2012年2月27日月曜日

144.城陽市・青谷梅林から水度神社・龍福寺

「アカシア紀行・俳句」2012年2月26日(日)

 2月の寒い日曜日、梅の花を見ようと、いつものメンバー6人で
城陽市・青谷梅林から水度神社龍福寺などを訪ねました。

 青谷梅林は城陽市の市辺(いちべ)にあるはずですが、
10時前国道307号線から西生寺方面に入ると、
それらしい梅まつりの旗がありません。
通る人から場所はもっと北だと教えていただき、
昔ながらの家並みの中の狭い道を折れ曲がって、
やっと梅林の駐車場に着きました。

 場所は南城陽中学の北東300メートルほどですが、
車では、307号線青谷橋を左折北上すると青谷小学校と
南城陽中学の間位に梅まつりの旗と案内板があります。

 梅林入り口の農家の庭も駐車場だったので、500円で駐車させてもらい、
前庭で売っている梅干、白菜、人参、ごぼうなどを皆で山程買いました。
すべて新鮮で安いので梅見などはどうでもよいといった感じです。
人参などは我々が裏の畑で適当に引き抜くので畑直売です。

 梅祭の会場は駐車場から東へ歩いて5,600メートルほどで、
途中笹原に添う地道で、鶯の初鳴きを聞きました。


        梅祭着くなり山程野菜買ふ    常朝

        初鶯地道ゆっくり踏みゆけば   常朝

        (農家の直売:クリックすると拡大:以下すべて)

       (青谷梅林の紅梅)


 会場には大きな売店が3つあり、着ぐるみのプラムちゃんが子供達と
写真を撮ったりしています。
自転車の紙芝居屋さんも来ていますが、まだ寒いので、
客もいず、手持ち無沙汰のようです。
薪割りをして焚火をしたり、餅つきの準備をしていました。
肝心の梅はまだ殆ど蕾で、数本の紅梅、白梅が1分咲き
といった感じでした。例年より2週間ほど遅いそうです。
甘酒で少し身体を温めてから、駐車場へ戻りました。
南側の道を戻る途中、鉢巣箱や白菜、壬生菜畑があり、
三の口という樫林の中に高さ1メートル程の竹の祭壇を組んで
山神を祀っていました。多分カラスのしわざでしょう、
供えた皿の米があたりに散らかっていました。
戻る途中の白梅に日が差してきました。

        日当たれば風止みにけり梅の花  常朝

        土竜威音快き壬生菜畑      常朝

        (梅祭の売店1)

       (梅祭の売店2)

       (紙芝居屋)

       (山神:三の口)


 24号線を北上して、城陽市役所北の「さと」で昼食をいただいた後、
市役所東の水度(みと)神社に参拝しました。

 高い木々に囲まれた参道を600メートルほど進むと
鴻ノ巣山のふもと駐車場があります。
由緒書きによると旧寺田村の産土神社で、祭神は

 天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
 高御産靈神 (たかみむすびのかみ)
 少童豐玉姫命(わだつみとよたまひめのみこと)

とのことです。
白鶴、城陽などの酒樽を積んだ立派な拝殿の左、唐門の奥に
朱塗りの本殿があります。
 裏手には榊の若木を植えた神籬(ひもろぎ:神域)があり、
境内には紅梅が咲いて、珍しい3本の葉の松「ダイオウショウ」の
三針葉が枝に掛かっていました。

        三針葉掛かってゐたる神の梅   常朝

        (水度神社の拝殿)

       (水度神社の本殿唐門)


 その後参道を戻る途中、JR踏切を西へ渡ったすぐそばの「玉池」を見ました。
この池には夜叉婆さんの伝説があり、

 昔庄屋の娘が何度も婚家から返され、夜叉といわれたり
したのを悲観してこの池に身をなげたそうです。
以来この道は嫁入り行列は通らないとか。

 今は護岸され噴水が並んでいます。
参道の北側に人面の瘤がある椋の木があり、
夜叉ばあさんの木というそうです。

        人面の瘤ある椋の芽吹きかな   常朝

       (夜叉婆さんの木)


