「アカシア紀行・俳句」2012年1月29日(日)
大寒の日曜日、いつものメンバー7人で京都伏見の淀城跡から
八幡市・石清水八幡宮の鬼やらいを訪ねました。
鬼やらいは午後だったので午前中八幡宮の北東約3キロの
淀城跡を訪ねました。
ここは豊臣秀吉の側室淀君(浅井茶々)の城であった淀城とは別の城で
江戸時代春日局の子孫稲葉正知(まさとも)以来稲葉家の城だったようです。
淀君の城はここから約500メートル北の納所(のうそ)付近にあったとのこと。
電車では京阪本線淀駅から西へ100メートル位ですが、
車で奈良方面からは24号線大久保バイパスより15号線を西へ4キロ
ほどで出合う13号線(旧京阪国道)を東へ0.5キロで右折します。
少しややこしいですが、淀城跡公園の周囲を北側から右に回ると、
與杼(よど)神社脇の駐車場があります。
11時前着くと、與杼神社のそばに別の古い稲葉神社があり、
破れ太鼓が社務所の軒に吊られていました。
たまたま居た70才位の男性が、我々を20メートル四方位の
天守閣跡に案内してくれ、古井戸の蓋から小石を投げ入れさせました。
深さ10メートルくらいの水音がしました。
昔埋蔵金目当ての盗掘があったので今は天守台は立入禁止とのこと。
城趾は公園で四阿があり、周囲に説明板、石碑などがあります。
冬芽の大銀杏や山茶花、モチノキ、南天などがあります。
説明板によると、この城は桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる
船運の要所だったそうで、朝鮮通信使も立ち寄ったそうです。
北西側は濠で、北端には淀城や朝鮮通信使の船の模型が置かれていました。
三川の集まる城址冬の雲 常朝
城石に丸に十の紋風花す 常朝
(淀城石垣:クリックすると拡大:以下すべて)
(唐人雁木の説明板)
(天守閣の古井戸)
(石垣の石)
(淀城模型)
(稲葉神社の説明板)
その後、13号線を西へ八幡市に入り、22号線を南下して国道1号線の
八幡中代のバイキングレストラン「露庵」で昼食後、12時半頃
石清水八幡宮へ向かいました。
鬼やらいは節分の神事で、通常2月3日の鬼追いと豆まきなどの行事ですが、
石清水八幡宮では、3日が日曜でないかぎりその前の日曜日に
おこなわれるとのことです。
八幡郵便局の前の道を西へ、指月交差点の西から北上し、
八幡宮のある男山の南側から山上駐車場に向かいました。
すでに麓から一本道は渋滞で、1時頃からゆっくり進み、
2時15分頃やっと山上の第三駐車場に着きました。
駐車場から屋台を抜けて本殿前に進むと、
すでに鬼やらいは終っていました。
豆まきで福豆を拾ったのは途中から歩いたメンバー2人のうちの
1人だけでしたが、終わりの行列が戻るのを見ることができました。
日差も最初は良かったですが、終わるのを待っていたように
雪がちらついてきました。
禰宜たちが豆屑を掃いている本殿前の特設スロープを登り、
本殿を参拝して、破魔矢祓いの巫女の舞などを見ていたら
本殿前で2月の湯立神事の準備の杭を打ち始めました。
杭打ちのため鬼よりでかそうなガードマンが我々を移動させました。
鬼やらい果てし齊庭によき日差 常朝
福豆の袋ひとつを分けらるる 常朝
(石清水八幡宮)
(鬼やらいの太鼓)
(本殿前の杭打ち)
(鬼やらいの桃の枝)
3時頃、八幡宮を辞して奈良に戻り、黒髪山のcocosで
小句会後5時半すぎ解散しました。
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