「アカシア紀行・俳句」2013年6年14日(金) 前へ 次へ
空梅雨の青空の暑い日、いつものメンバー6人で、
奈良・斑鳩の法輪寺などを訪ねました。
法輪寺は、法隆寺の北東0.7キロほどにあり、聖徳太子の病気平癒を
祈願して
山背大兄王が建てたともいわれています。
我々が入山料500円を納めて山門に入った10時頃は、境内には
ほかに誰もいませんでした。
左手の三重の塔のそばに、受付の女性が教えてくれた高さ6メートル
もあるよう
な菩提樹の花がうつむきながら良い香りを放っていました。
三重の塔は、斑鳩三塔のひとつといわれ、1944年雷で焼けたのを、
幸田文さんらの努力で、飛鳥様式を守って1975年再建されました。
飛鳥建築らしく円柱はふくらみがあり、屋根の形が流れるようです。
正面に講堂(宝物殿)があり、右手にこじんまりした金堂、
右奥には妙見堂、
地蔵堂があります。
地蔵堂の石地蔵には「檜(ひのき)の花」が供えてありました。
また妙見堂のそばに秋艸道人(しゅうそうどうじん・会津八一)の
くわんのんの しろきひたひに やうらくの
かげうごかして かぜわたるみゆ
の歌碑があります。
しばらく境内を散策後、宝物殿の本尊「薬師如来」などを
参拝しました。
丸帽の女性の堂守(ご住職のご息女らしい)が
観音像の裏側も案内して、
十一面観音像の後ろ側の観音の笑い顔を
見せてくれました。
11面は3面ずつ違うお顔らしいです。
左から毘沙門天、地蔵菩薩、薬師如来、十一面観音、
虚空蔵菩薩、
弥勒菩薩、吉祥天の順にならんでいますが、
平安時代の十一面観音の
あでやかさはともかく、飛鳥時代の
薬師如来や虚空蔵菩薩のアルカイックな
お顔がきれいでした。
左奥には鎌倉時代の聖徳太子16歳像、2歳像もあります。
菩提樹の花に風鐸触るる程 常朝
円柱のふくらみゆたか青葉風 常朝
(法輪寺講堂(宝物殿):クリックで拡大:以後同じ)
(法輪寺沿革説明板)
(菩提樹の花)
(三重塔)
(三重塔説明板)
(金堂)
その後、お寺を辞して近く三井の井戸を訪ねました。
三井の井戸は聖徳太子が造られた井戸といわれ、
瓦葺の井戸屋があり、
小型ながら鬼瓦もあります。
昔来た時は周囲に十薬などの草が沢山生えていましたが、
今はきれいに刈られています。その分風情がなくなりましたが。
かまきりの子が一匹、井戸屋の柱をすばやく登りました。
お寺の駐車場に戻り、9号線の交差点にある
桑の木を見ましたが、
時期が遅いのか桑の実はほとんど
見えませんでした。
子かまきり意外に速し三井の井戸 常朝
(三井の井戸)
(井戸説明板)
9号線の中宮寺東交差点の北側の「玄米庵」で昼食をいただき、
ふたたび9号線から法輪寺の東の「三井の瓦窯跡」を
訪ねました。
法隆寺などの瓦を焼いた大きな登り窯で、
上半分が地上に出ており、
覆い屋が建てられています。
格子の窓からのぞくと、登り窯の上部の土壇がいくつか見えます。
近くの柿青葉がきれいでした。
窯跡の下にある瓦窯池は空梅雨で水が減っていました。
その後斑鳩では一番大きな池、溜池を訪ねました。
今日は釣り人はいませんでしたが、いつもヘラブナ釣りの人が
2,3人います。
ゴルフ場との境の藪には夾竹桃が咲き、夏鶯が鳴いて、
岸辺には黒鱒(ブラックバス)がじっと浮いていました。
帰りに留めていた車の上を見ると、大きな桑の木が沢山の実をつけていました。
熟した順に、濃紫、橙色、緑ですが、
しばらく指を紫色にして桑の実を味わいました。
桑の実に腕を伸ばせり白帽子 常朝
指染めし桑の実の色いつ消ゆる 常朝
(三井の瓦窯跡)
(溜池)
そのあと、法隆寺の水源池である阿摩池を訪ねましたが、
途中に通行止めがあり、中宮寺官墓も車では近くに行けないので、
