2011年9月9日金曜日

135.暗峠・大福寺から慈光寺

「アカシア紀行・俳句」2011年9月8日(木)

 紀伊半島に大被害を与えた台風12号の去った9月の快晴の白露の日、
いつものメンバー7人で、4年ぶりに奈良生駒山の暗峠を訪ねました。
奈良の富雄川沿いから、狭い1車線の国道308を通り、追分本陣跡をすぎ、
榁木峠の大師堂(賢聖院)に立ち寄りました。(堂前の空地が工事中でした)

 巾3間位のお堂の扁額の右には奉納踊りの絵がかけられており、左に石仏、右手に梅の木があります。
工事の邪魔のようなので、すぐ退散、南生駒の小瀬西交差点から暗峠を登り、途中にあるお堂の前で駐車し、上部の欠けた石の阿弥陀如来を拝観しました。
お堂の後の木には「おいせまいり 伊勢本街道保存会」の札が掛かっていました。法師蝉が鳴いていました。

        (暗峠道の石仏堂:クリックで拡大:以下すべて)

        (石仏の説明板)


 その後、右へ降りる道から鬼取に入り、棚田の中の大福寺を訪ねました。
大福寺は行基開創ともいわれる黄檗宗の寺で本尊は釈迦如来だそうですが、
たまたま山門改修中で境内へ入れませんでした。
左の空地には韮の花、土手には臭木など秋の花が咲いています。
境内の3本の柿の木は早くも薄い柿色の実がついていました。
寺の横の細道から女の人2人が大きな袋2つを猫車に載せて、坂に止めた
軽自動車まで運んでいました。
何の袋ですかと聞くと、米(籾)で、猪に稲を食べられてしまわないうちに
(寺裏の田で稲を)刈っていますとのこと。

        鬼取の寺に咲きたる韮の花      常朝

        猪に喰われぬうちと早生を刈る    常朝

        (山門改修中の大福寺)


 その後、寺前の道を左に600メートル程登って、「鬼の茶屋」に行き、
茶粥定食を注文してテラスなどで待ちました。
テラスからは、矢田丘陵と生駒谷を一望でき、広々とした眺めです。
反対側には生駒山のアンテナが沢山見えます。

 テラスの椅子に坐って花などを見ていると左の薮から大きい威し銃の
音がドーンと聞こえました。
まだ黄色い赤とんぼも沢山飛んで、花には大きな熊蜂がきていました。
2、30分程して待望の茶粥定食ができたので、道を横切ってテラスまで
我々が料理を運び、2つのテーブルに分かれていただきました。

 女将さんによると、食材はすべて自家製とのこと。
茶粥、そうめん、野菜の天ぷら、糸南瓜のサラダ、玉ねぎの半切りの煮物など、500円とは信じられないほど、美味しくいただきました。
キバナコスモスのほかの花の名を聞くと、セイジ、花虎の尾、三尺バーベナ(紫)、蝶を呼ぶ木(?:紫色の小花)などとのこと。
花々には熊蜂やホバリングする蛾(多分ホウジャク?)も来ました。

        鬼取の谷ゆるがして威し銃      常朝

        鬼取の峠の茶屋の花野かな      常朝

        秋花の名聞けば蝶を呼ぶ木とよ    常朝

        (鬼の茶屋)

        (テラスから矢田丘陵)


 さらに道を登りコメディアン「宮川大助・花子」さんの立派な門構えの家を
左手に見て、山道を西畑町に降り308号線に戻り暗峠に12時すぎ着きました。
4年前と同じ石畳道ですが、右側のズイキの店はなく、その先に新しい倉庫が
建っていました。峠の大阪側で石畳の切れるところに百日紅が咲いていました。

        石畳の切れる峠に百日紅      常朝

        (暗峠卍堂と道標)

        (暗峠の石畳道)


 峠の卍堂や道標を見てから、車で600メートル程の
慈光寺を訪ねました。
慈光寺は役行者を開祖とする行者の寺で、今は真言宗、役行者が生駒山の
鬼を捕らえ、髪を切って弟子としたので、髪切山(こきりさん)という
そうです。
江戸時代には尊敬する慈雲尊者も何度も訪問されたとのこと。

        戸閉式の護摩壇組める白露かな   常朝

        (慈光寺山門)

        (慈光寺庫裏)

