2008年1月14日月曜日

15.唐招提寺・鑑真忌

「アカシア紀行・俳句」2005年6月7日(火)



 風のおだやかな日、奈良唐招提寺の鑑真忌(開山忌)にお参りしました。
鑑真はいうまでもなく、奈良時代に唐から日本へ仏教の戒律などを
伝えるため、4たびの失敗の後、ついに5回目の渡海で失明しながらも成功し、
聖武天皇ほか多くの人々に授戒をおこない、唐招提寺を創建した高僧です。

 忌日は陰暦5月6日ですが陽暦では6月6日となっており、前後3日間は
開山忌として、普段は閉じられている開山堂が一般に公開されます。
国宝の鑑真和上坐像が開扉され、東山魁夷の多くの襖絵も拝見できます。

 寺の正面からは左奥の開山堂に入ると、20数人の人々がお堂の床に座って、
それぞれ鑑真和上坐像を参拝したり、縁側でお庭を拝見していました。
私も和上像に手を合わせていたら、静かな庭に小鳥の声が聞こえました。
お目の見えない和上様も小鳥(多分小雀)の声を聞いておられるようでした。
その後、堂縁に座ってお庭を拝見しました。
庭には数本の幡が立てられ、桜と橘などの青葉との対比がきれいでした。
          


      おももちは小雀の声を聞きおはす  常朝

      堂縁に我も坐れり鑑真忌       常朝



      (唐招提寺開山堂の庭)

14.那須 栗田美術館

「アカシア紀行・俳句」1999年4月24日(土)



 春雨の日、妻と東京・世田谷のマンションから那須へドライブをしました。
朝7時前に出ると、9時半ころ水戸の足利学校に着き、そこを見学してから、午後
那須の栗田美術館に着きました。まだ雨は降っていたので美術館やその庭はとても静かでした。
美術家の庭に片栗の花の群生があるとのことだったので、妻と少し歩いて訪ねました。             
 花はまばらで群生とまではいかなかったが、雨に濡れてきれいでした。
山楽という旅館に泊まりましたが、夕方2階の窓から見える庭の木にホトトギスがきて、高い声で「テッペンタケタカ」と鳴きました。
自分の目でホトトギスを見たのは生まれて初めてでした。



       片栗の群落の地を妻に見す      常朝


13.天理市 布留の滝

「アカシア紀行・俳句」2005年5月21日(土)



 青葉の頃、奈良県天理市の石上神宮に参拝し、山路に入り布留(ふる)の滝から
白河池まで歩きました。
ここ布留の滝あたりは、その昔、影媛(かげひめ)が通った道とのことです。

 日本書紀によると、武烈天皇がまだ皇太子であったころ、
平群の豪族の息子「しび(鮪)」の恋人であった物部氏の姫「影姫」が、
海柘榴市(つばいち、当時の市場)にあった歌垣(恋の歌を交わす場所)にいたとき、皇太子が彼女に言い寄り、それをさえぎった「しび」をうらんで、後に兵を興し、
「しび」を平城山で殺した。それを知った影姫は、石上から平城山まで、泣きながら
歩いて彼を弔ったという、つぎのような歌が残されています。(字句の一部省略)

  石の上 布留を過ぎて、高橋過ぎ、大宅過ぎ、春日を過ぎ、
  小佐保を過ぎ、玉笥(たまけ)には飯(いひ)さへ盛り、水さへ盛り、
  泣きそぼちゆくも 影姫あはれ

 影姫が通ったであろう道をあるくと、布留の高橋(写真)があり、
その下はやや深い谷で、高さ5メートルほどの滝がありました。
木の根をつかんで谷に降り、しばらく滝を見上げていました。
       
       

        影媛の涙に見しや布留の滝       常朝



注:武烈天皇は、日本書紀によるとローマ帝国のネロ皇帝のような悪逆な人だったらしい。
もっとも、日本書紀は奈良時代の天皇家や藤原家の正統性を強調するため、ひどい天皇で雄略天皇以降の血筋が途絶えたことをいいたかったため、悪逆さを誇張したのだろうともいわれています。


