2008年1月31日木曜日

45.大津市・日吉神社

「アカシア紀行・俳句」2007年10月15日(月)


 10月の天気の好い日、妻、妻の友人、義兄姉らと大津市の日吉大社を訪ねました。
日吉大社は,古くから比叡山の地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)を
祀っていましたが、近江京遷都のとき大国主神も祀るようになったらしいです。
日本全国約2000ある日吉神社、日枝神社、山王神社の総本山とのことです。
場所は比叡山のふもと、坂本にあり、付近には延暦寺高僧の里坊がいくつかあります。
琵琶湖西の161号線を北上し、比叡山坂本で左折し316号線を西へ
約1.5キロのところにある広大な森(約40万平米)を境内とする神社です。
11時頃ついて最初に東本宮(大山咋神)にお参りし、のち西本宮(大国主神)
などをお参りしました。
東本宮の下の庭に大きな多羅葉(たらよう)の木があり、その幹に小さな蛇がいて、
見ていると幹から落ちてまた登りました。冬眠の穴を探す、穴惑いでしょうか。
広い境内には縦横に石の溝があり、比叡山の秋水が流れていました。
西本宮からの帰りの参道に、神の使いの猿が金網檻のなかで飼われていました。
そばに大きな山柿があり実をあげましたが見向きもしませんでした。
あまり良い句はできませんでしたが、芙蓉園で昼食のあと小句会をしました。



        秋水の七折れ八折れ山の杜     常朝

        祭神は比叡の山神秋高し      常朝
          

       (日吉大社の穴惑い)

       (日吉大社西本宮)

44.奈良桜井市・三輪大社の観月会

「アカシア紀行・俳句」2007年9月25日(火)


 9月中秋の名月の夕方から、妻、妻の友人、義姉らと奈良桜井市の三輪大社・
観月会に参列しました。
三輪大社は大国主神を祀る日本最古の神社といわれ、三輪山が御神体です。
4時頃参道を進み、境内を散策後4時半頃、右手(南側)の三輪山会館で
おそうめんとお茶をいただきました。
5時半頃参道左手(北側)の祈祷殿前の広場に設営された観月会場にいき、
長椅子に坐りました。
すでに10数人の人達が来ており、そこで月の出を待ちました。
東の空は雲がかかり最初はだめかとも思いましたが、誰かが月が出たというと、
あちこちで月が見えたなどと声がかかりました。
西風が雲を動かしてくれたのです。
我々の座席からは祈祷殿の大屋根のため、月が見えなかったのですが、
立って少し右へ移動すると、黒々とした三輪山の杉の梢の間に、みごとな満月が
出ていました。神々しい月でした。
まもなく観月会は6時から神主の祝詞で始まり、越天楽の雅楽と巫女の舞が奉納
されました。
巫女は8人で4人ずつの組で舞があり題は「磯城の舞」と「うま酒みわの舞」と
いうことでした。
祈祷殿の桧皮葺(ひわだぶき)の屋根は月に照らされて濡れているようでした。
観月会は8時ころ終わり、参列者にお神酒が振舞われましたが、
私の前でお神酒がなくなり、安心して(?)運転して帰りました。
(神山に月の句は最初、「神山に月登りしと声二三」でしたが、茨木和生先生に
添削していただきました)     


        神山に月登れりと声あがる     常朝

        名月に杉葉差し上ぐ巫女の舞    常朝
          
        桧皮葺濡るる如くに今日の月    常朝


       (三輪大社・観月会)

       (三輪大社・巫女の舞)

2008年1月30日水曜日

43.東大寺二月堂の十七夜盆踊

「アカシア紀行・俳句」2007年9月17日(月)

