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2012年9月8日土曜日

156. ニュージャージーからニューヨーク


「アカシア紀行・俳句」2012年8月30日(木)から9月4日(火)

  アメリカ・ニュージャージー州リッジウッドに転勤滞在中の長男一家と
11年ぶりのニューヨークを訪ねました。
(ニュージャージーはニューヨークの西隣)

  30日13時30分に関西空港を出たチャイナエアラインの飛行機は、
同じ日の13時35分、ニューヨークのケネデイ空港に着陸、
わずか5分でアメリカです(?)。

  迎えのリムジンと夫婦の車で早速リッジウッドの家を訪ねました。
森の中の別荘地のような住宅地で、絵本にあるようなアメリカの家の
前庭の大きな鈴懸の木にブランコが下がっており、地下室もあります。
夜近くのホテルHyattに孫(10才男子)と泊まり、プールでクロールを
見せてくれました。

              (ホテルのプール:クリックで拡大:以下同じ)
  翌31日はホテルから、車で駅や孫の現地小学校を見学したあと、
6人がリムジンと車でマンハッタンのヒルトンホテルに移動、
荷物を預けました。

              (リッジウッドの町:クリックで拡大:以下同じ)
                (リッジウッドの小学校)
              (小学校の教室)

  42番通りの中央駅で昼食後、59番通りのおもちゃ店FAOから5番街を、
50番通りのロックフェラーセンターまで歩き、途中改築中のセント・
パトリック教会に立ち寄ったあと屋上から摩天楼を眺めました。

        摩天楼若者闊歩の秋暑し      常朝

              (グランドセントラル・ステーション)
              (セントラル・パークの馬車)
              (セントパトリック教会)
              (ロックフェラータワーからの眺め:北側 )
              (ロックフェラータワーからの眺め:南側)
  翌9月1日はメトロポリタン美術館からセントラル・パークを南へ歩き、
途中の池で休みながら、孫が借りた小型ヨットの無線操縦を見ました。
のち、フリック・コレクションを見学後、タイムズスクエアに行き、
ローマのスペイン階段のような階段から沢山の高層ビルの壁のパネルを
見たあと、ブロードウェイのミュージカル「マンマ・ミア」を見ました。
「マンマ・ミア」ではアバの名曲とダンスに感動でした。
劇場を出ると高層ビルの間に満月が登っていました。

        美術館出れば異国の蝉の声     常朝

        摩天楼すき間にかかる望の月    常朝

              (メトロポリタン美術館)


              (フェルメールの水差しを持つ女)
              (セントラル・パークの池と無線ヨット)
             (タイムズスクエアの人人人)
             (ブロードウェイのミュージカル劇場)


  9月2日はヒルトンをチェックアウト後、車でダウンタウンの証券取引所から、
9.11同時テロで倒壊した貿易センタービル(WTC)のあと(グラウンドゼロ)を訪ねました。
  ここは、11年前妻と展望台へ登ったWTC南館と北館のあった所で、
今は、2つのビル跡にそれぞれ記念の大きなプールが作られ、縁から
滝のように水が落とされていました。
プールの縁の鉄板には犠牲者の名前が彫られ、日本人の名も沢山ありました。
我々が2001年1月16日展望台に立った8ヶ月後の9月11日テロでビルと共に
約3000人がなくなりました。

        鎮魂のプールの縁より秋の水    常朝

              (911メモリアル全景:911Memorialパンフレットより)
               (新WTCの予定図:WTC1とWTC4が建設中:同上)

  その後、マンハッタンの南端のバッテリー公園に歩き、
遊覧船で自由の女神の海を周遊して、海から摩天楼を眺めました。
我々の船は女神の島に上陸しない、写真よりやや大きい船でした。
昔、アメリカ大陸への移民が着いた港の跡や、レンガ作りの
入国管理事務所の跡が残っていました。
港跡へは孫が学校の遠足で来たとのことです。

  ダウンタウンの13番通りのホテルStandard NY にチェックイン後、
セントラル・パーク西南端のコロンブスサークル(59番通り)近くの
台所用品店で買い物、夕食後ホテルに戻りました。

        秋空より青き自由の女神かな    常朝

        移民船着きし港に秋の波      常朝

              (自由の女神の遊覧船:島に上陸する船)
              (海からのマンハッタン:左が建設中のWTC1と4)