 再び市辺に戻り、中天神社のそばに車をとめ、龍福寺を訪ねました。
龍福寺は浄土宗の寺ですが、本堂には涅槃図が掛かっており、
左の7、8段もある雛壇にひな土鈴が沢山飾られていました。
本堂にも庫裏にも人がいないようでしたが、お賽銭を入れて、
3色豆のようなお下がりをいただきました。
境内右手の坂の祠には歯痛地蔵が左手をほおに当てていました。
境内には三椏の花が咲いていました。
隣の中天神社の拝殿にはおかげ参りの奉額が、牛若丸の額の横にあり、
道真公の「東風ふかば・・・」の歌碑がありました。

        涅槃図の掛る御堂の暗さかな   常朝

        (龍福寺本堂)

       (龍福寺の涅槃図)

       (龍福寺のひな土鈴)


 3時すぎお寺を辞して梅谷口青葉台ゴルフ場の杏樹で小句会後
解散しました。

2012年2月12日日曜日

143.桜井市・江包の綱掛祭から長谷寺

「アカシア紀行・俳句」2012年2月11日(土)

 建国記念日の土曜日、いつものメンバー7人で奈良桜井市の
江包(えつみ)での綱掛祭から長谷寺に吟行しました。

 江包の綱掛祭は、素盞鳴(すさのお)神社の由緒書きによると、
素盞鳴命と稲田姫(いなだひめ)命の結婚式で、
江包地区から素盞鳴命の男綱、大西地区から稲田姫の女綱を運び寄り、
牛頭神社(素盞鳴神社)の神前で夫婦の契りを結ぶ神事とのこと。
入船の式ともいい、無形民俗文化財に指定されています。

 ここは名の通り川に包まれているため、昔から水害が多かったため、
水害と疫病を治め、豊作と子宝を祈願する祭とのこと。
また祭の間に泥相撲をし、豊作を祈るそうです。

 地区には駐車場がないので9時頃大三輪神社で集合し、タクシーで
約3キロほど北西の江包に行き、雄綱の出発地の春日神社まで歩きました。

 江包の春日神社は20メートル四方位の神社ですが、9時半頃着くと
すでに男綱が境内に置かれて、20人位の男達に担がれ「よいそれ」の
掛け声で神社の周囲を巡り神社に戻りました。

 男綱は直径1.5メートル、長さ約3メートルの円推形(釣鐘状)で、
尻尾約60メートル、重さ600キロくらい、わらは2000束程で、前々日に
つくるそうです。

 神社の南0メートルほどの田が泥相撲の場所で畦道で待っていると、
地区の人がホースで田に水を入れ始めました。
大きな田の北隅8メートル四方位を泥田にして、土俵とします。
しばらくすると再び男綱が担がれてきて、田の中に入り、
泥田のすぐ西側に置かれました。
素盞鳴命に相撲をお見せするのでしょうか。

 11時前、作業服を着た男たちが10人位と軍配のうちわを持った行司が
田に入り、二人ずつ相撲が始まりました。

 周囲はカメラマンなど100人位の人が土俵を囲み、声援を送りました。
そのうち、相撲の二人が行司を捕まえて泥田に転がしたりするので、
無茶苦茶な泥仕合となりました。皆大笑いと拍手です。

        田遊びの行司も転ぶ泥相撲  常朝

        (春日神社:クリックすると拡大:以下すべて)

       (泥相撲)

       (行司も倒された)

 11時すぎ、西の初瀬川(大和川)の対岸の道を、神主と大勢に担がれた
女綱が掛け声と共に綱掛橋を渡って、素盞鳴神社につきました。
女綱も男綱と同様、藁2000束分600キロ以上あるという、
直径1.5メートル、長さ6-7メートルの円筒形で、尻尾約100メートルも
あり、龍の形を模しています。

 我々も、田から100メートル程西の素盞鳴神社に移動して、
入船儀式の準備である、神社の「ひょうもく」という木(椋の木?)に
女綱を掛けるのを見物しました。ハシゴを3本も使い、
やっとのことで、11時半頃女綱をかけ終わると、羽織姿の仲人が
田んぼで休んでいる男綱も迎えに行きます。
何度も仲人が神社と男綱を往復しました。7回半往復したそうです。