 敬老の日の夜、妻、妻の友人、義兄姉らと奈良・東大寺二月堂の
十七夜盆踊に行きました。
これは10年くらい前から復活した、大仏様に奉納する踊りですが、
毎年9月17日催される、関西では多分最後の盆踊りとおもいます。
同時に二月堂の軒や石段に万灯籠が飾られています。
二月堂と三月堂、四月堂に囲まれる、普段は静かな広場に、
櫓舞台が組み立てられ、二月堂石段の上の広場では、模擬店が飲み物や
田楽などを売っています。
我々が着いた6時半ころ、舞台で挨拶のあと河内音頭が唄われ大勢の人々が
輪になって踊りはじめました。
踊り子のほとんどはいくつかの講の人達で、揃いの鉢巻・ハッピ姿で
音頭に合わせて躍動的に踊っています。
見上げると二月堂の万燈籠が夜空に流れるようでしたが、
踊り場の提灯の明かりが強くて、少し暗く見えました。
広場の南側の湯屋の瓦屋根には半月が上がっていました。
踊りもたけなわになると音頭が江州音頭に代わったりして、
また踊りの輪が二重になったり、別の小さな輪が出来たり、
踊り手の皆さんが今年の夏を惜しむかのようでした。            


        二月堂の万灯暗き盆踊     常朝

        大湯屋を月も照らして盆踊   常朝
          

       (二月堂・十七夜盆踊り)

       (二月堂の登廊)

2008年1月23日水曜日

42. 東吉野・天好園-高見峠-波瀬神社

「アカシア紀行・俳句」2007年9月5日(水)


 9月の下界はまだ暑い日、妻、義兄姉らと東吉野村に吟行に行きました。
国道166号線(榛原街道から伊勢街道)を東へ行くと新木津(こつ)
トンネルがあり、出てまもなく左側に、前登志夫の高見山の歌碑があります。
そこでしばらく休んでいると、細かい雨が降ってきましたが、突然
「ピーェ」というようなかん高い鳥の声が向かいの山から聞こえて、
それきり静かになりました。
あとで調べたら鷹の仲間の「ノスリ」の声でした。
そのあと天好園で昼食後、庭を散歩しました。
谷川の水を引いた小さな流れが園内にあり、水馬(あめんぼう)が
数匹秋の日に光りながら泳いでいました。
高見峠には、166号線高見トンネルの入口(西側の)手前30メートルほどで
右折れして旧の峠道を車で登りました。
峠の頂上は少し広場になっており、高見山への登山口に鳥居があります。
峠には霧が伊勢から奈良へ流れていて、下界の暑さを忘れました。
鳥居のそばに登山届け投函箱があり、サシバなど渡り鳥の説明板があります。
峠を下りて166号線をさらに東へ約10キロ走り、波瀬地区に行き、
波瀬神社、本陣跡を訪ねました。
波瀬神社は166号線から左に入った旧伊勢街道(三重県783号線)の
JA松阪波瀬の西100メートル、保育園の南100メートルくらいの
高台にありました。
迷いながらやっと着いた神社は古びていましたが、俳句はできませんでした。
あと波瀬本陣跡に行き向かいのお店の主婦に色々話を聞きました。
この方はこのあたりの歴史に詳しく、先年紀子さまのお父上川嶋辰彦氏が
このあたりの歴史などを調べにこられたとき、この方に色々話を聞かれたそうです。
本陣の主の子孫のことなど聞いていると霧が晴れてきました。

            

        高見山隠す雲より花野雨     常朝

        伊勢の霧大和へと来る峠かな   常朝

        ひかりのみ見えしは秋の水馬   常朝
          

       (前登志夫の歌碑) 

       (高見峠・登山口)

       (波瀬本陣跡の旧伊勢街道)

2008年1月22日火曜日

41. 京都・六道参り

「アカシア紀行・俳句」2007年8月8日(水)


 立秋といっても8月の暑い日、妻、義兄姉らと大原・江文神社吟行のあと、
京都市内の六道参りに行きました。
六道参りは、東山通り(東大路通)の4条と5条の間の清水5丁目の
松原通りを西に入った六道珍皇寺にお参りするお盆の精霊迎えの行事です。
ここには迎え鐘と呼ばれる綱で引く鐘があり、盆花としての槇の枝や、
水塔婆を求めることが出来ます。
境内には、十界図なども出され、盆花を買ったり迎え鐘を引いたり
する人々でにぎわっていました。
閻魔堂には大きな閻魔様が太い筆を持ってにらんでいました。
我々も行列に並んで、汗を拭きながら迎え鐘を引かせてもらいました。
むかし小野篁(おののたかむら)が閻魔様の手伝いに地獄へ通勤していたという
地獄の入口の井戸のことは知らずに見落としました。
帰りに松原通りの出口の角で幽霊飴を買いました。
これは慶長の頃、毎夜女の幽霊が飴を買いにきて、墓の中の自分の赤ちゃんを
育てていたという話から今も続いている飴です。
袋の中は飴色の四角や長四角の飴が沢山ありましたが、
中には三角の飴もありました。
            

