2009年9月20日日曜日

92.和歌山・加太の淡島神社ほか

「アカシア紀行・俳句」2009年9月18日(金)

 9月のさわやかな日、いつものメンバー6人で和歌山・加太へ
吟行しました。

 9時半高速阪和道の岸和田サービスエリアで集合し、さらに約10キロ、
泉南インターチェンジで降り、26号線を南下し、加太漁港を
めざしました。途中、「加太漁港へ右折」の道路標識があったので
すなおに右折すると、加太漁港へはいけず、結局海岸沿いに淡輪漁港に
着きました。標識が右折するロータリーの約1キロ手前でした。
交通案内には、このような不親切がよくあります。

 電車では、南海電車の淡輪駅から北約1キロですが、加太港へは、
南海電車加太線終点の加太駅から西へ約1キロです。

 淡輪(たんのわ)漁港には数十艘の漁船が止まっており、
漁師さんが一人一艘の船にいたので聞くと、もう朝の漁は終って
帰港した船ばかりだそうです。
船溜りの海には10センチ位の海たなごが群をなしていました。

 左側(西側)の船溜りには船はありませんが、見ていると突然
青鷺が太刀魚をぶら下げ飛んできて波止に降りました。
近寄ると、一旦くちばしから太刀魚を離し銜えなおして飛びさりました。
そのあと、鴨が一羽船溜りに着水し泳いできました。

 その後加太の休暇村で昼食をいただきました。
加太休暇村は小高い山の上にあり、展望台から加太の海や友が島、淡路島、
かすんで四国が見えます。
食後、休暇村の前の弾薬庫跡を見学しました。

        初鴨のきたる船なき船溜          常朝

        目の慣れて田平子見えたる秋の海      常朝

       (淡輪漁港:写真はすべてクリックで拡大)
       (休暇村展望台より加太港)

       (弾薬庫跡)


 休暇村から下の26号線に戻り、さらに西の加太に行き、
淡島神社を参拝しました。淡島神社は人形供養で有名な神社です。
毎年雛祭りの日には加太の海に雛を流すそうです。

 神社に入ると、本殿から雛倉、末社にまでさまざまな人形が置かれていて、
まるで人形展示館です。本殿の左には針塚がありました。
本殿内には由緒ありげな女雛男雛など、回廊と床下には日本人形、
市松人形、フランス人形、羽子板までおかれ、
左の小堂や庭には蛙、招き猫、信楽焼きの狸、堂の壁には
さまざまな面まで掛けられています。
いずれも奉納されたもので2万体もあるようです。
見ていると少し気味が悪くなりました。
夜に一人では来れないでしょう。

 その後神社下の砂浜を歩いてから、港の魚市場を訪ねました。
魚のせりは午後3時かららしいですが、見学者は入れないとのこと。
市場の建物は、巾20メートル奥行き30メートル位の大きさで
床に100個位の生簀が並べてあり、それぞれに鯛やはまちなどの
魚が泳いでいます。
我々は入口に近い個人客用の生簀から生きた鯛を買いました。
売ってくれた社長に鯛を締めてもらいましたが、
帰りの車の中では鯛がしばらく氷の音を立てていました。
帰路の岸和田サービスエリアのだんじり庵で4時から5時半頃まで
小句会後解散しました。



        秋風や波やさしくて加太の海        常朝

        人形の見ている秋の加太の海        常朝

       (淡島神社本殿)

       (淡島神社の人形)

       (加太魚市場の生簀)

2009年9月3日木曜日

91.奈良・柳生から曽爾高原

「アカシア紀行・俳句」2009年8月30日(土)

