「アカシア紀行・俳句」2012年11月21日(水) 前へ 次へ
深まる秋の良い天気の日、いつものメンバー7人で
奈良の太子道の中ほどの神社などを訪ねました。
太子道は聖徳太子が斑鳩から飛鳥へ愛馬でよく往来されたという、
いわば太子の通勤ルートで、去年11月は斑鳩から途中の白山神社までを
吟行しましたが、今回はルートから少し外れて奈良・川西町の
糸井神社から太子道の中ほど、面塚、多神社などを車で巡りました。
9時半頃、郡山市のファミリー公園(県浄化センター)駐車場で集合し、
まず南2キロほどの結崎(ゆうざき)地区・川西町役場の南の糸井神社を
訪ねました。
糸井神社は、平安時代の神社一覧(延喜式)にもある古い神社で、
豊鍬入姫命、猿田彦命、綾羽明神、呉羽明神を祀りますが、
昔は糸に関係のある綾羽明神、呉羽明神が主神だったようです。
駐車させてもらった境内におられた神主の母上に、
参拝・拝見したいと話すと、神主を呼んで下さり、我々を拝殿に
案内、説明をいただきました。
拝殿の中の祭壇には、お酒、米、初穂、さつまいも、りんご、柿などが、
三宝にのせてあります。
長押(なげし)の上には、大きな奉額がいくつも掛けられ、
その中には、天保13年の「太鼓踊り」の絵馬や、慶応4年の「おかげ踊り」
、奉納相撲の絵馬などがあります。
太鼓踊りは雨乞いのお礼の踊りで「なもで踊り」ともいわれます。
特に「太鼓踊り」の絵馬には、大太鼓2つに4、50人の踊りの脇で、
西瓜や餅の切り売りも描かれています。
蚕から生糸を作る技術者が渡来してこの結崎の地に住みつき、
先祖や糸の神を祀るために神社が建てられ結崎明神とも
いわれたそうです。
拝殿と本殿の間の通路の2階に小さな白壁の蔵があるのは、
珍しい神社構造で、蔵に神社の品々を保管しているそうです。
太鼓踊り絵馬の褪せたる冬の杜 常朝
三宝に初穂を供ふ糸の神 常朝
(糸井神社:クリックで拡大:以後同じ)
(糸井神社)
(太鼓踊り絵馬)
(結崎観世能の写真)
そのあと、境内に駐車させていただき、
すぐそばの寺川の南岸・東100メートルほどの面塚を訪ねました。
大きくカーブする川岸には、桜並木の紅葉が見え、
橋のそばには蚕の餌に使われる桑の木が美しく黄葉しています。
面塚は、昔、空からお能の面と根深ねぎが降ってきたと
伝えられる場所を記念するため、昭和の始め記念碑と、27年石垣、
記念公園が作られたとのことです。
結崎は能楽発祥の地とされ、ここには時々東京から観世流の家元など
が来られるそうです。
石垣の中には桜、楓などが植えられ、公園には、能舞台を模した建物があり
周囲はどうだんつつじ、ぶななどが植えられ、きれいに紅葉していました。
大川の曲りおおらか桑黄葉 常朝
面塚の紅葉散りたる能舞台 常朝
(寺川)
(面塚石垣)
(面塚)
(面塚説明板)
その後、糸井神社で聞いた結崎根深ねぎを見たいと、川西町役場を訪ね、
係りの方に、生産農家の畑の場所をお聞きして、1キロほど北の
吐田地区の葱畑を訪ねました。
耕作の農家は離れていたので結崎駅東のスーパー「おくやま」に行き、
一束だけ残っていた結崎根深を求めました。
店員さんによると日に10束くらいしか入荷しないそうです。
葱やりんごを買ったあと、24号線の千代南の近くの「がんこ橿原店」で
昼食をいただき、その西の多神社を訪ねました。
畑で見て店で買ひたる根深葱 常朝
(結崎根深のねぎ畑)
多神社は、古事記で有名な太安万侶の出身地である多集落の産土神です。
田原本町宮森地区、近鉄笠縫駅の西800メートルほどの飛鳥川の東岸にあり、
神武天皇、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、
神淳名川命(かむぬまかわのみこと、神武天皇の第三子で後の緩靖天皇)、
姫御神(神武天皇の母)を東西に並ぶ4棟の本殿にそれぞれ祀っています。
八井耳命は多一族の先祖とのことです。
境内には川田順の安万呂を称える歌碑がありました。
うっそうとした森の西側には榠樝(カリン)の木や女貞(ねずみもち)
の木が実をつけ、ヒヨドリが騒いでいました。