        (慈光寺開山堂)


小さな山門の前の石段を小さな蛇が右から左へ横切り、サツキの木の下に
隠れました。
境内は意外に広く、庫裏の右手の石段の上に開山堂、左には
小さな本堂があります。
開山堂右の小さな広場には9月17日の戸閉式のためでしょう、
護摩壇の木枠が組まれています。
左手には小さな石の野鳥塚もあり、木が茂ってうっそうとした感じです。
ミンミン蝉や法師蝉の声がうるさい程でした。

 メンバーの急な予定ができたので、しばらく境内を散策して1時15分頃、
お寺を辞して、奈良の自宅で句会後、4時前解散しました。
天気に恵まれて風の涼しい峠の吟行でした。

2011年9月1日木曜日

134.三重・松坂の奥香肌峡・蓮ダムから高見峠

「アカシア紀行・俳句」2011年8月31日(水)

 台風12号が近づく8月最後の日、いつものメンバー6人で、
三重県・松阪市飯高町の奥香肌峡の蓮(はちす)ダムと蓮八滝を訪ねました。
 
 蓮ダムは平成3年完成された、奥香肌峡にある東西3キロほどの人工湖ですが、
周囲には多くの美しい滝と渓流があります。

 我々が奈良を出たときは晴れていましたが、車で166号線の県境の
高見トンネルに近づくと小雨になりました。
高見トンネルを抜けて約3キロを右折して、加杖坂峠を登りました。
頂上付近に200メートルほどのトンネルがあります。
トンネル入口右に小さな祠があったので小雨の中車を止めて拝見しました。
格子戸の中に石の地蔵様が祀ってあります。
案内板には 栃谷、青田地区の地蔵菩薩と導祖神とあります。
お供えの「おにぎり」はカビが生えていましたが、大事に祀られているようです。

 右手にはトンネルができるまでの旧道の峠道がのぼっていきます。
トンネルの中に立つと寒い位の風がずっと吹いていました。

        隧道の涼風受けて石地蔵      常朝

        (加杖坂峠の石地蔵:クリックで拡大:以下すべて)


 雨の中峠を東へ降りると蓮ダムが見えてきて、辻堂橋を渡り、
ダム湖西岸を南下、蓮川中間橋を左に見て、さらに進むと丸い案内板が
立っており、「清瀬の滝」がありました。
雨の中の木陰の滝で少し薄暗い感じですが、小さいながら風情のある滝です。
周囲の木には臭木に似た白い花が咲いていました。

        降り止まぬ樹下暗かりき秋の滝   常朝

       (清瀬の滝)

       (清瀬の滝:案内板)



 さらに進み、木の葉に隠れた「蓮の滝」を通り過ぎ、蓮橋をダム湖の
東岸へ渡り北上すると、郷関の滝、屏風の滝、胡蝶の滝、紅蓮の滝、
枯淡の滝、萌芽の滝と、優雅な名のついた小さいながら美しい滝が
あります。全部で8つあるので蓮八滝と呼ばれています。
雨の中でもあり、我々は最初の清瀬の滝と、枯淡の滝、萌芽の滝のみ
駐車して拝見しました。
枯淡の滝の手前の道端に大きな金網箱の猪罠がありました。
餌の糠が入口に置かれていました。
仕掛けの紐はないので、猪が箱に入っても入口の網板は降りないようです。

       (猪罠)


 その後、枯淡の滝ではイワタバコの花、露草、キンポウゲのような花を見ました。
萌芽の滝では、野菊とヒヨドリバナが咲いていました。
いずれの滝も水量は多くありませんが高さは10メートル位はあり、
岩肌もきれいで風情がありました。
滝水は数メートル流れるだけで湖に吸込まれていきます。

        滝水の先はダム湖の静けさよ    常朝

       (枯淡の滝)

       (枯淡の滝の岩たばこ)

       (萌芽の滝)


 その後、ダムの下の道に入って、吊橋に乗り、ダムや霧の登る山を見ました。
近くにはレストランがないので、公園を探し、166号線入口の森公園の
四阿(あずまや)で、買ってきた弁当をいただきました。
デザートつきの豪華な(?)弁当昼食です。

        ダム見上げ囲める山の霧見上ぐ    常朝

       (ダム下の吊橋)

       (霧に包まれる蓮ダム)


