2010年9月26日日曜日

112.飛鳥稲淵から大和神社紅しで踊り

「アカシア紀行・俳句」2010年9月23日(木)


 猛暑の名月の翌日、秋分の日、前線の雨の中、いつものメンバー7人で
飛鳥の棚田で有名な稲淵などを訪ねました。

 飛鳥駅前の夢販売所で集合した10時頃は土砂降りだったので、
小止みになるまでと、まず飛鳥資料館を訪ねました。
資料館の庭は広くて、噴水の石人像(復元)などが置かれ、
中には高松塚の出土品、キトラ古墳の壁画(復元)や山田寺の発掘された
回廊などが展示されています。
1時間位見学後、稲淵へ行きましたがまだ雨は降っていました。
勧請縄の下の飛鳥川は雨で増水して堰水がはげしく落ちています。
棚田の彼岸花はまだ1~3分咲きといったところですが、雨の中
カメラマンが大勢きていました。
また棚田の道にはコンテストの案山子が沢山ありましたが、
雨中を歩くのをやめて、稲淵を去りました。

        勧請の男縄女縄に秋出水     常朝

        鳥を見ず棚田案山子のコンテスト 常朝

       (飛鳥資料館:クリックで拡大:以下すべて)

       (飛鳥・稲淵の勧請縄)



 天理の千寿亭で昼食にゅうめんなどをいただいた後、大和神社を訪ねました。
23日は神社の秋の大祭で、朝からの神事のあと、1時半からは
紅しで踊りが始まりました。
紅しで踊りは江戸時代飢饉で雨乞いをしたら雨が降り豊年になったのを神に
感謝するために始まった踊りらしいです。
大正時代以後途絶えていたのを、昭和30年代に復活した婦人会による踊りです。

 1時すぎ参道左側(南側)の朝和会館から赤いしで(幣)を持った約40人の
踊り子があらわれ、一列に拝殿にすすんで神事を行いました。
踊り子は青や黄緑の衣装に赤いたすきをかけ、赤い鼻緒の草履姿です。
1時30分すぎ、まだ雨が少し降っていましたが、拝殿前の広場で、
太鼓と音頭のもと、踊りが始まりました。
踊りは10分くらいでしたが、素朴ななかに華やかさと味わいのある踊りで、
終わったあと、拍手がありました。
雨への感謝の踊りなので、雨の中が良かったのかもしれません。
今年は雨のためか幼稚園児の踊りはなかったです。
境内には、崇神天皇御鎮座地の標板が立ち、里芋の鉢が並んでいました。
その後、雨も小止みになったので境内北側の畑に出てみました。
藪の椿の実が光り、畑に紫苑が咲いて、巻向山が雨に煙っていました。


        小鳥来る崇神天皇御鎮座地    常朝

        雨乞いの踊り紅しでささげ振り  常朝

       (大和神社拝殿で祈祷)

       (紅しで踊り)


その後、奈良の菊水レストランで小句会後解散しました。

2010年9月11日土曜日

111.上賀茂神社烏相撲と正伝寺

「アカシア紀行・俳句」2010年9月9日(木)


 9月の菊の節句(重陽)の日、いつものメンバー7人で京都・上賀茂神社
などを訪ねました。
この日は、神社では重陽神事として、斎王代が出られる神事のあと
相撲童子による「烏相撲(からすすもう)」がおこなわれます。

 烏相撲は、祭神「わけいかづち(別雷)の神」の外祖父 賀茂建角身命
(かもたけ つぬみのみこと)が神武天皇東征に際し、八咫烏(やたがらす)
と化(な)って先導された故事を記念して、菊の節句に奉納される
ようになったとのことです。

 桓武天皇が京都に遷都されたとき以降、八咫烏の子孫にこの地を与えられ、
先祖の神を祀るようになったのが(上と下の)賀茂神社らしいです。

上賀茂神社は京都堀川通りを北上して、御薗橋を渡ればすぐですが、
電車では地下鉄北大路駅など主要駅からバスがあります。
我々は左側の駐車場に車を止めて、一の鳥居に戻り境内の広い道
(葵祭の行列の道)を、土俵のある細殿の前まで歩きました。

