「アカシア紀行・俳句」2012年6月7日(木)
梅雨入り前の好天の日、いつものメンバー6人で、奈良・吉野郡川上村を
訪ねました。
主な目的は、南朝ゆかりの福源寺と神武天皇ご巡行のとき会われたという、
井戸から現れた井光(いひか)を祀る井光神社ですが、
その前にダム底から遷座した丹生川上神社・上社を訪ねました。
丹生川上神社・上社は吉野に上社、中社、下社と3つある、水神を祀る神社
の一つです。(それぞれの水神は タカオカミ、ミヅハノメ、オカミノカミ)
平成10年、大滝ダムの建設によって水没する旧街道のそばにあった神社から
この山の中腹に遷座されました。
大滝ダム沿いの169号線にあるホテル「杉の湯」の角の信号を左折し
急坂を1キロほど登ると、丹生川上神社・上社です。
初めて参拝した2004年から比べると新本殿もやや古びて、歴史ある神社に
ふさわしくなったようです。
境内からは青葉の山に囲まれたダムを見下ろせますが、元の神社のあった
場所らしき土地が減水したダムの岸辺にみえました。
水神の守れるダムや山青葉 常朝
(丹生川上神社・上社:クリックで拡大、以下同じ)
(藤本安騎生句碑:高龗神御遷座の山鷹渡る)
(上社の説明板)
そのあと、神社の前の坂を1キロほど登り、福源寺を訪ねました。
福源寺は、曹洞宗の寺ですが、役行者の開基とされ、平安時代に
文徳天皇の長子、惟喬親王(これたかしんのう)の岡室御所とされ、
全国の木地師(木工技術者)を育成された本拠となったようです。
寺は坂の行き止まりにあり、駐車場から低い石段を登って参拝後、
境内を散策していたら、ご住職が本堂の障子を開けて出てこられ
本堂に入らせてもらいました。
そのうえ、内陣右の部屋に保管されている貴重な品々を拝見しました。
吉野塗りの茶器、20種の桜の絵入りの漆器、夜桜塗りの茶器、
らせん状に香の粉を置く香時計(漆器)、
携帯用の茶道具(漆器)、蓋が盃になる酒桶(漆器)、
後南朝の忠義王(自天王の弟)の鎧、
蔵王権現の石頭、歓喜天の仏がん、などです。
自天王と弟忠義王は南朝最後の後亀山天皇の玄孫で、
南北朝後、北朝の血統が途絶えたあと、旧南朝方として吉野で守っていた
御璽(ぎょじ:天子の印)を赤松家再興を願う遺臣らが奪い返そうとして、
吉野に攻め入った際、戦死したとのことです。(長禄の変1457年)
自天王のお墓は北山宮のあった北山村滝川寺(竜泉寺)にもあるらしいですが、
お二人のお墓は金剛寺にあるとのこと。
毎年2月5日福源寺と金剛寺でお二人をしのぶ朝拝式が行われているようです。
本堂の観世音菩薩には、住職読経のなか一人ずつお参りしました。
本堂左手には、石段の上に納骨塔として大きな福祉供養塔があります。
その坂には朴の木の大きな青葉が影を作っていました。
南朝の寺は山上朴青葉 常朝
夜桜塗の茶器を見せらる青葉寺 常朝
(福源寺本堂)
(福源寺の説明板)
その後、ダム湖畔のレストラン「シーズン」で昼食後、ダムの上流の2つ目の
井戸地区の橋を渡って約3キロの山中にある井光(いかり)神社を訪ねました。
神社は山の中腹の斜面にある集落の北端にあり、向いには青葉の山が
迫っています。神社の前の水槽には鯉が泳いでおり、そばの土手には
雪の下が咲いていました。
日本書紀によると、神武天皇が宇陀から軽装の兵を連れて吉野に巡行された際、
井戸の中から、身体が光り尻尾のある人が出てきたので、
天皇が問うと、、国津神で井氷鹿(いひか)と名乗ったとあります。
その井光を祀る神社ですが20軒位の井光集落の鎮守のようです。
今は井光をいかりとも読み、地名も神社名も「いかり」とよむようです。
神社の本殿は小ぶりですが、右手に観音寺があります。本堂は閉まっており、
鐘楼の撞木(しゅもく)には補強の鉄板が巻かれていました。
井氷鹿の子孫でしょうか、頭の光った人が近くの家の屋根工事をしていました。
風光る井光の里の山高し 常朝
(井光神社)
(井光の里の道)
2時半ころ、井光の里を降りて、169号線をさらに5キロほど南下、
柏木・北和田口から橋を渡り、北東の山を2キロほど登って金剛寺を訪ねました。
山道の分かれ道を右にとった行き止まりの駐車場に神の谷公民館があり、
その左手の石段の上です。
金剛寺も役行者開基とされ、福源寺でお聞きした、自天王、忠義王を
祀っています。
この地は神の谷といい、忠義王の河野宮があった所らしいです。
無住寺ながら立派な本堂があり、右手には自天親王神社と
収納庫があり、左手は自天王陵という石碑、宮内庁の高札とともに、
自天王(北山宮・尊秀王)と忠義王(河野宮)のお墓があります。
自天親王神社の境内には山からの清水が流れ、桜の木が赤い実をつけ、
紫に熟した実は落ちていました。一つ口に入れると南朝の歴史のような(?)
苦い味がしました。
自天王神社に苦き桜の実 常朝
(金剛寺本堂)
(金剛寺の説明板)
(自天親王神社)
(後南朝由来の額)
(自天王陵の石碑)
4時前寺を辞して、橿原のロイヤルホテルで小句会後6時半頃解散しました。
梅雨前の好天に恵まれ、深吉野の青葉の山ときれいな空気を楽しめました。
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