2020年9月30日水曜日

292. 京都・黄檗山・萬福寺

「アカシア紀行・俳句」2020年9月28日(月)    前へ   次へ  

 年初よりの新型インフルエンザの国内感染者数約8.3万となりましたが、一日の新規感染者が500人前後とやや落ち着いてきた9月末の秋晴れの日、歴史に興味のあるメンバー3人で京都・宇治の黄檗山・萬福寺を訪ねました。

 目的は禅宗のお寺の精進料理「普茶料理」をいただくことです。説明書によると、萬福寺は1654年江戸時代家綱将軍のころ、中国福建省から渡来した隠元禅師が法皇や家綱公などの尊崇を受け、1661年開創した、禅宗のひとつ黄檗宗の本山とのことです。黄檗宗は「すべては心の働きによる」という唯心論の宗派だそうです。

 奈良からは近鉄京都線で丹波橋乗り換え、京阪電車で中書島から黄檗駅で下車、東へ数分で萬福寺山門(総門)に着きました。山門を過ぎると受付があります。

 入山料500円を納め、体温計でおでこを測られ、我々は料理の予約済なのでコーヒー券と説明書をいただきました。

 広い境内に入ると、目に付く幡や扁額などの文字が中国語でほとんど読めません。いかにも中国の寺に入った感じでした。すぐ右手の放生池の北側には芭蕉の門人:田上菊舎の句碑があります。

 普茶料理の開始11時半までは45分もあったので、次の門(三門)を入ってから、蓮の鉢を左折して開山堂からゆっくり拝見しました。隠元禅師を祀る開山堂には珍しいカラフルなお供えがあり、戸には大きな桃が彫ってあります。

 回廊にある合山鐘を撞くと腹に響く音が「ごわわ-ん」と長く続きました。そばの池には蓮がまだ青い葉と実を残していました。

       (萬福寺山門)                        (萬福寺由来)                 

       (萬福寺全景)                       (田上菊舎句碑) 

       (田上菊舎句碑説明碑)             (開山堂-隠元禅師)                   (大雄宝殿-本堂)                (魚板:開版)                  

        山門を入れば中国蓮の実        常朝

        放生池へ巡る小流れ鶲来し       常朝

 11時半前、本殿である大雄宝殿を拝見後右手(南側)の売店横を通って客殿である黄龍閣に入りました。我々の他には今日は2組だけでした。広い玄関に受付があり案内された左手すぐの部屋にはいると、いくつかのテーブルと椅子があり、すでに椅子のひとつづつ間隔をおいて大きな幕の内弁当の箱が置かれていました。

 案内の女性が、飲み物を聞いたので食後にコーヒーを頼み、早速精進料理をいただきました。うなぎもどきご飯や、かまぼこもどき(芋?)、唐揚げもどき(豆?)など、見ても肉料理と区別のつかない33種類の料理がすべて野菜、穀物などの精進料理とは驚きでした。

 コロナ騒ぎなど世間話などをしながらゆっくりいただいていると2時半近くになり、受付で料金を払い、布袋尊のお守り、写経用紙、長線香などの入った紙袋をいただいて客殿を出ました。

 その後、売店で漬け物などを買い、北側の線香点火台でいただいた30センチ以上の長い線香を点火し、すぐ北の本殿の青い香盤にそれぞれ立ててお参りしました。点火台のろうそくは小柄な若い僧が火をつけてくれ、線香は中国製など色々教えてくれました。

 再び合山鐘を通って放生池の読めない石碑をみて池への小流れを見ていたら尉鶲(じょううびたき)が来ました。                 

(普茶料理)                (普茶料理品書き)

(普茶料理の部屋)           (放生池の碑)

   カップにも魚板の印秋の寺      常朝  

一尺の線香供ふ秋の寺         常朝

 4時半ころお寺を出て黄檗駅で再び京阪電車に乗り、中書島、丹波橋経由で6時頃奈良に帰りました。お天気に恵まれた秋の一日を、珍しい中国風のお寺の景色と精進料理でゆっくり楽しめました。                                          

