寺紋にある竜胆の青葉が庭のあちこちに出ており、
弁天池には白いメダカが元気に泳いでいました。
しばらく苔の四阿で休んだあと拝観料の代わりに少しばかり
お供えを預けてお寺を辞しました。
本尊は留守の大寺若楓 常朝
弁天の池に弾けり白目高 常朝
(禅定寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(拝観停止の掲示)
(葭葺きの本堂)
(弁天池)
(あずまや:四阿)
(山門の大草鞋)
その後、307号線の小学校交差点を左折南下して、南地区の
御栗栖神社を訪ねました。
周囲には田植中の田もあるかと期待しましたが、すべて植田でした。
余り苗が田の隅に置かれていましたが。
御栗栖神社は、天津彦根命ほかを祀る、鎌倉時代(以前?)からある
宇治田原南地区の旧郷社で、明治20年代までは毎年御所に栗を献上していた
そうです。
栗は壬申の乱のときの天武天皇ゆかりの栗だそうです。
直径1メートル以上の大杉と大欅が神木となっている、うっそうとした
境内に本殿、拝殿、旧拝殿(絵馬堂?)、神輿蔵などがあります。
神木の前にも賽銭箱がありました。
旧拝殿には、明治の頃の相撲番付などが奉額として掛けられ、
燕よけか、梁の上に鴉の模型が置かれていました。
老鶯鳴くお賽銭だけ忘るなと 常朝
(御栗栖神社)
(旧拝殿(?))
(鴉の模型)
(新茶:JA販売店で)
307号線に戻り、すぐ左の農協販売店でそれぞれお茶を買い、
木津川市の梅谷口の青木ゴルフ場のそばの喫茶店杏樹(あんぜ)で
小句会後6時頃解散しました。
五月晴れの中、宇治田原の緑と風をのんびりと楽しんだ1日でした。
涼しい風の五月晴れの土曜日、いつものメンバー5人で、
宇治田原町の茶畑、禅定寺から御栗栖神社を訪ねました。
茶畑は宇治田原町のあちこちにありますが、去年訪ねた
国道307号線沿いの宇治田原郵便局の北東の茶畑を
今回も訪ねました。
郵便局の東800メートル位から左の山道を車で登り左、左と
Uターンのように約500メートル走って茶畑に着きました。
10時半頃、畑の道の木陰に駐車しました。
北西には変電所が見え、前後左右が茶畑の見晴らしのよい所です。
まだ茶摘みの終わっていない畑の畝は、黒い寒冷紗で
覆われており、大半がまるで黒い山のようでした。
去年来た時は、二番茶も終わり茶刈機で茶葉を刈り落としていましたが、
今回は、一番茶の刈り取りの時期のようです。
木立の前を南へ進むと、左手の畝で夫婦2人が弓型の茶摘み機を、
左右に別れて持ち、後ろに2メートル程の長い袋をつけて、エンジンで
茶摘みをしていました。
1~2分で長さ10メートル程の茶の畝を刈り取っていきます。
その都度一杯になっていないのに袋を変えていました。
茶の畝の中には夏ワラビが飛び出ている畝もあります。
土手にはワラビが沢山葉をつけていました。
茶畑の中には下に307号線道路が見える場所もあります。
高い柱に取り付けられた防霜扇が、風に吹かれて回っていました。
しばらく茶畑の涼しい風に吹かれたあと、307号線に下り、
宇治田原中学校近くの「魚よし」で昼食をいただいたあと、
岩山の禅定寺を訪ねました。
茶畑の風に波打つ寒冷紗 常朝
茶畑の風に吹かれて鳥を聞く 常朝
(茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
(茶摘機)
禅定寺は宇治田原の北部にある曹洞宗の寺ですが、
平安時代に創建され、南北朝の頃という五輪の塔があります。
山門には大草鞋が立てられ、左手には宝物館があります。
あいにく本尊の十一面観音像は、京都国立博物館に出開帳中との
ことでお寺は6月26日まで拝観中止でしたが、
庭仕事をされていたご住職にお庭だけでもとお願いして、
お庭を拝見させていただきました。
そのうち大黒様(奥様)が庭に見えて、
本尊がお寺におられないのは寂しいとか、
5年前葺き替えた本堂は葭葺きで、25年毎に葺き替えが必要と
言われました。
本堂が大きいのは、禅修行の寺であったためとのことです。
お寺の寺領も昔は禅定寺町全体だったが、戦後GHQの
農地改革で、ほとんどの土地を小作に開放し、
今は境内と裏山(府に寄贈)だけらしいです。
お寺の維持管理が大変なようでした。
しかし見晴らしの良い境内には花々が植えられ、
雑草も見えないほど管理された庭に、若楓、ツツジ、百日紅、梅、桜、
などが植えられ、藁葺きの四阿(あずまや)も美しい苔が覆っていました。
寺紋にある竜胆の青葉が庭のあちこちに出ており、
弁天池には白いメダカが元気に泳いでいました。
しばらく苔の四阿で休んだあと拝観料の代わりに少しばかり
お供えを預けてお寺を辞しました。
本尊は留守の大寺若楓 常朝
弁天の池に弾けり白目高 常朝
(禅定寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(拝観停止の掲示)
(葭葺きの本堂)
(弁天池)
(あずまや:四阿)
(山門の大草鞋)
その後、307号線の小学校交差点を左折南下して、南地区の
御栗栖神社を訪ねました。
周囲には田植中の田もあるかと期待しましたが、すべて植田でした。
余り苗が田の隅に置かれていましたが。
御栗栖神社は、天津彦根命ほかを祀る、鎌倉時代(以前?)からある
宇治田原南地区の旧郷社で、明治20年代までは毎年御所に栗を献上していた
そうです。
栗は壬申の乱のときの天武天皇ゆかりの栗だそうです。
直径1メートル以上の大杉と大欅が神木となっている、うっそうとした
境内に本殿、拝殿、旧拝殿(絵馬堂?)、神輿蔵などがあります。
神木の前にも賽銭箱がありました。
旧拝殿には、明治の頃の相撲番付などが奉額として掛けられ、
燕よけか、梁の上に鴉の模型が置かれていました。
老鶯鳴くお賽銭だけ忘るなと 常朝
(御栗栖神社)
(旧拝殿(?))
(鴉の模型)
(新茶:JA販売店で)
307号線に戻り、すぐ左の農協販売店でそれぞれお茶を買い、
木津川市の梅谷口の青木ゴルフ場のそばの喫茶店杏樹(あんぜ)で
小句会後6時頃解散しました。
五月晴れの中、宇治田原の緑と風をのんびりと楽しんだ1日でした。
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