 166号線を西へ戻り、高見峠に登りました。
三重県側から登りましたが道が長く険しく10分位かかった気がします。
峠の頂上は伊勢からの霧が吹き上げて、大和の方へ流れ体が押されるほどです。
登山口の鳥居や本居宣長の歌碑をみたあと、奈良側の峠道を166号線へ降りました。
こんな急な峠道を宣長も歩いたとは。

        吹き上ぐる霧に押さるる峠かな   常朝

       (高見峠の登山口)

       (本居宣長歌碑の説明板)


 その後針ICの針テラスに戻り、イタリアン・レストラン「メルカートロッソ」で
小句会後解散しました。
奈良では雨は止んでいました。

2011年8月19日金曜日

133.滋賀・醒ヶ井から養鱒場

「アカシア紀行・俳句」2011年8月11日(木)

 立秋をすぎてもまだまだ暑い日、避暑をかねて、いつものメンバー5人で、
梅花藻(バイカモ)で有名な滋賀県醒ヶ井から醒ヶ井養鱒場を訪ねました。
醒ヶ井は江戸時代から中山道69駅61番の宿場町として栄えましたが、
今は湧水の地蔵川に咲く梅花藻などで有名です。

電車などではJR東海道本線の醒ヶ井駅ですが、
我々は車で、奈良を8時に出て京阪奈道、京滋バイパス、名神高速を
利用して、10時半頃醒ヶ井水の宿駅に着きました。

水の宿駅に車を置いて、21号線の道路を越えた駅の南側の道を
東へ数分歩くと、いきなり梅花藻がゆらぐ地蔵川に出ました。
川沿いの道は広く車も通らないので歩きやすかったです。

 地蔵川は巾3メートル程の浅い湧水の川で、水源地は600メートル程
東へ歩いた加茂神社の下の岩です。
川の南側の家はすべて巾2メートル弱の橋があり、家から石段で
川に降りるようになっており、ある家では女の人が白い布を
すすいでいました。盆花を川に浸している家もありました。

        梅花藻の花にあらたな波生まれ     常朝

        梅花藻の流れに浸す精霊花       常朝

       (醒ヶ井の梅花藻:クリックで拡大:以下すべて)

       (地蔵川ですすぐ)


やや上流には地蔵堂があります。これが川の名の由来でしょう。
昔干ばつのとき、伝教大師(最澄)が大きな石の地蔵尊を彫刻して
祈願されたら3日間雨が降ったとかで、最初は川の中にあったのを
お堂にお祭りするようになったそうです。

       (醒ヶ井地蔵尊)
 
       (地蔵尊説明板)


 加茂神社まで歩いて、水源地を見た後、資料館近くの川岸で、
ハリヨという琵琶湖の魚を泳がせている水槽を見ました。
醒ヶ井の地名の由来は、昔日本武尊が、怪我を癒したためとのことです。

        梅花藻の清水は神の岩間より     常朝

       (加茂神社:クリックで拡大:以下すべて)

       (湧水:神社の下:これが水源地)

       (ハリヨ)

       (ハリヨの説明板)

       (西瓜を冷やす店)


 川でスイカを冷やしている店でトマトや鮎の天ぷらなどを
それぞれ食べ、涼しい川沿いの道をゆっくり歩いて、駅に戻り、
車で3キロほどの養鱒場を訪ねました。
南入口のレストラン「養鱒センター きたがわ」で鱒や岩魚の料理をいただき、
養鱒場を少し歩きましたが、時間もなくなったので戻りました。

 梅花藻の川も、養鱒場も木陰が多く、涼しい一日でした。

       (養鱒場南の入口)

       (養鱒場料金所)

2011年8月8日月曜日

132.滝谷不動から滝畑ダム

「アカシア紀行・俳句」2011年8月7日(日)

 8月立秋前日の暑い日、避暑をかねて、いつものメンバー6人で、
大阪府南部、富田林市の滝谷不動から河内長野市の滝畑ダムなどを
訪ねました。

 滝谷不動は821年弘法大師が開いたといわれる「滝谷不動明王寺」ですが、
大阪方面からは、近鉄河内長野線で滝谷不動駅から東へ徒歩15分らしいです。
我々は車で国道旧170号線を古市方面から南下、錦織交差点を東へ左折
約700メートルのお寺の駐車場(本堂から201号線を隔てた東南)に
駐車しました。

