2010年2月8日月曜日

100.柳生で薬喰

「アカシア紀行・俳句」2010年2月5日(金)


 立春の翌日俳句の諸先輩方と柳生の猪宿での薬喰(くすりぐい)に
行きました。
今回は初めて主宰の茨木和生先生が参加されたので、皆さんも気合いが
入っているようでした。
朝10時半タクシーが近くの坂道で止まると、すでに猪宿の犬が
道に坐って待っていました。そばに寄ると、犬は我々を案内するように
先に立って猪宿の門まで連れていきました。
この犬は前回来たときはまだ子犬だったと覚えています。

 出句の締め切りが11時半だったので、早速猪宿の周囲の田んぼや山麓の道を
歩きました。近くの紅梅だけが咲いていました。
宿の庭のふもと側は囲いがあり鶏やガチョウが放し飼いされています。
近くの田んぼに荒い目の網が張られていたので土手を登って見ると、
白菜畑でした。
私は、柳生宗矩が後の奥様「おふじ」と出会ったおふじの井戸まで歩きましたが
なかなか良い句ができずあせりました。

 宿での句会では、諸先輩の佳句が次々披講されましたが、私の拙句は
先生の選になかなかでてきません。
最後に特選の発表のとき、下の鵞鳥の句が5番句として読まれほっとしました。
さらに先生には「春立ちし」を「春立つや」に添削いただきました。
同じ大先輩の3句も特選だったので、3番句までしかもらえないはずの
先生の色紙をいただき、ますますラッキーでした。
この猪宿は過去何度も薬喰できていますが、先生のご参加は初めてなので、
記憶に残るでしょう。
薬喰は毎回と同じく牡丹鍋(しし鍋)のごちそうでした。

        春立つや羽を拡げて鵞鳥鳴き     常朝

        大柳生春は名のみの棚田風      常朝

       (柳生の景色:2009年1月撮影)

       (おふじの井戸)

       (井戸の説明板)

99.法隆寺・西円堂の追儺式

「アカシア紀行・俳句」2010年2月3日(水)


 節分の夕方いつものメンバー5人で斑鳩・法隆寺西円堂の追儺式に行きました。
駐車場に着くと、空は恐ろしいような黒雲が北から流れていました。
夜7時からの追儺式まで時間があったので25号線の「さと」で夕食後、
再び駐車場に戻り、ゆっくりと西円堂に歩きました。
峰の薬師といわれる西円堂に着くと、堂の周囲に太い鉄管で高さ5メートルほどの
金網が張りめぐらされており、狭い正面以外はお堂に近づくことさえできません。
金網の中と周囲には消防隊員、自警団の人たちが、警護や消火の準備をしていました。
すでに2,30人の人がきていましたが、7時前には100人くらいの人々が狭い庭に
ぎっしり立っていました。

 お堂の中からはすでに法要のお経の声が聞こえます。
7時になると、お経は終わり、鐘と太鼓の音が聞こえました。
しばらくすると、鐘の連打が数秒間あり、いよいよ鬼が出てくるかと
かたずをのんでいると、自警団の人がマイクで、この鐘は
7回半のうちの1回目ですと説明しました。

 30分ほど間延びのする、鐘と太鼓(小さい音)の数秒演奏を聞いたのち、
お堂の正面から、まず黒鬼がまさかりを持ってあらわれ、堂の周囲の基壇の上で、
ゆっくり前後、上下にまさかりを動かし、最後にそばに立つ人から
松明を受け取り、観客の方へ投げつけました。
松明は、金網に当たって火花が観客の方へ飛び散るので、
悲鳴が上がりましたが、この火花を浴びると今年無病息災に過ごせるそうです。
高い金網の意味がこれでわかりました。
松明や火くずは、たちまち消防団の人たちによって片づけられます。

 そのあと、青鬼が如意棒を、赤鬼が剣を持って同じような仕草ののち松明を
投げました。
ときには松明が金網まで届かない時もあり、すこしがっかりします。
とくに赤鬼は、酒に酔っているようで、松明を投げる時よろけていました。
3回鬼たちが同じ仕草を繰り返したあと、毘沙門天が鉾(ほこ)を持ってあらわれ、
基壇を巡ったあとお堂に入りました。
鬼が毘沙門天に退治されたということのようです。
8時前に儀式は無事終わり、大勢の人々は自警団などの警護のなか、石段を
下りて帰りました。
黒雲が去り澄んだ夜空にはオリオン座、冬の大三角形などきれいな冬星があり、
天も地も鬼たちが追い払われたようでした。
われわれは再び「さと」で暖かい飲物をいただいたあと解散しました。