2020年6月25日木曜日

291. 奈良・藤原宮跡から三輪大社・茅の輪

「アカシア紀行・俳句」2020年6月24日(水)    前へ   次へ

 6月下旬の梅雨晴間の日、久しぶりにいつものメンバー4人で奈良・藤原宮跡から三輪大社を訪ねました。令和2年(2020)は新型コロナウイルスの世界的な流行で、歴史に残る年になりそうです。
日本でも4月7日の7都道府県の緊急事態宣言以来、感染の恐れのある外出を自粛しましたが、6月19日の移動解禁により、やっと我々も吟行に出るようになりました。

 とはいえ、狭いレストランでの感染の恐れから、今回の昼食は外で弁当を開くことにしました。12時前、橿原神宮駅で4人揃ったあと、北東の藤原宮跡の駐車場に移動しました。藤原京はわずか16年の都でしたが、約5キロ四方の宮跡は今も保存されており、柱の列があちこちに見えます。

 藤原宮跡には7つほどの駐車場がありますが、その南西の角の20x50メートルほどの駐車場のそばに駐車しました。10本ほどの柳や楓の木と2メートル四方のベンチが4つほどあり、その中の柳の下のベンチにちらし寿司弁当などを開いて、ピクニック気分を味わいました。
今回は藤原宮跡見学は抜きにしながらも、天の香具山や宮跡の広い景色を眺めながらの昼食会です。

           (藤原宮跡の柱列:日本旅マガジンより)     

 午後1時半頃、本薬師寺跡を過ぎて三輪大社へ移動し、拝殿前の夏祓いの茅の輪をくぐりました。
三輪大社の鳥居は三つ鳥居という左右に3つ並ぶ鳥居ですが、その形の3つの鳥居にそれぞれ茅の輪があり、上に榊、杉、松が飾られています。
説明板に従って、我々も8の字を描くように三つ鳥居をくぐり、夏祓いをお祈りしました。
もちろん、ウイルス退散も祈りながら。
茅の輪の左手には、大きな噴霧機が2つあり、その前に立つと、涼しい霧が顔や身体を冷やしてくれました。
神宮の職員らしい人が大きなジョウロで噴霧機の水を足していました。

       (三輪大社本殿)                   

       (三つ鳥居の茅の輪)                   

       (茅の輪説明板) 


        葉柳の下に昼餉や京の跡        常朝

        三つ鳥居の三つの茅の輪くぐりけり   常朝  

        体温を測られ入る夏の宿         常朝


  2時半頃大社を辞して、橿原観光ホテルを訪ねました。
入り口でホテルの女性の持つ非接触型体温計(赤外線)でおでこを測定され、OKが出て入館しました。ちょうど4つ残っていたケーキでケーキセットをいただき、3時半すぎ橿原神宮駅で解散しました。ホテルの向かいの埴輪土産店もまだ閉まっていました。

 日光は暑いですが、木陰で風があると涼しく、青葉と天気に恵まれた梅雨晴間の一日でした。

2020年2月3日月曜日

290. 奈良・元石清水八幡神社の鳴護摩神事

「アカシア紀行・俳句」2020年2月2日(日)    前へ   次へ

 好天に恵まれた節分の前日、いつものメンバー3人で奈良・大安寺南の元石清水八幡神社の鳴護摩神事を訪ねました。
鳴護摩神事は 他では鳴釜神事とも言われる、米を蒸す釜の音で吉凶を占い、また今年の安全、健康を祈る神事です。

 神社に9時半頃 着くと 既に20人位が 神社に集まり 神事を待っていました。
拝殿には30人分位の椅子が設置され、中央に炉、右に鳴釜が置かれていました。
我々は氏子ではないのですが、最後部の椅子に座らせてもらいました。
釜の上には高さ60センチ、直径30-50センチ位の酒樽のような蒸し器があります。
すでに、蒸す米は釜の中に入っているようでした。