 女綱が掛けられた頃から泥ずもうが再開されました。
その後相撲は終わり、12時半頃神主と男綱が田んぼの中を突っ切って、
素盞鳴神社にきて入船儀式が始まりました。
挨拶もそこそこに、男綱が女綱の下部の輪に差し込まれると、
男綱も慎重に別の木に掛けられ、儀式が終わりました。


        泥はねて春田突っきる男綱かな  常朝

        女綱には色気ありけり春祭    常朝

        綱掛けの藁屑飛び来春祭     常朝

       (素盞鳴神社)

       (綱掛橋を渡る女綱)

       (男綱を待つ女綱)

       (田から出た男綱)

       (結婚式が終わった綱)


 その後、神社で祝詞が上げられますが、すでに1時頃となり
お腹もすいたので、我々はタクシーで大三輪神社に戻り、
大鳥居の脇の山和で昼食をいただきました。

 2時すぎ、車で東へ約8キロの長谷寺へ寒牡丹を見に行きました。
暦ではすでに春ですが、長谷寺の長い登廊の右側には、
藁苞に包まれた牡丹が、10数株大きな花をつけていました。
すでに多くは花びらが散りかけですが、蕾もありました。
 さらに山上の本堂を参拝後、左の石段を降りて、本坊前の
寒牡丹を拝見しました。ここも10株位ですが大きな花でした。
出合う坊さまは皆若くてやや華奢で丁寧に挨拶されました。
 また山門右下の駐車場からは足の弱い人を山上の本堂前まで
車の送迎サービスがありメンバーの一人がお世話になりました。


        登廊の休み休みに寒牡丹     常朝

        若僧の歩みは華奢よ寒牡丹    常朝

        (長谷寺山門)

       (寒牡丹)

       (本堂舞台から本坊を望む)

       (本坊から本堂を望む)


 3時半頃お寺を辞して、桜井165号線沿いの天平庵で
小句会後5時半すぎ解散しました。
風はやや寒かったですが良い天気に恵まれた吟行でした。

2012年1月31日火曜日

142.八幡市淀城跡から石清水八幡宮鬼やらい

「アカシア紀行・俳句」2012年1月29日(日)

 大寒の日曜日、いつものメンバー7人で京都伏見の淀城跡から
八幡市・石清水八幡宮の鬼やらいを訪ねました。

 鬼やらいは午後だったので午前中八幡宮の北東約3キロの
淀城跡を訪ねました。
ここは豊臣秀吉の側室淀君(浅井茶々)の城であった淀城とは別の城で
江戸時代春日局の子孫稲葉正知(まさとも)以来稲葉家の城だったようです。
淀君の城はここから約500メートル北の納所(のうそ)付近にあったとのこと。

 電車では京阪本線淀駅から西へ100メートル位ですが、
車で奈良方面からは24号線大久保バイパスより15号線を西へ4キロ
ほどで出合う13号線(旧京阪国道)を東へ0.5キロで右折します。
少しややこしいですが、淀城跡公園の周囲を北側から右に回ると、
與杼(よど)神社脇の駐車場があります。

 11時前着くと、與杼神社のそばに別の古い稲葉神社があり、
破れ太鼓が社務所の軒に吊られていました。

 たまたま居た70才位の男性が、我々を20メートル四方位の
天守閣跡に案内してくれ、古井戸の蓋から小石を投げ入れさせました。
深さ10メートルくらいの水音がしました。
昔埋蔵金目当ての盗掘があったので今は天守台は立入禁止とのこと。

 城趾は公園で四阿があり、周囲に説明板、石碑などがあります。
冬芽の大銀杏や山茶花、モチノキ、南天などがあります。

 説明板によると、この城は桂川、宇治川、木津川が合流して淀川になる
船運の要所だったそうで、朝鮮通信使も立ち寄ったそうです。
北西側は濠で、北端には淀城や朝鮮通信使の船の模型が置かれていました。

        三川の集まる城址冬の雲     常朝

        城石に丸に十の紋風花す     常朝

        (淀城石垣:クリックすると拡大:以下すべて)

       (唐人雁木の説明板)

       (天守閣の古井戸)

       (石垣の石)

       (淀城模型)

       (稲葉神社の説明板)