        斑鳩の星空澄みて鬼やらい   常朝

        鬼やらい鬼の松明飛んできし  常朝

       (西円堂の追儺式の黒鬼:写真はすべてクリックで拡大)

       (投げられて堂の軒に当たった松明)

98.柳生・円成寺から月ヶ瀬の探梅

「アカシア紀行・俳句」2010年1月29日(金)


 睦月終りのやや寒いながら好天の日、いつものメンバーで
月ヶ瀬に探梅に行きました。
途中柳生の円成寺に立ち寄り、池の周囲を散策しました。
道路に面した入口に勧請縄が掛けられていました。
池には一羽の鴨が泳いだり身づくろいして水輪を立てています。
冬萌えの池の奥には小さな下馬の石がありました。

        冬萌えの寺に小さき下馬の石   常朝

       (円成寺勧請縄:写真はすべてクリックで拡大)


 その後、月ヶ瀬までの道の途中、茶畑の中に炭焼き窯があるので、
そばに車を留め、見せてもらいました。
あいにく窯の持ち主は不在だったので、話を聞くことが
できませんでしたが、以前訪ねたときは、謡を子供達に教えて
おられ、すべて持ち山の木から炭を焼いているとのことでした。
炭窯は冷やしている途中らしくまだ温もりがあり、
窯のうしろ側には蟻地獄がいくつもありました。


        炭窯に触れて温みを確かめる   常朝

       (炭窯:写真はすべてクリックで拡大)



 月ヶ瀬は江戸の昔から有名な梅の名所で、多くの文人たちも
訪ねたようです。
我々はまず南側から湖畔を通って月ヶ瀬橋を渡って山頂付近の
真福寺に行きました。
平安時代に建てられ、木造地蔵菩薩を安置しています。
月ヶ瀬の山道を登り、もう少しでお寺というところで
道の工事中で逆戻りさせられ、迷ったあげく茶作りや
奈良晒しを教えるロマントピアの構内の道をぐるぐる登って
やっとお寺につきました。
その駐車場で初めて月ヶ瀬の咲いた紅梅を見つけました。
いつもこの梅は早いそうです。
境内には、烏梅(うばい)の製法を伝えたという女官姫若の
梅がありました。
以前お話を聞いた寺近くの中西喜祥のお家を訪ねましたが、
ご高齢のため烏梅作りはやめられているとのことで
会えませんでした。
寺では作務衣の住職がひとり庭の世話をしたり赤蕪を洗ったり
しておられ、つぼみの「花橘」の名を教えていただきました。
庭には種々の木が植えられていますが、もみ殻の中から
福寿草が一花咲いていました。

        湖を見下ろす寺に福寿草   常朝

       (月ヶ瀬真福寺の梅:写真はすべてクリックで拡大)

       (真福寺の梅若の梅)

       (月ヶ瀬)


 お寺を辞してロマントピアから山上東500メートルほどの
尾山代遺跡を訪ねました。
ここは奈良時代の杣人(そまびと)の住居跡とのことで、
復元の杣住居と鍛冶小屋があり、紅梅にひとつだけ花が
咲いていました。

        梅咲くと声の聞こえて杣遺跡   常朝

       (尾山代遺跡)



 その後、東1キロほどの月ヶ瀬温泉で昼食後、
さらに東1.5キロほどの八幡神社を訪ねました。
そこには月ヶ瀬温泉の案内板にあったように、茅葺舞台がありました。
今は使われていないようでした。
参道の石段右のモミの木のような高い木は「広葉杉」との
ことです。境内隅には珍しい「日待ち講」の碑と庚申塚
があります。そばに阿弥陀寺があり弘法大師の石像が
立っていました。その後奈良のレストラン菊水でお茶を
いただき5時すぎ解散しました。


        鎮守社に茅葺舞台日脚伸ぶ    常朝

       (八幡神社の舞台)

2010年1月19日火曜日

97.三輪大社「大とんど」、素麵干しと藤岡家住宅

「アカシア紀行・俳句」2010年1月15日(金)