今回はあきらめ、法隆寺東の「さと」で小句会を楽しんで
3時半頃解散しました。
夕方にはやっと梅雨らしい雲が空を覆い始めました。
2013年6月15日土曜日
2013年5月30日木曜日
173.宇治田原の茶畑から大滝・茶宗明神
「アカシア紀行・俳句」 2013年5年29日(水) 前へ 次へ
梅雨入りの翌日で雨予報の日、いつものメンバー5人で、
宇治田原の茶畑から茶宗明神などを訪ねました。
天気予報では朝雨で午後時々雨だったのですが、
雲の中に少し青空が見えたので、雨の降らない内に茶畑を見ようと、
24号線の山城大橋の方へ車を進めました。
途中の木津川河川敷には、大きなオウチ(楝)の木が沢山あり、
淡紫の花が咲き放題に咲いています。
山城大橋を右折、307号線を東へ湯屋谷の北の谷村製茶工場の
角から大福集団茶畑に登りました。
奥へ進むと、2人の農家の男性が急坂の茶畑で休憩していたので、
車を止めさせてもらい、話を聞きました。
今は一番茶の茶摘みが終り2番茶のために茶葉を刈っているとのこと。
刈らないと新しい葉が(6月末頃から)出ないそうです。
茶は一年で4回叩かれる(刈られる)そうです。
最近は茶をペットボトルで飲むので、急須で飲む本来の茶の味を
若い人は知らないため、宇治茶などは売りにくいとのこと。
本来の美味しい茶は黄色で、青色の茶は美味しくないそうです。
(抹茶などを別にすれば)
宇治茶は高級品が多いが量が少ないこともあり、
ペットボトル用の(九州などの)大量生産による安い茶には、
勝てないようです。
今回刈る茶葉はほうじ茶として出していましたが、今はビジネスに
ならないので、畑の中に放置するそうです。
乗用茶摘機が入れるよう、この辺りの急坂の茶畑をならして
平地にする計画があるそうです。
数年後には変化に富んだ美しい茶畑が見られなくなるでしょう。
どこからか老鶯が良い声を聞かせてくれ、
茶畑の道にはニワゼキショウ、マツバウンラン、シロツメグサ、
ハハコグサなどが咲いていました。
お二人が一台の弓型の茶摘機を持って茶葉を刈り始めました。
刈られた茶葉が飛んで、さらに山風で飛ばされていました。
茶山のふもとの土手には木苺が赤い実をつけ、
夏わらびが茂っていたので先だけを少し採りました。
老鶯や茶畑の畝は四方より 常朝
茶摘機の弓の曲がりに青葉風 常朝
(茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
(茶葉を刈る人)
その後茶山から307号線の5キロほど西、郷の口近くの
「コメリ」店の筋向いにある食事処「くつろぎ」で昼食をいただき、
茶宗明神を訪ねました。
再び307号線を東へ4キロ程で右折、湯屋谷に行きましたが、
途中の三叉路で道を間違えたため、そのまま山中の大滝に行きました。
大滝では、例年9月1日に五穀豊穣と雨乞い祭りをするそうです。
山深い谷道の行き止まりにきれいな細い滝があり、大滝大明神と書いた
鳥居と小さな建物があります。
滝が細いので滝壺も直径1尺ほどにしか見えませんが、
滝音は山に響いています。
石段を登ると、大岩の下に不動明王が祀られていました。
それでも滝の頂上は木々に隠れて見えません。
時々高くきれいな鳥声がしました。
谷音の滝音となる行きどまり 常朝
一尺の滝壺の音山響く 常朝
(大滝入口)
(大滝)
(大滝の不動明王)
大滝から三叉路へ戻って、あらためて茶宗明神を訪ねました。
ここは6年前の12月訪ねましたが、今回は谷の湿気のうえに
梅雨の湿り気がありました。
神社のそばの永谷宗円の生家(復元)と庭は、竹垣で囲まれて
いました。シュロ縄の輪で閉じられた戸を開けて庭を拝見しました。