深々とした落葉の杜の中に、昔神事をしたという「ひもろぎ」の円丘が
あります。
車椅子の人が介護の人と散歩していました。
榠樝の実見上げてをれば鳥の声 常朝
神の庭桜紅葉の日差かな 常朝
(多神社)
(まろちゃん)
(ひもろぎ説明板)
(ひもろぎの円丘)
(川田順の歌碑)
多神社から再び24号線を北上して、鏡作伊多神社を訪ねました。
保津環濠集落の池のそばにある小さな神社で、
祭神・石凝姥命(いしこりどめのみこと)は鏡作連(かがみづくりのむらじ)
の祖神とされており、鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神とのことです。
鏡に関するものなどが祀られているかと思いましたが、
特にそれらしい物は見当たりませんでした。
境内の隅に実生の銀杏が沢山出てどれも黄葉してをり、
銀杏の実が沢山落ちていたので少し拾いました。
神の庭隅に実生の銀杏黄葉 常朝
(鏡作伊多神社)
(鏡作伊多神社の説明板)
(鏡作伊多神社の拝殿)
(鏡作伊多神社の境内)
その後時間があったので、太子とは特に関係がないのですが、
唐古遺跡を訪ねました。
唐古遺跡は田原本町唐古、鍵地区にある弥生時代の環濠集落遺跡で
発掘された土器の絵から1994年復元された高さ13メートルの2階の
楼閣が黒々と古びた色になって唐古池の西南隅に立っており、
深秋の夕日を浴びて、飛行機雲が伸びていました。
鶺鴒(せきれい)が10羽ちかく池の水面を飛んだり岸を走っています。
土手には樹木のなかにアケビの蔓が伸びており、祠の石地蔵には
菊が供えられていました。
冬日浴ぶ古代楼閣飛行雲 常朝
遺跡池土手の祠に冬の菊 常朝
(唐古遺跡の楼閣)
(唐古遺跡説明板)
(唐古池)
(唐古池説明板)
4時頃から橿原観光ホテルで小句会後5時半頃解散しました。
大和国中(くんなか)の良い天気に恵まれた秋の1日でした。
2012年11月23日金曜日
2012年11月11日日曜日
162.五条市金剛寺から簗場跡、かつらぎ町串柿の里
「アカシア紀行・俳句」2012年11月10日(土) 前へ 次へ
立冬すぎた好天の日、いつものメンバー6人で
五条市金剛寺から和歌山県かつらぎ町の串柿の里を訪ねました。
五条市栄山寺ちかくのレストラン「よしの川」で9:30集合し、
24号線を南下、大川橋を渡って左(東)600メートルほどの金剛寺を
参拝しました。
ここは約800年前平清盛の長男で若くして世を去った重盛公が建てたと
される今は真言宗の寺で、本尊薬師如来を菊の花でお祀りする
菊薬師で有名です。
菊の香りがする山門をくぐり、入山料300円を納めて萱葺きの本堂に
入ると、広い部屋の左側が枯山水の庭で、色とりどりの小菊の懸崖鉢が
沢山並べられ、右手には祭壇がありました。
10月25日から11月8日まで、本堂の薬師如来の右手から紐を祭壇近くまで
伸ばして僧侶が法要(悔過法要)をしたそうです。
庭の菊を拝見していると、大黒さま(住職の奥様)のお母様が
こられて色々話をしてくれました。
平安時代このあたりは平家の所領で、熊野詣での折の宿泊所をかねて
寺を建てたようで、戦前まで寺領も6町歩あったが
農地開放で、学校に貸与していた2反ほどを残して土地はなくなったようです。
その2反を住職と協力して牡丹園にしたそうです。
薬師如来をお参り後、菊薬師、菊枕、菊酒の由来となった中国の菊慈童
(菊の薬効で700年も生きた)の絵を描いた屏風や菊枕を拝見しました。
今は菊酒は安全のためお寺で作っていないとのこと。
またこの寺は唐招提寺の長老が住まれたそうです。
菊薬師野菊も鉢に飾られて 常朝
菊慈童の屏風も飾り菊の寺 常朝
大黒の長き話を菊の寺 常朝
(金剛寺)
(金剛寺山門)
(金剛寺説明板)
(小菊の懸崖)
(青い菊)
(薬師如来)
(菊慈童の屏風)
(菊枕)
(白檀の実)
お寺を辞してから、吉野川(紀ノ川)の大川橋南詰から鮎の簗場跡を
訪ねました。
今は簗場は撤去されていますが、簗場用の木材や竹が置かれていました。
また橋桁の裏側にはイワツバメが沢山巣を作り、数十羽が橋の周囲を