 8月も終わりの日、いつものメンバー7人で奈良・柳生から曽爾高原へ
吟行しました。

 9時名阪国道の針・道の駅で集合し、369号線を約3キロ南下し、
室生方面28号線へ左折、室生寺を過ぎて約500メートルほどの、
龍穴神社に立ち寄りました。

 龍穴神社は、うっそうとした杉林に囲まれたいかにも奥に竜神が
いるような神社です。
由緒略記によると、奈良時代末期の光仁天皇の頃、後の桓武天皇である
山部王の病気平癒を祈祷したとのことで、それ以上古い神社でしょう。
祭神は、高おかみ(雲かんむりの下に龍)の神で、
さらに天児屋根命(あめのこやねのみこと)など5神を祀っているようです。
神社の後方1.5キロ位の岩壁に、龍穴という洞穴がり、近くに天の岩戸や
雨乞いの滝もあるとのことですが、我々は登りませんでした。
 入口右には、根元近くでつながった、2本の杉の巨樹があり、
連理の杉として祀られていました。
また、入口の石垣下に冷たい湧き水が流れ出ていました。
本殿とも江戸時代に再建、移築された相当古色ゆたかなもので、
拝殿前の庭の両側には長い献灯台が建てられています。


        水神の谷の流れに秋の蜂        常朝

        龍神の湧き水受けて夏惜しむ      常朝

       (龍穴神社:写真はすべてクリックで拡大)
       (龍穴神社の連理の杉)


 その後、369号線の掛の信号を北に川を渡り、81号線を川沿いに
東に走り、案内板に沿って、屏風岩公苑に車で登りました。
屏風岩は海抜800メートル、高さ100メートルもあるかと思う、
大きな柱状節理の岩壁で、ふもとは公園になっています。
岩を見上げていると、色々な模様にも見えますが、
ピカソの絵にあるような尖った顔もありました。
ふもとは秋草が咲き、カメラマンが野鳥を狙っていて、
シメという珍しい小鳥の写真を見せてくれました。
モグラ塚や竹煮草の実もありました。

        屏風岩顔にも見えて天高し      常朝

       (屏風岩)


 81号線に戻り曽爾村の門僕(かどふさ)神社に参拝しました。
ここは曽爾村の鎮守の神様で、天児屋根命(あめのこやねのみこと)のほかに、
6神を祀っているようです。
道沿いの杉林にかこまれた神社で、拝殿は石段の上、巾3~4間の古い建物です。
道を隔てた曽爾川では数組の親子連れが水遊びや、魚すくいを楽しんでいました。


        産土神(うぶすな)の川に親子の鮴(ごり)すくふ  常朝

       (門僕神社の曽爾川)

       (曽爾ファームガーデン)


 その後、12時すぎ曽爾高原お亀の湯の近くのファームガーデン・すすきの館で
昼食をいただき、13時20分ころ曽爾高原駐車場に着きました。
 曽爾高原はススキの草原で有名ですが、8月末ではまだススキの穂は、
細くてまっすぐ空を向いていました。
高原の一本道を歩くとまさに花野、ゲンノショウコ、オミナエシ、フジバカマ、
ハギ、アザミ、ナデシコ、ヒメジオン、キンミズヒキ、ウツボグサ、クルマユリ、
ツリガネニンジン、シシウドなどが咲いて、お亀池の湿原には、サワギキョウが
濃い紫の花を咲かせています。
出口に近い道端のススキの根元にはナンバンギセル(思い草)が紫の
筒型の花をやや下向きにつけていました。
その後、81号、369号、28号線経由で針インターチェンジに戻り、
道の駅のレストランで小句会後、5時頃解散しました。


        ししうどの白き花火に天高し        常朝

        奥深く咲くは色濃き思い草         常朝

       (曽爾高原)

       (思い草:ナンバンギセル)

2009年8月3日月曜日

90.奈良・丹生川上神社下社から洞川

「アカシア紀行・俳句」2009年8月1日(土)

 1日中雨の予想の日、いつものメンバー7人で奈良・丹生川上神社下社
から洞川・龍泉寺、大峯山の女人結界まで行きました。
いつものように天気女(?)のおかげで雨どころかで薄日さえさしています。

