2009年1月15日木曜日

80.石山観音、関宿から油日神社

「アカシア紀行・俳句」2009年1月9日(金)


 年明けの雨模様の日、いつものメンバー7人で宿場町の関方面へ
吟行しました。珍しく降ったり止んだりの天気となりました。

 10時すぎ名阪国道を関インターチェンジで下りて、
名阪ドライブインで待ち合わせ、まず南西へ約1キロの石山観音へ
行きました。

 石山観音は三重県芸濃町にある磨崖仏の霊場ですが今は石山観音公園
として保存されています。
周囲数百メートルの岩山に多くの観音や阿弥陀仏が彫られており、
三十三ヶ所巡拝コースとなっています。
小雨の中、岩山の細い道を登りましたが、頂上の馬の背という
大岩のそばの阿弥陀仏を拝んで急坂を降りました。

 のち、関宿の北側の観光駐車場に車を置いて「会津屋」で昼食後、
宿場町を歩きました。
関宿は、古代三関の一つ鈴鹿の関の宿場町で、旧東海道に沿った、
東海道五十三次の47番目の宿場だそうです。
西の追分から東の追分までの約2キロが宿場町で、我々はほぼ中央の
地蔵院から東の追分まで約1.5キロを古い町並みを見ながら歩きました。
地蔵院のすぐ東の福蔵寺に入ると、烈女小万の大きな碑が立っています。
小万は父親の仇討ちのため少女の時、亀山の道場まで毎日通って、
剣道を修行し、見事仇を討ったとのことで鈴鹿の馬子唄にもあります。

 東の追分には広重の浮世絵の関宿にある鳥居と燈籠がありましたが、
案内板にある道標はみつかりませんでした。
戻る途中、和菓子店「関の戸」の荷担箱や旅籠の玉屋の蔵などを
見学しました。

 その後、名阪国道を西に戻り上柘植ICから甲賀の油日神社を参拝しました。
油日神社は、油日山のふもとにある甲賀地方の総社で、聖徳太子創建とも
伝えられており、境内に入るとうっそうとした木々の境内は広く、
いかにも神様のおられるような杜です。
三重国体の聖火を採火した記念碑もありました。
白州正子さんの「隠れ里」にも紹介され能面「福太夫」などで有名だそうです。
お面などは境内の民俗資料館にあるようですが、閉まっていました。

雨は上がりましたが、軒下には残り雪がありました。
祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)と猿田彦神とのことです。
本殿に参拝後、桧皮葺の楼門・回廊(かいろう)・障子のある拝殿など
を拝見、本殿左の槙の巨木にもびっくりしました。

4時すぎ神社を辞して、名阪国道の針テラスで小句会後解散しました。


         石仏の山七曲り初吟行     常朝     
          
         宿場町人少なくて花八手    常朝

         残り雪白州正子の訪ひし杜   常朝
  
        (石山観音阿弥陀像・写真はすべてクリックで拡大)

        (関宿郵便局の飛脚顔ハメ)

        (関宿の町並み)

        (広重の絵にある東の追分)

        (油日神社拝殿)

2008年12月30日火曜日

79.童仙房・沈下橋から柳生芳徳寺

「アカシア紀行・俳句」2008年12月18日(木)


 師走の朝曇りの日、いつものメンバー7人で南山城村の童仙房から野殿の
神社や木津川あたりを吟行しました。
やはり午後は晴れになりました。

 童仙房は江戸時代までは京・大和・尾張の三国にはさまれた山地だった
ようですが、明治政府が開拓を勧めたとのことです。
JR関西本線の大河原駅の東から山地へ狭い山道を10キロほど走ると
急に田畑が広がる童仙房につきました。

 まず案内板に従い「總神寺」をお参りしました。
ここは日蓮宗の寺で、日譽上人が昭和41年開山されたとのこと。
しかし境内には本堂、釈迦堂、日蓮上人の像などのほかに神社もあり、
八幡大菩薩、素戔鳴尊、のほか、ハワイの火の神女神ペレまで祀っています。
また神馬像や大きな鷲の像もあります。
境内はやや高台にあるので冬霞の山々や村の一部が見えました。
庭の苔には日陰カズラが日差を受けて若緑色を見せていました。