12.葛城王宮跡

「アカシア紀行・俳句」2005年5月9日(月)



 青葉の風のやさしい日、奈良県御所市の葛城山麓にある葛城王宮跡を訪ねました。
ここは御所市南郷にある極楽寺の東700メートルくらいの山の中腹です。
極楽寺の下を通る葛城山麓線(道路)の東へなだらかな畑の道を歩いて下りました。
ここは約1600年昔、当時の大豪族であった葛城氏の宮殿の跡とされ、
極楽寺ヒビキ遺跡と名づけられています。(朝日新聞2005年2月22日の記事参考)
葛城氏は仁徳天皇の后であった磐之媛の実家です。
浮気をした仁徳天皇に怒り、難波の宮を出て、京田辺市の同志社大学付近に
あったとされる筒城の宮(当時の離宮)に生涯棲み、葛城の実家をしのんで詠った歌、


  つぎねふ 山背河(やましろかわ)を 宮のぼり 我が登れば 青丹よし 
  那羅(なら)をすぎ 小楯倭(おだてやまと)をすぎ
  我が見が欲し国は 葛城高宮 我が家のあたり


は日本書紀に残っています。


ほこり高い后が、難波にも帰らず、実家にも帰らずひとり離宮ですごされた日々は
どのような日々であったでしょうか。
遺跡には堀の跡があったらしいですが今は写真のように埋めもどされています。
土手には濃い紫のあざみが咲き、急勾配の畑の豌豆などを見ていたら突然、
雉が「ケーン」と鳴きました。


       葛城の后の里の薊かな      常朝

       葛城の水走る畑雉鳴けり     常朝



       (葛城王宮跡)

11. 竜王山 古墳群の道

「アカシア紀行・俳句」2004年5月15日(土)



 若葉の風の心よい日、奈良天理市の竜王山に登りました。
竜王山の頂上には、竜王山城の跡がありますが、
今回は、柿本人麻呂の歌にある衾道(ふすまじ)を登りました。
万葉集にある
  
 「衾道を引く手の山に妹(いも)を置きて帰る山道は生きるともなし」

の歌が詠まれたところで、人麻呂がなくなった奥様をこの墓地に埋めて、
帰るときの気持ちを詠んだ歌とのことです。
          
急な山道をあえぎながら登り、途中で休んでいたら、
「ポー ポー」と筒鳥が鳴きました。



        筒鳥や人麻呂の妹眠る山      常朝



        (竜王山への道)

10. 丹生川上神社 上社

「アカシア紀行・俳句」2004年5月14日(金)



 青葉の風の日、奈良川上村の丹生川上神社の上社に吟行に行きました。
この神社は以前は、今大滝ダムの底になっている吉野川辺にありました。
平成10年、今のダムを見下ろす山の中腹に御遷座されたとのことです。
ダムや周囲の山々を一望でき、大変見晴らしの良いところです。   
境内は新しく本殿も立派ですが、建材は元の神社の古材や境内の杉などを
利用したとのことです。

 境内からダムを眺めていたら、心地よい風が吹いてきました。
小鳥のさえずりが山のあちこちで聞こえます。
          


        御遷座はダムの底から若葉風      常朝

        ダム囲む山大きくて囀れり          常朝



         (上社より大滝ダムを望む)

9. 平城京 船着場跡

「アカシア紀行・俳句」2004年5月8日(土)



 若葉のころ、平城京の船着場跡を訪ねました。
船着場跡は、大和郡山市の郡山城の北、秋篠川のほとりにあります。
その昔、この近くに平城京の西市がありました。
西市で売買される品物を船に積み下ろししたのがこの船着場でした。   

          
秋篠川の西側の土手の脇に説明版が立っています。
説明版には船着場の風景が描かれています。
忙しそうに荷物を船から下ろす人や茶店の横で寝ている人もいます。
今は川には砂地があるだけで勿論船着場はありません。
鯉がゆっくり泳ぎ、鴉が遊んでいました。
川を見ていたら、白い穂わた(絮)がいくつか飛んできました。
多分、平城京朱雀大路の街路樹であった柳のわたでしょう。



        平城京船着場跡柳絮飛ぶ      常朝