以前と同じく茶畑もあり、紫陽花の青葉がきれいでした。
右手の谷の対岸にも茶畑があり、夏わらびの間を黒い蛇が走りました。
蛇走る茶宗明神の茶の畑 常朝
(茶宗明神)
(茶宗明神本殿)
(永谷宗円生家)
(永谷宗円生家の庭)
(JA宇治茶の郷)
(お茶の陳列)
その後JAやましろの「宇治茶の郷」で、お茶を買い、
奈良に戻り旧ドリームランド前のcocosで小句会を楽しみました。
梅雨の雨を覚悟しましたが、一日中傘を開かずに宇治田原の
茶畑や青葉の谷を楽しむことができました。
梅雨入りの翌日で雨予報の日、いつものメンバー5人で、
宇治田原の茶畑から茶宗明神などを訪ねました。
天気予報では朝雨で午後時々雨だったのですが、
雲の中に少し青空が見えたので、雨の降らない内に茶畑を見ようと、
24号線の山城大橋の方へ車を進めました。
途中の木津川河川敷には、大きなオウチ(楝)の木が沢山あり、
淡紫の花が咲き放題に咲いています。
山城大橋を右折、307号線を東へ湯屋谷の北の谷村製茶工場の
角から大福集団茶畑に登りました。
奥へ進むと、2人の農家の男性が急坂の茶畑で休憩していたので、
車を止めさせてもらい、話を聞きました。
今は一番茶の茶摘みが終り2番茶のために茶葉を刈っているとのこと。
刈らないと新しい葉が(6月末頃から)出ないそうです。
茶は一年で4回叩かれる(刈られる)そうです。
最近は茶をペットボトルで飲むので、急須で飲む本来の茶の味を
若い人は知らないため、宇治茶などは売りにくいとのこと。
本来の美味しい茶は黄色で、青色の茶は美味しくないそうです。
(抹茶などを別にすれば)
宇治茶は高級品が多いが量が少ないこともあり、
ペットボトル用の(九州などの)大量生産による安い茶には、
勝てないようです。
今回刈る茶葉はほうじ茶として出していましたが、今はビジネスに
ならないので、畑の中に放置するそうです。
乗用茶摘機が入れるよう、この辺りの急坂の茶畑をならして
平地にする計画があるそうです。
数年後には変化に富んだ美しい茶畑が見られなくなるでしょう。
どこからか老鶯が良い声を聞かせてくれ、
茶畑の道にはニワゼキショウ、マツバウンラン、シロツメグサ、
ハハコグサなどが咲いていました。
お二人が一台の弓型の茶摘機を持って茶葉を刈り始めました。
刈られた茶葉が飛んで、さらに山風で飛ばされていました。
茶山のふもとの土手には木苺が赤い実をつけ、
夏わらびが茂っていたので先だけを少し採りました。
老鶯や茶畑の畝は四方より 常朝
茶摘機の弓の曲がりに青葉風 常朝
(茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
(茶葉を刈る人)
その後茶山から307号線の5キロほど西、郷の口近くの
「コメリ」店の筋向いにある食事処「くつろぎ」で昼食をいただき、
茶宗明神を訪ねました。
再び307号線を東へ4キロ程で右折、湯屋谷に行きましたが、
途中の三叉路で道を間違えたため、そのまま山中の大滝に行きました。
大滝では、例年9月1日に五穀豊穣と雨乞い祭りをするそうです。
山深い谷道の行き止まりにきれいな細い滝があり、大滝大明神と書いた
鳥居と小さな建物があります。
滝が細いので滝壺も直径1尺ほどにしか見えませんが、
滝音は山に響いています。
石段を登ると、大岩の下に不動明王が祀られていました。
それでも滝の頂上は木々に隠れて見えません。
時々高くきれいな鳥声がしました。
谷音の滝音となる行きどまり 常朝
一尺の滝壺の音山響く 常朝
(大滝入口)
(大滝)
(大滝の不動明王)
大滝から三叉路へ戻って、あらためて茶宗明神を訪ねました。
ここは6年前の12月訪ねましたが、今回は谷の湿気のうえに
梅雨の湿り気がありました。