 まず道の南側の不動滝を拝見、身代わり泥鰌(どじょう)を
放生しました。
身代わり泥鰌は身の災難を背負ってくれるという言い伝えがあり、
参拝者が来るたびに、1匹ずつコップに入れられた10センチくらいの
泥鰌を、玉垣の台に設置された樋に流して放生します。
そばの小屋には滝守(?)のおばさんが一人、泥鰌のコップを台に
並べていました。

 我々もそれぞれ100円を置いて放生しましたが、
泥鰌は玉垣から垂直におろした2メートルほどの樋を伝わって
下の小川に流れ、元気よく泳ぎだします。
小川は不動滝からの流れで底は岩か砂のようで、泳ぐ泥鰌が
上からよく見えます。私は放生前に願いごとを言うのを忘れましたが。

        放たれし泥鰌の元気谷不動     常朝

       (滝谷不動山門:クリックで拡大:以下すべて)

       (滝谷不動案内図)

       (身代り泥鰌の放生)

       (泥鰌の小川)


 その後、滝行場となっている不動滝を拝見しました。
高さ5メートルくらいの細い滝ですが、周囲は丁寧に積まれた石垣で、
水しぶきもあるためか、涼しくて気温は25度くらいでした。

       (不動滝)


 道を越えて、本堂に参拝しました。
本堂前の香盤の屋根には大きな葭簀が立てられていました。
案内図には多宝塔などもあるのですが、暑いので
境内を歩きまわるのはやめ木陰で少し涼みました。

        香盤の屋根に立て掛く大葭簀    常朝

       (滝谷不動本堂)


 11時頃お寺を辞して、約15キロ南の河内長野の滝畑ダムを訪ねました。
旧170号線を南下し、河内長野駅の西の本町7つ辻は、ややこしい辻ですが、
218号線を南下し、トンネルを越えて滝谷ダムに着きました。
滝谷ダム近辺は48滝もあるという渓谷ですが、
日曜日のためかキャンプ場や主な滝入口の駐車場はいずれも満車でした。
道は狭く、戻る車との交替も難しいほどなので、我々はダムを過ぎて
61号線の御光滝入口から400メートル程南の谷道に車を止め、
杉山の川辺に下りました。

 そこはたまたま2、3ある滝の上の浅瀬で、滝下から家族連れで浮輪を
持った子供達のはしゃぐ声が聞こえました。
父親に抱かれた子が滝に打たれてキャーキャー騒いでいました。
滝上の浅瀬の石にはゴリ(鮴)の子が数匹止まっています。
カナカナの声も杉山に響いていました。

        鮴の子のとまれる石に谷日差    常朝

        抱かれて滝水受く子声を上ぐ    常朝

       (滝畑の川)

       (滝畑の小滝)



 半時間ほど川辺で涼んだ後、ダムとは反対の方向ですが、
61号線の南の蔵王峠を越えて、和歌山県かつらぎ町に降り、
24号線の西の名手駅手前の華岡青洲の家のレストランで
昼食バイキングをいただいた後、橋本市から371号線を
北へ新170号線に戻り、錦織公園の北の蘭館で小句会後解散しました。

       (華岡青洲の家のレストランからの眺め)

       (蘭館のメニュー一部)


 あまりよい俳句はできませんでしたが、下界の暑い日、
涼しい一日を過ごすことができました。 

2011年7月24日日曜日

131.能勢妙見・野間の大欅・長谷の棚田など

「アカシア紀行・俳句」2011年7月23日(土)

 峰雲の湧く大暑の日、避暑をかねて、いつものメンバー7人で、
大阪府北部の能勢妙見山などを訪ねました。

 能勢の妙見山は1603年清和源氏の流れをくむ能勢頼次が帰依した
日蓮宗の日乾上人が、法華経の守護神である妙見菩薩(北極星の化身)を
山上に祀ったのが始まりで、頼次公が開基とされています。

 電車では能勢電鉄の川西能勢口から妙見口駅(約30分)経由でバス
またはケーブルで参詣できます。
我々は車で阪神高速・池田線11号線から423号線を利用しましたが、
11号線では大阪空港の北側でまっすぐ池田市の方へ出てしまいました。
迷ったあげく、171号線、113号線、176号線経由で10時前池田木部の
ローソンで集合後、423号線の妙見口を左折し妙見荘を左折して、
山を登り駐車場に着きました。

