2010年8月14日土曜日

109.奈良・「みねのてら」阿弥陀寺

「アカシア紀行・俳句」2010年8月3日(火)


 8月の暑い日、句会の先輩諸氏と奈良・学園赤松町の阿弥陀寺に
吟行句会を兼ねてこの3月になくなられた山中麦邨先生の初盆のお供養
に参りました。
阿弥陀寺は「峰の寺」ともいわれ、奈良市の西にある小高い丘の上に
あります。近くには二名小学校、中学校、幼稚園もあります。

 門のそばには麦邨先生の「炎天のここが中心かと思ふ」の句碑があります。
境内の大きな鉢には、今朝開いたばかりの蓮の花が一輪ありました。

 10時過ぎに全員11人が揃い、本堂でご住職による読経が始まりました。
読経の中、蝉の声に混じり夏鶯の声も聞こえました。
本堂の窓からは時おり涼しい風もありました。
ご住職のお話では麦邨先生は檀家総代としてお寺の経営などについて
ご住職に色々相談にのられたとのことです。
30分程のお経のあと、別室で冷たいお茶をいただき、それぞれの出句を
清記してからお寺を辞し、レストランのバスで、近鉄学園前の木曽路に行き、
句会をしました。

 その後食事をいただいて、講評などのあと解散しました。
師を偲ぶ句が多かったですが、句碑にある炎天を詠んだ句も
色々あってよい句会になりました。


        師の句碑に炎天時をとどめたる   常朝

        師の供養の朝に開きし蓮の花    常朝

        花の毬空に投げ上げ百日紅     常朝

       (阿弥陀寺:クリックで拡大:以下すべて)
       (句碑「炎天のここが・・・」)

       (阿弥陀寺の蓮の花)

2010年7月31日土曜日

108.奈良・黒滝の鳳閣寺ほか

「アカシア紀行・俳句」2010年7月24日(土)


 梅雨が明けて本格的な夏の日、いつものメンバー5人で奈良・黒滝村の
地蔵峠の鳳閣寺などに吟行しました。
飛鳥の夢市場で集合して11時頃、地蔵峠トンネル手前の道を左に登ると
旧の地蔵峠に着きました。
たまたま地蔵祭の日だったので、地元の主婦3人が地蔵堂の横の小屋で
地蔵祭の準備をしていました。
地蔵峠はすでに供花などでかざられていました。
ここ鳥住地区は全部で10軒ほどでこの地蔵堂を守っているとのこと。
夕方7時半からお坊さんのお経があり祭をするとのことでした。
峠にはあずま屋もあり湧き水を取込んだ石の御手洗がありました。
郵便夫が単車で登ってきて主婦に郵便を手渡していました。

        郵便夫来たる峠の地蔵盆      常朝

       (地蔵堂:クリックで拡大:以下すべて)

       (地蔵堂の集会所:地蔵盆の準備中)


そこからさらに登ると古いお堂の鳳閣寺あります。
鳳閣寺は、由緒書きによると白鳳時代「役の行者」が天皇の勅許を得て
建てた修験寺ですが、今は真言宗の寺で無住寺です。
本堂の前は、見晴らしがよく吉野川方面の山々と大淀町の新興住宅地がみえます。
近くの一本檜の梢では茶色の小鳥が一羽、キョロンチイなどと
かわいい声でさえずっていました。
あとでインターネット調べると、白い眉紋があったので、
おそらくアカハラにちかいマシチャジナイだと見当をつけました。
しばらくすると、熊よけの鈴をつけた登山者がひとり百貝岳から
降りてきて、別に警官がひとり軽パトカーで登ってきました。
無住寺なので毎日パトロールに来ているとのこと。
警官の話では昔、本堂軒の木鼻にある龍が近くの池の魚をとるので、
みえないように目をなくしたとのことで、よく見ると確かに
谷側の龍の彫り物の目がえぐられているようでした。
本堂の縁下には蟻地獄が10個以上あり、崖には竹煮草が咲いていました。