 その後、13号線を西へ八幡市に入り、22号線を南下して国道1号線の
八幡中代のバイキングレストラン「露庵」で昼食後、12時半頃
石清水八幡宮へ向かいました。

 鬼やらいは節分の神事で、通常2月3日の鬼追いと豆まきなどの行事ですが、
石清水八幡宮では、3日が日曜でないかぎりその前の日曜日に
おこなわれるとのことです。

 八幡郵便局の前の道を西へ、指月交差点の西から北上し、
八幡宮のある男山の南側から山上駐車場に向かいました。
すでに麓から一本道は渋滞で、1時頃からゆっくり進み、
2時15分頃やっと山上の第三駐車場に着きました。
駐車場から屋台を抜けて本殿前に進むと、
すでに鬼やらいは終っていました。
豆まきで福豆を拾ったのは途中から歩いたメンバー2人のうちの
1人だけでしたが、終わりの行列が戻るのを見ることができました。
日差も最初は良かったですが、終わるのを待っていたように
雪がちらついてきました。

 禰宜たちが豆屑を掃いている本殿前の特設スロープを登り、
本殿を参拝して、破魔矢祓いの巫女の舞などを見ていたら
本殿前で2月の湯立神事の準備の杭を打ち始めました。
杭打ちのため鬼よりでかそうなガードマンが我々を移動させました。


        鬼やらい果てし齊庭によき日差    常朝

        福豆の袋ひとつを分けらるる     常朝

        (石清水八幡宮)

        (鬼やらいの太鼓)

        (本殿前の杭打ち)

        (鬼やらいの桃の枝)


 3時頃、八幡宮を辞して奈良に戻り、黒髪山のcocosで
小句会後5時半すぎ解散しました。

2012年1月10日火曜日

141.蘇我邸跡、飛鳥神社から綱掛神事

「アカシア紀行・俳句」2012年1月9日(月)

 龍の年の成人の日、いつものメンバー7人で奈良・飛鳥川の
勧請縄の綱掛神事(お綱掛け)に参拝しました。

 神事は午後だったのでその前9時半頃飛鳥駅前の夢販売所で
集合後、甘樫の丘の東南のふもとの蘇我邸跡の発掘現場を
見学しました。

ここは1977年頃からの発掘調査で、飛鳥時代権力のあった蘇我家の
邸宅の跡と推定され、何度か現地説明会があった所です。
駐車場のすぐ北側約80メートル四方の現場には今は誰もいませんが、
手前の30X10メートル位は発掘中らしくシートが掛けられており、
南端で水中ポンプが音を立てていました。
説明図によると長さ10メートル程の建物の跡がいくつかあり、
外からは見えませんが石垣跡もあるようです。


        蘇我邸の発掘現場冬ざるる     常朝

        (蘇我邸発掘現場:クリックすると拡大:以下すべて)

       (説明板)


 その後、飛鳥寺東の飛鳥神社を訪ねました。
ここは事代主命を祀る神社で、代々飛鳥家が宮司ですが、
折口信夫(釈迢空)の祖父が養子となり宮司を務めたこともあり、
何度か訪ねたようで、釈迢空の歌碑もありました。
鳥居の前には橘の木が実をいっぱいつけていました。
急な石段をのぼると拝殿があり、お酒などが供えてありました。
拝殿から見える本殿には小石を積んで供えてありました。

 境内には陽石があちこちにあり、結びの神石と名付けた
陰陽の石の対に注連縄があります。
右奥の奥社には高さ1メートルほどの陽石が祀ってあります。
毎年2月第一日曜に行われる夫婦和合の奇祭:おんだ祭
(御田植祭)は有名です。
拝殿の右には寒桜が咲き、ヒヨドリが鋭く鳴いていました。
絵馬掛けには合格祈願などの切実な言葉が沢山ありました。
 参拝後しばらくすると、数人の男女がきて、拝殿で祝詞を
合唱(?)しました。

        奥社に陽石ひとつ冬籠り     常朝

        絵馬祈願うなづき読みし冬の杜  常朝

        (飛鳥神社)

        (飛鳥神社由緒)

        (飛鳥神社拝殿)

       (奥社の陽石)