 小正月のやや寒いながら好天の日、いつものメンバーで
三輪大社の「大とんど」に行きました。
毎年この日に松飾りの注連縄やお札を、氏子などが持ち寄り、
大きな焚火(とんど)で燃やす行事(左義長とも)です。
8時から始まるというので、車で30分前に駐車場につき、
参道奥の御手洗所で手を洗いました。
柄杓の柄は氷でざらついていました。
本殿にお参りしたあと、左側の祈祷殿前にいきました。

 すでに6、7人の氏子らしい人が白い法被(?)を着て
「とんど」の準備中で、参拝者も数人待っていました。
8時前、本殿の方から、榊でお祓いする神官のあとに、
2メートルほどの大きな松明を持った神官がゆっくりと
「とんど」の前にきて、四方をお祓いしたあと、
恵方から松明でとんどに火をつけました。

「とんど」の周囲には4本の斉竹(いみだけ)が立てられ、
上部に垂(しで)のある縄が張られ、さらに上には大きな金網の
天蓋のような傘が取り付けられています。
火の粉や燃えさしが飛び散らないようにとのことでしょう。

 とんどの火を囲んでいると氏子の2、3人が細竹の先に針金をつけ
その下にお餅を4個くらいつけて餅焼きを始めました。
そばに福餅拝受所がるので、そこで受けた福餅を焼いているようです。
家から餅や金網を持参の人もいました。

        御手洗の杓の柄氷にざらつけり   常朝

       (三輪大社祈祷殿:写真はすべてクリックで拡大)

       (三輪大社のどんど)


 三輪大社を辞し、大鳥居の前の道を南へ100メートルほど走り、
飛鳥川の土手を東へ300メートルほどにある素麺(そうめん)の寒干しを
見学しました。背丈以上の素麺干し台が10台ほど土手に置かれて
白いカーテンのような素麺が風に少し揺れています。
素めん工場の玉井さんのご主人から素麺作りの歴史などを
うかがいました。天日干しは手間がかかるので、
今はほとんどが機械乾燥だそうです。
ここでも1、2時間干すとあとは扇風機のある室内で
乾燥させるとのことで、見ているあいだに奥様と二人で
干し台を工場の中に移動されました。


        素麺(そうめん)を干す風かすか初瀬川    常朝

       (素麺の寒干し)


 その後五條市栄山寺近くのレストラン「吉野川」で昼食後、
JR北宇智駅の西の藤岡家住宅を見学しました。

 2年前訪ねたときはは復興工事中でしたが、今は完成して一般公開されています。
入場券を300円でいただくと、ボランティアらしい人が案内と説明を
してくれました。

 部屋がたくさんあり、置かれている家具や書画、句軸、色紙などを、
巡って拝見しました。
藤岡家6代目の長和(ながかず)氏は内務省勤務で、熊本、和歌山などの
県知事を歴任、のちに藤岡玉骨(ぎょっこつ)の俳号で活躍しました。
阿波野青畝とも親しく多くの句軸色紙が展示されています。

 その兄弟の写真や明治の礼服も拝見しました。
28畳の大広間や、控室のある12畳位の立派な客室2つもあり、
句会などの会場に有料公開しているとのことです。
玉骨氏が退官後昭和20年から41年まで使った2階の書斎も拝見しました。
見晴らしがよく庭の長兵衛梅や雪の金剛山も見えます。
和室の喫茶室で地元産のいなか羊羹とコーヒーなどをいただき解散しました。

        俳人の書斎に雪の金剛山     常朝

       (藤岡家住宅)

       (玉骨氏の書斎机)

2009年12月12日土曜日

96.山科・大石神社、岩屋寺から伏見稲荷大社

「アカシア紀行・俳句」2009年12月4日(金)

 師走始めのおだやかな天気の日、
いつものメンバー7人で山科の大石神社ほかを訪ねました。

 大石神社は、昭和10年に創建された大石内蔵助を祀る神社です。
赤穂の大石神社は明治にたてられたそうです。
こちらの神社は京阪電鉄山科駅から南西へ約3キロ、バスで大石神社前ですが、
我々は車で、深草から府道35を東へ名神高速沿いに行きました。