神社のそばの永谷宗円の生家(復元)と庭は、竹垣で囲まれて
いました。シュロ縄の輪で閉じられた戸を開けて庭を拝見しました。
以前と同じく茶畑もあり、紫陽花の青葉がきれいでした。
右手の谷の対岸にも茶畑があり、夏わらびの間を黒い蛇が走りました。
蛇走る茶宗明神の茶の畑 常朝
(茶宗明神)
(茶宗明神本殿)
(永谷宗円生家)
(永谷宗円生家の庭)
(JA宇治茶の郷)
(お茶の陳列)
その後JAやましろの「宇治茶の郷」で、お茶を買い、
奈良に戻り旧ドリームランド前のcocosで小句会を楽しみました。
梅雨の雨を覚悟しましたが、一日中傘を開かずに宇治田原の
茶畑や青葉の谷を楽しむことができました。
ラベル:
吟行案内
2013年5月13日月曜日
172.奈良・平群町の千光寺から白山神社・普門院跡
「アカシア紀行・俳句」2013年5年11日(土) 前へ 次へ
立夏の雨模様の日、いつものメンバー6人で、奈良・平群町の
千光寺などを訪ねました。
9時過ぎ近鉄生駒線の東山駅前で集合し、五月雨の中を西の
鳴川に沿って急坂を登り修験寺・千光寺に着きました。
いきなり青葉の中の谷の音に囲まれました。
千光寺は、飛鳥時代に役行者が開いたとされる修験の寺で、
境内の石段などに役行者の石像が沢山並べれられています。
役行者が大峰山などへ移ってからも行者の母の白専女が残って
修行したので、元山上、女人山上ともいうそうです。
五月雨の降ったりやんだりの中を参拝、散策しました。
時々鳥の声が聞こえましたが、雨が小止みになると
さえずりの声が近くに聞こえます。
燕も堂すれすれに飛んでいました。
寺の右側の坂の途中に電柵に囲まれた苗代田があり早苗が育っています。
坂の右手には紫の木蓮、すずらん、おおでまりが咲き、
小山の上には青葉の中に藤の花が下がっていました。
だれかが小さいかたつむりをみつけ木の葉に載せました。
修験寺の御堂かすめて夏つばめ 常朝
囀や役行者の目は窪み 常朝
(千光寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(本堂)
(役行者像)
(苗代田)
(寺の説明板)
その後、山を降りて、2キロほど南の福貴地区の白山神社を訪ねました。
白山神社は、平安時代法隆寺夢殿を再建した道詮律師ゆかりの福貴寺の
神宮寺です。
道詮律師の隠居寺として栄え、今はありませんが、60もの坊(建物)の
ある大きな寺だったようです。
小止みになった田のそばの駐車場に駐車して、石段を登り割拝殿から
奥の本殿を参拝しました。本殿は覆屋があり、若楓が屋根に触れています。
拝殿には小学生の習字の一字書きが貼られていました。
誰もいない境内の左側に弥勒堂があり、その左の集会所のような建物も
戸が閉まっています。
右手の池の岸辺には雨の水輪の下、30センチ程のブラックバス(黒鱒)が
泳いできました。
五月雨の水輪沸き立つ神の池 常朝
黒鱒の岸に寄り来し神の池 常朝
(白山神社)
(神社の説明板)
(割拝殿と本殿覆屋)
平群駅東の168号線沿いのガストで昼食をいただいたあと、
福貴に戻り、普門院跡を訪ねました。
普門院は、道詮律師の住房(住まいの寺)でしたが、
今は廃寺跡となり、2008年訪ねた時は庫裏つきの小さな本堂が
壁の壊れたまま残っていましたが、今はきれいになくなり、
青梅と百日紅の木が残っていました。
小さな門だけ残り敷地が金網柵で囲まれていました。
安置されていた聖観音像は法隆寺に保管されているとのこと。
裏側の畑にはそら豆、えんどうが花をつけており、
柿の花が実になっていました。
そら豆の花の紫雨濡らす 常朝
寺跡の堂なくなりて百日紅 常朝
(普門院跡の門)
(句碑 六十坊ありしを虫の坊一つ 吟蕗)