 境内を散策したあと、飛鳥駅南の「ペンション飛鳥」で
昼食をいただき、綱掛神事のある稲渕へ行きました。

 我々が着いた1時頃にはすでに10台位の車が稲渕の大橋の手前
(北側)の駐車場にありました。
橋のすぐ手前の道脇にテントが2つあり、
暖かい甘酒が振舞われていたので、一杯ずついただきました。
対岸の棚田の中腹には青い龍がこちらを見ていました。

 神事は3時頃からとのことでしたが、橋の下の狭い平地では
数人の地元の人々が勧請縄を準備中でした。
飛鳥川の勧請縄は2つ(男綱と女綱)があり、こちらは男綱で、
女綱は1キロほど上流の柏の森地区の入口にあります。
従来男綱と女綱の綱掛神事は同じ1月11日に実施されていましたが、
人手不足のため今年から、9日と11日に分けて行われるようになった
とのことです。

 すでに、下の小橋の上には祭壇が置かれ、欄干には、
蜜柑と神事の祈願紙が先に取付けられた長さ1メートル程の竹串が
100本ほども立てかけられています。
地元の人々が順次串を立て、遠方からの人も含め100人以上の人が
集ったようです。

 しばらく時間があったので、150メートルほど上流の
板橋の行き飛び石を見ました。昨年夏、蛍狩で来た所です。
また、小橋のすぐ上流に井堰があり、取水口で別れた水が
大橋下で飛鳥川に戻っていました。

        井堰より分かれて戻る冬の水   常朝

        飛び石の道の細きに水菜畑    常朝

        (降ろされた古い男綱)

       (飛鳥川の飛び石)



 2時すぎから、川の両岸に掛かる70メートルもある、
古い男綱が降ろされました。
橋の上から道の脇に新しく藁で編まれた綱が伸ばされ、
真ん中に太さ30センチ以上、長さ1メートル以上の藁で編んだ
円筒形(男性シンボル状)が取付けられました。、
同時に綱の2メートル毎に、榊枝、紙垂(しで)、藁を順に
取り付けるのですが、数が多いので我々参加者もも手伝いました。

 2時半頃、新しい綱が掛けられ、紙垂の白い紙が、寒風に
音を立ててはためきました。
綱掛けの途中、車が来ると、2、3人で綱を持ち上げて、
「とおりゃんせ」をしていました。

 3時過ぎ飛鳥神社の飛鳥宮司が見えて、神事が行われました。
3時半頃終わったあと、祈祷の串と蜜柑をいただきました。
祝詞の途中冬風が吹き時雨が来ましたが、帰りの車に乗ると止んでいました。

        お綱掛け祝詞を飛ばす寒の風    常朝

        (祭壇とみかんの竹串)

        (柿の木に掛けられる男綱)

       (綱掛神事)

        (掛けられた勧請縄・男綱)

 その後神事でお会いした結社のImさんを橿原神宮駅まで
お送りし、橿原観光ホテルで小句会後、5時半頃解散しました。
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2011年12月5日月曜日

140.信貴山大根焚き・雁多尾畑

「アカシア紀行・俳句」2011年12月4日(日)

 師走の冬晴れの日曜日、いつものメンバー6人で奈良・信貴山の
大根焚きのあと雁多尾畑(カリンドオバタ)を訪ねました。

 9時半頃我々が信貴山朝護孫寺の駐車場に着いたときは、
もうすでに50台分くらいの駐車場はほぼ満車に近いほどでした。

 さっそく、塔頭のひとつ千手院に参拝すると、
法要開始の10時前でしたが、受付で一人ずつ受付用紙をもらって
名前と祈願を記入し、大枚1000円を納めて護摩木をいただきました。
そこにあらためて家内安全などの祈願文字と名前を記入し、
護摩壇前の台に置いてもらいました。
次から次へと入ってくる信者には大柄の僧が祈願記入などを
案内していました。

 我々は開始前に大釜で煮られている大根焚きをお椀でいただきました。
大根は信州産とのことで、大釜の大根がなくなると次から次へと
庫裏で既に煮られた3センチ程に切られた大根が大型バケツで
運ばれてきます。
5、6人の堂守らしい人が釜の周囲でお椀に大根を入れて箸を渡したり
戻りの椀を受けたりと大忙しです。

 そのうち法螺の音で法要が始まり、釜の横の護摩壇の周囲に
行者が並んで、法螺を吹いたり、心経や真言を唱えたりして
護摩に火がつけられ、白煙が境内をかけまわりました。