 丹生川上神社は3社あり、川上村の大滝ダム上の上社、
東吉野村小(おむら)の中社と、下市町長谷の下社があります。
ここ下社へは下市口駅から長谷まで奈良交通バスがありますが、
私達は2台の車で下市町経由で9時40分頃着きました。

 下社は丹生川のほとり、丹生山のふもとにあります。
古い立派な拝殿の奥から山に向かい急角度の登廊があり、その上に
古い本殿がありますが、登ることはできません。
登廊すれすれの杉の大樹にお歯黒蜻蛉が飛んでいました。
参拝後境内の井戸などを見ていたら宮司が来られて、
拝殿に上ってもよいといわれ、拝殿であらためて登廊や天武天皇や、
孝明天皇の額を拝見し太鼓を叩かせてもらいました。

 祭神は水の神様、闇■(雨に龍)神(くらおかみのかみ)だそうです。
幕末天誅組の蜂起に神官の橋本若狭が参加し、社殿が焼かれたそうです。
拝殿左に橋本若狭の石碑、社務所左奥には樹齢500年の欅の神木があります。

 宮司の奥様も出てこられ、社務所の軒で神社の案内ビデオを拝見し、
お茶やお菓子までいただきました。

        お歯黒の飛ぶ水分の杉大樹        常朝

       (丹生川上神社下社:写真はすべてクリックで拡大)


 その後、309号線を南下し、洞川温泉の上流にある龍泉寺にいきました。
ここは古くから大峯行者の寺とされており、明日から2日間 行者祭が
あるそうです。
川沿いの道には白いサビタの花が咲いています。
境内には鍾乳洞からの清水の流れと池があり、鱒が一匹泳いでいました。
境内を拝見していると、20人くらいの講の男性が白いふんどしの行衣に
着替えて境内の池で水行を始めました。
池の中の岩の不動明王に向かい半身を水に浸けて、鈴を振りながら
般若心経などを唱えます。見ていても寒そうでした。
池の岩には擬宝珠の花、境内には紫陽花がまだ咲いていました。

        温泉の川に沿ふ道サビタ咲く        常朝

       (洞川龍泉寺)

       (龍泉寺水行場)


 温泉町の中の「きらく九兵衛」で鮎の味噌煮定食をいただき、
さらに山奥の大峯登山口、女人結界まで車を進めました。
手前に駐車場があり、橋を渡って結界門の手前右手に広場があります。
そこでは30人位の行者講の人達が登山の安全祈願の護摩を焚くところでした。
うち10人位は女行者で、ほとんどが杖を持った白衣の行者姿です。
何人かはきれいな音の鈴を腰につけています。

大峯山は昔から女人禁制の行場ですが、女行者は近くの稲村ヶ岳に
登るそうです。(学生時代今はなきA君と登山しました)
橋の上からは木の間から大峯山の行場である「西の覗き」が見えます。
そこまで登山は5.5キロとのことです。
結界の門は頑丈な木の門で、そばには、
まむし草、水引草、蛍袋、盗人萩などが咲いていました。

護摩行は願文、法螺、心経、観音経などではじまり、破魔矢の放射後
檜の護摩壇に火がつけられました。
その後講の人達は温泉の方へ歩き出しました。
登山は明日とのことです。

 その後、帰り道の「ごろごろ水」採水場でパイプから清水を
もらい、橿原観光ホテルで小句会後5時半ころ解散しました。


         かなかなに行者の護摩の始まれり      常朝

         結界に礼する行者蝉時雨           常朝


       (大峯山女人結界)

       (ごろごろ水採水場)

2009年7月11日土曜日

89.奈良・奥田の蓮取り行事

「アカシア紀行・俳句」2009年7月7日(火)

 梅雨の曇りの日、いつものメンバー7人で奈良・大和高田市・奥田の
蓮池(弁天池)に行きました。
ここでは、毎年この日の、吉野金峰山寺・蔵王堂の蓮華会に供えられる、
蓮の花を摘み取り送る行事がおこなわれます。