        竹煮草修験の寺に崖迫る       常朝

        修験寺の縁にありたる蟻地獄     常朝

       (鳳閣寺本堂)

       (鳳閣寺からの眺め:北)




のち、下界へ降りて黒滝道の駅309で昼食をいただき、
東へ戻って河分神社を訪ねました。
山を祀る神様のようですが、あいにく屋根葺き工事中で、
四棟の本殿はシートが掛かり、赤胴色の職人が2、3人働いていました。
ここにも、巨大な夫婦杉があります。
拝殿には奉額がいくつか掛っており、ひとつは長篠合戦でした。



        奉額は長篠合戦青嵐        常朝

       (河分神社の拝殿)

       (河分神社本殿:屋根工事中)



のち、神社の西の山道48号線を南へ500メートルほど走り、砂防ダムの
先にある小女郎滝をめざしましたが、砂防ダムへの道が夏草で
埋もれており、滝へ寄れなかったので山道と谷川を散策しました。
道脇の崖下に山神を祀る祠があり、林業者らの名札が掛かっていましたが、
花や供え物はありません。
夕方には早いのですが「かなかな」(ひぐらし:蜩)がときどき鳴いていました。
道の左側(東側)の砂防ダムは砂で大方埋もれており、
ダムの中ほどの排水口から滝となって水が出ていました。
小女郎滝の代わりとしてはお粗末でしたが水はきれいでした。

        かなかなや砂に埋まりし砂防ダム  常朝

       (小女郎滝近くの山神)

       (48号線沿いの砂防ダム)


のち、橿原ロイヤルホテルで小句会後解散しました。

2010年7月20日火曜日

107.朱智神社から近衛基通公墓、王竜寺

「アカシア紀行・俳句」2010年7月13日(火)


 梅雨明け近い雨模様の日、いつものメンバー7人で京田辺の朱智神社に吟行しました。
朱智神社は、京都と奈良の県境にある京田辺市・天王の山中にある神社です。
車では、京阪奈自動車道の精華下狛ICから南0.5キロ、西へ2キロの水取から
普賢寺小学校の北側の道をさらに西へ1キロほどにある天王バス停、さらに
西へ狭くて急な坂道を300メートルほど登ると駐車場があります。

 朱智神社は奥深い山地にあり、高い杉などの木々がうっそうと茂り、
いかにも神様のおられる山のようです。
たまたま居られた宮司からいただいた案内書などによると
仁徳天皇のころ創建され、神功皇后の祖父「迦爾米(かにめ)雷命」や
素戔嗚(すさのお)命、牛頭(ごず)天王などを祀っています。

 13日はこの神社の(元祖)祇園祭の宵祭りのため、宮司のほか3人の人が
社殿や境内を掃除されていました。
宮司の話では、平安時代清和天皇の頃、京都の八坂神社へ牛頭天王を移し、
祇園精舎を守ったとされる牛頭天王を祭る祇園祭のための「榊遷し」を
毎年行っていたがある年疫病のため都に入れず、それ以来中止とのことです。

 雨模様のなか、本殿にお参りし境内を拝見しました。
100段もあろうかと思う石段の下の方の耳石には、案内書のとおり、
永正4年(1507)などの銘が彫られていました。
宮司から祇園祭の粽(ちまき)を宵祭りの前だが分けてもよいとのことで、
帰りに中川家に立ち寄り、厄除け粽を分けていただきました。

        耳石に永正年号杜青葉       常朝

        撫で牛を撫でり薮蚊を払ひつつ   常朝

       (朱智神社:クリックで拡大:以下すべて)
       (本殿蛙股の絵)


 そのあと、水取に戻り、京阪奈道の北側の自動車教習所の手前(南)の
関白「近衛基通公」の御廟を参拝しました。
源平時代の関白で、隠居後この地に住んだので近くに公家谷という
地名もあります。

