「アカシア紀行・俳句」2012年4月22日(日)
4月下旬の穀雨の日曜日、いつものメンバー7人で、奈良・大安万呂墓から
都祁氷室神社、八咫烏(やたがらす)神社などに吟行しました。
奈良方面から大安万呂墓へは、奈良教育大学南の東紀寺3丁目交差点を東へ、
県道80号線を約8キロの田原交差点を左折、約600メートル北の橋を越えて
左折、約400メートルの茶畑が目印で、道路右側に案内板があります。
我々は田原交差点を北上し光仁天皇陵まで行き過ぎたので西へ戻りました。
茶畑についたのは10時前、少し風もある雨の中を、茶畑の中の石畳の急坂を
30メートルほど登りました。
墓は大きな桜の木のそばにあり、直径4メートル程の円形に石を2段並べた
縁がありました。
昔訪ねたときは、茶畑の中の農道を登りましたが、
今は丁寧に整備されて参拝しやすくなりました。
お墓から見える桜や山桜はまだ見事な満開でした。
先日の新聞では古事記編纂1300年記念に安万呂の分骨を命日の7月6日に
田原本市・多神社の東1キロにある古墳に納骨するそうです。
安万呂の墓を鎮めて花の雨 常朝
茶畑の中によき墓穀雨かな 常朝
(安万呂の墓:クリックすると拡大:以下すべて)
(安万呂の墓説明板)
(安万呂の墓からの景色)
茶畑を降りて、47号線一台峠を越えて一旦369号線に入り、
再び47号線を西へ、天理市福住の都祁・氷室神社を訪ねました。
いつ訪ねても神々しい杜と神社で、神池(茅萩池)には雨足が水面に
はね返り暗い杜の中に光っています。
緋鯉達も春の雨を喜んでいるようでした。
また、池の近くにはミヤマカタバミが蕾をつけており、
本殿の鎖樋からは春雨の水があふれています。
神社北側の棚田では蛙が鳴き、電柵のある土手には土筆が
いっぱい生えていました。
雨足の光つてゐたる春の池 常朝
電柵のなかにあまたの土筆生ふ 常朝
(氷室神社)
(氷室神社北の谷)
メンバーの一人が昼に奈良へ帰るため、榛原駅へ送ってから、
駅近くのオークワ3階のレストラン「ピア・ジョリー」で
昼食をいただき、少し小止みになった雨の中、榛原駅の南、宇陀市
上井足の三十八神社を訪ねました。
インターネットによると三十八は「みそは」とよむそうですが、
38神をお祀りするのでなく、水の神、弥都波能売命を祀っています。
明治までは、境内に神宮寺「善福寺」があったそうです。
雨の中10人位の背広の人が、月次祭ということで参拝され、
背広の神官代行の人から、一人ひとり玉串を受けて奉納されていました。
境内東側の道には桜が10本以上満開を過ぎて、花びらを道脇に
敷き詰めていました。
また土手にはカキドオシが紫の花をつけていました。
花びらの流れ吸ひ込む神の杉 常朝
蛙の声谷越え届く山の杜 常朝
(三十八神社の境内)
(三十八神社の月次祭)
その後、さらに南の八咫烏神社を訪ねました。
八咫烏神社は、神武東征のおり、熊野から吉野・宇陀まで、
神武天皇軍を道案内したという八咫烏を祀っています。
伝説によると、八咫烏は賀茂氏の先祖建角身命(たけつのみの命)が
化身したものとのことで、この神社はその方を祀っています。
日本サッカー協会のシンボルマークが八咫烏のためでしょう、
サッカーボールを頭に載せたカラスの像が境内右手にありました。
高い石段の上に大きくはないですが立派な本殿がありました。
境内左手は森への細道と土手で、鶯が鳴き、虎杖(いたどり)が伸びて、
ムラサキケマンが咲き、ウバユリの蕾がありました。
八咫烏の社の旗に穀雨かな 常朝
八咫烏祀る社に花見鳥 常朝
(八咫烏神社の拝殿)
(八咫烏の像)
(八咫烏神社の説明板)
その後名阪国道針テラスに戻り、メルカートロッソで小句会後解散しました。
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