 9時40分頃宮司が挨拶をして 神事が始まり、最初に女禰宜(女の神官)が お祓いをして祝詞をあげたのち、5人の男女行者が入場して、釜を炉の上に置き、炉に火をつけリーダーの女行者の祝詞ののち、般若心経などを何度も唱えました。

 20分位で 釜がゴーーとも、ワーンとも聞こえる、聞いたことのない音を立て始め、その音の鳴っている最中、読経の中、参列者が 一人ずつ 釜の前に立ち、お祈りの後、頭などに湯気をかけました。 その前後で 男性行者が一人一人 背中を加持棒でさする仕草をして、加持祈祷を行いました。

 宮司は、病人が家にいる人はと声を掛けて、3、4人がそれぞれ持参のタオルか神社のタオルを湯気にかけて、病を癒やす祈祷もしてもらっていました。

 11時前 全員の加持祈祷が終わり、宮司の挨拶で神事が終わり、その後 一人一人に 釜の湯を 紙コップで、また、蒸した米を袋に入れて配りました。我々も他の参列者と同じように加持祈祷、お湯、お米をいただきました。
終る頃は参列者が30~40人になっていましたが、やや寒かったので塩気のある熱いお湯は美味しかったです。ゴーーという釜音の中での祈祷は霊験があるように感じました。

 その後、参道の東側の入り口そばの「赤ちゃんの木」を見て神社をあとにしました。

  (元石清水八幡社)                   (鳴釜の拝殿)


   (神事説明紙)                     (神事の開始)        


   (祈祷の開始)                     (参列者の祈祷)        


  (お湯と蒸し米いただいて解散)            (赤ちゃんの木)        


        鳴釜の響く拝殿春近し         常朝

        鳴釜の湯気を頭にいただきし      常朝  

 我々は 神社の北側の大安寺をしばらく参拝をして、西ノ京・薬師寺南の レストラン「たまゆら」で昼食の柿の葉寿司をいただき、北の菅原神社を訪ねました。 入場料の必要な9日の梅園開始前なのに、今年は梅の花が早くて神社の梅や盆栽はすでに七部咲き以上に 咲いていました。神社のお下がりの袋豆を頂いて 神社を後にしました。

 (元石清水八幡参道)                    (菅原神社紅白の梅)


        撫で牛の背なに紅梅影落とす      常朝

        天神の一樹の梅に紅と白        常朝  

 その後 奈良の北の植村牧場で アップルパイなどをいただき解散しました。
節分前のお天気に恵まれて、珍しい鳴護摩神事(鳴釜神事)と早い梅を楽しむことができました。

2020年1月16日木曜日

289. 奈良・三輪大社の大とんど   

「アカシア紀行・俳句」2020年1月15日(水)    前へ  次へ 

 好天に恵まれた小正月の日、いつものメンバー3人で奈良・三輪大社を訪ねました。

 正月15日は三輪大社の大とんど、および崇敬会月次祭の日です。
この日は近くの人々は、正月飾りや昨年の御札を持参して、大とんどで、飾り焚きをしてもらいます。いくつもある駐車場が皆満杯なので、平等寺の奥の駐車場に駐車して、祈祷殿の前のとんど場に行きました。

 途中白蛇のいるという、巳の神杉に手を合わせ、拝殿の北側の広い板敷きのスロープを降りました。ここは10年前のとんどの日に5,6人のメンバーで訪ねましたが、その頃はスロープはなく、帰りに利用したエレベーターもなかったです。

 とんど場に着くと、20人以上の人々が、とんどを囲んでおり、数人の人が金網を付けた竹竿で、餅を焼いていました。
とんどの上には大きな半球形の金網が取り付けてあり、さらに上に四角い網が張ってあります。大とんどは、正月飾りなどを燃やすので、火のついた紙切れなどが周囲に飛び散らないようするのでしょう。

