2012年8月4日土曜日

155. 大台ケ原

「アカシア紀行・俳句」2012年8月3日(金)

  8月の朝から快晴・猛暑の日、いつものメンバー5人で、
避暑をかねて奈良県吉野郡の大台ケ原を訪ねました。

  橿原神宮前の橿原観光ホテルを8時半出発、吉野川(紀の川)
沿いの道を東(上流)へ走りました。
途中、吉野高校の対岸の169号線沿いの「焼きもち店 小橋」で
餡入り焼きもち、みたらし団子を買いました。

  169号線の宮滝を過ぎ、吉野郡川上村の大滝ダム、大迫ダムをすぎて、
ほぼトンネルばかりの道を約3キロの三叉路を右折、ドライブウエイを
約20キロ走って、大台ケ原駐車場に10時半着きました。
200台以上の大駐車場です。
車を降りるとそこは海抜1573Mの高原、半袖では寒いほどの気温でした。

  駐車場の東側の大台ケ原ビジターセンターで案内地図を買い、
すぐ北側の登山道入口から、森の中の涼しい道を歩きました。

  大台ケ原は上北山村と三重との県境にある東西5キロ程の高原山地ですが、
平均年間雨量が4000ミリをこえる日本有数の多雨地帯です。
台風の影響や鹿などの害で山の木が倒れ、自然保護・再生のため、
日出ヶ岳→正木峠→牛石ヶ原→大蛇嵓→シオカラ谷の東コース9キロは
自由ですが、ブナ原生林のある西コース10キロは入山許可が必要との
ことです。

  学生時代に歩いた大杉谷も2004年9月の台風21号以来通行禁止でしたが、
今年8月11日から一部林道経由で通行可とのことです。
(上北山村ホームページ)

               高原の涼気いきなり駐車場     常朝

              (大台ケ原ビジターセンター)
              (トイレ前の案内図:クリックで拡大:以下同じ)

  我々は、今回は日出ヶ岳は避けて、尾鷲辻から正木ヶ原を目ざしました。
森の中の道は巾2メートル位に石が敷き詰められ、尾鷲辻までは比較的
平坦でしたが、正木ヶ原までは少し階段状の上り道でした。
途中ミヤコザサの原の左右、針葉樹や楓などの森の中に倒木や切り株が
あり、スギゴケなどの青い苔がぎっしり生えています。
また水源地帯・立入禁止の標識もあり何本もの清水の流れが道を
横切っています。
途中で清水を飲みましたが冷たくて柔らかい味でした。
ホオジロあるいはコガラのような声の鳥も鳴いていました。

               大台の清水を飲めば鳥の声     常朝

              (登山口)
              (尾鷲辻への道)
              (尾鷲辻への道の沢橋)
              (笹原の清水の流れ)
              (切り株)
              (尾鷲辻の休憩所)

  尾鷲辻の休憩所には、2、3のグループ、10人位が休んでいました。
正木ヶ原に着くと12時を過ぎていましたが、丸太や岩に坐って、
餅やブドウをいただき、しばらく散策して、元の道を戻りました。
駐車場へ戻ると13時半頃でしたが、上北山村物産店のレストランで
昼食をいただき、14時すぎ、高原を降りました。

               高原の清水横切る幾たびも    常朝

              (正木ヶ原   海抜1641メートル)
              (正木ヶ原から正木峠)
              (正木ヶ原の説明板)

  途中、芦原峠の南・畑屋口北の道路脇に蓮田があったので、
しばらく蓮の花や小鮒草を見ました。
蓮田は広さ約1反(300坪)ほどで、蓮の花はほとんど盛りを
過ぎていましたがまだ10センチほどの蕾もありました。


               蓮の田の光返して小鮒草     常朝

              (芦原峠の蓮田)
              (蓮田の小鮒草)

  さらにホテイアオイを見に畝傍御陵前駅の東の本薬師寺に立ち寄りましたが、
アオイの花はちらほらで、花時にはまだ少し早い感じでした。

              (本薬師寺のホテイアオイ)
              (本薬師寺の礎石)
              (本薬師寺の石碑)