 10時頃、相撲童子24人が神職などに先導されて入場し、
本殿の方から斎王代も出られて清めの儀式後本殿で神事が行われました。
その後11時頃童子達は土俵の西側(ねぎかた)と東側(ほうりかた)に
別れて坐り、斎王代は細殿の御簾の向こう側に坐りました。
まず、神職二人が、細殿の前で、烏のしぐさでぴょんぴょんと横に跳ねて、
弓と太刀を立砂の立て掛け奉納し、烏の鳴き真似をしました。
別の神職が土俵に8の字を描いて地取りをし、童子の名簿(差し符)を
読み上げたのち、東西から一人ずつ立って相撲の取り組みが始まりました。

 相撲童子は小学校5、6年生位の男の子達ですが、やせっぽちの子もいました。
よく日焼けした身体に白いさらしの褌を巻いて元気に相撲を取っていました。
途中土俵の土をならすため「えぶり」と熊手で「土俵なおし」を
何度もしていました。相撲は3巡するので、途中菊酒をいただきました。
その後ふれあいの会のコワイおばあさんがきて「ここは会の席やで、どいて」と
テントの下の日陰に坐っていた我々を立たせました。
うしろにはまだ空席があったのですがこれもふれあいの一つでしょうか。
相撲は12時前に終わり斎王代と記念撮影をして神事は無事終りました。

        土俵なほし何度もありて宮相撲   常朝

        花びらに埋まる菊酒いただけり   常朝

       (上賀茂神社一の鳥居:クリックで拡大:以下すべて)

       (神馬)

       (童子の相撲)

       (御手洗川)

       (斎王代と記念撮影)



 本殿参拝後、鳥居の前のみそぎ茶屋で昼食をいただき、
神社の西約1.5キロの山麓にある禅寺「正伝寺」に詣でました。
正伝寺は、由来書によると、鎌倉時代、東厳慧安(とうがんえあん)禅師が
創立した臨済宗南禅寺派の禅寺で、方丈などが重要文化財です。
とくに、方丈は、伏見桃山城の御成殿を移建し本堂にしたこともあり、
広縁の天井は、関ヶ原の戦の前、徳川の忠臣鳥居彦左衛門らが
立て籠もって戦った血の跡のついた廊下板を利用したので、
今も黒い血の跡が残っています。
広縁からは小堀遠州の石庭と借景の比叡山がきれいに見え、
法師蝉が鳴いていました。比叡山から烏も飛んできました。

        登高や比叡山より烏来る  常朝

       (正伝寺山門)

       (本堂:方丈)

       (石庭と比叡山)

       (血天井のある広縁)

       (中門)



その後、京都ホテルオークラB2のカフェヌーヴで小句会後解散しました。

2010年8月22日日曜日

110.比叡山延暦寺

「アカシア紀行・俳句」2010年8月17日(火)


 8月の残暑というより盛夏の猛暑の続く日、いつものメンバーで
京都・比叡山延暦寺を訪ねました。

京都東山通り(東大路)の百万遍・今出川通から300メートル北の
山中越え(志賀越道)を東へ登ると、比叡山ドライブウエイに
入りますが、途中「夢見が丘」で止まって、琵琶湖を眺めました。
琵琶湖の南の方のすばらしい眺めで、大津プリンスホテルや
赤いヨットが見えました。

        ホテルの影赤きヨットの入りけり  常朝

       (夢見が丘の眺め1:クリックで拡大:以下すべて)

       (夢見が丘の眺め2)


延暦寺の本堂ともいうべき根本中堂の駐車場に車を留め、
入山料550円で中堂の境内に入りました。
そこからは下り坂ですが両側に、開祖の伝教大師・最澄の
一代記を描いた絵看板が並んでいます。

途中に大講堂と鐘楼があり、50円を納めて鐘を撞く人が絶えない
ようでした。

大きな中堂では尼様が団体の人々へ説教中で、参拝後、
下の方に見える護摩壇で一人の僧が護摩を焚いているのを
拝見しました。護摩の煙が堂の黒い天井に登り、
中庭にも流れていました.

