2011年2月21日月曜日

118.深野、積田神社から九頭神社

「アカシア紀行・俳句」2011年2月19日(土)

 雪も止んで久しぶりの快晴の日、いつものメンバー6人で
奈良県宇陀市室生区の深野、名張市の積田神社などを訪ねました。

 深野は2008年、朝日新聞社の日本の里100選に選ばれた、日本有数の里山の
ひとつです。
近鉄大阪線三本松駅の北約2キロ、名阪国道25号線針ICの東約8キロにあります。
我々は針ICに9時頃集合し、白石交差点を左折して、残雪の山道を東へ6キロ
進んだ上笠間で右折して深野に入りました。

 深野は三方が山に囲まれた地形の大きな棚田のある集落で、ほぼ真ん中の
高台にある神明神社の4、5台分の駐車場に車を止めました。
本殿も境内も比較的小さいですが、そこから南に宇陀や名張方面の美しい山並み
が見えました。冬の夜明け前はときに「かぎろい」も見えるようです。

 神社の木立のある小さな丘には高野箒の枯れた茎と絮が沢山あり、
本殿のそばに蛭子神社の摂社があり小さな鈴がありました。
本殿右の集会所(長楽寺)の前の庭には「花橘」の蕾が沢山ついています。
青空にはうっすらとホウキ雲がかかり、飛行機雲が伸びていました。
集会所からたまたま女の人が出て、色々教えてもらいました。

 小原(峠?)地区のセカンドハウスに住んで、訪ねてきた深野が好きになって、
時々ボランテイアとして、お手伝いをしているとのことでした。
今日は林野庁の人も来て、地元とボランテイアの人たちが占地(しめじ)を
植えつけるとのことで、境内に松苗と瓶入りの占地菌が置かれていました。
6月にはササユリの花があちこちに咲くとのこと。
神明神社の秋祭りは10月で19日夜は火祭りとして各地域から松明を持って
集まるそうです。

        蛭子社の鈴音低き雨水かな      常朝

        鎮守社の木立高高雪解晴       常朝

       (神明神社:クリックで拡大:以下すべて)
       (深野の景色)


 深野から165号線へ出て名張市の積田(せきた)神社を訪ねました。
神社の由緒書によると、「つむたの宮」ともいい、767年、常陸の国の
鹿島大神(武甕槌命)が鹿島から奈良の春日大社に御遷幸の途中、留在された
霊跡で、神を乗せた白鹿の鞭の柿の枝を立てたら根がついて、今もある神柿の
大樹になったそうです。

 神社は165号線夏見交差点の東300メートル程にありますが、青蓮寺湖への道
から入った100メートルほどの参道には大きな乳垂れ銀杏もある立派な神社です。
本殿の裏側(北側)に注連縄を巻かれ、紙垂(しで)付きの縄で囲まれた
「神柿」が立っていました。(伝説通りなら樹齢1224年?)
幹が抱えられない太さの柿は生まれて始めて見ました。

 神社の森には藪椿がたくさん咲いて、つつじの苗が植えられていました。
脇を流れる名張川(供奉川)の右手上流に板橋があります。
我々は狭い道から板橋へ降りましたが、遠くに山も見える美しい谷川で、
雪解水が音立てて流れていました。

        神柿の注連新しき雨水かな      常朝

        宮川に板橋ありて雪解水       常朝

       (積田神社案内図:クリックで拡大:以下すべて)

       (やたらシッポの大きい狛犬)

       (積田神社拝殿)

       (神柿)


       (板橋)

       (名張川(供奉川))


 12時すぎ、神社から再び165号線に戻り、三本松の道の駅「宇陀路室生」の
レストラン「青葉の庄」で昼食をいただき、いただいた案内地図にある、
165号線北側の旧伊勢街道の宿場町跡を訪ねましたが、よく分からずに
通り過ぎてしまい、下笠間の九頭(くず)神社を訪ねました。

 室町時代に建てられた、水神タカオカミの神を祭る神社です。
古い石灯篭があり、大きなカヤの木や高い杉に囲まれた鎮守の森で、
石段にはパンジーと葉牡丹のプランターがありました。
その後案内地図にある永仁の磨崖仏を探しましたが、見つけることができず、
句会の場所とした針ICに戻り、イタリアン・レストラン「メルカートロッソ」
で小句会後解散しました。

       (九頭神社)

       (九頭神社の拝殿)

