「アカシア紀行・俳句」2015年3月19日(木) 前へ 次へ
彼岸の入りの2日目、朝から本格的な雨の日、いつものメンバー6人で、
奈良県御所市の高天彦(たかまひこ)神社から橋本院を訪ねました。
雨の中、葛城市の屋敷山公園駐車場で9時半集合し、山麓線(30号線)を
約8キロ南下、高天・橋本院の案内板のある角を右折、約1キロ登ると、
高天彦神社の駐車場です。(参照 アカシア紀行84)
高天彦神社は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめ)、
菅原道真公を祀る、金剛山の麓の古式豊かな神社です。
遠くからでも本殿の赤い瓦が目に入ります。
駐車場の南側に「鶯宿梅」(おうしゅくばい)の3分咲き以上の白梅の花が
雨に打たれていました。
50メートル程の参道の両側には巨大な杉の木が並び、神社の周囲も
うっそうとした杉の老木で囲まれています。
幹から泡を流している巨木もあります。
参道を登ると左手に手水があり、山の春水が勢い良く出っぱなしに
なっていました。
境内の左手には拝殿兼の休憩所があり、木製の長椅子が置かれています。
我々は休憩所を基地として、傘をさして本殿を参拝、周囲を散策しました。
境内の外の細い道には石の福蛙が置かれ、碁石の目玉も雨に濡れていました。
鳥居に向かって左の山道は郵便道と言われる金剛山登山道ですが、
2013年9月の台風18号で崩落し、通行できないようです。
御手洗の春水はげし出っぱなし 常朝
福蛙の目は黒碁石春の雨 常朝
(高天彦神社:クリックで拡大:以後同じ)
(鶯宿梅)
(鶯宿梅説明板)
(蛙石)
(郵便道通行止め案内)
(売店)
その後御所駅の北の寿司店「夢宗庵」で昼食(柿の葉すし付の盛合せ)を
いただき、再び高天に戻って、橋本院を訪ねました。
高天彦神社から北東へ約600メートル狭い道を走ると、棚田のやや下の
ほうに見えるのが橋本院です。
橋本院は奈良時代行基によって建てられた高天寺の子院で、
南北朝時代、北朝方に焼き討ちされ、江戸時代真言宗の寺として再興され、
本尊の十一面観音像を祀っているようです。
黒い木造の山門を入ると右手に弘法大師像と護摩堂があります。
境内の北側(左手)は広い庭園で蝋梅がやや白っぽくなっていました。
周囲の山には雨のせいでしょうか春の霧がゆっくり登っていきます。
南側は庫裏があり、前庭には池に枝を伸ばす山茱萸(さんしゅゆ)が満開
でした。 縁側からは雛壇が見えます。
庭から南へ急峻な崖があり、コンクリートの護岸壁を見ていたら、
ご住職が出て来られて、右手の池に水芭蕉が咲く頃と教えてくれました。
桜の大木が崖上の右手の庭にあったのが、数年前台風で根こそぎ
飛ばされて、崖下の砂防ダムに落ちたので、切って埋めたそうです。
6月頃は、蓮やあじさいが見られるそうです。
縁側に雛壇見ゆる山の寺 常朝
寺山をゆっくり登る春の霧 常朝
(橋本院)
(弘法大師像と護摩堂)
(庫裏の盆梅)
(庭の蝋梅)
やや小止みになった雨の中、しばらく境内を散策後、お寺を出ました。
なだらかな棚田と藪が雨にぬれる様子は、日本的な美しい風景でした。
その後橿原観光ホテルで小句会後解散しました。
朝から句会終了の3時半頃まではずっと雨でしたが、葛城の穏やかな風景を
楽しんだ一日でした。
2015年3月22日日曜日
2015年3月13日金曜日
208.奈良・片岡梅林から二月堂・お水取り
「アカシア紀行・俳句」2015年3月11日(水) 前へ 次へ
3月啓蟄(けいちつ)の頃の晴天ながら寒い日、いつものメンバー5人で、
奈良市の片岡梅林から二月堂のお水取りを参拝しました。
(参照:アカシア紀行57:2008年二月堂お水取り)
片岡梅林は奈良・春日大社の一の鳥居の右側から入った公園、浅茅が原の
中にあります。
9時半すぎ梅林に入る前に、料亭菊水の西側にある菩提院の中の
石子詰め旧跡を訪ねました。
石子詰めは江戸時代13才の三作が、習字を習っていた時、邪魔した鹿に