 その後東の野殿という所の千体仏があるという福常寺にいきましたが、
小さな無住のお堂があるだけで、中は拝観できませんでした。
庭の土手には龍のひげの青い玉がいくつかありました。
さらに東の六所神社を訪ねました。
せまい道の奥に立派な杉林の参道があり、萱葺きの落ち着いた
覆い屋(本殿)と萱葺きの舞殿があります。
舞殿には「京都の自然二百選」の認定証が掲げられていました。

 のち木津川付近へ戻り、「レストランおしはら」で昼食後、
木津川の沈水橋に行きました。
レストランの壁の上の方には女店主が書かれた人生標語が
30枚くらい貼ってあり、その中には私も好きな
「諦めなければ失敗でない」「目に見えないものが一番大事」
などもありました。庭には破芭蕉が数本立っていました。

 沈水橋はこのあたりには二つあり、二つとも車を止めて歩きました。
大水が出ると水中に沈みますが流れないよう、コンクリートの低い橋があり、
小型車がやっと通れる狭い巾でした。
歩くとすぐ下を冬の澄んだ川が流れ寒風が吹いてきます。
 二つ目の橋では偶然、鮒の放流を見ることができました。
漁業組合の2人が小型トラックで「へら鮒」の小鮒を500キロ運び、
車の水槽のホースから大きなバケツへ何度も小鮒を入れ、
橋のたもとから放流するところを、カメラに撮らせてもらいました。

 まだ少し時間があったので、夕方笠置経由で柳生の芳徳寺を訪ねました。
芳徳寺は柳生藩の柳生氏の菩提寺ですが、母が生前、歌人であった
先代の奥様に師事していたので母を乗せて車で何度か訪ねました。
ひさしぶりに訪ねると正木坂道場や学舎が立派になっていました。
寺の落葉の道の奥には柳生家墓所があり上泉伊勢守、石舟斎、
徳川家の剣道指南であった柳生藩初代の宗矩(むねのり)、子の十兵衛三厳
(みつよし)以下、80基ほどの墓石があります。
中には酒好きの人の盃型の傘と徳利型の墓石もありました。
4時頃お寺を辞して、奈良市内の喫茶店で小句会後解散しました。


         女神ペレ祀ってゐたる冬の杜   常朝     
          
         破芭蕉破りて音を確かめし    常朝

         放流の小鮒離れず冬の川     常朝
  
        (總神寺・写真はすべてクリックで拡大)

        (六所神社)

        (レストランの標語)

        (沈水橋)

        (鮒の放流)

2008年12月9日火曜日

78.九品寺・葛城山から傘堂

「アカシア紀行・俳句」2008年12月4日(木)


 小春日和の日、いつものメンバー6人で奈良・御所市の九品寺を最初に、
葛城吟行に行きました。
翌日は寒い雨でしたからいつもこのメンバーは天気に恵まれています。

 九品寺は近鉄・御所線の御所駅から南西約3キロほどの、葛城山の
東のふもと楢原(ならはら)地区にある立派な寺で、奈良時代行基が開き、
のちに弘法大師が中興したといわれています。
我々は車で南阪奈道路の大田南出口から山麓線を約4キロ南下しました。

 境内の裏山に沢山の石仏が階段状にぎっしり安置されていて、
全部で1600体以上あるようですが「千体仏」あるいは「千体石仏」と
いわれています。

 道脇にも石仏のある細い急坂の参道を登ると、紅葉の木々の下に
その千体仏がありました。
南北朝の兵士を弔う石仏とのことで、目鼻は殆どわからないほどです。
石仏の前後も紅葉が散り敷いていました。
その上(奥)には護国地蔵と石の鳥居があり向こうは戦没者の墓です。
お墓に鳥居があるのは珍しいですが多分戦没者は神として
祀られたからでしょうか。しかし石碑には戒名がありました。
中央奥の忠霊塔の前の御手洗には山から谷水がホースで引かれて、
小さな噴水を作っていました。
またその上には太陽電池のセンサーライトが付けられています。
夜にお参りする人がいるのでしょうか?