 門前は土産物店が1、2軒あるだけですが、神仏習合の大きな鳥居をくぐると
青銅の神馬像が左右に4頭も建っています。
妙見菩薩のための馬だそうで、お腹には能勢家の家紋である
大きな金色の矢作十字があり、足首には青い布を巻いていました。

       (妙見山案内図:クリックで拡大:以下すべて)

       (妙見山の鳥居)

       (妙見山の神馬)


 石段をさけて、右手の参道を行くとうっそうとした檜林で、
夏鶯が鳴いて、京大地震観測所(無人)がありました。
境内には絵馬堂、経堂、待合所、祖師堂などがありますが、
本殿では虫払会の祈祷中で、待合室で休んでいると、
リズミカルな木鉦の音に合わせて早口の数人のお経が聞こえ、
しばらくすると太鼓が聞こえ、それも止むと蜩の声が聞こえました。

 外壁の虫払いの貼紙を見ていたら、お坊さんがきて、虫払いを説明
してくれました。
煩悩の虫を払ってもらうのが目的ですが、もとは、道教の庚申信仰で、
60日ごとの庚申の日の夜、人のお腹から三尸虫(さんしのむし)が
出て天帝にその人の悪事を報告するので、集まって一晩中起きていた、
というようなことがあり、天帝(北極星)である妙見菩薩に、
虫の話を「むし?」するよう頼んだのがはじまりだそうです。
祈祷では霊刀「浪切丸」を頭に当てるそうです。
7月の庚申は4日ですが、虫払は7月22~24日となっています。

 境内にはご神水の浄水堂があり山の清水が龍口から出ています。
また南の石段を上がると山門の奥に大きなガラスの信徒会館が
あり、見晴らしは格別でした。


        木鉦のリズムの中に清水汲む    常朝

        山門に温度計掛く峰の夏      常朝

       (神馬の祠:クリックで拡大:以下すべて)

       (妙見山本殿)

       (妙見山絵馬堂)

       (妙見山浄水堂(ご神水))

       (山門の温度計 24度)


 その後、4号線を野間峠を西へ越えて、野間の「大欅」を訪ねました。
樹齢千年以上と推定される「けやき」は高さ30メートル、幹周り14メートル、
枝張り東西42メートルという巨木です。
何人かの人がベンチに腰掛けて見上げていましたが、中の一人の主婦が
朝アオバズクの子供達が3羽いたが全部飛び立ったと教えてくれました。
木陰も100坪以上あるのですが、陰の南縁に向日葵が咲いています。
近くに「けやき資料館」もあり、木瘤や古墳時代の壺などの他、
保存工事の写真、アオバズクの写真なども掲示されていました。
大欅は昔ここにあった蟻無宮という神社の神木だったそうで、
神社名の由来は紀貫之の歌
「手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそあるけれ」
からきたらしいです。

 昼食の場所を聞くと親切な男性が近くのレストラン「けやき」を
教えてくれ、車を走らせて、開店中を確認してくれました。
そのレストランで昼食をいただき、女将に色々話を聞きました。
8年前開店し、暇をみては畑で玉ねぎワケギなどを作っているとのこと。

        大欅の蔭百坪に蝉時雨       常朝

        向日葵に影届きをり大欅      常朝

       (野間の大欅1)

       (野間の大欅2)


 そのあと、さらに4号線を西へ森上の西の長谷(ながたに)の棚田を訪ねました。
長谷は名の通り、東西1キロ、南北300メートルほどの広大な棚田ですが、
我々は川沿いの道からほぼ中央の道を南へ登り、上から棚田を見ました。
広すぎて全貌は見えませんが、走ってきた道が向いの山すそに白く見え、
広々とした眺めでした。小学生が一人自転車を押して坂を登って来ました。
道端には南瓜の花やノウゼンカズラが咲き、鴨の小屋にマガモやアイガモ
数羽がゲーゲー鳴いていました。

 
        花南瓜棚田見下ろす溝に沿ひ    常朝


 その後、173号線を南へ池田木部へ戻り、高速入口東の
ベビーフェースでかき氷をいただき、小句会後5時半頃解散しました。
店内は音楽が少しうるさい位でしたが、大暑にしては涼しい一日を
過ごせました。