2011年2月4日金曜日

117.竜田大社、信貴山の節分会

「アカシア紀行・俳句」2011年2月3日(木)

 久しぶりに快晴で暖かくなった節分の日、いつものメンバー6人で
信貴山の節分会などに参拝しました。

 信貴山の節分会は夕方なので、午後3時に竜田大社で集合しましたが、
たまたま、竜田大社でも節分祭だったのでしばらく参拝しました。
境内には1.5メートル四方くらいの大きな護摩壇があり、100人くらいの人が境内
の護摩の前に行列してそれぞれ玉串をささげていました。

 竜田大社は7月の風鎮祭という風祭で有名ですが、拝殿右には高橋虫麻呂の

「山おろしの風な吹きそな 打ち越えて名に負へる杜に 風祭せな」

の万葉歌碑(万葉集1751)があります。

 玉串奉奠(ほうてん)が終わると、神官が本殿で斎火(いみび)を点火し、
蔭灯(かげとう)に入れて、護摩壇まで捧げ来て、別の神官が護摩に点火しました。
斎火は火打石で点火したとのことですが、巫女の舞や護摩に気をとられて
見落としました。
太鼓と般若心経の声の中、護摩の煙はもうもうと立ちあがり、そのうち炎が斎竹
(いみだけ)を超えるほど高く燃えました。

 参拝を終え、火が下火になった頃、拝殿の前で餅まきがあり、5,6人の男女
が100人位の人々の上に紅白の餅を撒きました。
我々も餅を数個ずつ拾うことができました。
甘酒をいただいた後、若い神官に斎火のことなどをお聞きしたあと、
信貴山に向かいました。
餅まきの終わった大社の駐車場は早くもがらすきでした。

        護摩の火の斎竹越せり節分会     常朝

        風祭る竜田の杜に春立てり      常朝

       (竜田大社節分祭の護摩:クリックで拡大:以下すべて)
       (燃えた護摩壇)


 信貴山の寺は朝護孫子寺といい、聖徳太子が蘇我氏と共に物部守屋を討った
とき、寅の年、日、時にこの山で毘沙門天が現れ加護があったので建立された
とされ、境内のあちこちに虎の像があります。

 お寺のある信貴山は生駒山系の南にある高さ430メートル程の山ですが、
お寺へは奈良側からは近鉄信貴山下駅、大阪側からは、近鉄信貴山口から
タクシーやケーブルがあります。
車では、国道25号線の三室から西へ県道236号線を約5キロです。

 我々は駐車場で500円を払って、奥の駐車場まで行きました。
山中には、本坊のほか、千手院、毘沙門堂、成福院、玉蔵院など多くの塔頭が
ありますが、大寅の像のある赤門から樹齢1500年のかやの木稲荷、成福院、
虚空蔵堂、経蔵堂をへて、本堂に登りました。
経蔵堂には回転する経厨子がありますが、子供たちが回そうと押しても動かず、
父親も入り一家総出でやっと回りました。

 本堂の前は狭いながらも高い舞台で、王寺町の街並みなどを見下ろせます。
本堂の中に入って青シートの上に座って待っていると、5時過ぎからの法要が
始まり、10人くらいの僧が太鼓と共に般若心経や観音経を上げました。
その後、豆袋を持った烏帽子狩衣姿の人が数人本堂内に入ると、本堂前の賽銭箱
を乗り越えて、青鬼、赤鬼が3、4人(?)本堂内に乱入しました。

 100人位の参拝者がいる狭い本堂内で、鬼たちに向かって、烏帽子組が豆を
打ち、大騒ぎとなりました。
私は豆を拾うのに気をとられて鬼たちの動作をよく見ませんでしたが、そのうち
毘沙門天が現れ、鬼達を本堂から追い出しました。
そのあと、お福さまという吉祥天が現れ、競って手を出す人々に福豆を配りました。
大騒ぎが終わった後、本堂の外の篝火のそばで毘沙門天やお福さまと記念写真を
撮る人たちもいました。
   
        山上の塔に陽光春立てり       常朝

        賽銭箱超えて鬼来し節分会      常朝

        本堂の鬼ともみ合ひ鬼やらひ     常朝

       (信貴山の大寅:クリックで拡大:以下すべて)

       (本堂への石段)

       (本堂の舞台より)

       (お福さま:吉祥天)

       (毘沙門天と赤鬼)


 6時すぎ、車で25号線に戻り、「さと」で夕食と小句会後8時半頃解散しました。