  その後、橿原観光ホテルで早めの夕食をいただき解散しました。
大台ケ原の8月は一年中で一番雨が多く、平均約20日は雨というのに、
天気に恵まれ、下界の猛暑を忘れて、高原の避暑と山歩きを楽しめたのは
幸運でした。

(記録のため所要時間を記すと:
橿原神宮前から大台ケ原駐車場   2時間 (往復とも)
大台駐車場から尾鷲辻        1時間10分
尾鷲辻から正木ヶ原          約20分
正木ヶ原から駐車場(戻り)      1時間15分 でした)

2012年7月15日日曜日

154. 琵琶湖の蓮池、伊吹山から醒ヶ井

「アカシア紀行・俳句」2012年7月14日(土)

  梅雨明け前、午後雨予報の土曜日、いつものメンバー5人で、
クラブツーリズムのバスツアーを利用して、琵琶湖烏丸半島蓮池から、
伊吹山、梅花藻の醒ヶ井を訪ねました。

  バスの乗客は我々を含めて23人程度でしたが、添乗員の女性が、
簡単な説明後、見学先の入り口まで案内したり、弁当などの手配・配布を
してくれました。

  バスは7時45分近鉄八木駅南口を出発、南阪奈道から近畿道、吹田から
名神高速に入り、草津SAで休憩・買物などをして、琵琶湖の烏丸半島の
蓮池に10時すぎ着きました。

  以前、蓮池に来た時(2010・3・18 アカシア紀行101)は、
芦の角を見るのが目的だったので、蓮の花を見るのは今回初めてです。
ただ、広い池の土手につくと、青々とした蓮の葉の中に、咲いているのは
ちらほらでした。 直径30センチもあるような花もあり、立派でしたが。

  風がなく止まっていた大きな風車(発電用)がゆっくり動き出し、
蓮の葉も花も揺れだしました。葉の上の水玉も。

               蓮の葉の水玉風に遊びをり    常朝

               大風車廻りはじめて蓮揺るる  常朝

               (烏丸半島・蓮池の蓮:クリックで拡大:以下同じ)
              (風車)
              (鮎屋の江州音頭人形)

  その後、鮎家の郷で休憩・買物をしたあと、13時10分頃、伊吹山の
登山口に着きました。
昼食には途中のバスの中で配られていた弁当とお茶をいただきました。

  伊吹山は海抜1377メートルで滋賀・岐阜の県境にあり、山の神と
戦った大和武尊の話と、山頂のお花畑で有名です。

  駐車場から山頂までは3つの遊歩道コースがありますが、入口まで
添乗員ガイドのある、西コース(約1キロ、40分)を歩ききました。
細かい石を敷いた巾1メートルくらいのゆるい登り坂ですが、
左右は草原で、色々な高山植物が咲いて楽しい道でした。

  西コースで見たのは、紫色のシモツケソウ、ニッコウキスゲ、イブキトラノオ、
サラシナショウマ、イブキフウロ、キバナノレンリソウ、ヤマウド、クサフジ、
ホタルブクロ、ヤハズソウ、モグサにするイブキヨモギ、などでした。
頂上付近の売店でソフトクリームをいただき、頂上のヤマトタケルの像を
見ました。

  ヤマトタケルは猪に変身した山の神と戦い、病を得てふもとの
醒ヶ井の泉で癒したといわれています。
同じ西コースを下山しましたがふもとの方でカッコウが鳴き出しました。

               かっこう鳴く下山の時の近づけば  常朝

               霧に消えまたあらはるる風露草  常朝

               (伊吹山登山口・駐車場)
               (山頂への道:西コース)
               (シモツケソウ)
               (西コースより駐車場:登山口)
               (伊吹山頂の弥勒菩薩)
               (伊吹山頂のヤマトタケル像)
               (れすと関が原内)

  3時40分出発したバスは、4時すぎから30分ほど「れすと関が原」で休憩・
買物し、5時前、醒ヶ井駅の駐車場につきました。
駅前の道を渡り、梅花藻などを見ながら地蔵川に沿って歩きました。

  去年(2011・8・19 アカシア紀行133)訪ねた時と比べて、
花はまだ少し早いのか少なめでしたが、梅雨のためか水量が多くて冷たく、
さらに清らかな風情でした。
売店で、トマトなどをいただき、湧水地の加茂神社下まで歩いて、
ヤマトタケルの像も再び拝見しました。