せわしなく飛んでいました。
岩燕簗場跡飛ぶ冬の川 常朝
石原に黄菊咲きたる簗場跡 常朝
(吉野川大川橋の簗場跡)
(大川橋の岩燕の巣)
その後、「よしの川」で昼食をいただき、和歌山県かつらぎ町の
串柿の里を訪ねました。
24号線を南下、穴伏交差点を右折、480号線を10キロほど北上して、
山上の四郷地区に入ると、急な坂のガードレールの上などに
長い干し台(屋根つき)が沢山あり、串柿が何万と吊られていました。
正月飾り用の10個(あるいは5個)の柿の串が水平に一つの吊り縄に縦に
10列ほどずつすだれのように並んで吊られています。
柿の皮は漬物に入れるとおいしいそうで、柿皮も吊り干しされています。
上の家の前ではつるし柿、餅のようなあんぽ柿、金山寺味噌などを
売っています。
左手の作業場には柿皮剥きの機械などが置かれ、
柿に挿す串を木の箱や塗料缶などに沢山立てられていました。
そのうちご主人が作業場に坐り、直径5センチほどの剥いた柿を
串に挿し始めました。
奥様は紐縒り用の機械を使って柿の串をすだれ状にしていました。
ご主人は、退職金を皆奥様に取られて、
今は朝5時から夜11時頃まで串柿を作るだけと笑っていました。
串柿用の柿は四つ溝柿(よつみぞ)というそうです。
2時すぎお土産に蜜柑をいただいて五条市に戻り、野原地区・
五条病院の南隣のコーヒーハウス「ミキ」で小句会後解散しました。
金剛寺で大黒さまが本尊のろうそくに火をつけるとき燭台の覆いの布の
左下から炎が上がってあわてて消す騒ぎがありましたが、
それ以外はトラブルもなく、さわやかな秋の1日でした。
柿簾透かしてきたる山の風 常朝
串柿の里柿皮も干しゐたる 常朝
(串柿)
(つるし柿売り場)
(串柿の作業場)
(柿の皮むき機)
立冬すぎた好天の日、いつものメンバー6人で
五条市金剛寺から和歌山県かつらぎ町の串柿の里を訪ねました。
五条市栄山寺ちかくのレストラン「よしの川」で9:30集合し、
24号線を南下、大川橋を渡って左(東)600メートルほどの金剛寺を
参拝しました。
ここは約800年前平清盛の長男で若くして世を去った重盛公が建てたと
される今は真言宗の寺で、本尊薬師如来を菊の花でお祀りする
菊薬師で有名です。
菊の香りがする山門をくぐり、入山料300円を納めて萱葺きの本堂に
入ると、広い部屋の左側が枯山水の庭で、色とりどりの小菊の懸崖鉢が
沢山並べられ、右手には祭壇がありました。
10月25日から11月8日まで、本堂の薬師如来の右手から紐を祭壇近くまで
伸ばして僧侶が法要(悔過法要)をしたそうです。
庭の菊を拝見していると、大黒さま(住職の奥様)のお母様が
こられて色々話をしてくれました。
平安時代このあたりは平家の所領で、熊野詣での折の宿泊所をかねて
寺を建てたようで、戦前まで寺領も6町歩あったが
農地開放で、学校に貸与していた2反ほどを残して土地はなくなったようです。
その2反を住職と協力して牡丹園にしたそうです。
薬師如来をお参り後、菊薬師、菊枕、菊酒の由来となった中国の菊慈童
(菊の薬効で700年も生きた)の絵を描いた屏風や菊枕を拝見しました。
今は菊酒は安全のためお寺で作っていないとのこと。
またこの寺は唐招提寺の長老が住まれたそうです。
菊薬師野菊も鉢に飾られて 常朝
菊慈童の屏風も飾り菊の寺 常朝
大黒の長き話を菊の寺 常朝
(金剛寺)
(金剛寺山門)
(金剛寺説明板)
(小菊の懸崖)
(青い菊)
(薬師如来)
(菊慈童の屏風)
(菊枕)
(白檀の実)
お寺を辞してから、吉野川(紀ノ川)の大川橋南詰から鮎の簗場跡を
訪ねました。
今は簗場は撤去されていますが、簗場用の木材や竹が置かれていました。
また橋桁の裏側にはイワツバメが沢山巣を作り、数十羽が橋の周囲を
せわしなく飛んでいました。
岩燕簗場跡飛ぶ冬の川 常朝
石原に黄菊咲きたる簗場跡 常朝
(吉野川大川橋の簗場跡)
(大川橋の岩燕の巣)
その後、「よしの川」で昼食をいただき、和歌山県かつらぎ町の
串柿の里を訪ねました。
24号線を南下、穴伏交差点を右折、480号線を10キロほど北上して、