        中堂の護摩を見る背に風涼し    常朝

       (絵看板:最澄の出家)

       (絵看板:天台宗の開立)

       (根本中堂の門)

       (鐘楼)


その後、中堂の向かいにある「鶴喜そば」で昼食をいただき、
奥比叡ドライブウエイを通って、根本中堂の北約6キロくらいの
横川(よかわ)に行きました。
横川は、道元、親鸞、日蓮などの高僧が若いころ仏教を学び
修行した所で、再建された横川中堂や元三大師堂、恵心堂、定光院
などがあります。
中堂下の弁天池(龍ヶ池)には、澄んだ水に睡蓮が咲き、
井守(虫へんに栄・虫へんに原:イモリ)が泳いでいました。

        絵看板並ぶ参道法師蝉      常朝

        道元の学びし谷に井守浮く    常朝

       (横川の入口)

       (横川中堂)

       (龍ヶ池と弁天堂)

       (龍ヶ池の睡蓮とイモリ(画面のまん中))


 その後、ロテルド比叡(ホテル)の喫茶室でアイスコーヒーをいただき、
小句会後解散しました。
下界の京都市内へ戻るとまだまだ暑かったので、よい避暑にもなりました。

2010年8月14日土曜日

109.奈良・「みねのてら」阿弥陀寺

「アカシア紀行・俳句」2010年8月3日(火)


 8月の暑い日、句会の先輩諸氏と奈良・学園赤松町の阿弥陀寺に
吟行句会を兼ねてこの3月になくなられた山中麦邨先生の初盆のお供養
に参りました。
阿弥陀寺は「峰の寺」ともいわれ、奈良市の西にある小高い丘の上に
あります。近くには二名小学校、中学校、幼稚園もあります。

 門のそばには麦邨先生の「炎天のここが中心かと思ふ」の句碑があります。
境内の大きな鉢には、今朝開いたばかりの蓮の花が一輪ありました。

 10時過ぎに全員11人が揃い、本堂でご住職による読経が始まりました。
読経の中、蝉の声に混じり夏鶯の声も聞こえました。
本堂の窓からは時おり涼しい風もありました。
ご住職のお話では麦邨先生は檀家総代としてお寺の経営などについて
ご住職に色々相談にのられたとのことです。
30分程のお経のあと、別室で冷たいお茶をいただき、それぞれの出句を
清記してからお寺を辞し、レストランのバスで、近鉄学園前の木曽路に行き、
句会をしました。

 その後食事をいただいて、講評などのあと解散しました。
師を偲ぶ句が多かったですが、句碑にある炎天を詠んだ句も
色々あってよい句会になりました。


        師の句碑に炎天時をとどめたる   常朝

        師の供養の朝に開きし蓮の花    常朝

        花の毬空に投げ上げ百日紅     常朝

       (阿弥陀寺:クリックで拡大:以下すべて)
       (句碑「炎天のここが・・・」)

       (阿弥陀寺の蓮の花)

2010年7月31日土曜日

108.奈良・黒滝の鳳閣寺ほか

「アカシア紀行・俳句」2010年7月24日(土)


 梅雨が明けて本格的な夏の日、いつものメンバー5人で奈良・黒滝村の
地蔵峠の鳳閣寺などに吟行しました。
飛鳥の夢市場で集合して11時頃、地蔵峠トンネル手前の道を左に登ると
旧の地蔵峠に着きました。
たまたま地蔵祭の日だったので、地元の主婦3人が地蔵堂の横の小屋で
地蔵祭の準備をしていました。
地蔵峠はすでに供花などでかざられていました。
ここ鳥住地区は全部で10軒ほどでこの地蔵堂を守っているとのこと。
夕方7時半からお坊さんのお経があり祭をするとのことでした。
峠にはあずま屋もあり湧き水を取込んだ石の御手洗がありました。
郵便夫が単車で登ってきて主婦に郵便を手渡していました。

        郵便夫来たる峠の地蔵盆      常朝

       (地蔵堂:クリックで拡大:以下すべて)

       (地蔵堂の集会所:地蔵盆の準備中)


