「アカシア紀行・俳句」2011年4月23日(土)
穀雨の名の通りの4月の雨の日、いつものメンバー7人で、
大阪府・堺市の大浜公園から与謝野晶子生家跡などを訪ねました。
大浜公園は堺市の沿岸工業地帯の北側にある広い公園です。
我々が着いた10時過ぎはすでに雨でした。
大浜公園の駐車場は2ヶ所あり、最初の北西側からは、
目的の蘇鉄(ソテツ)山に遠かったので、南東側の駐車場に移動しました。
池のある庭園を過ぎると、日本一低い一等三角点のある蘇鉄山です。
その三角点のそばの松には登山記念の札が数枚掛けられており、
その海抜は6.85,6.9,7,6.8メートルなどと皆違っていました。
その後山の北側に降りると、昭和の初めのラジオ塔と嘉永地震の
石碑「擁護璽」があり、横の説明板には、舟で逃げた人は津波で
大勢死んだので以後大地震の時は舟で逃げないようと後世に
伝える文がありました。
五月雨に嘉永地震の石碑読む 常朝
(ソテツ山の日本最低三角点:クリックで拡大:以下すべて)
(ラジオ塔)
(嘉永地震の擁護璽:石碑)
のち、与謝野晶子生家跡に行くため、雨の中、宿院交差点付近で
駐車場を探していたら「けし餅」の「小島」があったので、それぞれが
買い、近くのレストラン「さと」で昼食をいただきました。
強くなった雨の中、「さと」のある宿院交差点の北西角から
50メートル程北の与謝野晶子生家跡に行きました。
生家跡といっても、今はパンジーで飾られた歌碑と説明板があるだけです。
さらに宿院交差点の南西角から一筋西を南へ30メートル位の
千利休屋敷跡を訪ねました。今は竹垣で囲まれた、
約15メートル四方の空き地に説明板が建てられ、
中は芝生が植えられて右奥に椿の井戸があり、
燈籠と楓などの数本の木とタンポポが数茎咲いているだけです。
近くの、そばの「ちくま」店を見学して車に乗りました。
パンジーや潮騒届かぬ晶子歌碑 常朝
若楓雨に揺れをり利休井戸 常朝
(晶子生家跡の歌碑:クリックで拡大:以下すべて)
(晶子生家説明板)
(千利休屋敷跡)
その後、泉南高校の北の妙国寺を訪ねました。
妙国寺は信長の「ソテツ」などで有名な日蓮宗本山です。
ボランティアらしき人が信長のソテツの話
(妙国寺から安土に移植したソテツが鳴いた話)や堺事件
(慶応4年土佐藩士がフランス水兵達を切って11名切腹)
の説明などをしてくれました。
大名からの寄進の品々、徒然草、木硯なども拝見しました。
木硯は墨を磨るためでなく筆につける大量の墨を溜めるらしいです。
信長の泊まりし寺に花蘇鉄 常朝
木硯に少し罅(ひび)ある花の寺 常朝
(妙国寺)
(蘇鉄)
(土佐藩烈士の墓)
さらに、仁徳天皇陵を見るため堺市役所の21階の展望室を訪ねました。
駐車場への道が一方通行のため、うろうろしてやっと平面駐車場に
止め、21階の展望室から仁徳天皇陵、履中天皇陵などを拝見、
遠く黒雲の下に明石大橋も見えました。
ボランテイアの人からは、いつもはこれほど視界は良くないので
運が良いと云われました。
のち、リーガロイヤルホテル1階で小句会後解散しました。
珍しく終始雨の吟行で、帰る途中やっと雨が止みました。
展望台見下ろす御陵木の芽雨 常朝
(仁徳陵-堺市役所21階から)
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