               梅花藻の流れやさしきうねりかな   常朝

              (地蔵川)
              (梅花藻)
              (居醒の清水:地蔵川の湧水地)

  バスは、草津SAで休憩したので、弁当とお茶を買い、車内で
遅めの夕食をいただいたあと、車内で回覧形式の小句会を行い、
8時すぎに着いた近鉄八木駅で解散しました。

  メンバーのお天気パワーで、結局一日中たいして雨に降られず、
涼しい伊吹山頂と梅花藻の咲く湧き水を楽しむことができました。

  また、バスツアーは時間配分が適切で、それぞれの停車地では
過不足なく見学や買物をすることができ、さすがに旅のプロの企画と
感心しました。

(記録のため各地の到着、出発時刻をメモしておきます。
大和八木駅7:45-吹田JCT名神-9:24草津SA9:40--10:10烏丸半島蓮池
10:40--10:45鮎屋の郷11:00--13:10伊吹山15:40--16:051れすと関が原
16:35--16:50醒ヶ井17:45--18:20草津SA18:45-京滋バイパス大山崎JCT
-吹田JCT--20:15大和八木駅)

2012年7月7日土曜日

153. 以仁王墓、信西塚から金胎寺


「アカシア紀行・俳句」2012年7月6日(金)

  7月半夏生の雨模様の金曜日、いつものメンバー6人で、京都府綴喜郡・
井手町の以仁王墓、宇治田原の信西塚から金胎寺を訪ねました。

  以仁王は後白河法皇の第二皇子ですが、平家から冷遇され、源頼政と
図って平家追討の令旨を全国の源氏に送り挙兵したが、平家の追討軍に
この地にあった光明寺鳥居前で討たれたとされています。

  お墓は奈良方面からは24号線を北上、玉水橋南500メートルの綺田
(かばた)地区の渡り戸の信号を右折、700メートルほどの高倉神社に
あります。

  10時前着いた高倉神社は以仁王を祀る神社で、正面に巾10間程の拝殿、
境内右手(東)に、宮内庁管理の以仁王墓、左手に白い神馬像があります。
境内左端には色とりどりの紫陽花が咲いていました。
右手には神社の池、児童公園と北綺田公民館です。
その後、近くの田の中の筒井浄妙の陪塚を探しましたが、
雨が強くなったのであきらめました。

               白馬像洗ふ五月雨王の墓     常朝

               以仁王墓に供ふや七変化    常朝

               (高倉神社:クリックで拡大:以下同じ)
               (以仁王墓)
               (白馬像)

  24号線に戻り、3キロほど北上して山城大橋交差点を右折、307号線で
宇治田原の信西塚と大道神社を訪ねました。


  信西入道は、今年2012年NHK大河ドラマ「平清盛」で出てくる
藤原通憲・信西で、歴史書を書いたりした学者で、後白河天皇の信任あつく、
平家と手を結んで政務に尽くしましたが、源氏側の反乱(平治の乱)で、
追われ、領地の宇治田原・大道寺に逃げましたが、自害しました。

  大道(おおみち)神社は菅原道真、事代主命などを祀る鎮守で、
左手(西)の林道脇の池は「信西の首洗い池」と呼ばれています。

  信西塚にお参りし、そばの小川の合歓の花、丸木橋、ホタルブクロなどを
見ていたら、新聞記者を案内して、宇治田原案内人の会の方が、
車でこられて、我々にも説明してくれました。
  ここは信西の胴だけが埋葬されたようです。
草に埋もれていた塚を、村の人々が大事にお墓を守ってきたとのことです。
そばの大道寺(無住)のお堂の軒で、信西が首を取られる場面などの、
平治物語絵巻の一部写真を見せてもらいました。
またこの山麓道は、本能寺の変(1582)の折、家康一行が逃げ帰った
「伊賀越えの道」だそうです。
(宇治田原町の信楽街道資料によると、郷の口-贄田-大道-黒豆坂-石詰-信楽)

  長い石段の上の大道神社には、木製の狛犬が鉄の檻で守られています。
青葉に囲まれた首洗い池には、モリアオガエルの白い卵塊の泡が、
花のように枝にぶら下がって、泡の中におたまじゃくしが動いていました。
暗い池の中にはイモリが泳いでいました。