そこからさらに登ると古いお堂の鳳閣寺あります。
鳳閣寺は、由緒書きによると白鳳時代「役の行者」が天皇の勅許を得て
建てた修験寺ですが、今は真言宗の寺で無住寺です。
本堂の前は、見晴らしがよく吉野川方面の山々と大淀町の新興住宅地がみえます。
近くの一本檜の梢では茶色の小鳥が一羽、キョロンチイなどと
かわいい声でさえずっていました。
あとでインターネット調べると、白い眉紋があったので、
おそらくアカハラにちかいマシチャジナイだと見当をつけました。
しばらくすると、熊よけの鈴をつけた登山者がひとり百貝岳から
降りてきて、別に警官がひとり軽パトカーで登ってきました。
無住寺なので毎日パトロールに来ているとのこと。
警官の話では昔、本堂軒の木鼻にある龍が近くの池の魚をとるので、
みえないように目をなくしたとのことで、よく見ると確かに
谷側の龍の彫り物の目がえぐられているようでした。
本堂の縁下には蟻地獄が10個以上あり、崖には竹煮草が咲いていました。


        竹煮草修験の寺に崖迫る       常朝

        修験寺の縁にありたる蟻地獄     常朝

       (鳳閣寺本堂)

       (鳳閣寺からの眺め:北)




のち、下界へ降りて黒滝道の駅309で昼食をいただき、
東へ戻って河分神社を訪ねました。
山を祀る神様のようですが、あいにく屋根葺き工事中で、
四棟の本殿はシートが掛かり、赤胴色の職人が2、3人働いていました。
ここにも、巨大な夫婦杉があります。
拝殿には奉額がいくつか掛っており、ひとつは長篠合戦でした。



        奉額は長篠合戦青嵐        常朝

       (河分神社の拝殿)

       (河分神社本殿:屋根工事中)



のち、神社の西の山道48号線を南へ500メートルほど走り、砂防ダムの
先にある小女郎滝をめざしましたが、砂防ダムへの道が夏草で
埋もれており、滝へ寄れなかったので山道と谷川を散策しました。
道脇の崖下に山神を祀る祠があり、林業者らの名札が掛かっていましたが、
花や供え物はありません。
夕方には早いのですが「かなかな」(ひぐらし:蜩)がときどき鳴いていました。
道の左側(東側)の砂防ダムは砂で大方埋もれており、
ダムの中ほどの排水口から滝となって水が出ていました。
小女郎滝の代わりとしてはお粗末でしたが水はきれいでした。

        かなかなや砂に埋まりし砂防ダム  常朝

       (小女郎滝近くの山神)

       (48号線沿いの砂防ダム)


のち、橿原ロイヤルホテルで小句会後解散しました。

2010年7月20日火曜日

107.朱智神社から近衛基通公墓、王竜寺

「アカシア紀行・俳句」2010年7月13日(火)


 梅雨明け近い雨模様の日、いつものメンバー7人で京田辺の朱智神社に吟行しました。
朱智神社は、京都と奈良の県境にある京田辺市・天王の山中にある神社です。
車では、京阪奈自動車道の精華下狛ICから南0.5キロ、西へ2キロの水取から
普賢寺小学校の北側の道をさらに西へ1キロほどにある天王バス停、さらに
西へ狭くて急な坂道を300メートルほど登ると駐車場があります。

 朱智神社は奥深い山地にあり、高い杉などの木々がうっそうと茂り、
いかにも神様のおられる山のようです。
たまたま居られた宮司からいただいた案内書などによると
仁徳天皇のころ創建され、神功皇后の祖父「迦爾米(かにめ)雷命」や
素戔嗚(すさのお)命、牛頭(ごず)天王などを祀っています。

 13日はこの神社の(元祖)祇園祭の宵祭りのため、宮司のほか3人の人が
社殿や境内を掃除されていました。
宮司の話では、平安時代清和天皇の頃、京都の八坂神社へ牛頭天王を移し、
祇園精舎を守ったとされる牛頭天王を祭る祇園祭のための「榊遷し」を
毎年行っていたがある年疫病のため都に入れず、それ以来中止とのことです。

 雨模様のなか、本殿にお参りし境内を拝見しました。
100段もあろうかと思う石段の下の方の耳石には、案内書のとおり、
永正4年(1507)などの銘が彫られていました。
宮司から祇園祭の粽(ちまき)を宵祭りの前だが分けてもよいとのことで、
帰りに中川家に立ち寄り、厄除け粽を分けていただきました。

