「アカシア紀行・俳句」2015年5月13日(水) 前へ 次へ
台風6号のすぎた5月の快晴の日、いつものメンバー 6人で、
浄瑠璃寺、岩船寺などを訪ねました。
9時半奈良で集合、まず奈良阪の北東の浄瑠璃寺を訪ねました。
浄瑠璃寺は、6年前の秋にも訪ねましたが、京都府木津川市の山中にある
平安時代からの真言律宗の寺です。(参考:アカシア紀行93浄瑠璃寺ほか)
バスも駐車できる駐車場から約100メートルの参道を南へ歩くと山門があり、
すぐに池と本堂が見えます。
山門右手、本坊前の柿の木の下に御手洗と藻の花や百合などの鉢があります。
まず300円を納めて本堂の九体阿弥陀仏とこの時期開扉されている
吉祥天女像を参拝しました。
本堂裏の廊下には右手の山の木々から子鴉の甘え声も含めうるさい程の
鴉の鳴き声が聞こえました。
中央の大きな阿弥陀如来像の左右に4体ずつ、九体の阿弥陀仏は
それぞれ目を開いたり、半眼にしたり閉じたりしておられ、中央左手の
厨司の中にあでやかな吉祥天女像がありました。
阿弥陀如来を参拝後、境内に出て池や三重塔などを拝見しました。
池の右側(本堂側)は彼岸で、反対の三重塔側は此岸とのことです。
塔の周囲には山つつじ、池の岸辺には青いアヤメなどが咲いていました。
吉祥天のお顔に映えて花菖蒲 常朝
浄瑠璃寺の彼岸に青きあやめかな 常朝
(浄瑠璃寺参道:クリックで拡大:以後同じ)
(浄瑠璃寺本堂)
(吉祥天女像:拝観のしおりより)
;(浄瑠璃寺の池)
;(浄瑠璃寺三重塔)
門前の道路の蕎麦店はあいにく定休日で、やむなく昼食を後回しにして
岩船寺を訪ねました。
岩船寺は奈良時代聖武天皇の命で行基が阿弥陀堂を建てたことから始まると
される真言律宗の古寺です。
まず入山料400円を納めて、本堂の四天王に囲まれた阿弥陀如来を参拝し、
境内の阿字池や三重塔などを見ました。
池の周囲などあちこちに青紫の都忘れの花が咲き、オオデマリが白い花びらや
白い手毬を散らしています。石楠花はもう花の終わりでした。
三重塔の奥の休憩所では20人位の団体がお弁当を広げていました。
大庇よき風来たり青葉寺 常朝
都忘れ供花の如くに石仏 常朝
(岩船寺山門)
(岩船寺本堂)
(都忘れの花)
(オオデマリ)
その後、城陽市の杜若(カキツバタ)園を見ようと北の加茂から163号線を
西へ24号線へと向かいましたが、道を間違えて東の笠置へ遠回りしたのち、
163号から24号線に入り、1時すぎ城陽市の「さがみ」で遅い昼食をいただきました。
親切な女店員が杜若園(畑)への地図と花卉工場への地図を描いてくれたので、
迷わず城陽市観音堂地区の杜若畑に行くことができました。
「さがみ」からは南東1.5キロくらいの、南城陽中学校の西側の水田を転作した
杜若畑です。
我々が見て歩いたのは南側の奥の畑でしたが、周囲をあわせると
4~5ヘクタールはあると思われる水田跡の杜若畑で、殆どの畑がちょうど満開で、
常時地下水をポンプで汲み上げ補水していました。
道脇の泥田には雨乞い地蔵の社があり、水の好きな地蔵様を土中から引き上げ
お祀りすると雨が降るそうです。
杜若畑の隣にはユーカリ、栗、桃なども植えられていました。
眼前に広がるカキツバタを見ていると涼しい風がきて、
青紫の花や葉が揺れ、隙間の水面には太陽がまぶしいほどでした。
杜若水面の日輪まぶしくて 常朝
杜若どれか揺れゐる園広し 常朝
(城陽市の雨乞い地蔵社)
(雨乞い地蔵説明板)
(杜若(カキツバタ)園)
その後奈良へ戻り、旧ドリームランド前のCOCOSで小句会後
解散しました。気の早い台風一過後のさわやかな5月の一日でした。
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