       (近衛基通公の御廟)


 のち、三山木駅手前のこぶや亭で昼食をいただき、
水取から打田への農道わきにある炭焼き窯跡を見ました。
そばの植田では稲が30センチ位に伸びており、つばめが飛んで
浮草が雨に打たれていました。


        県境の谷田をかすめ夏燕     常朝

        雨の水輪田の浮草を揺らさずに  常朝


 その後、打田経由で奈良市二名町の王竜寺を訪ねました。
王竜寺は黄檗宗の禅寺ですが、広い社地の一部を飛鳥カントリーゴルフ場に
譲ったとのことで今も深い森の中の寺です。
本堂の中に摩崖仏がありますが、中へは入れませんでした。
苔の庭には本堂の屋根から雨雫がしきりに落ちていました。


        苔庭に雫の穴や梅雨の寺     常朝

       (王竜寺本堂 2008年3月撮影)

       (王竜寺のヤマモモ 2008年3月撮影)


夕方メンバーの奈良の家で小句会後解散しました。

2010年7月6日火曜日

106.東吉野・投石の滝

「アカシア紀行・俳句」2010年6月29日(火)


 梅雨らしい雨模様の日、いつものメンバー4人で奈良・東吉野村に吟行しました。
東吉野村には多くの句碑があり、公営の入浴施設「たかすみの里」の中には
運河主宰茨木和生先生ほかの尽力で、俳句関係の書物や色紙、句軸などを
保管展示する「たかすみ文庫」が運営されています。


 我々はまず「たかすみの里」の北隣の料理旅館「天好園」に11時半ころ着き、
昼食をいただいてから、園内を散策しました。
園内の鱒池のそばには山法師の白い花が満開で、すぐそばに流れる平野川には
鮠が泳ぎ、河鹿が鳴いていました。

        河鹿聞くと下りし石段手摺錆ぶ   常朝

       (天好園の山法師:クリックで拡大:以下すべて)

       (天好園そばの平野川)


 そのあと、「たかすみ文庫」を拝見しました。
今は「東吉野村所蔵品展」~茨木和生氏寄贈品展~ を開催中で、
色紙など多くの著名な俳人の作品が展示されていました。

  「いつからの一匹なるや水馬」 右城暮石
  「茶の花になほ初春の日和かな」阿波野青畝
  「海に出て木枯帰るところなし」山口誓子

などの多くの色紙・句軸のほか写真も展示されています。

       (たかすみ文庫展示室)


 その後、4,5キロ北の白馬寺の境内にある投石の滝に行きました。
3年前にあった高い欅の巨樹は倒れて伐採されており、
代わりに1メートルほどの若木が植えられていました。
滝は寺の本堂右の杉林の中の川沿いの道を100メートルほどいくと、
見えてきました。
滝を見上げる20坪位の広場にも高い杉があり、一本の杉の根元に
沢蟹が歩いており、見ていると根元の杉皮に隠れました。
そばには

        山祇の土になりゆく小楢の実   鬼房

の句碑もあります。

滝は高さ15メートルほどで、梅雨の時期でもありかなりの水量です。
滝壺は岩だらけですが、そこに流れ込む小さな流れもありました。
下流には砂地もあり、そこでは滝水もゆっくり流れていました。
その後天好園そばの山神を祀る祠と木の道具などと、近くの道路脇の
またたび(木天蓼)の白い花を見ました。


        神杉の樹皮に沢蟹隠れたる     常朝

        滝壷へ杉葉をくぐる流れあり    常朝

        滝水の砂地に着きて落ち着きし   常朝

       (投石の滝)

       (投石の滝)

       (山神祀り)

       (またたびの花)


 のち、吉野の厳島神社を訪ねようと行きましたが、
石段が急だったので今回はあきらめ、橿原ロイヤルホテルで
ケーキセットをいただき吟行を無事終えました。

2010年6月26日土曜日

105.奈良・室生寺から龍穴神社

「アカシア紀行・俳句」2010年6月24日(木)


