「アカシア紀行・俳句」2017年7月23日(日) 前へ 次へ
4、5日続いた猛暑のあとの日、奈良・伝香寺の地蔵盆にメンバー4人で参列しました。
伝香寺は、奈良時代鑑真和上の弟子思託(したく)律師が771年に開いた寺を、1585年奈良の大名筒井順慶(じゅんけい)の母がその菩提を弔うために復興し、その後筒井氏の菩提寺となったとのことです。JR奈良駅の東500メートルほど、率川神社の南にある律宗の寺で、奈良三名椿の一つ「散り椿」と「はだか地蔵」で有名です。
我々が寺のすぐ北側の駐車場に着いたのは午後3時すぎですが、入山料300円を納めて
山門から入ると奥の境内に幼稚園があり、盆踊りの櫓から提灯が掛けられていました。
いくつかの大きな鉢に蓮の花が咲き、青い実もありました。
北門を入って左には弁財天のお堂があり、南側に筒井家の五輪塔などと順慶堂があります。順慶堂には僧形の順慶法印座像が祀られています。
右手には大きな散り椿(武士椿)があり、下に大阪城から移設されたという大きな礎石が
あります。奥には中世の供養石仏や瓦焼きの涅槃図が置いてありました。
幼稚園見ゆる山門蓮の花 常朝
(散り椿説明板:クリックで拡大、以下同じ)
(順慶堂の法印像)
(本堂の地蔵像)
(本堂内の地蔵と釈迦如来像)
(瓦の涅槃像と供養石仏)
突き当りを右へ折れると五間四方位の本堂で、まだ参列者は20人位でしたが、
4時からの法要を待って坐っていたので、我々も椅子をお借りして座りました。
本堂の正面は釈迦如来像ですが、その前に、地蔵盆の期間中のみ、左手(西)の
地蔵堂から移された地蔵像が置かれてあります。
高さ1,5メートル位の御像ですが、背中に立派な光背があり右手に錫杖を持って
緑衣に黄色の袈裟を掛けて、気品のある地蔵様です。
4時になると住職のご子息らしい小学生の男子が住職の指導を受けて、
お像の前の香盤に線香を数本並べました。
耳が痛くなる程の鉦の音で、法要がはじまりました。
鉦が鳴っても他の僧侶が本堂に来ないので、住職は「来ませんね」などと
言って参列者を笑わせていました。
そのうち、住職および住職の父上らしい方と合わせて4人の僧侶が揃い、
本堂東側に座られ、読経が始まるとすぐ住職ともう一人の僧が立ち上がり、
地蔵様の着せ替えを始めました。
撮影許可ということで、着せ替えの途中何度かお像の前を開けて、
写真を取りやすくしてくれました。
30分位で着せ替えが終わり、緑衣から美しい橙色の衣になりました。
はだか地蔵なので、下着である下裳(したも)を替えるときも、
下半身が見えないように、二重に重ねてから、手際よく元の下裳をはずしていました。
地蔵様は男性でしょうか女性でしょうか。
着せ替えが終わってから参列者(60~70人)が順次地蔵様にお参りして、
お守り(有料ですが)をいただいたりしました。
解散後も住職は本堂に坐り、参拝に来る親子連れや子供達に丁寧に、合掌の仕方などを
教え、御札を渡したりしていました。
参列者笑わす僧も地蔵盆 常朝
はだか地蔵着せ替ふ二僧汗拭ふ 常朝
(地蔵堂と蓮の花)
(着せ替え前の地蔵様)
(着せ替え中の地蔵様)
(はだか地蔵)
(着せ替え後の地蔵様)
5時前に本堂を出て、順慶堂の前でしばらく待って、いさがわ幼稚園の盆踊りを見ました。
幼稚園ではかき氷や、焼きそば、団子などのバザーもあり、浴衣姿の園児達が
盆踊りの櫓に登って、写真を撮ったり遊んだりしていました。
6時頃、100人位の園児が櫓の周囲に丸く並んで、地蔵音頭(?)の音楽に合わせて
踊りました。途中の掛け声はとても元気で、見ている大人達も元気づけられました。
園児らの掛け声空へ盆踊り 常朝
(いさがわ幼稚園の盆踊り会場)
(盆踊りの園児達)
その後、夕食でもと三条通りのワシントンホテルへ移動しましたが、
あいにくレストランは全席予約で、やむなくガストで夕食をいただき7時過ぎ解散しました。
すでに夏土用ですが、開け放たれた本堂の縁には時々良い風が届き、
子供達のダンス付きの珍しい地蔵盆でした。
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