「アカシア紀行・俳句」2018年4月26日(木) 前へ 次へ
4月の雨が上がった翌日の暖かい日、奈良 生駒山市の高山城跡を訪ねました。
説明板によると高山城は中世に興福寺の荘園だった鷹山庄を治めていた鷹山氏の城で、
鷹山氏からは大仏再興の公慶上人が出て、鷹山の殿様がこの地の名産である茶筌を考案したとのことです。
高山城への道は、高山竹林園の北側の道を東へ200メートル、北へ500メートルで、
谷村竹材工業の前の道を左へ、谷村樹脂工場の脇の道を150メートル登ると、矢印の案内板があります。
ここは過去に何度か訪ねて、藪の急坂を迷いながら登りましたが、10年位前に遊歩道と階段ができ、わかりやすくなりました。
そこから井戸跡のような四阿のそばを通って山の坂を400メートル程登ると城跡です。
途中左手の藪から鶯の声が2,3度あり、最後に約120段ほどの階段を登りました。
(高山城跡へ道(手前):クリックで拡大、以下同じ)
(高山城跡への案内板)
(高山城跡への登り口)
(井戸の跡?)
(城跡への道)
(城跡への階段)
(城跡遊歩道の碑)
城跡は狭く、10X3メートルほどの石壇があり、その上に十三重塔と鳥居、九頭神の石の厨子があります。説明板のおかげで歴史がよくわかりますが、九頭神などの由緒はわかりません。
北や西は木立のため見晴らしはありませんが、東は遠く三重の方の山々が見えます。
麓から「かわいいかわいい魚屋さん」の歌が聞こえています。
もし殿様がいたら、家来に「あの歌は何じゃ?」と聞き、家来が「魚屋でございます」と
答えたら、「すぐ城を出て美味い魚を買ってこい」と命じたでしょう。
こんなことを想像しつつ周囲を見たあと、ナラ枯れの調査板の付いた木々を眺めながら城跡を降りました。
鶯や楢枯れ多き城の跡 常朝
魚屋の歌山城にうららけし 常朝
(高山城跡)
(高山城跡説明板)
(城跡の十三重塔)
(九頭神の石厨子)
(寄贈の碑)
(東の眺め)
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