 梅雨晴れ間のさわやかな日、いつものメンバー6人で奈良・近鉄大阪線榛原駅
の東10キロほどにある宇陀市室生区の室生寺から龍穴神社に吟行しました。
室生寺は天武天皇9年役の行者によって創建された寺で、女人高野とも
いわれています。
我々は名阪国道針インターチェンジから約13キロ、車で南東へ28号線を走り、
10時頃着きました。
橋本屋旅館隣の駐車場に駐車して、朱塗りの太鼓橋に登ると、岩燕が数羽
川面を飛び、河鹿の声が聞こえました。
杉並木の参道から入山料600円で境内に入ると、仁王門先にばん字池があり、
池に垂れる木の枝にモリアオガエルの卵塊が数個ぶらさがっており、
池面にイモリが一匹泳いでいます。
しばらく青葉の池に立っていると三光鳥の「日月星」の声が聞こえました。
そして弥勒堂、金堂、本堂にお参りし、五重塔を見上げました。
1998年の台風7号で大破損した五重塔は屋根を修復し、見事に美しく再建され
ています。

        瀬の音に心鎮めて河鹿聞く      常朝

        御堂みな若葉を浴びて谷の音     常朝

       (室生寺:クリックで拡大:以下すべて)

       (モリアオガエルの卵塊)

       (室生寺の五重塔)


 のち、室生口大野駅の東1キロほどの国道165号線と室生道路の交差点にある
和風レストラン「志まず」で昼食をいただき、再び室生寺東500メートルの
龍穴神社を訪ねました。

 ここは去年2009年8月末に訪ねましたが、奈良時代以前からの古い神社で、
高おかみ(雲かんむりの下に龍)の神、天児屋根命(あめのこやねのみこと)
など5神を祀っています。
巨大な二俣の杉や連理の杉を見上げ、しばらく静かな境内を散策後、
去年行かなかった「龍穴」を訪ねました。
龍穴は神社後方1.5キロ位の岩壁ある洞穴ですが、滝もあります。
28号線で神社の東500メートルほどで左折して、林道を800メートルほど
登ると、「吉祥竜穴」の案内板がありました。
そこから100段ほどの階段をおりると、滝の祈祷小屋があり、スリッパが
置かれています。
そこから龍の棚という大きな岩盤をすべる白い流れが見え、
岩盤の上と下は低い滝になっています。
水は冷たそうですが流れまで近づくことは危険なのででできません。
上の道には湧水が流れ、崖岩から清水が滴っていました。

        龍穴の注連に青苔梅雨晴れ間     常朝

        湧水の流るる道に滴れり       常朝

       (龍穴神社の二又杉)

       (龍穴の案内図)

       (龍穴の滝)

       (龍穴)


 その後、近くの枝垂れ桜の西光寺を訪ねました。
ここは、室生寺を見下ろす山の上にあり、橋本屋旅館の東100メートルほどを、
南へ登り、松平文華館の前を通って、600メートルほど登った
山の中腹にある小さな無住寺です。
トタン屋根の本堂に、「城の山桜」と名付けられた、
樹齢300年支柱6本の枝垂れ桜が青葉を掛けていました。
堂縁に坐っていると、ホトトギスが聞こえ、黒アゲハが飛んできました。

        山寺のトタンの屋根に黒揚羽     常朝

       (西光寺の枝垂れ桜)



 のち、針インターチェンジのレストラン「メルカト・ロッソ」で
小句会後5時半すぎ解散しました。

2010年6月8日火曜日

104.大仏鉄道跡から恭仁京跡

「アカシア紀行・俳句」2010年6月6日(日)