 我々も、竹竿を一本借り、金網に置いた餅を焼きましたが、なかなか焼けません。
何度か、炎の方へ網を近づけているうちに、餅を2つ火の中に落としてしまいました。
取り出そうとしたのですが、炎が熱くで近づけないのであきらめて、残りの1個を少し焼いて、3人で分けて食べました。
まるで、なんでも分けて食べた戦争中の餅の食べ方でした。

 若い夫婦が、正月飾りを入れた紙袋を持って近づいてきましたが、預かり所などはないので、少し迷っていました。
周囲の人に聞いて、3,4人おられる担当のなかの若い人に、袋を丁寧に渡していました。その紙袋の中身はもっと大きな布袋に入れて、年配の担当の人が、とんどの近くに運び、両手で、飾りなどを掴んで炎の中に投げいれていました。その度に炎がどっと高く上がります。

 餅は少し離れた、祝餅拝受所で、祈祷書と引き換えにもらえるようですが、我々のように家から餅を持ってきて焼く人もいました。

     (大とんど)                    (とんどの囲い)


      (とんどの炎)                   (餅を焼く)        


        投げ入るるたび炎上ぐ飾り焚き     常朝

        大とんど顔をそむけて餅を焼く     常朝  

 
 拝殿前に戻ってから参拝しましたが、拝殿の薄暗い中で4人の巫女がゆっくりした舞を奉納していました。
中が暗くてはっきり見えないので、気のつかない人も多いようでした。
拝殿前の「なでうさぎ」の膝や背中をなで、左手の鼠の絵を描いた絵馬の箱(1x2メートル位)にぎっしり書かれた祈願文の文字のすきまに、サインペンで孫の「大学合格祈願」など、それぞれが祈願文を書きました。
初詣ででもないのに、これほどの人が集まる三輪大社の魅力は何だろうなどと考えました。

 その後橿原観光ホテルで、20分程待って遅い昼食とバスク風ケーキなどをいただき3時頃解散しました。

久しぶりに三輪大社の大とんどに参加して餅焼きもでき、お天気にも恵まれ正月らしい雰囲気を味わえました。

2019年12月17日火曜日

288. 奈良・生駒宝山寺から春日若宮 

 「アカシア紀行・俳句」2019年12月16日(月)    前へ   

 師走の雲ひとつない快晴の月曜日、いつものメンバー3人で奈良・生駒山の宝山寺などを訪ねました。

 16日は宝山寺の大鳥居に大きい注連縄を奉納する、注連縄奉納会です。
10時前宝山寺に着くと、満杯のため上の第2駐車場に駐車しました。
すでに鳥居の前には200~300人があつまり、2本ずつ6組の50メートル位の綱を手に持って並んでいました。

 鳥居の下には、長さ7メートル程の注連縄が置かれて、6組の綱に結ばれています。
10時過ぎ7人の僧侶が2人の楽人の笛と笙の音楽とともに、上の本殿の方から降りて来られ、鳥居の下、注連縄の(石段)下側にならび、般若心経や真言を唱えて法要後、僧侶の合図で、総代らしき人の号令により、六根清淨と声を上げながら、ゆっくり注連縄が引き上げられていきました。

 鳥居の上の石梁に着くと、注連縄の上に付けられた散華台が回転して、上から散華(5色の切弊)を降らしました。その後、参列者に餅の入った御供袋が配られ、奉納会が無事終わりました。この餅は注連縄のための稲から作られたようです。

 我々はその後、上の歓喜天(聖天)のお堂に参拝し、屋台の枇杷などを買いお寺を出ました。

      (宝山寺鳥居)                 (注連縄)         


     (注連縄を引く人々)                (上げられた注連縄)     


     (散華された切幣)                 (歓喜天のお堂)      