  翌3日は、ホテルの近くのハイラインと呼ばれる、貨物用の
高架鉄道跡の空中遊園歩道を歩き、ナビスコ工場跡の専門店街・
チェルシー市場で買い物をし、ホテルからJFK空港まで送ってもらいました。
3日16時発の飛行機は4日18時半無事関西空港に着きました。

        廃線の高架にありし花野かな    常朝

  盛り沢山な内容でしたが、お天気にも恵まれ、長男一家のおかげで
印象に残る旅ができました。


(記録のために、料金などをメモしておきます。
 エアーチケット往復:116900円、Hotel Hyatt:$195、
  Hotel Hilton:$877(2泊)、Hotel NY Standard:$396、
 Rockfeller:$25、Metropolitan:$25、Fric:$18、911Memorial:無料、
 MammaMia:$789(6人)、Cruise$11)

2008年1月21日月曜日

39. 十津川の玉置神社・熊野大社

「アカシア紀行・俳句」2007年8月4日(土)~5日(日)


 天気に恵まれた8月の始め、中学の20人のクラス仲間と、
十津川・熊野に一泊旅行をしました。
50人のクラスも、同窓会に出席できるのは20人程度になったので、
このところ毎年一泊旅行をしています。
今年は、十津川の旅館に泊って熊野大社参拝、瀞八丁の遊覧となり、
4日は、谷瀬の吊橋を渡った後近くの山の上の玉置神社に正式参拝しました。
神社の正式参拝は、全員が神社の法被を着て、代表が玉串を神前に供え
全員で二礼二拍手一礼します。
神主は若い方で、太鼓を強く打ちながら、声朗々と祝詞を上げて
いただきました。
太鼓の音が腹に響くように強いので、十津川の蝉の声も消されて
しまいました。 翌日は熊野大社に参拝しました。
長い石段を登ると、広い斎庭(ゆにわ)に立派な社殿があり、
棟木(むなぎ)の上の鰹木(かつおぎ)には金色の菊のご紋が、
夏の日に輝いていました。
遠い昔、平安貴族の女性たちが、京から熊野詣での旅のはてに、
ここに着いて立派な社殿を見たら、今の我々以上に感激したでしょう。
参拝のあと、我々はバスで瀞八丁の乗り場「志古」まで行き、
遊船で約1時間「田戸」まで乗り、再びバスで帰りました。
道が狭くてバスが迂回したため、我々は瀞峡の上の乗り場で、
ほぼ1時間バスを待ったのも良い(?)思い出です。

            

        祝詞上ぐ太鼓に消えし蝉の声     常朝

        鰹木の菊の御紋に蝉時雨       常朝
          

       (玉置神社の神代杉)

       (熊野大社:大きすぎて一枚の写真に入りませんでした)

2008年1月19日土曜日

32. 飛鳥寺の花祭り

「アカシア紀行・俳句」2007年4月8日
              


 4月の花祭りの日、奈良明日香村の飛鳥蹴鞠を見学後、
飛鳥寺の花会式(花祭り)に義姉たちと参列しました。
幼い頃、お釈迦様のお生まれになった花祭りの日は、
毎年近くの寺で甘茶を飲ませてもらったりしたのを思い出します。
飛鳥寺は日本最古の寺といわれており、飛鳥大仏で有名です。
お寺には5、60人の人が集まり、住職の挨拶などのあと、
歌手川本佐江子さんによる奈良の歌の披露がありました。
花会式が終ったあと、花御堂の誕生仏に甘茶をかけました。
花御堂は小さいですが誕生仏はもっと小さくかわいいでした。
寺のすぐそばのの入鹿の首塚で周囲の畑や甘樫の丘を
眺めていたら、雉がケ~ンと鳴きました。
                 
          

        誕生仏天井高し花御堂       常朝

        首塚に立てば飛鳥の雉鳴けり    常朝
          

       (飛鳥寺花会式)

2008年1月15日火曜日

25. 賢島・間崎島

「アカシア紀行・俳句」 2006年11月10日(金)
          


 従姉夫婦2組と6人で賢島・間崎島に小さな旅行をしました。
今回の「いとこ会」の目的はえびなどの海の料理です。
賢島駅そばの港から小さい船で10分位で旅館のある島につきました。
伊勢湾は小春日和で、小さな桟橋には旅館の猫が迎えに出ていました。
汀(なぎさ)が旅館の庭で小鳥が数羽きていました。
夜はご馳走をいただいて寝ていたら、真夜中に雷が鳴って目が覚めました。
稲光が少し開いた窓から見えたら伊勢湾をゆるすような強烈な雷の音がしました。
翌朝は雷がうそのように穏やかでしたが、親戚に不幸があったとの
電話があったので皆いっしょに予定を早めて帰りました。
雷はその知らせだっかもしれません。