 電車では、近鉄南大阪線・浮孔駅の南約2キロ、奥田公民館の北の神社です。
当日はJR高田駅、近鉄大和高田駅からバスが出ていました。

 奥田はその昔、役の行者(えんのぎょうじゃ)の母「刀良売(とらめ)」
が住まれた所です。
言い伝えによると、この池のほとりに庵があり、母が住んでいました。
ある朝、母 刀良売が池のほとりを散歩していると、蓮の茎が伸びて
美しい蓮の花が開きその上に金色の蛙が止まりました。
母が何気なしに岸の篠を一本抜いて蛙のほうへ投げると、
蛙の片目に当たり、たちまち花もしぼみ、蛙は水底へ潜ってしまいました。
母はこのことを気にやみやがて亡くなったが、役の行者は母と蛙のため
堂を建てるなどして供養されたとのこと。
このことから、池を捨篠池とも呼ぶそうです。

 10時前池に着くとすでに80~100人位の人々が池の周囲に行事の
開始を待っていました。
10時近くの芋畑から花火が上げられ、大和高田市長の挨拶などがあり、
40人くらいの行者が池の前のテント周囲に並び、ほら貝を吹いて、
法要が始まりました。
行者の呪文、般若心経などが上げられ、10時15頃、行者2人と
地元の人3人が乗った蓮取り舟が池に漕ぎ出され、蓮取りが始まりました。
蓮は60メートル四方位の池の半分にぎっしり植えられ花が多く開いて
いましたが、蓮は蕾のある茎のみを取っていました。

 蓮取りはじきに終り、舟が岸に戻るとちょうど雨が降り出し、
我々はテントで雨宿りをしました。
幼稚園児や小学生のグループも雨合羽を着ていました。
雨の上がった11時頃、行者の行列が近くの善教寺や行者堂と小蓮池のある
福田寺、刀良売のお墓に参拝後、12時から池畔の弁天神社で
護摩を焚かれました。
護摩の周囲で、心経、観音経などの読経、破魔矢の放射、
女行者の剣による九字などで供養は終り、行者一行は3つの桶に
入れられた108本の蓮を持って、13時頃バスで吉野へ出発しました。

 我々は12時半頃 お寺に参拝し、刀良売のお墓を遠望して、
橿原観光ホテルで昼食後、天理市の桃尾の滝に涼み、
奈良の喫茶店で小句会後6時すぎ解散しました。


         蓮取りの池に鳴きをり牛蛙        常朝

         法螺の音の波打つごとく蓮の池      常朝

       (蓮取り舟:写真はすべてクリックで拡大)

       (弁天神社奉額:右は蓮取り舟)

       (弁天神社:護摩の煙)

       (刀良売のお墓(中央))

       (桃尾の滝)

2009年6月30日火曜日

88.宇治陵、平等院から鵜飼

「アカシア紀行・俳句」2009年6月27日(土)

・宇治陵

 梅雨晴間の続く日、いつものメンバー6人で宇治吟行に行きました。
主な目的は宇治川の鵜飼見物ですが、11時前宇治に着いて時間があったので、
まずJR奈良線・木幡(こばた)駅の東一帯に点在する宇治陵に参拝しました。
宇治陵は主に藤原氏一族のお墓で、全部で1号墓から37号まであり、
平安時代の藤原道長や皇后のお墓もあるようです。
我々はそのうちの総遥拝所となっている1号墓を訪ねました。
場所は、木幡駅の南300メートル位にあり、府道7号線の近藤診療所の角の
信号を西へ50メートルほどです。
お墓は小さな木立に囲まれた直径10メートル位の円墳でそばに宮内庁の
衛士小屋があり、宮内庁と書いた軽自動車が止まっていました。
大きな檜や樫の木があり、ホオジロが鳴いていました。
小屋の西に石塔婆があり、藤原冬嗣・基経・時平・道長・頼通などの
名が廃寺となった菩提寺・浄妙寺の礎石に刻まれています。
石塔婆のそばには、スベリヒユが地面を這い、土ばったが跳ねていました。