               信西塚青葉光らす雨となり     常朝

               首洗い池に蠑螈の腹の赤     常朝

               (信西塚)
               (信西塚説明板)
               (大道寺)
               (大道寺説明板)
               (大道神社鳥居)
               (首洗い池のモリアオガエルの卵)


  その後307号線に戻り、宇治田原JAの東の「魚よし」で昼食をいただいたあと、
宇治田原茶園でお茶を買い、府道62号線から、鷲峰山「金胎寺」を訪ねました。
茶園での買い物で長く待たされたので、山頂のお寺に着いたのは2時半頃でした。

  金胎寺は天武天皇の頃、675年役の行者の創建とされ、奈良時代平城京の
鬼門を守る勅願寺となり、のちに後醍醐天皇が一時寄られたので、焼き討ちにあい、
再建されたが1518年再び焼失、現在は京都金剛王院一言寺に管理される、
真言宗醍醐派の寺とのことです。

  郷の口南から62号線を東へ6キロほどから狭く急な山道を3キロほど登り
金胎寺の案内板の場所に駐車し、100メートル以上坂を上ると山門です。
本堂や多宝塔は急坂の上のあります。
住職らしき方が一人庫裏におられたので、土器(かわらけ)を数枚ずつ買って
左手修験道入口のかわらけ投げ場から、霧の中の的の輪をめがけて投げました。
修験道の行場めぐりは山道を3キロほど歩くので、2時間半はかかるとのこと。

               行者道入口からは夏の霧      常朝

               夏霧にかはらけ投げて帰りけり  常朝

               (金胎寺入口)
               (金胎寺庫裏)
               (かはらけ投げの的の輪)
               (金胎寺の建物写真)

  坂上の本堂などは、雨模様なのでお参りせずに、62号線の途中八王子神社に
立ち寄って和束・加茂経由で奈良に戻りcocosで小句会後解散しました。
一日中雨模様でしたが、うっそうとした南山城の山とお寺は涼しく快適でした。

2012年6月25日月曜日

152. 九度山町・真田庵、慈尊院、丹生官省符神社から丹生都比売神社

「アカシア紀行・俳句」2012年6月24日(日)

  6月の梅雨曇りの日曜日、いつものメンバー5人で、和歌山県・九度山の
真田庵、慈尊院、丹生都比売神社などを訪ねました。

  葛城の山麓線(30号)、京奈和道・五條道路、高野口大野を過ぎて、
24号線を少し戻った名倉交差点を右折、九度山橋を通って、真田庵近くの
駐車場に留めさせてもらい、お寺についたのは10時ころでした。

  真田庵は、関が原の戦後から大阪冬の陣までの13年ほど、
真田昌幸、幸村親子らが住んだ屋敷跡に、1741年大安上人が地蔵菩薩の
一堂を創建したお寺で、今は善名称院(ぜんみょうしょういん)という、
真言宗の尼寺です。

  たまたま地蔵祭りの日で、大安上人の命日とのことで、
近所の主婦などが、お寺の弥勒堂に集まり、尼僧と一緒に般若心経、
観音経などをあげたあと、尼僧の法話がありました。
境内には絵馬堂の柱、軒瓦などあちこち真田家の六文銭の家紋があります。

  大安上人が清めて祈った紀ノ川の砂をいただいた里人に病気平癒などの
ご利益があり、朝廷にも知られ、後桃園天皇も土砂加持供養をされたので、
菊のご紋を許されたとのことです。

  境内には、幸村の雷封じの井戸、蕪村の句碑

               炬燵して語れ真田が冬の陣
               かくれ住んで花に真田が謡かな

 があり、
絵馬堂には由緒の額や昭和60年のNHK連続ドラマ「真田太平記」のポスターもあります。

               六文銭の家紋椅子にも地蔵祭    常朝

               九字を切る尼僧の声や地蔵祭    常朝

               (真田庵:クリックで拡大、以下同じ)       
               (真田庵の由緒額)
               (蕪村の句碑・かくれ住んで・・)

  法要の途中で我々はお寺を辞して、西1キロほどの慈尊院を訪ねました。
ここは空海(弘法大師)が高野山の表玄関として、高野山一山・荘園の政所
(寺務所)、宿所、冬期避寒修行場としたようで女人高野とも言われています。  

