2011年11月20日日曜日

139.柘植・徳永寺、福地城跡から油日神社など

「アカシア紀行・俳句」2011年11月19日(土)

 ほぼ日本全国雨の予報の土曜日、いつものメンバー6人で三重県柘植の
徳永寺、福地城跡、油日神社などを訪ねました。

 我々は、雨の中9時半すぎ名阪国道針ICの針テラスで集合し、
まず名阪国道東約30キロの上柘植ICから北上して1.5キロの、柘植小学校の
西にある徳永寺を訪ねました。

 徳永寺は伊賀市柘植町にあり、天正10年6月2日、織田信長が本能寺で
討たれた時、堺にいた徳川家康が急きょ三河に帰る時立ち寄った浄土寺です。
10時半頃着いた寺は檀家の法事の最中で、雨の中読経が続いていました。
インターネットによると、この時の家康の逃避行は「伊賀越え」として語られ、
この時のもてなしに家康から寺領と葵紋の使用を許されたようです。

 住民が見張りに立ったという山もすぐ後にあり、薄紅葉が見えました。
大きな本堂の左には閻魔堂があり、赤顔の閻魔大王の左右に司録、司命らが
白い顔で並んでいます。葵紋の鬼瓦も軒に立ててありました。


        閻魔堂の官吏白顔冬の雨      常朝

        家康の寄りたる寺や冬の雨     常朝

        (徳永寺:クリックすると拡大:以下すべて)

       (鐘楼)
 
        (閻魔堂)



 その後訪ねた福地城跡は寺の南、名阪国道沿いにある福地氏の城跡で、
明治以来、芭蕉公園として整備されています。
伊賀SAの北側の旧国道25号から狭い道を南に入るとすぐ見える木立の中を
走ると、数台の駐車場があり、城趾の碑と芭蕉公園の木碑がありました。

 雨の中低い石段を登ると、石垣の上に木造のレストランがありますが、
閉店中でした。さらに進むと、芭蕉生誕の地の石碑と四阿(あずまや)があり、
中の机に投句箱が置かれ、上に入選句の額が掛かっていました。
左手に「ふるさとや臍の緒に泣くとしの暮」の芭蕉句碑があり
紅葉もいくつか見えました。
入口の芭蕉生誕350年モニュメント広場には寒桜が咲いていました。
雨が止みそうにないので、早々に城を退去し伊賀SAで昼食をいただきました。

        百歩程で登れる小城大紅葉      常朝

        (福地城跡)
 
        (福地城跡説明板)

        (城跡のあずまや)

        (城跡の紅葉)


 昼食後、伊賀ICからUターンして、上柘植交差点から約6キロ北上し、
甲賀の油日神社を訪ねました。
油日神社はアカシア紀行80(2009年1月15日)にも書きましたが、
聖徳太子創建と伝える甲賀の社です。
祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)と猿田彦神で、鳥居の先には
立派な楼門と回廊・格子戸のある拝殿の奥に本殿があります。
いずれも桧皮葺で一部は苔さえ生えています。

 この神社では、昔甲賀忍者の土豪が信長対策などの集会を何度も
開いたでしょう。

 左手には35メートルの高野槇の木、さらに左奥には鐘楼、
右手には馬の銅像、池、社務所と資料館があります。
白洲正子さんが「隠れ里」で紹介した能面などを見学したかったのですが、
衣装などの展示会が雨のため中止で、2年前同様、資料館も閉館でした。
右手の杜から拝殿の軒まで続く溝には冬の雨水が音立てて流れていました。

        甲賀者集ひし社冬の雨       常朝

        斎庭の溝音立て流る冬の水     常朝

        桧皮葺よりひかりの雫冬の雨    常朝

        (油日神社)
 
        (奉納の油缶)

        (油日神社拝殿)


 その後、近くの神宮寺を参拝しました。
ここも浄土宗で法然聖人13才の像があり、使われている(!)釣瓶の井戸、
紅葉の銀杏、朴の木があり、本堂右手の砂利にタマサンゴが
赤や黄、緑の実をつけています。
雨の中、朴の葉が寺の砂利に音を立てて散っていました。

        神宮寺の砂利に音立て朴落葉    常朝

        (神宮寺)
 
        (神宮寺の朴落葉)


 かなりの雨の中、針テラスに戻り、メルカートロッソで小句会後
午後4時半頃解散しました。
天気に強い我々のグループでは一日中雨の吟行は始めてでした。

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