道長のお墓は木幡幼稚園のそばの32号墓ということで、近くまで車で移動
しましたが、場所がわからずあきらめました。

         宇治陵に鳥の声聞く青葉風          常朝 

       (宇治陵1号墓:写真はすべてクリックで拡大)

       (藤原氏塋域(えいいき)の石塔婆)




・平等院

 その後、宇治に戻り、平等院の南の駐車場に車をとめ、観月で昼食後、
平等院にお参りしました。
平等院は関白藤原道長の別荘であったのをその子頼道が譲られて1052年
お寺に改めたとのことです。
10年以上かけた改修工事が昨年終って阿字池もきれいに整備されていました。
鳳翔館というミュージアムもできており驚きました。
偶然今日は13時から塔頭の浄土院前で法話があり、住職の神居文彰さんの
説法を聞くことができました。
平等院で初めてそれまでの中国的な仏教から日本的な仏教建築や仏教美術が
実現されたとの話は興味がわきました。

 その後、拝観料とは別に300円をおさめて、本堂である鳳凰(ほうおう)堂を
参拝しました。15分ごとに拝観者をグループ分けして案内されたので、
13時50分発のチケットをもらい、10分くらい阿字池の周囲の網代木
(あじろぎ)の道にあるヤマモモの実を拾ったり、藤棚で休憩したりしました。
鳳凰堂は10円玉に描かれているように鳳凰が翼を広げた形の左右の翼廊と
阿弥陀如来の中堂、西の尾廊脇殿でできています。
ガイドの方の話によると中堂の扉14面には死者を浄土に迎える、
阿弥陀来迎図が描かれており、上品から下品下生まで九品の来迎図が
あるようです。
浄土にも格差があるようなので少し抵抗がありますが。
戻りに鳳翔館を見学しましたが、雲中菩薩や復元来迎図などをまじかに
見ることができます。CGによる創建当時の鮮やかな色と模様を再現した
鳳凰堂の内部なども見ました。

         網代木の道に楊梅(やまもも)の実の赤し  常朝

        (平等院鳳凰堂と阿字の池)


・鵜飼

 その後、宇治茶の日の出園で小句会後、宇治川べりへ移動し、
鮎宗で早い夕食をとり、中州へ移動しました。
中州の鵜小屋には、若い女鵜匠が鵜を鵜籠にいれたり掃除をしたり
鵜の世話をしていました。
鵜匠は5年前からの沢木万理子さんと江崎洋子さんとのことなので、
多分沢木さんでしょう。
そばには家鴨が数羽いて植木の下に巣と卵がありました。

 鵜飼の船は7時に出るとのことで、6時すぎ船に載せてもらいました。
鵜飼の船は、篝火の籠を吊るした棹を立てていますが、
観客の船は屋形船で33人乗り、我々の船は今日の8艘のうちの
先頭でした。

 7時前に船頭さんがきてまだ少し明るい宇治川を上流まで移動して
川を見せてくれました。
船頭さんによると、中州の南側の流れは以前上流でせき止められて、
川底の苔がなくなり鮎が育たなくなったとのこと。
今までの政治で数十億円もかけてあちこち不要な河川工事をして、
自然を壊してしまったとのことです。

 川面が薄暗くなったころ、やや下流で鵜飼が始まりました。
篝火の火の粉の中を鵜が泳ぎ、美女の鵜匠が紐で
鵜をあやつる様子は絵のように幻想的です。

 鵜匠は6羽の鵜を6本の紐であやつり鮎を捕らえさせます。
鮎を飲みこんだ鵜を鵜匠が手繰り寄せ、左手でつかんで、
右手で鮎を吐き出させるたび拍手が沸きました。

 鵜船は一艘ですが、2列につながれている屋形船の真ん中の川をゆっくり
上流へ移動しながら鵜飼をします。
下流へ戻るたび篝火の薪を入れ、3度ほど往復して見せてくれました。
川面がすっかり暗くなった8時ころ、鵜飼は終り船を下りました。