        注連縄上ぐ鳥居の脇に残り柿      常朝


        大注連縄上げて五色の幣降らす     常朝  

 
 11時半頃、富雄・三碓・黒谷橋西詰の紀玄で昼食をいただいたあと、奈良・春日大社若宮を訪ねました。

 春日大社若宮では明日の「おん祭」の宵まつりとして、様々な宵宮の行事が行われます。我々は、春日大社の駐車場の奥に駐車し、若宮で、鳥の声を聞きながら儀式を待ちました。

 周囲の観光客も中国人らしい家族づれや団体客が多く、聞こえるのはほとんど中国語でした。境内の鹿は中国人にもゆっくりお辞儀していました。
そばの夫婦大黒の縁結びの絵馬にも、中国語で縁結びの祈願らしい文字が見えました。
勿論、英語、ドイツ語のほか、何語かわからない絵馬もありました。

 2時頃、やっと若宮本殿でおん祭の流鏑馬・稚児や行列の大和士の人々による「宵祭詣で」が神官のもとで行われました。その以後も、田楽奉納や、神饌(お供え)奉納などの宵宮祭が行われるのですが、待ちきれず、駐車場の中の喫茶店で「ぜんざい」や「ソフトクリームセット」などをいただき、解散しました。

     (春日若宮)                    (宵宮詣での稚児達)


        冬の鹿異国の人にお辞儀する      常朝

        おん祭宵宮の杜に鳥の声        常朝 

12月にしては暖かい快晴の日、新年を迎える準備としての注連縄奉納会や、伝統あるおん祭の宵宮に少しだけですが参加できたのは幸いでした。

2019年11月25日月曜日

287. 奈良・大宇陀大観寺から阿紀神社

「アカシア紀行・俳句」2019年11月24日(日)    前へ   

 深まる秋の曇りの日曜日、いつものメンバー3人で奈良・大宇陀町の大観寺などを訪ねました。 

 今回は、奈良から水間峠・針をとおり、榛原の西の国道170号線で大宇陀に入りました。
最初は織田家ゆかりの徳源寺を訪ねようとしましたが、寺への道が狭く車では行けなかったのであきらめて、拾生の大観寺を訪ねました。

 大願寺はこの夏薬膳料理で訪ねましたが、今は冬紅葉の季節で、静かな趣きがあります。
まず、裸木となったハンカチの木を見上げました。高さ7メートル位の木の枝に鈴懸の実のような丸い実がいくつもぶら下がっていました。下には高さ1メートル程の石の五重塔があります。
左の冬紅葉の木からは、きれいな紅葉が一葉ずつゆっくり散っていました。

 本堂の左には、虎の像が狛犬のように守る毘沙門堂があり、大きなもみの木の下には仏足石のお堂があり、あたりを綿虫がゆっくり飛んでいました。 

     (大願寺)                   (ハンカチノ木)


     (お茶目庚申像)              (あきのの湯レストラン)  




        一葉ずつゆっくり散れリ冬紅葉     常朝

        綿虫のつきくる宇陀の寺の庭      常朝  

 南の「あきのの湯」のレストラン「しゃもじ」で昼食をいただいた後、阿紀神社を訪ねました。
地図によって大宇陀高校の南の信号のすぐ北側を西に入りましたが、神社がわからず、西の又兵衛桜まで
いきすぎ、戻って狭い坂道で近所の女性に教えてもらい、やっとビニールハウスの南側の狭い道を
曲がって、神社に着きました。

 阿紀神社は説明板によると、崇神天皇の頃、天照大神のご遷座地を探す途中、倭姫が宇陀のこの地に
4年間、神を祀り、地元の人々が采女、田など寄進したので、この地を神戸(かんべ)とよんだようです。
その後天正年間に今の迫間地区本郷川のそばに移転して神戸神宮から阿紀神社になったようです。