        閻魔持つ筆先太し迎え鐘     常朝

        幽霊飴三角もあり秋暑し     常朝
          

       (六道参り・迎え鐘)

       (幽霊飴)

40. 大原・江文神社と関所跡

「アカシア紀行・俳句」2007年8月8日(水)


 8月立秋といっても晴れて暑い日、妻、義兄姉たちと京都大原に
吟行に行きました。今日の目的は大原雑魚寝で有名な江文神社です。
江文神社は大原上野町の信号のある三叉路を左折して約1.5キロ
南西に行って狭い道に右折れすると森の中に蒼然とあります。
さすがにここまで来るとしばらく暑さを忘れました。
昔大原の人達は節分にこの神社で雑魚寝をしたということです。
神社に着くといかにも古い拝殿があり、立入り禁止の張り紙がありました。
拝殿の壁には「升の額」が沢山奉納されています。
ここは主神が倉稲魂神という穀霊の神だからでしょうか。
本殿を参拝して斎庭(ゆにわ)に立っていると東側の杉の森から
啄木鳥の音がタタタタと聞こえました。
そのあと、大原の街道に戻り食事を摂ったレストランで親切な
ガイドの人から、いくつか見所を教えてもらいました。
その中で、寂光院を監視していた関所跡が近くにあるということで、
大原上野町の三叉路のそばの柴漬けのお店に行き、柴漬けを買った
ついでに車を置かせてもらってお店の裏側の坂道を登りました。
関所跡の碑はなかったのですが、この細い裏道は琵琶湖へ抜ける
仰木峠の道と聞いたので、このあたりに関所があったのでしょう。
丘に登れば建礼門院の寂光院が見えるかと100メートル程坂道を
登り、田んぼの畦から眺めましたが、山すそに隠れて、寂光院は
見えませんでした。
おそらく道沿いの関所で平家の残党などが寂光院にこないよう、
見張っていたのでしょう。後白河法皇もそばを通られたであろう
田には白い小さな稲の花が咲いていました。

            

        啄木鳥や杜の高杉風わたる     常朝

        洛北の峠は狭し稲の花       常朝
          

       (江文神社)

       (江文神社・拝殿)

2008年1月21日月曜日

39. 十津川の玉置神社・熊野大社

「アカシア紀行・俳句」2007年8月4日(土)~5日(日)


 天気に恵まれた8月の始め、中学の20人のクラス仲間と、
十津川・熊野に一泊旅行をしました。
50人のクラスも、同窓会に出席できるのは20人程度になったので、
このところ毎年一泊旅行をしています。
今年は、十津川の旅館に泊って熊野大社参拝、瀞八丁の遊覧となり、
4日は、谷瀬の吊橋を渡った後近くの山の上の玉置神社に正式参拝しました。
神社の正式参拝は、全員が神社の法被を着て、代表が玉串を神前に供え
全員で二礼二拍手一礼します。
神主は若い方で、太鼓を強く打ちながら、声朗々と祝詞を上げて
いただきました。
太鼓の音が腹に響くように強いので、十津川の蝉の声も消されて
しまいました。 翌日は熊野大社に参拝しました。
長い石段を登ると、広い斎庭(ゆにわ)に立派な社殿があり、
棟木(むなぎ)の上の鰹木(かつおぎ)には金色の菊のご紋が、
夏の日に輝いていました。
遠い昔、平安貴族の女性たちが、京から熊野詣での旅のはてに、
ここに着いて立派な社殿を見たら、今の我々以上に感激したでしょう。
参拝のあと、我々はバスで瀞八丁の乗り場「志古」まで行き、
遊船で約1時間「田戸」まで乗り、再びバスで帰りました。
道が狭くてバスが迂回したため、我々は瀞峡の上の乗り場で、
ほぼ1時間バスを待ったのも良い(?)思い出です。

            

        祝詞上ぐ太鼓に消えし蝉の声     常朝

        鰹木の菊の御紋に蝉時雨       常朝
          

       (玉置神社の神代杉)

       (熊野大社:大きすぎて一枚の写真に入りませんでした)