その後奈良に戻り自宅で句会を楽しみました。
五月雨の一日でしたが、句会が終わる頃は止んでいました。
ラベル:
吟行案内
2013年4月27日土曜日
171.宇陀の青蓮寺から仏隆寺
「アカシア紀行・俳句」2013年4年25日(木) 前へ 次へ
穀雨の頃の晴れながらやや風の寒い日、いつものメンバー7人で、
奈良・宇陀市の青蓮寺、仏隆寺を訪ねました。
最初は宇陀山中の大蔵寺を訪ねるつもりで、名阪国道・針ICの
針テラスに9時すぎ集合し、369号線を南下、榛原の南の栗野の山中に
車で登りかけましたが、途中でパトカーに止められました。
住職らしい方がおられて、入山禁止なので戻ってと言われました。
仏事目的かつ予約者以外は入山できないようです。
(あとでホームページをよく読むと、写真撮影などレジャー関連の
入山は禁止とのこと、5年前はOKでしたが)
入山者をとめるなら、もっと手前でするべき、とか、ぶつくさ
いいながら、山道でUターンして、同じく山中の青蓮寺を訪ねることに
しました。
370号線の捨生(すてう)を東へ右折、166号線で約6キロの菟田野・
宇賀志から山中の道を4キロほど登ると青蓮寺です。
ここは以前も訪ねましたが、奈良時代中将姫が配流された草庵を
もとに創立された尼寺(浄土宗)で、青葉の山中にあります。
谷に半分乗り出した駐車場に駐車し、坂道をゆっくり登って行くと、
軽自動車でケアマネジャーの女性が登ってきました。
あとで聞くとご住職を訪ねてこられたがお留守とのこと。
若い尼僧がおられて、我々を本堂、阿弥陀堂に案内してくれました。
本堂には中将姫の小さい坐像が祀られています。
寺の縁起によると、中将姫は14才のとき配流され、2年半後、狩りに来た
父上と再会、当麻寺で法如尼として当麻曼荼羅を感得されたのち、
19才のとき再びこの地に戻り、お堂を建てたそうです。
境内には見事な八重桜やシャクナゲなどが咲いており、
八重桜の下にはかわいいヒキガエルの子が一匹跳ねていました。
以前にあった物資運搬用のレール・ウエイは、車道ができたためか
なくなっていました。
八重桜下に尼僧の語らヘリ 常朝
中将姫の坐像小さし百合の花 常朝
(青蓮寺本堂:クリックで拡大:以後同じ)
(八重桜)
(中将姫遺跡の説明板)
(シャクナゲ)
(霧島?)
捨生に戻り、あきのの湯の「おときや」で昼食をいただいた後、
再び166号線東の水分神社橋から北上、369号線の榛原高井から、
約2キロの仏隆寺を訪ねました。
仏隆寺は弘法大師が最古の茶を栽培した地に、高弟堅恵(けんね)が
創設した真言宗の寺ということで、今は室生寺の末寺だそうです。
ここも以前彼岸花の頃などに何度か訪ねましたが、名物の大桜は終り、
人影はすくなかったです。
それでも、一本の大きな山桜が満開で白い花を散らし始めていました。
駐車場の無人販売所には鹿避けの網カーテンが掛けられていました。
階段を避けて右の坂道を登ると、土手に野甘草の若芽が伸びて、
春の草花が色々咲いています。
本堂下の道で大黒さま(お寺の奥様)とお会いしたら、
畑の草取りの最中だそうです。
高い猪垣の中の一反ほどの畑では、住職が草刈機を使っていました。
鹿や猪の被害は猪垣でなんとか止められたが、アライグマは土を掘って
侵入しじゃがいもなどを食べるそうです。
坂の途中の谷にある楓が柔らかい若葉を揺らしていました。
境内に入ると藤棚に白い藤が咲いて、大きな山梨の木が白い花を
つけていました。
500円の抹茶のサービスもあるようですが、畑の大黒様しか女性は
おられないようなので、あきらめて坂をおりました。
やはらかき風にやはらか若楓 常朝
本堂も庫裏も留守なり梨の花 常朝
(仏隆寺の地蔵堂)