 境内には橋がかりのあるの能舞台もある、古式豊かな神社です。
奥には神門と本殿、左手には社務所のような建物(当屋?)があり、大きなかりんの木が黄葉をつけていました。右奥の草地には三重の蓋が載せられた古井戸があり、枯れ葉が散っていました。
社務所左奥(南)の石垣には本郷川が南からぶちあたり右に曲がって、きれいな冬の水が流れています。


     (阿紀神社)         (阿紀神社境内)


       (説明板)          (能舞台)  


       (社務所とかりんの木)     (本郷川) 


        ハンカチノ木の冬の芽の硬さかな   常朝

        産土に雲透く薄日神の留守      常朝  

        三重の蓋ある古井戸散る紅葉     常朝  

 その後、大宇陀高校の北の、森野葛本舗の「葛の館」で葛湯、葛餅をいただき奈良へ戻りました。

一日中曇り空でしたが、雲を透く薄日が山や野を照らし、深みゆく宇陀の秋を楽しめました。

2019年9月29日日曜日

286. 奈良・梨山から阿田峰神社 

「アカシア紀行・俳句」2019年9月26日(木)    前へ   

 千葉に大停電を与えた台風15号が去って、秋らしい好天の日、いつものメンバー4人で7年ぶりに奈良・大淀町の阿田の梨山の直売店・明生園を訪ねました。(参照:アカシア紀行157) 

 奈良からは、吉野への国道169号線で大淀町桧垣本交差点を右折、車坂峠を超え花吉野カントリークラブを横切って約500メートルの梨店・青玉園の先の三叉路を左へ西南約500メートルほどの梨店(山の家)です。

 店前4、5台の駐車場に駐車させてもらい、梨山の中を見せてもらいました。
数十年ぶりに入る梨山は、昔と違い、散水用のホースが、約50センチ間隔の針金棚に沿ってめぐらされており、蝉は飛んでおらず、梨の木にあった雀の担桶(スズメノタゴ:イラガの繭)も見えません。刈られていない場所には、ヌスビトハギ、ネコジャラシなどが生えて蝶が飛んでいました。

 お店に戻って、梨を頂いてから、ご主人Hさん(86才、母の従兄弟の子)と久しぶりに話しました。
私の祖父は雷を恐れて避雷針を山の家(この店の数10メートル東にあった)に立てたのですが、若い頃Hさんが梨を手伝いに来ていて雷が近づき、部屋の真ん中に叔父達と3、4人集まって避難していたら、避雷針に落雷し、ものすごい音と光とショックで皆が倒れたそうです。怪我も被害もなかったようですが、避雷針があるとかえって落雷しやすいそうです。

 梨山にいたら、昔母から、祖母が結婚前の若い頃梨山の藪でツチノコを見たと聞いた話を思い出しました。今もその藪は梨山の北側にあります。太い蛇を見間違えたのかもしれませんが。

 注文していた梨のうち2箱を車に積んで、西へ進みました。
途中、阿田出身の童話作家・花岡大学の童話碑を見学して、海軍飛行場のあった新田に行き、阿田峰神社を訪ねました。

     (梨山)            (梨山の道)


     (梨山の家)          (梨山の道路)  


        梨園の針金枠に秋の空       常朝  

        つちのこの出しといふ藪葛嵐    常朝  

 小さい本殿の右脇に、モグラの掘り返した土、土竜塚が3,4個あり、サンゴジュが咲いていました。万葉歌碑のそばでは萩の花がきれいに咲いて風にゆれており、金剛山が黒々と稜線をくっきりとさせていました。境内の内外にはメナモミが棘のある青実をいっぱいつけていました。

     (花岡大学童話碑)       (童話碑説明板)


     (阿田峰神社)         (万葉歌碑)  



        めなもみの実に囲まれて阿田の杜   常朝  

        金剛山稜線強し秋の雲        常朝  

しばらく境内と近くを散策のあと、桧垣本の寿司店和好で遅い昼食をいただき、橿原神宮駅で解散しました。

 秋らしい天気に恵まれ、秋風の梨山と阿田の高原をゆっくり楽しめた一日でした。