 その後、奈良の旧ドリームランド前のファミリーレストランCOCOSで
小句会後解散しました。
土曜の夜10時頃でもお店は混んでいました。


         篝火の火の粉の中の鵜の勁し         常朝
  
         鵜飼果つ遠ざかりゆく篝火に         常朝

        (鵜小屋の鵜)

        (鵜舟と鵜匠)

2009年5月18日月曜日

87.大阪・住吉大社、万代池公園など

「アカシア紀行・俳句」2009年5月16日(土)


 午後五月雨の予報の日、いつものメンバー6人で大阪・住吉大社に参拝しました。
住吉大社は、仲哀天皇9年に神功皇后が三韓より帰還されたとき、海の神である
住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)を祀ったのに始まる古い神社で、
源氏物語の「明石の君」の関連舞台など歴史にでてくる神社です。
電車では、難波から南海線の住吉大社駅、あるいは天王寺より路面電車で上町線
の住吉公園駅から東へ歩いて約3分です。

 9時半頃太鼓橋(反橋)の東側に集合し、まず本殿に参拝しました。
住吉大社は本殿が第一から第四まであり、それぞれ底筒男命、中筒男命、
表筒男命と神功皇后を祀っています。
第三本殿にきた巫女さんによると、第一と第二本殿は工事中で、底筒男命、
中筒男命は今は一番外側の第三本殿に共に祀っているとのこと。
巫女さんのかんざしは、松の木に鷺が二羽止まっている立派なものです。
神功皇后が住吉の浜に着かれたとき、ここの杉の木に鷺が止まったので、
その場所に神を祀ったとのことで、その何代目かの杉の木は第一本殿と
石舞台の間の玉垣に囲まれて神木として祀られています。
あとで聞きましたが、千木(ちぎ:本殿の屋根の上のX字の木組み)は、
男神のは先が上に尖り、女神のは水平とのことで、第四本殿の皇后の千木は
たしかに女神の千木でした。

 その後、境内南端の御神田に行きました。
60メートル四方はあるかと思う大きな田が大阪のまん中にあるとは
驚きですが、毎年6月14日にお田植神事があるとのこと。
しかし田はまだ草が生い茂り、ゲンゲの花が咲いて雀が遊んでいました。

 のち東側の武道館の弓道場をのぞき、玄関前の「卯の花園」にいきました。
10時開園とある扉は10時3分でもまだ鍵がかかっていましたが、
しばらくすると、お年寄りの武道館の職員がきて鍵を開けてくれました。
卯の花園には卯の花、谷うつぎ、箱根うつぎ、梅花うつぎ、姫うつぎなど
さまざまな卯の花があり、赤い大きな傘がほぼ中央に立てられています。

 石舞台で池の鴨と杉の神木を見て、楠大樹の下の稲荷神社にいきました。
境内には何本かの楠の大樹がありますがここのは一番大きく、樹齢千年との
ことで4本の太い鉄柱で支えられ、白い小さな花を咲かせていました。
楠落葉が5~6センチの深さに溜まって歩くとふわふわします。

 ふたたび西の正面に戻り、偶然きた結婚式の行列を迎えてから反橋を渡りました。
花嫁は大きな角隠しをして、まず御手洗で夫婦が手を清めてから
巫女さん二人に先導されて本殿への石段をゆっくり登っていきます。
橋の上の桟には松のしべや松葉が溜まっていました。

 のち、阪堺上町線の路面電車に乗り帝塚山三丁目に行きました。
路面電車は何十年ぶりかの久しぶりで、学生であった昭和30年代の
大阪の町を思い出しました。
帝塚山三丁目で降りて東の万代池公園に行き、かきつばたや、オウチ(栴檀)の
花などを見ました。子供達がドッジボールなどで遊んでいます。
雀が餌を欲しがってチュンチュン鳴きながら寄ってきました。
あと駅の西側の帝塚山学院前の橋本多佳子屋敷跡を見てから、
姫松駅のそばのFORMAで昼食をいただき、上本町のシェラトン都ホテルの
2階喫茶コーナーで小句会の後 5時頃解散しました。
結局いつも天気に強い我々は雨に会わずに無事吟行できました。