 神社は山科の低い山のふもとにありますが、12月の義士祭りの幟があちこちに
立っていました。
境内への石段の両側に献燈台があり、一力亭などの提灯が掛っています。
境内のすぐ右に囲いがあり、「花子」という名の小馬が一頭いました。
説明板にはファラベラ・ミニホースという種で、10歳だそうです。

 本殿にお参りしたあと、境内やそばの池を散策、句碑を読んだりしたあと、
左手の宝物殿の展示を拝見しました。
四十七士の屏風や内蔵助の絵などがありました。
境内の紅葉は風もないのにゆっくり、ゆっくり散っていました。

        散りつつも紅葉輝く義士の杜     常朝

        紅葉散る間のほどよくて義士の杜   常朝

       (大石神社:写真はすべてクリックで拡大)
       (大石神社の紅葉)

       (大石内蔵助の絵)



 その後、近くの岩屋寺に行きました。
ここには元禄14年6月から翌年討ち入り4ケ月前の8月まで内蔵助が過ごした
大石邸の跡がありますが、神社と同じく、紅葉が大変きれいでした。
討ち入り後、邸宅、田畑などをすべて岩屋寺へ寄進したそうです。

「雪がきてなにもなき野をかざりけり  都峰」などの句碑があります。

寺の左手には産土神(うぶすな)の山科神社があります。
石段が高くで我々は登らず下から頭を下げただけでした。

       (岩屋寺)


 道を戻って、伏見稲荷門前の「稲福」で昼食後、
伏見大社に参拝しました。
さすがに大社は、平日なのに大勢の参拝客があります。
境内右手に舞台があり、奉納の舞がありました。
舞を奉納すると分霊をいただけるそうで紫の袱紗に包んでいました。
私は本殿奥の火焚き祭などの斎場へ行きましたが、ロープがあり
入れませんでした。
途中の参道に女占い師が小さな台をおいて、立ったまま、女の人の
占いをしていました。
奥の参道では中学生らしい女生徒たちが散ってくる木の葉を競って
受けようとしていました。木の葉に遊ばれているようでもありました。

        占いの女立ちをり冬の杜     常朝

        女生徒の群とたはむれ木の葉散る 常朝

       (伏見稲荷大社)

       (伏見大社の舞台)


 その後、伏見桃山城を訪ねました。
ここは2007年以降伏見桃山運動公園の一部になっていますが、
1964年(昭和39年)に、江戸時代の伏見桃山城を模して
つくられた模擬城で、城内の見学はできません。
庭には赤い橋もあり、桜などが植えられて広々とした公園ですが、
俳句はむずかしい感じです。
しばらくお城などを見た後、奈良・ドリームランド跡前のcocosで
小句会後解散しました。

        入場のできぬ天主に冬の雲 常朝
      
       (伏見桃山城)

       

2009年11月6日金曜日

95.大阪・河内・弘川寺から建水分神社ほか

「アカシア紀行・俳句」2009年11月2日(月)

 午後雨にあうとは予想できない良い天気の朝、
いつものメンバー6人で大阪府・南河内郡の弘川寺を訪ねました。

 ここは、葛城山の西の山麓にある、飛鳥時代に役の行者が開いたといわれる、
天武天皇の勅願寺で、鎌倉時代、西行法師が晩年を過ごした寺です。
本尊の薬師如来坐像は本堂の蓮華座に安置されていました。
我々は車で9時半集合しましたが、電車では近鉄・河内長野線の富田林駅から
河内行きバス(約20分)終点から歩いて10分とのことです。

 坂を登った駐車場に車をおき、階段を登ると、高い杉の木に
囲まれた本堂があり、張り替えた障子が数枚、縁に立てかけて
ありました。

 本尊にお参りしてから寺山の坂を登り、まず西行法師のお墓、
西行墳にお参りしました。
お墓は小さな台地の右奥にあり、直径10メートルくらいの円墳です。
西行墳の上には数本の背の高い木がのびており、木の走り根がお墓の周囲を
固めていました。
台地の左側には西行法師のお墓を見つけて庵をむすんだ似雲法師の
径3メートルくらいのお墓もありました。
ほぼ正面には、西行法師の
「願わくは花の下にて春死なむ・・・」の歌碑が建っています。