 その後、境内の北約100メートルほどの田の中にある
番水時計塔(番水塔)に行きました。
これは高さ2メートルほどのコンクリートの塔に時計の箱が
置かれているもので、貴重な葛城山の水を田に配分するための時計塔です。
我々が行ったときは田は刈田でしたから中の時計ははずされていました。
番水塔の下には細い流れと小さな分水堰があり、そこから2つの流れに
分けられていました。南側の流れを砂袋で堰きとめていました。

 竹内街道入口の「一乃庵」で昼食後、2時半のロープウエイで葛城山に
登りました。
ロープウエイはわずか6分で頂上ですが、途中きれいな紅葉が見えており、
期待して上の駅で下りると、木々は殆ど裸木で、紅葉は見られません。
15分ほど歩いて頂上にでるとススキの原があり、眺めは最高でした。
三毛猫が一匹近づいて我々に何かを言っていました。

 4時のロープウエイで下山の後、二上山の東1キロほどにある
染野の傘堂に行きましたが、夕闇が迫ってきたので、近くのモンチッチで
小句会後解散しました。


         迫りくる千体仏に照る紅葉      常朝     
          
         見上げたる首を一周照紅葉     常朝

         頂上の皆奈良を向く枯薄       常朝
  

        (九品寺・写真はすべてクリックで拡大)

        (千体石仏)

        (番水時計塔)

        (葛城山頂)

        (傘堂)

77.箕面温泉

「アカシア紀行・俳句」2008年11月25日(火)

 小春日和の日、いとこ会の3夫婦で箕面温泉に行きました。
吟行でなく親睦が目的だったので、作句の機会はあまりなかったですが。

 阪急箕面線の終点箕面駅に着いたのは11時すぎ、
駅前からの坂をゆっくり登り、箕面温泉ホテルのエレベータの下に
着いたのは11時半ころでした。
まずスパーガーデンのレストランでバイキングの昼食をいただき、
温泉に入りました。
温泉はかなり広くて、大温泉、露天風呂、乾式サウナ、湿式サウナ、
滝打ち温泉など一通り温泉を楽しみ、上の劇場で歌謡ショーを楽しみました。

エレベータの下も紅葉で、上からの眺めも良かったのですが、
紅葉はまだこれからという木々が多かったです。
帰りは、坂の途中の売店で紅葉のてんぷら、柿などを買い、
大阪へ戻り解散しました。
今回は滝までは歩かなかったですが久しぶりの従兄従姉との
再会と温泉を楽しみ1日ゆっくりできました。


         エレベーター上がる前から山紅葉   常朝     
          
         渋柿を売れりそのうち甘うなると   常朝

        (箕面温泉カフェテリア・写真はすべてクリックで拡大)

        (エレベータ最上階からの眺め)

2008年11月16日日曜日

76.奈良・法徳寺のお十夜

「アカシア紀行・俳句」2008年11月15日(土)

 天気予報に反し雨にならなかった夜、いつものメンバー5人で
奈良・奈良町にある法徳寺(融通念仏宗)のお十夜に招かれ参列しました。
お十夜は浄土宗の11月の法要ですが、このお寺のお十夜も昔から続いており、
薬師寺の高田好胤管長時代から管長や長老の講話をいただいている
とのことです。
本来十日間の法要ですが今は一晩だけの法要になっているようです。

 法徳寺は、奈良町の十輪院の西隣の寺で、元興寺の別院「多聞院」が、
江戸時代初期に融通念仏宗の寺院として再興されたようです。
本堂、観音堂、毘沙門堂などから成り、本堂にご本尊の阿弥陀如来立像と、
箱入り十一尊天得如来画像を祀られています。
最初気がつかなかったのですが、道に面して毘沙門堂が西隣にあり、
その毘沙門天立像は、元興寺伽藍の鬼門の護持のためとのことです。

 法要はお寺の四隅をそれぞれの方向の四天王で守られた本堂で、
住職と薬師寺の僧6~7人の読経で始まりました。
最初正面に十一尊如来画像の掛軸が箱から出され正面に掛けられました。
参列者は、約100人でお年寄りからお寺の坊やまでさまざまの年齢の
人がいました。
中には子犬の模様のジャンパーを着た高齢のご婦人や白髪の老人も
いました。お寺の坊やは、3~4才でしょうか、小さな袈裟を着て
大きな数珠を持たされ、母親らしき人が座蒲団に座らせていましたが、
途中から飽きてきたのか廊下に出てしまいました。