文鎮を投げると急所に当たり死んだので、神の使いを殺した罪で、
地面に掘った深い穴に、鹿と一緒に生きながら埋められた跡で、
哀れんだ人々が五重の石塔を立て、石の亀を置いた墓地です。
石子詰墓地に石亀冴え返る 常朝
(三作石子詰め旧跡:クリックで拡大:以後同じ)
(浅茅が原案内図)
その後片岡梅林に移動しました。
片岡梅林は小高い丘にある広さ1ヘクタール位の梅林で、
梅の古木が数十本あり、全体としては7分咲きでした。
中には一本の木に紅梅の枝が白梅の中に混じる木もありました。
丘上の梅林の中に小流れがあり、それをまたぐ東屋もあります。
また、円窓亭という風流な建物もあります。
丘の南側は鷺池で浮御堂が見え、東側は飛火野が広がります。
梅を眺めていたら、ホルンの音が聞こえました。朝10時の鹿寄せでした。
飛火野を見ると人が大勢集まり、ぞこへ鹿たちが歩いて集まって来て
いました。
梅林の中の池には薄氷が張っており、北西の風に揺れていました。
小流れをまたぐ東屋梅白し 常朝
(紅梅の梅)
(円窓亭)
しばらく梅林を散策後、車で二月堂東の手向山神社の東側の菊一駐車場に
行きました。本来は客と観光バス用の駐車場ですが、店で商品を買って
駐めさせてもらいました。
途中手向山神社の神楽堂の壁画「頼光の鬼退治」を見て、
二月堂の下へ歩き、絵馬堂茶屋で昼食をいただき閼伽井屋(あかいや)に
いきました。
(手向山神社・神楽堂の頼光鬼退治図)
12日夜は、この中の井戸で、若狭から送られた水を汲み取り、観音様に
供えるのが、お水取りの名の由縁です。
夜二月堂で燃やされる大きな松明は、12日は特に大きな篭松明ですが、
すでに11本の篭松明の一部は、閼伽井屋のそばの食堂(じきどう)の庇に
立てかけてありました。
12日に備えて、11日午後閼伽井屋の周囲の榊を新しくする予定でしたが、
我々が着いた時はすでに新しくなっていました。
我々が着いた時はすでに、練行衆の11名の方達は食堂で食事中で
時々お経の声が聞こえました。
修二会の14日間は、食事は一日一回、ご飯一膳とお汁だけのとのこと。
12時50分頃、食堂の戸が開いて、練行衆が一人ひとり戸口に出て、
紙に包んだご飯(生飯(さば))を、閼伽井屋の屋根などに
投げました。 鳥や獣に食を分けるためです。
すでにこの事を知っているのでしょう、鹿やカラスが寄っていました、
その後登廊から二月堂に上り、堂内で行われている修二会の行を
拝見しました。といっても、行は暗い内陣の帳の中で行われているので、
外からは読経の声を聞き、僧の影が見えるだけです。
西側の正面から右手南側の局入り口から堂内に入って見学しましたが、
やはり内陣は暗くて見えず、変化のあるリズミカルな声明が
聞こえるだけでした。
真っ暗なので、練行衆はお経や掛け声をすべて覚えているのでしょう。
じっと聞いていると厳かな気分になりました。
修二会は、罪を懺悔し、天下泰安を祈る法要ですが、奈良時代に始まり、
今年で1264回目、一度も休まず毎年続けられています。
おそらく4年前の今日の東日本大震災のことも祈られているのでは
ないでしょうか。
その後、右手の龍美堂茶屋でわらび餅と抹茶をいただき、二月堂を
辞しました。
内陣の沓音高き修二会かな 常朝
お水取帳に走る僧の影 常朝
(絵馬堂茶屋)
(二月堂)
(閼伽井屋)
(篭松明)
(篭松明の篭)
(生飯を投げる練行衆)
(龍美堂茶屋)
その後手向山神社そばの駐車場に戻り、旧ドリームランドの前のココスで
小句会後解散しました。
寒いながらも好天に恵まれ、満開に近い梅と、厳粛な修二会の雰囲気を
味わえた早春の一日でした。
3月啓蟄(けいちつ)の頃の晴天ながら寒い日、いつものメンバー5人で、
奈良市の片岡梅林から二月堂のお水取りを参拝しました。
(参照:アカシア紀行57:2008年二月堂お水取り)
片岡梅林は奈良・春日大社の一の鳥居の右側から入った公園、浅茅が原の