        耳石に永正年号杜青葉       常朝

        撫で牛を撫でり薮蚊を払ひつつ   常朝

       (朱智神社:クリックで拡大:以下すべて)
       (本殿蛙股の絵)


 そのあと、水取に戻り、京阪奈道の北側の自動車教習所の手前(南)の
関白「近衛基通公」の御廟を参拝しました。
源平時代の関白で、隠居後この地に住んだので近くに公家谷という
地名もあります。

       (近衛基通公の御廟)


 のち、三山木駅手前のこぶや亭で昼食をいただき、
水取から打田への農道わきにある炭焼き窯跡を見ました。
そばの植田では稲が30センチ位に伸びており、つばめが飛んで
浮草が雨に打たれていました。


        県境の谷田をかすめ夏燕     常朝

        雨の水輪田の浮草を揺らさずに  常朝


 その後、打田経由で奈良市二名町の王竜寺を訪ねました。
王竜寺は黄檗宗の禅寺ですが、広い社地の一部を飛鳥カントリーゴルフ場に
譲ったとのことで今も深い森の中の寺です。
本堂の中に摩崖仏がありますが、中へは入れませんでした。
苔の庭には本堂の屋根から雨雫がしきりに落ちていました。


        苔庭に雫の穴や梅雨の寺     常朝

       (王竜寺本堂 2008年3月撮影)

       (王竜寺のヤマモモ 2008年3月撮影)


夕方メンバーの奈良の家で小句会後解散しました。

2010年7月6日火曜日

106.東吉野・投石の滝

「アカシア紀行・俳句」2010年6月29日(火)


 梅雨らしい雨模様の日、いつものメンバー4人で奈良・東吉野村に吟行しました。
東吉野村には多くの句碑があり、公営の入浴施設「たかすみの里」の中には
運河主宰茨木和生先生ほかの尽力で、俳句関係の書物や色紙、句軸などを
保管展示する「たかすみ文庫」が運営されています。


 我々はまず「たかすみの里」の北隣の料理旅館「天好園」に11時半ころ着き、
昼食をいただいてから、園内を散策しました。
園内の鱒池のそばには山法師の白い花が満開で、すぐそばに流れる平野川には
鮠が泳ぎ、河鹿が鳴いていました。

        河鹿聞くと下りし石段手摺錆ぶ   常朝

       (天好園の山法師:クリックで拡大:以下すべて)

       (天好園そばの平野川)


 そのあと、「たかすみ文庫」を拝見しました。
今は「東吉野村所蔵品展」~茨木和生氏寄贈品展~ を開催中で、
色紙など多くの著名な俳人の作品が展示されていました。

  「いつからの一匹なるや水馬」 右城暮石
  「茶の花になほ初春の日和かな」阿波野青畝
  「海に出て木枯帰るところなし」山口誓子

などの多くの色紙・句軸のほか写真も展示されています。

       (たかすみ文庫展示室)


 その後、4,5キロ北の白馬寺の境内にある投石の滝に行きました。
3年前にあった高い欅の巨樹は倒れて伐採されており、
代わりに1メートルほどの若木が植えられていました。
滝は寺の本堂右の杉林の中の川沿いの道を100メートルほどいくと、
見えてきました。
滝を見上げる20坪位の広場にも高い杉があり、一本の杉の根元に
沢蟹が歩いており、見ていると根元の杉皮に隠れました。
そばには

        山祇の土になりゆく小楢の実   鬼房

の句碑もあります。

滝は高さ15メートルほどで、梅雨の時期でもありかなりの水量です。
滝壺は岩だらけですが、そこに流れ込む小さな流れもありました。
下流には砂地もあり、そこでは滝水もゆっくり流れていました。
その後天好園そばの山神を祀る祠と木の道具などと、近くの道路脇の
またたび(木天蓼)の白い花を見ました。


        神杉の樹皮に沢蟹隠れたる     常朝

        滝壷へ杉葉をくぐる流れあり    常朝

        滝水の砂地に着きて落ち着きし   常朝

       (投石の滝)

       (投石の滝)

       (山神祀り)

       (またたびの花)


 のち、吉野の厳島神社を訪ねようと行きましたが、
石段が急だったので今回はあきらめ、橿原ロイヤルホテルで
ケーキセットをいただき吟行を無事終えました。