 晴天で風の涼しい芒種(6月6日)の日、いつものメンバーで
奈良市の北、木津川市の大仏鉄道跡や牧場、恭仁京跡に吟行しました。
まず9時半すぎ、大仏鉄道跡の鹿川トンネルを訪ねました。
大仏鉄道は明治30年頃から40年まで加茂駅から奈良の大仏駅をつないだ
鉄道ですが、軌道は道路などに変わり、軌道下のトンネルなどがいくつか
残っています。
鹿川トンネルは奈良の鴻池運動公園からの道(44号線)と奈良坂からの
道(754号線)との交差点(梅谷口)から西の田園へ降りた道にある川の
トンネルで44号線の下をくぐっています。
付近の田や畑で田植え準備などで人々が働いていました。
トンネルは頑丈なレンガ造りで、覗くと先に青葉が光っており、
崖には木苺の実がありスイカズラの花が咲いていました。


        隧道の先に輝く青葉かな      常朝

       (鹿川トンネル:クリックで拡大:以下すべて)


 鹿川トンネル付近の畑の農夫の方からこれから奈良豆比古(ならずひこ)神社の
菖蒲祭に行くと聞いたので、我々も予定を一部変更して、神社に参拝しました。
754号線を南へ戻り、奈良阪の神社に10時半頃つくと、すでに20人以上の人が
祭りの準備中で、境内の井戸端では男の人達が、黄菖蒲や他の草花を活けて
神社のあちこちに飾っていました。
菖蒲祭は男だけでおこなうのがしきたりだそうです。
神社の奥庭の楠の巨樹などを見た後、11時すぎ祭が始まったので、
しばらく参列しました。神主のお祓いと祝詞、神饌のお供えなど、
普通の神事でしたが、古式のままののんびりとした地元の祭でした。

        男のみ供花調へ菖蒲祭       常朝

       (奈良豆比古神社の大樟)



 近くの植村牧場のレストラン「いちづ」で昼食をいただいたあと、
加茂の美加の原ゴルフ場の東にある「クローバー牧場」を
訪ねました。牛の声の合間に鶯が鳴いていました。
昼前に行った植村牧場では牛舎の前一面に石灰が撒かれていましたが
ここでは牛舎の入口に消毒液入りの箱が置かれて、一般の立入り禁止でした。
4月以来の宮崎県の口てい疫予防のためでしょう。
以前訪れたときは、牛舎の中でかわいい子牛達の顔も見られたのですが、
今回はあきらめました。
牧場を散策後、牧場の主婦の説明をお聞きして特別牛乳やヨーグルトを
いただきヨーグルトを買いました。山椒の実もいただきました。
カルシウムなど栄養分が多い特別牛乳は息子さんがアメリカの牧場で
研修を受け、飼料の与え方、低温殺菌などを研究実践して10年以上かけて
完成したとのことです。

        牛声に夏鶯の応へ鳴く       常朝

       (クローバー牧場)


 その後、加茂駅西側の大仏鉄道のランプ小屋を見て、
木津川の恭仁大橋を渡り、恭仁京跡を訪ねました。
恭仁京は740年から約5年間聖武天皇の都があったところで、
小学校の東側の100メートル四方位の広場には国分寺の塔跡があります。
直径1メートルほどの礎石が10個以上もある塔跡には
心地よい風が吹き、燕が飛んで栗の花と柿の花が咲いていました。
大極殿跡も小学校のすぐ北にあり、高い木にはテイカカズラが
からみついて白い花を沢山つけていました。

        廃線のランプ小屋にも青葉風    常朝

        恭仁京の跡を狭しと夏燕      常朝

        恭仁京に風の道あり柿の花     常朝

       (ランプ小屋)

       (恭仁京国分寺跡)

       (恭仁京大極殿跡)

       (恭仁京説明板)


 さらに西700メートルほどの山麓にある、恭仁神社を訪ねました。
ホトトギスや鶯、雲雀が鳴いていましたが、
ホトトギスを聞き逃した人がいたので、拝殿で待ちましたが、
再びは鳴いてくれず、青葉の杜から心地よい風がきました。
その後、梅谷口東の青葉台ゴルフ練習場の喫茶店「杏樹」で小句会後
4時半すぎ解散しました。

