2014年1月25日土曜日

186.高槻森林観光センター、寒天工場から高槻城跡

「アカシア紀行・俳句」2014年1年23日(木)     前へ   次へ

  天気に恵まれた大寒の日、いつものメンバー7人で、
大阪府高槻市の森林観光センターから寒天工場、高槻城跡を訪ねました。

  名神・茨木インターチェンジの東、171号線の西河原の御魂神社横に
10時頃集合し、今城交差点から6号線を北上、約40分で森林観光センター
に着きました。

 冬なので、駐車場もがらあきで、北側の売店「もりもり館」で寒天、切炭など
を買いました。
そばの池には噴水があり大鯉が10匹くらいいて、周囲にベンチがあります。
売店の右奥には椎茸センターがあり、暖房用か煙突から煙がでています。
そばのコンクリートの水槽にはホダ木が数十本浸けられ、ホースから山水が
流れ落ちていました。

       渓音に笹鳴混じる森の園     常朝

       椎茸のほだ木に流す冬の水   常朝

              (森林センター売店:クリックで拡大:以後同じ)
              (森林センター案内板)

 その後、車で約2キロ北の田能地区へ移動し、タニチ寒天工場の
近くの一方通行の道脇に車を留めました。
工場は改装中で、誰もいませんでした。
工場の南側の畑には、細長いビニール屋根が何列も立てられ、
下にはぶどうの木が、長い枝を水平に伸ばしていました。
案内板にはJA高槻が設置したぶどうパイロット農園とのこと。

 離れた田におられた農婦に聞くと、寒天を干す田は工場の北側
とのことで、移動して見ると、田の畦には雪が残っていました。
寒天干しには寒さが必要なのに、気候温暖化で徐々に寒天工場が
撤退したようです。寒天からぶどうへ選手交代でしょうか。

       寒天干し終えし広田にはだら雪    常朝

       寒天の干し台軒に春近し        常朝

              (寒天工場)
              (寒天干し台)

 その後、森林観光センターに戻り、駐車場の東側のウッデイという、
山小屋風の喫茶店に入り、昼食(シチュー)をいただきました。
中には大きな囲炉裏があり、炭火が起こされています。
暖房がありましたが、部屋にはペレットストーブが置いてあります。
センターは森林組合が設置・経営しているとのことで、
温泉も木材ペレットのバーナーで湯を沸かすようです。

             (ウッデイのいろり)

 食事後、6号線を南下して、上の口を右折、摂津峡にいきました。
白滝の近くの駐車場もをさがしましたが、道は慶住院(お寺)のそばで
行き止まりとなっていました。

 やむなく数キロ南の入り口(かじか荘)から、駐車場を探しましたが、
3月までは公園駐車場は閉鎖で、花の里の山水館手前にある駐車場も
工事中でした。 山水館の人に聞きましたが、近くには他に駐車場はないとのこと。

 摂津峡の谷に降りるのを諦めて、市内の高槻城跡公園を訪ねました。
城跡公園は山の上でなく、阪急高槻市駅の0.5キロ南の槻の木高校の
東隣でした。

 案内板によると、高槻城は元亀4年(1573)、キリシタンの高山右近が父と、
和田氏を滅ぼして城主となり、天正9年復活祭を実施、
秀吉のバテレン追放令で、右近が改宗せず没収され、豊臣家、関ヶ原後は
徳川家の直轄となり、慶安2年(1649)以降230年間は、永井家3.6万石の城
として維持され、明治7年の鉄道敷設で破却され、公園となったようです。
(高山右近は徳川幕府の禁教令で国外追放され、マニラでなくなった)

 園内には管理事務所、民俗資料館、高山右近の像、営門、連隊跡碑、
作り滝のある池などがあり、子供連れの母親などが散策していました。
池の縁の大きな亀に、2歳位の男の子が話しかけていました。

       稚子の亀に声掛く冬麗         常朝

       営門の煉瓦に日差春隣        常朝

             (高槻城跡の碑)
     
              (営門と門衛所)
             (高山右近の像)
             (公園の池)
             (民俗資料館)
             (資料館案内板)
その後、お茶会のできそうなホテルなどを探しましたが、
適当な場所が見つからなかったので、解散しました。
大寒にしては、お天気に恵まれた暖かい1日でした。

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