山上の四郷地区に入ると、急な坂のガードレールの上などに
長い干し台(屋根つき)が沢山あり、串柿が何万と吊られていました。
正月飾り用の10個(あるいは5個)の柿の串が水平に一つの吊り縄に縦に
10列ほどずつすだれのように並んで吊られています。
柿の皮は漬物に入れるとおいしいそうで、柿皮も吊り干しされています。
上の家の前ではつるし柿、餅のようなあんぽ柿、金山寺味噌などを
売っています。
左手の作業場には柿皮剥きの機械などが置かれ、
柿に挿す串を木の箱や塗料缶などに沢山立てられていました。
そのうちご主人が作業場に坐り、直径5センチほどの剥いた柿を
串に挿し始めました。
奥様は紐縒り用の機械を使って柿の串をすだれ状にしていました。
ご主人は、退職金を皆奥様に取られて、
今は朝5時から夜11時頃まで串柿を作るだけと笑っていました。
串柿用の柿は四つ溝柿(よつみぞ)というそうです。
2時すぎお土産に蜜柑をいただいて五条市に戻り、野原地区・
五条病院の南隣のコーヒーハウス「ミキ」で小句会後解散しました。
金剛寺で大黒さまが本尊のろうそくに火をつけるとき燭台の覆いの布の
左下から炎が上がってあわてて消す騒ぎがありましたが、
それ以外はトラブルもなく、さわやかな秋の1日でした。
柿簾透かしてきたる山の風 常朝
串柿の里柿皮も干しゐたる 常朝
(串柿)
(つるし柿売り場)
(串柿の作業場)
(柿の皮むき機)
ラベル:
吟行案内
161. 西吉野柿選果場から波宝神社
「アカシア紀行・俳句」2012年11月6日(火) 前へ 次へ
立冬近い好天の日、義兄夫婦と、奈良・西吉野柿選果場から
銀峰山の波宝神社を訪ねました。
西吉野柿選果場は五条市西吉野町、一の木ダムの東にある
JAの柿選果場です。
タクシーでは五条駅から南へ約6キロですが、我々は車で
下市町役場からの栃原、平原経由で行きました。
10時半ころ着くと、すでに2、30人位の客が選果場の柿直売所で、
柿箱から柿を選んでいました。
贈答用の柿も地方発送受付で送れますが、多少難のある柿は
1キロ100円から250円で買えます。
20くらいある10キロ箱から一つずつ柿を選んで自分の10キロ箱に
入れて量り買いをしました。
富有柿のほか大きな江戸柿もあります。
山の土が良いのでしょうか、私の知る限りここの富有柿は最高の味です。
家庭用に2箱も買ってから、そばの試食場で柿をいただきました。
テーブルの上に10キロ箱一杯の試食用の柿が置かれますが、
我々が食べてなくなると、また一杯の箱をどっかと置いてくれました。
試食の柿箱をどっかと選果場 常朝
柿の種のぬめりの秘密教えられ 常朝
(柿選果場:クリックで拡大:以下同じ)
選果場から西南3キロの賀名生(あのう)から168号線を約5キロ南下、
西吉野市役所支所のそばの喫茶タイムで昼食をいただいた後、
県道20号線を北上、八ツ川から左の林道に入り、銀峰山頂の波宝神社を
訪ねました。
ここは、2001年11月以降2度ほど訪ねましたが、山頂に海の神である
住吉明神と神宮皇后を祀る珍しい鎮守で、古びた拝殿の奥に
障壁画でつながれた2つの本殿があり、なんとなく神々しい神社です。
障壁には海の波の絵の上に鶴が描かれていました。
拝殿手前の土には猪の引っ掻いた(吹いた)跡が沢山あり、
左手の神輿倉の裏に立つ半分枯れた大木に蔦紅葉がからまって、
きれいな落葉を、斎庭に置いていました。
また拝殿右裏には祭に使われたのでしょう、扇の幣の竿が沢山立てかけ
られていました。
帰りは一の木ダムから五条市経由で帰りましたが、途中の山道で
西吉野の柿山を一望できました。
橿原観光ホテルでケーキセットをいただき句会なしで解散しました。
障壁に鶴と波描く秋の杜 常朝
猪吹きし斎庭の土に蔦落葉 常朝
(波宝神社)
(波宝神社拝殿)
(本殿の障壁画)
(波宝神社説明板)
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吟行案内
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