 そこから山を登ると、似雲法師の「花の庵」跡があり、ちかくに
阿波野青畝の句碑、さらに上には西行法師の庵跡があり、
つつじの返り花がたくさん咲いていました。
桜の木は沢山ありますが、いずれも薄紅葉でした。
1989年の八百年忌に西行墳の東3.5町歩の山地に千本の桜を植樹したそうで、
その桜が今大きく育っています。
当時は西行庵から須磨、明石が見えたそうですが、今は遠くにかすんで
須磨の海は見えませんでした。

 山を下りかけると時雨が降ってきました。
途中の西行堂でしばらく雨宿りしてから、本堂左手の本坊を訪ね、
お庭などを拝見し、西行記念館を見学しました。
中には、いくつかの西行法師像や似雲法師像があり、
狩野探幽の西行富士見図や西行物語絵巻など、貴重な寺宝、文献が
展示されています。


        西行墳覆ふ走り根小鳥来る      常朝

        紅葉越し須磨は見えずよ庵跡     常朝

       (弘川寺本堂:写真はすべてクリックで拡大)
       (西行墳)

       (青畝句碑)

       (西行庵跡)



 その後、道の駅「かなん」の向かいのレストラン、愚留芽で
昼食後、小句会を楽しんで解散しました。
我々奈良組は、その後楠公ゆかりの建水分神社や奉建塔を訪ねて
帰りました。
奉建塔そばの植込みには烏瓜がいくつも掛っていました。


        水分社の注連に初穂の垂(しで)掛る  常朝

        楠公の城跡赤き烏瓜          常朝

       (建水分神社)   
       (楠公・奉建塔)
       (奉建塔の案内)

 

2009年10月24日土曜日

94.虚子記念文学館から弓削牧場

「アカシア紀行・俳句」2009年10月22日(木)

 うろこ雲のさわやかな日、いつものメンバー6人で芦屋市の虚子記念文学館から
神戸市北区の弓削牧場を訪ねました。

 10時文学館集合でしたが、阪神高速大阪港線(阿波座-法円坂)が工事中で、
環状線東側から神戸線へ入ることができず、一旦信濃橋で降りて、中之島西から
高速道に再入路したのですが、環状線の出口、入口に迷って30分もおくれました。

 文学館は阪神芦屋駅から南500メートルほど、芦屋川西岸から西へ60メートル
ほどにある瀟洒な2階の建物です。
入口の3台くらいの駐車場に車をとめ入館しました。
10月3日から来年5月9日まで「虚子の著作展」を開催中で、2階には高浜虚子の
俳句入門書、小説、夏目漱石の原稿、子規の仰臥漫録などのほか、
「小牡丹といふといへどの紅ほのか」などの有名な句の句軸も展示されています。
虚子の紫檀の文机、旅行かばんなどもありました。
句軸を見ていると蚊が一匹寄ってきました。
30分以上も見学して、近くの芦屋公園の鵺塚(ぬえづか)を見ました。
京で源頼政に退治された鵺の死骸が流れついた所だそうです。

        なほ光る虚子の文机薄紅葉      常朝

        秋の蚊や虚子の句軸を見上ぐれば   常朝

       (虚子記念文学館:写真はすべてクリックで拡大)
       (ぬえ塚)

       (ぬえ伝説)


 その後、上宮川町の神戸屋で昼食後、国道2号線を西へ、六甲道路から
花山台経由で有馬街道に入り、箕谷近くの芝床交差点から弓削牧場に行きました。
牧場は神戸電鉄・山の街駅の東2キロほどの山のふもとにありますが、
牧場の門は小倉台の住宅地に接しています。
駐車場から坂を上ると、右手に牛小屋があり乳牛が10頭くらいいて、
へちまの花が咲いて、大きな実が数個成っていました。
外の囲いには子牛が数頭寝そべっています。
牧場にはレストラン(チーズ、ケーキなど)があり、お客も数組ありました。
畑や土手にはローズマリーなどのハーブが植えられています。
土手上に見晴らし台がありましたが、木が生い茂って牧場しか見えませんでした。
しばらく散策して、レストランの庭のテーブルで小句会後、ケーキ・ミルクを
いただき、4時半頃現地解散しました。      

        牛小屋の窓の暗きにへちま咲く    常朝

        ハーブの名聞きて忘れて鱗雲     常朝

       (弓削牧場の牛舎)

       (牧場レストラン)

       (見晴らし台より牧場)