         大阪の神田広し紫雲英(げんげ)咲く     常朝 
    
         卯の花や靭(うつぼ)背負ひて女射手   常朝
  
         卯の花の匂ふ垣根と足弾む          常朝
  
        (住吉大社反橋:写真はすべてクリックで拡大)

        (第三本殿)

        (御田植祭説明板)

        (楠の巨樹)

        (万代池-帝塚山)

        (橋本多佳子邸跡-帝塚山3丁目)

2009年5月1日金曜日

86.鳥羽・答志島

「アカシア紀行・俳句」2009年4月28日(火)


 連休前のさわやかな日、いつものメンバー7人で鳥羽の答志島に行きました。
近鉄八木駅で集合し特急で鳥羽まで約1時間半の列車の旅です。
答志島は鳥羽から2キロくらいの離島ですが、定期船で40分くらいで、和具港、
答志港、桃取港などへ行けます。
島は東西6キロ、南北2キロくらいで、中世では九鬼水軍の根拠地だったようです。
今は人口2700人くらいとのこと。

 我々は11時前に鳥羽に着き、11時半の定期船に乗船しました。
和具港周辺には九鬼水軍の嘉隆の墓などあるようですが、海女小屋などを
見たいので終着の答志港で下船しました。

 まず港町の路地にある、ロンク食堂でいきのよい、刺身定食をいただき、
浜に戻りました。
港の北側と南側には漁船の船溜りがあり、青葉の岬を鳶(とび)が舞っていました。
あちこちで蛸壺を干しています。
浜には海女小屋があり、7~8人のお年寄りの海女さん達が、海から上がってきた
ところでした。(海女小屋といっても丈夫なシートをパイプで張った簡単な造りです)
めかぶ(若布の根株)、うに、さざえなどを潜って採るとのことで、小屋の中の
炭火でめかぶを焼いていました。

 外には若布干し場があり、張った数本のロープに、洗濯ばさみの親分のような
はさみで、若布を沢山吊って干していました。
干している男の人に聞くと、天日干しでないとおいしい若布にならないとのことです。
色々聞いていたらしまいに若布を沢山いただきました。
また女の人が浜のコンクリートの上に芽鹿尾菜(メヒジキ)を並べて干していました。

 その後、魚市場(せりは終っていましたが)に行き、沢山並んでいる大きな生簀
などを見ました。 ここでは生きたままの魚を競るそうです。
しばらく帰港する海女船やくらげなどをみて、浜の南にある岬(八幡鼻)の
八幡神社にお参りしました。
岬へは赤い橋を渡り、神社へは石段を50段以上登ります。
橋を渡ったすぐ右に歌碑があります。

歌碑には、万葉集巻1-41、柿本人麻呂の

  釧(くしろ)著(つ)く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ

の歌が刻まれていました。

くしろは昔の腕飾り(ブレスレット)だそうで、「くしろ著く」は答志(手節)の枕詞
だそうです。
このとき人麻呂は、持統天皇らが答志島で風光を楽しんでいるとき飛鳥の都で
留守番をしていたとのこと。
すでに持統天皇の頃から観光(?)と若布などの海の幸に恵まれたところだった
ようです。

 4時の定期船で鳥羽に戻り、6時前発の特急電車内で小句会の後八木駅で解散しました。


         漁師町の路地に明るき柿若葉          常朝 
    
         鹿尾菜(ひじき)干すコンクリートに膝つけて   常朝
  
         玄関に蛸壺飾る島の宿             常朝
  
        (答志島:写真はすべてクリックで拡大)

        (答志島案内図)

        (海女小屋)

        (若布干し場)

        (弁天鼻への八幡橋)