          

       里海の汀の庭に小鳥来し         常朝

       夜の湾叩き揺るがす冬の雷       常朝


2008年1月14日月曜日

20.西穂高山荘

「アカシア紀行・俳句」2006年7月22日(土)

 

 長男一家と妻と5人で、西穂高山荘へ登りました。
4、5日前から雨続きで、山登りどころではない天候続きでしたが、
登山当日は運良く晴れてくれ、ロープウエイ駅から2時間ほど、
高山植物や景色をたのしみながら、西穂高山荘まで歩き、山小屋の
庭で昼食後、近くの丸山に登りました。
雲もあったのですが、穂高や上高地が見えました。
夜は満天の星を見て、一泊して下山しました。
山小屋近くにはうす紫の風露草(ふうろそう)が咲いていました。
また、ロープウエイ駅から10分位のところに避難小屋がありましたが、
しばらく使われていないようで、中を覗くとほこりだらけでした。
帰りの山道では落とし文(木の葉の巻いた)を拾ったりして
久しぶりの楽しい登山でした。



        山小屋の蛇口閉じずよ風露草     常朝

        登山路に埃だらけの避難小屋     常朝



        (丸山から穂高を望む)

3.自由の女神

「アカシア紀行・俳句」2001年1月23日(日)
             



 夫婦でアメリカ・オハイオ州・シンシナチ市に転勤滞在中の長男夫婦を訪ねました。
その後、雪のボストンに飛び、ハーバード大学に1日入学(?)して構内を見物したり、ボストン美術館を訪ねた後、ニューヨークに行き、国連本部、世界貿易センタービルに登りました。センターの一階では写真屋に写真を撮られましたが、一枚10ドル以上だったし、自分のカメラがあったので買いませんでした。
この8ヶ月後、ニューヨーク同時テロで、センタービルがなくなってしまいましたが、
それを知っていたら、あの二人の写真は買うべきでした。
センタービル最上階の観覧室からは自由の女神が見えていました。
バッテリーパークの海には百合かもめが数羽ゆったり飛んでいました。
あのころはアメリカもイラクもまだ平和でした。
 


     百合鴎自由の女神の海に飛ぶ      常朝



2.矢田丘陵のあけび

「アカシア紀行・俳句」1987年10月11日(日)



 曇りの日曜日、家の近くの丘陵(矢田丘陵)に自転車に釣道具を載せて行きました。ここは海抜200メートルくらいの低い山波ですがブラックバスのいる池があります。
この日は2時間ほどがんばって体長約23センチのブラックバスが2匹釣れました。(今は市のハイキングコースとなっており釣りは禁止されています)
釣りを終わって帰る山道、ふと上をみるとアケビ(通草)のつるが木から垂れて、アケビが数個ぶらさがっていました。       
つるを引っ張ってようやく5個を採ることができました。東京の高尾山であけびの実を買ったことはあるが、自然の山で採ったのは生まれて初めてでした。       
そのおかげでこの山が急に親しい山に思えるようになりました。
その後何度か次男と共に釣りにきました。




       通草とり親しき山となりにけり      常朝




1. 多摩川 玉堤付近

「アカシア紀行・俳句」1997年9月20日



 多摩川は好きな川のひとつです。
東京・世田谷に住んでいた頃は、よく多摩川を散歩したり鯉やブラック
バスを釣りに行きました。初秋のころ、多摩川の玉堤付近を散歩して
いたら、椋鳥(むくどり)の大群が川を飛びました。
彼らはよく近くの若宮神社の境内の大きなケヤキなどにたむろしていま
す。この日は約300羽以上もの大群が、川の岸から対岸まで飛ぼうと
して途中で向きを変えました。
よく見ると、先頭を飛んでいた椋鳥の数羽は、大群のカーブにずっと
遅れてしまいました。
椋鳥のリーダーは、臨機応変に変わるのでしょうか。
あるいは単に状況の変化についていけなくなっただけでしょうか。



      椋鳥の先頭曲がり遅れたる      常朝


     (この句は俳句誌「運河」1998年1月号の茨木和生先生の
      真味求心でとりあげていただいた。)