 お経は無量寿経でしょうか、拍子木や鉦のリズムでなかなか
迫力がありました。
法要は30分くらいでしたが、そのあと7時頃から薬師寺の松久保長老に
よる講話がありました。

 今回のテーマは、「諸法実相・・」で難しい内容ですが、
小豆島の洞雲山坂手観音寺の岩山に夏の間の午後3時から5分だけ
日光で現れる観音像の話など、要は信心の有無が観音様や阿弥陀様の
救いの有無に現れるということのようでした。
 講話のあと、十一尊如来画像の巻物の箱でひとり一人背中を叩く、
加持祈祷がされました。

 その後別室で小豆のお粥とお漬物の接待を受けました。
お漬物の塩加減が最高でお粥もなかなかの味でした。
お十夜は初めてで貴重な体験でした。

         ジャンパーは子犬の模様十夜婆    常朝     
          
         美しき白髪羨し十夜爺          常朝

         拍子木に調子づきたる十夜寺     常朝   

        (法徳寺・奈良観光ホームページより)

75.長屋王墓・吉備内親王墓・白山神社から竹林寺

「アカシア紀行・俳句」2008年11月14日(金)

 小春日和のあたたかい日、10月初以来のメンバー3人で奈良の平群を
訪ねました。

 まず近鉄生駒線平群駅の北400メートルくらいにある、長屋王のお墓を
参拝しました。長屋王は天武天皇の高市皇子のお子で、奈良時代左大臣の
とき讒言にあってその妃吉備内親王とお子と共に自殺に追い込まれました。
この長屋王の変は藤原氏の陰謀といわれています。
1988年、奈良市二条大路の当時のそごう百貨店建設の際、その邸宅跡に
大量の木簡が発見されて有名になりました。

 我々が着いたときは、一人のお年寄りがお墓の玉砂利の掃除をしていて、
丁寧に団栗を拾って箕の中に入れていたので少し団栗拾いを手伝いました。
お墓は、径15メートルの円墳ですが周囲は鉄柵で囲まれ、丁寧に守られて
います。
柵内の樫の木などに烏瓜が巻き付き、小さな赤い実が沢山ぶら下がって
いました。

 そのあと平群中学校の西の白山神社を訪ねました。
神社は棚田の奥にありますが、平安時代の高僧「道詮律師」が建てた
富貴(ふき)寺(廃寺)の神宮寺で、拝殿の左に弥勒堂があります。
本堂の上の山中には道詮律師の墓があり、十一重の石塔があります。
裏の参道を登ると、菊畑が開けており、十月桜が咲いていました。
のち、村の坂を登り、60坊あったといわれる富貴寺の中の一つの坊跡に
いきました。大きな槙の樹の下の小さなお堂の藁葺きはトタンで覆われ、
窓は破れていましたが、山茶花が咲いていました。
神社下の駐車場へ戻る途中の小さな池に布袋葵が浮かんでおり、
その葉や茎の上を「かまきり」が水に漬かりながら動いていました。

 平群東小学校の北側の「たらふく」で昼食後、
吉備内親王墓を参拝しました。
なぜか長屋王のお墓より少し大きく奥行きがあります。
階段下には無人ですが衛士小屋があります。
以前お参りしたときはつつじの帰り花が咲いていましたが、
今は高い樫の木などを蝶が一匹飛んでいるだけでした。

 さらに第二阪奈道路沿いの竹林寺にある行基のお墓を参拝しました。
168号道路からは有里交差点の信号から約500メートル北西へ登ります。
行基は大仏建立にも貢献した奈良時代の高僧ですが、のちにこの地に
竹林寺を建てて住んだとのこと。
お墓は低い方墳でぎっしり生えた熊笹の周囲だけが刈られており、
その跡に小さな草紅葉が見えました。
左の竹林寺の本堂は巾6~7メートルの比較的小さく新しい建物です。
境内の裏庭には小さな蓮池と神変大菩薩(役の行者)のお堂があり、
左の広場の奥に鎌倉時代の高僧忍性の墓がありました。