中にあります。
9時半すぎ梅林に入る前に、料亭菊水の西側にある菩提院の中の
石子詰め旧跡を訪ねました。
石子詰めは江戸時代13才の三作が、習字を習っていた時、邪魔した鹿に
文鎮を投げると急所に当たり死んだので、神の使いを殺した罪で、
地面に掘った深い穴に、鹿と一緒に生きながら埋められた跡で、
哀れんだ人々が五重の石塔を立て、石の亀を置いた墓地です。
石子詰墓地に石亀冴え返る 常朝
(三作石子詰め旧跡:クリックで拡大:以後同じ)
(浅茅が原案内図)
その後片岡梅林に移動しました。
片岡梅林は小高い丘にある広さ1ヘクタール位の梅林で、
梅の古木が数十本あり、全体としては7分咲きでした。
中には一本の木に紅梅の枝が白梅の中に混じる木もありました。
丘上の梅林の中に小流れがあり、それをまたぐ東屋もあります。
また、円窓亭という風流な建物もあります。
丘の南側は鷺池で浮御堂が見え、東側は飛火野が広がります。
梅を眺めていたら、ホルンの音が聞こえました。朝10時の鹿寄せでした。
飛火野を見ると人が大勢集まり、ぞこへ鹿たちが歩いて集まって来て
いました。
梅林の中の池には薄氷が張っており、北西の風に揺れていました。
小流れをまたぐ東屋梅白し 常朝
(紅梅の梅)
(円窓亭)
しばらく梅林を散策後、車で二月堂東の手向山神社の東側の菊一駐車場に
行きました。本来は客と観光バス用の駐車場ですが、店で商品を買って
駐めさせてもらいました。
途中手向山神社の神楽堂の壁画「頼光の鬼退治」を見て、
二月堂の下へ歩き、絵馬堂茶屋で昼食をいただき閼伽井屋(あかいや)に
いきました。
(手向山神社・神楽堂の頼光鬼退治図)
12日夜は、この中の井戸で、若狭から送られた水を汲み取り、観音様に
供えるのが、お水取りの名の由縁です。
夜二月堂で燃やされる大きな松明は、12日は特に大きな篭松明ですが、
すでに11本の篭松明の一部は、閼伽井屋のそばの食堂(じきどう)の庇に
立てかけてありました。
12日に備えて、11日午後閼伽井屋の周囲の榊を新しくする予定でしたが、
我々が着いた時はすでに新しくなっていました。
我々が着いた時はすでに、練行衆の11名の方達は食堂で食事中で
時々お経の声が聞こえました。
修二会の14日間は、食事は一日一回、ご飯一膳とお汁だけのとのこと。
12時50分頃、食堂の戸が開いて、練行衆が一人ひとり戸口に出て、
紙に包んだご飯(生飯(さば))を、閼伽井屋の屋根などに
投げました。 鳥や獣に食を分けるためです。
すでにこの事を知っているのでしょう、鹿やカラスが寄っていました、
その後登廊から二月堂に上り、堂内で行われている修二会の行を
拝見しました。といっても、行は暗い内陣の帳の中で行われているので、
外からは読経の声を聞き、僧の影が見えるだけです。
西側の正面から右手南側の局入り口から堂内に入って見学しましたが、
やはり内陣は暗くて見えず、変化のあるリズミカルな声明が
聞こえるだけでした。
真っ暗なので、練行衆はお経や掛け声をすべて覚えているのでしょう。
じっと聞いていると厳かな気分になりました。
修二会は、罪を懺悔し、天下泰安を祈る法要ですが、奈良時代に始まり、
今年で1264回目、一度も休まず毎年続けられています。
おそらく4年前の今日の東日本大震災のことも祈られているのでは
ないでしょうか。
その後、右手の龍美堂茶屋でわらび餅と抹茶をいただき、二月堂を
辞しました。
内陣の沓音高き修二会かな 常朝
お水取帳に走る僧の影 常朝
(絵馬堂茶屋)
(二月堂)
(閼伽井屋)
(篭松明)
(篭松明の篭)
(生飯を投げる練行衆)
(龍美堂茶屋)
その後手向山神社そばの駐車場に戻り、旧ドリームランドの前のココスで
小句会後解散しました。
寒いながらも好天に恵まれ、満開に近い梅と、厳粛な修二会の雰囲気を
味わえた早春の一日でした。
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