 法要が終り火も下火になった頃、護摩壇の前で一人ひとり行者さんに
背中に散杖(さんじょう)とかいう棒を当てて加持祈祷をしてもらいました。

        大根焚案内係は大坊主       常朝

        護摩の煙釜にも届き大根焚     常朝

        (千手院境内:クリックすると拡大:以下すべて)

       (大根焚きの釜(中央))
 
        (大根焚きの法要)


 11時過ぎになったので、近くの信貴山観光ホテルの「おはし」で
昼食をいただき、雁多尾畑(カリンドオバタ)へ移動しました。
雁多尾畑は昔、鉄の技術者集団がたたら炉などを作って鉄鉱石から
鉄を製造していたところらしいです。

 雁多尾畑へ降りる途中東へ左折すると留所(とめしょ)山といわれる
なだらかな土地があり、桜の園の名で、有志が桜を植えつつありますが、
その先のふもとの林の中に「龍田神社本宮跡」の石碑があります。
龍田神社は昔この地にあったとのことです。
車が入れないので、私だけ歩いて写真を撮りました。

        (龍田神社本宮跡の石碑)


 そこから鉄の神様である金山媛、金山彦を祀る神社を訪ねるつもりが、
山から降りる道を間違えて、東の峠地区に入りました。

 ここは昔の竜田街道の峠で峠八幡神社があります。
あとで参拝するつもりでしたが、まず八幡神社を訪ねました。
山のふもとの傾斜地にある小さな神社ですが、石段から南正面に
大和川対岸の山の冬紅葉が見事でした。境内にも紅葉、
西隣の畑に山茶花が満開でした。石段の下に古い地蔵堂があります。
また、石段右の土手にたつ地すべり標識は写真のように
曲っていました。多分地すべりで柱が回転移動したのでしょう。

        正面の山まるごとの冬紅葉      常朝

        (峠八幡神社) 
        (曲がっている地すべり標識)


 その後、西へ500メートル程の「亀ヶ瀬」に行きました。
亀ヶ瀬はJR河内堅上駅のそばにある大和川の瀬ですが、
昭和の始めに大きな地すべりがあり、
鉄道のトンネルを川の北側から南側へ移す大工事をしたそうです。
今も地すべりの対策保存地域になっています。
ここは江戸時代以前は船着場で、大阪湾からの船を上流用の
小舟に荷物を移し替える流通拠点だったようです。
冬の川には亀の形の大岩が見えましたが、
岩の周囲が少し深い位で船着場跡らしいものは何もありません。

        亀岩の下は深き瀬冬の川      常朝

        (亀ヶ瀬)
 

 一旦国道25号に出てから雁多尾畑に車を進め、まず金山彦神社を
訪ねました。
金山彦神社は、柏原市雁多尾畑の道沿いの池の北側の神社ですが、
周囲は池をめぐる公園のようで四阿(あずまや)もあります。
拝殿には平成10年に再現された土の溶鉱炉である、
「たたら炉」の跡が展示されています。

        たたら炉の跡は土塊(つちくれ)冬日差  常朝

        (金山彦神社)
 
        (拝殿のたたら説明板)

        (拝殿の古代たたらの写真)


 まだ少し時間があったので約1キロ北の金山媛神社を訪ねました。
高い石段を上がると社務所兼神主宅があり、右手が神社拝殿です。
狭い境内を拝見していると、神主が拝殿の戸を開けて、我々を
案内してくれました。
拝殿の中の右手にはきんぴかの金幣(きんぺい)があり、正面には
径46センチの八咫鏡がありLED光が中心に輝いていました。
神主が金幣の由来や鏡の由来を話し、金幣によるお祓いをしてくれ、
榊の玉串奉奠もさせてくれました。
話が長く皆多少疲れてきたので、3時過ぎ神社を辞して
王寺駅南の「さと」で小句会後5時すぎ解散しました。
少し玉串料を納めたお礼か蜜柑を一つづついただきました。
いただいた名刺によると、金山媛神社と金山彦神社の両方の
宮司となっていました。

        金幣の鈴背に受けて冬の杜    常朝

        (金山媛神社)