         小春日に眠る如くに親王墓      常朝     
          
         走り根の律師の墓へ冬来たる     常朝

         内親王墓の高みに秋の蝶       常朝   

        (長屋王の墓・写真はすべてクリックで拡大)

        (富貴寺の坊の跡)

        (吉備内親王の墓)

        (行基の墓)

2008年11月10日月曜日

74.仏隆寺・鹿火屋・千本杉から大野寺・琴引峠

「アカシア紀行・俳句」2008年11月9日(日)

 立冬すぎた雨もようの日、常のメンバー6人で奈良・宇陀市高井の仏隆寺を
はじめ宇陀路を訪ねました。
仏隆寺は、いただいた縁起によると平安時代(850年)、弘法大師(空海)
の高弟堅恵(けんね)により創建された真言宗のお寺です。
場所は近鉄大阪線・榛原駅経由、バス停留所・高井から徒歩約30分の
山の中腹にあります。
我々は車で、榛原駅南の369号線を東南へ約4キロの高井・バス停から左へ
それて狭い道を2キロほど上りました。

 仏隆寺は春は桜の巨樹、秋は彼岸花で有名ですが
我々が訪ねた日は雨がぱらつく深秋のさみしい日でした。

 下の地蔵堂の萱葺き屋根から雨しずくが落ち、谷清水はかなり急流でした。
そこから長い登りの石段の脇には山桜の巨樹が黄葉で、茶の花、リンドウ、
キリンソウ、釣鐘人参などと、本堂右には貴船菊が咲いていました。
 
 上の本堂では、本尊の十一面観音、右の玉眼の弘法大師像、左の堅恵像に
お参りし、唐の得宗から拝受し大和茶発祥のもととなったともいわれる、
寺宝の茶臼を拝見、手で回させてもらいました。
本堂右の堅恵上人の石室は、平成10年の台風7号で倒れた5本の大杉の下に
なっても壊れなかったそうです。

 その後、仏隆寺から坂道を降りて約1キロ位の谷の右側にある
鹿火屋(かびや:鹿・猪などを追うための農小屋)を訪ねました。
たまたま小屋は留守でしたが、焼帛(やきしめ:煙で猪などを追うもの)
や竹製の添水(そうず)などを拝見しました。
杉山と棚田の境には長い猪垣がありました。

 さらに500メートルほど降りた所を左に上る旧伊勢本道の500メートル
ほどにある旅籠跡の松本家と千本杉、千井戸を訪ねました。
千本杉は樹齢500~600年、径70~80cmの 5、6本の杉の大木が、
根元がゆ着して生えているもので、目の高さの周囲22メートル、
高さ30メートルの圧倒される巨大さです。
千本杉を守っておられる、その屋敷の主婦の人がたまたまおられて、
色々お聞きしました。
千本杉には神が宿っており、不思議なご利益があるそうです。
訪ねてきた娘婿のフランス人がこの樹に長く祈ったとのこと。
道の標識に千仏堂へ500メートルとあったので、うろうろして、
やっと東北の赤埴(あかばね)地区に千仏堂を見つけましたが、
高さ24センチの仏像が260ほど並んで祀られているだけでした。

 369号線のきらく寿司で昼食後、大野寺と磨岩仏を参拝しました。
磨岩仏はやや磨耗していますが、銀杏など紅葉がきれいでした。
その後、三本松の琴引峠に行きました。
琴引峠は全国行脚をしたという鎌倉幕府執権・北條時頼が琴を弾いたとか、
義経や静が琴を弾いたとかの伝説があるそうです。
旧伊勢街道の峠なので芭蕉翁も通ったでしょう。
鉄道敷設で峠道はなくなっていますが、室生東小学校の南の長命寺の境内
にある『琴彈峠跡』の碑などを見て、境内の大木のカヤの実を拾いました。
さらに北東500メートルほどの道の駅「宇陀路室生」で小句会後解散しました。


         地蔵堂萱先ひかる冬の雨      常朝     
          
         杉山に一樹の黄葉の明るさよ    常朝

         千本杉の湧水細く冬来たる     常朝   

        (仏隆寺の石段と山桜・写真はすべてクリックで拡大)

        (仏隆寺の地蔵堂)


        (千本杉)

        (大野寺の磨崖佛)

        (琴引峠・長命寺境内)