        ほととぎす待てば鳴かずよ杜の風  常朝

       (恭仁神社舞殿と拝殿)

2010年4月19日月曜日

103.河内・寺内町へ吟行

「アカシア紀行・俳句」2010年4月16日(金)


 やや寒い4月の雨の日、いつものメンバーで河内(大阪府)富田林市の
寺内町(じないまち)へ吟行しました。
集合場所の市役所駐車場に11時頃つき、寺内町見学者向けの
私営第3駐車場に移動しました。
寺内町は近鉄富田林駅の北約400メートルほどにある、
400メートル四方ほどの戦国時代末からの古い町並みで、
第3駐車場は富田林高校のすぐ西側にあります。
いつも天気に強いメンバーにしては珍しい雨でしたが、
春の雨なので傘をさして駐車場から北の寺内町へ歩きました。

 江戸時代の町並みの狭い道を200メートルほど歩くと、
吉田松陰が滞在したという仲村家があり、軒の柱には赤い布をつけた
駒つなぎの鉄輪があります。
町角に古い石の道標があり、火の用心のため、「くわへたばこ無用」、
「ひなわひ(火縄火)無用」と彫ってあります。
さらに歩くと左手に旧杉山家住宅があります。
いずれも江戸時代は繁栄した造り酒屋だったようです。

 玄関に傘をおいて、我々は杉山家住宅に入りました。(入館料400円)
杉山家住宅は一階だけでも10部屋ほどあり、2階もあります。
広い土間の左の座敷に上がり、ビデオをみせてもらいました。
明治時代短歌雑誌「明星」などで与謝野晶子らと活躍した、
美人の歌人「石上露子(いそのかみつゆこ)」の生家で、庭の蔵には
露子の遺品の琴や手紙などが展示されています。
歌人ですが「小板橋」の詩も展示されています。
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          小板橋 ≪石上露子≫

    ゆきずりのわが小板橋 しらしらと一枝のうばら
    いづこより流れか寄りし 君まつと踏みし夕べに
    いひしらず沁みて匂ひき

    今はとて思いに病みて 君が名も夢も捨てむと
    なげきつつ夕わたれば ああ、うばらあともとどめず
    小板橋ひとりゆらめく

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        小板橋の詩を読む蔵に春の雨     常朝

        道標に火縄火無用花の雨       常朝

       (仲村家の駒つなぎ:クリックで拡大:以下すべて)
       (杉山家住宅)

       (杉山家案内板)


 その後、150メートルほど北の八町茶屋でそばをいただき、10キロほど
南の楠公ゆかりの楠妣庵(なんぴあん)観音寺に行きました。
楠妣庵は富田林市の南、府道201号線の甘南備(かんなび)地区の山の
麓にあります。
楠正成公の夫人久子がその子正行(まさつら)が四条畷で戦死後、
晩年を過ごした寺で、甘南備の山の麓にあります。
山門は寺の西と東にありますが、我々は坂を登って西の山門のすぐ前に
駐車し入山しました。

 住職に本堂を案内してもらい、楠家の大きい過去帳を拝見しました。
ちょうど翌日17日が夫人の月命日でした。
そのあと崖の上の観音堂も拝観し、両手をなくした大西順教尼が
口で書かれた般若心経を見せてもらいました。
昭和天皇の御座所となった庵(再建)もあります。
東山門の石段下には母子の像(久子と正行)が雨に濡れていました。

午後3時ころ、雨が上がりそうもないので楠妣庵を辞して、
太子町南交差点の西200メートルのパン屋さんサントル・ドゥ・
ヴィラージュで小句会後解散しました。

        楠公の過去帳開く花の冷え      常朝

       (楠妣庵観音寺の庭)

       (楠妣庵観音寺の本堂)

       (母子の像:正行と母)