  参拝後、境内を散策していたら、住職が出てこられて、お話を聞きました。
 むかし空海の母・阿刀氏が、讃岐国多度郡から訪ねて来たが、
女人禁制のため、この政所に滞在したので、空海はひと月に9度は
必ず20数kmに及ぶ 山道(高野山町石道)を下りて母を訪ねたので、
この辺りを「九度山」といった とのこと。

  お寺に住んだゴンという犬が参詣者を高野山へ案内したとのこと。
また今も残る土塀は古さと厚さ(120センチ)で、日本一らしいです。
 2004年7月高野山と共に、世界遺産に認定されたとのこと。  

  お話のあと、住職は大きなナギの木に梯子を掛けて、電動のこでナギの枝を払いはじめました。

  境内には、世界遺産碑、大師像、案内犬「ゴン」の像、噴水、絵馬掛けなどが
あり、安産祈願で乳房の絵馬が掛けられています。

               あじさいや女人高野に乳房絵馬   常朝  

               (慈尊院)
               (乳房絵馬)
               (大師と案内犬ゴンの像)

  すぐおくに120段ほどの石段があり、その上は丹生官省符神社です。
石段右手には高さ2メートルほどの町石があり、180番とありました。
説明板によると、高野山まではここが出発点で、1町(110メートル)ごとに、
町石があるとのこと。(全部で20キロだが、実際は約24キロ)境内には緑色の
茅の輪が立てられていました。

 大師を高野山へ導いたといわれる狩場明神(高野御子大神)の使い黒犬・白犬を
大師と共に描いた大きな絵馬が立てられています。   

               町石の百八十町目木下闇   常朝

               (丹生官省符神社)
               (町石百八十町目:高野山への出発点)

 その後24号線に戻り、蔵の湯「野半の里」で固めのご飯の昼食をいただいた
あと、かつらぎ町の世界遺産・丹生都比売神社を訪ねました。

 丹生都比売神社は天照大神の妹姫「丹生都比売」ほかを祀る神社で、
 境内の池には大きな朱色の太鼓橋が掛けられています。
由緒書きによると、「丹生都比売」は砂の神で、全国の丹生のつく神社約180社の総本社とのこと。

 丹生の「丹:たん」は朱砂、辰砂(しんしゃ)ともいい、硫黄と水銀の化合した赤土とのこと。
鳥居をくぐるとすぐ太鼓橋で、その上から子供がシャボン玉を池に向かって流していました。 池には睡蓮、河骨(コウホネ)が咲いています。

 境内には、枯れ色の茅の輪があり、潜り方の説明書が掲示されていました。
手前の天幕には夏越の祓(なごしのはらえ:6月30日)の説明が掲示され、
名と年齢を書いた紙の人形(ひとがた)で身体になでて、ハアーッと3回、
息をかけて名・初穂料を書いた封筒に入れて、申し込むとのこと。
見本と朱印が押された人形と白紙の人形が置かれていました。

 立派な朱塗りの本殿の左手の草原の奥に、大きな石塔婆が4、5塔
立てられており、役の行者石厨子、御影堂、多宝塔の跡もありました。
境内右手(西)には坐りやすい大きな岩板が置かれていました。

               太鼓橋よりシャボン玉鯉の上    常朝

               人形に見本の朱印夏祓       常朝

               (丹生都比売神社)
               (丹生都比売神社本殿)
               (太鼓橋)

 3時すぎ、九度山橋に戻り、紀ノ川北詰の土手から、小田井関を訪ねました。
この井関は江戸時代1707年庄屋の大畑才蔵という人が、紀ノ川を一部堰きとめて
作り、岩出までの36キロの水路で、約1000町歩の田を潤したとのことです。

 大きな水門から落ちる水が水煙を高く上げ、その下では数羽の鵜が
羽を拡げたり、水に潜ってながされながら、魚を咥えたりしています。
まるで波と遊んでいるようにも見えました。

               咥えたる魚光らせり井関の鵜   常朝

               (紀ノ川の小田井関)


  天気予報は午後雨でしたが、結局雨に会わずに涼しい和歌山の吟行と、
香芝市での句会を楽しむことができました。