(仏隆寺の説明板)
(山桜)
(本堂)
(仏隆寺の畑)
(山梨の花)
その後、針テラスに戻りメルカートロッソで小句会の後、解散しました。
朝はやや寒く昼はやや暑い位の、お天気に恵まれた春の一日でした。
ラベル:
吟行案内
2013年4月13日土曜日
170.河内・龍泉寺、烏帽子形八幡神社から岩瀬の塞神
「アカシア紀行・俳句」2013年4年11日(木) 前へ 次へ
春寒の晴れた日、いつものメンバー7人で、河内・富田林市の龍泉寺などを訪ねました。
集合地を葛城市の山麓道、屋敷山公園として、
まず、水越峠から309号線を西に約20キロの龍泉寺に参詣しました。
龍泉寺は河内長野駅の北東、約10キロの岳山のふもとにある古いお寺です。
入山料300円を納めていただいた説明書によると、
今は真言宗の霊場ですが、595年、推古天皇の勅命によって
蘇我馬子がこの地の池にいた悪龍を追い出して創建したとのこと。
その後、水が枯れ衰退した寺地で、
弘法大師が7日間雨乞いの祈祷をして雨が降り龍の八大龍王が戻り、
堂塔が再建されたそうです。
南北朝時代に岳山の山頂に南朝方の城を築いたので、戦乱で伽藍を
失い衰退し、織田豊臣時代、江戸時代から、修復されたようです。
境内には後醍醐天皇の皇子「尊性法親王」のお墓もあります。
池ほとりには雨乞いの井戸に、竜王の社が建てられ、
3つの池には聖天、弁財天、叱天(だてん)の社があります。
訪ねたときは池の工事中で水がほとんどなく、数人が島で整備をしていました。
井戸の石柵の一部は壊れて、社も古くなっていますが、戸を開けると、
井戸に春の水が溜まっていました。
護摩堂や威古神社を拝見してから車で、山を降りる途中のオレンジ園に
立ち寄りましたが、誰もいませんでした。
すみれ咲く大師祈りし井戸ほとり 常朝
護摩堂の床にたまりし春埃 常朝
(龍泉寺仁王門:クリックで拡大:以後同じ)
(龍泉寺本堂)
(竜王の池)
(雨乞いの井戸)
(行者堂:護摩堂)
その後、河内長野駅の西側の烏帽子形八幡神社を訪ねました。
南側からは石段が高くて急なので、西側へ回り、広い道路脇に駐車して
鳥居をくぐり参拝しました。
烏帽子形八幡神社は、烏帽子形山のふもとにあります。
ウィキペディアによると、この山に楠木七城(河内七城)のひとつとされる
烏帽子形城があり、楠小二郎が城の鎮護として創祀したものとのこと。
また神社の説明板によると、1480年創建され、すさのおの命、
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、重要文化財とのことです。
本殿の左に古い宝屋(宝蔵)があり、その左に稲荷神社が
あります。我々のほか誰もいない静かな杜にときどき烏が鳴き、
小鳥のさえずりがありました。
宝蔵の壁に落書囀れり 常朝
(烏帽子形八幡神社)
(本殿)
(説明板)
神社を出ると1時を過ぎていたので、
河内長野駅の南東5キロの岩瀬のレストラン歩笑夢(ぽえむ)に行きました。
歩笑夢は南海電鉄高野線の千早口駅東の川沿い1キロほどで、
道の南側の川の対岸です。
遅い昼食をいただいてから周囲を散策しました。
庭には水仙、ムスカリなどの花が植えられ、桜や白い花の木がありました。
レストランの川下に蓮華田があり、蓮華が風に揺れ、川岸に虎杖
(いたどり)が伸びていました。
少し雨模様でしたが、川のさらに南側の山麓道に歩くと、大きな
「塞神(さいのかみ)」の案内板があり、その右に石組みの祠が2つあります。
菊などが供えられ、椿の花が落ちていました。
説明板によると
塞の神は、邪神を統御する神と信じられたが、
道祖神との習合で、旅行神、縁結び、安産の神となり、
猿田彦が祭神 とのことです。
塞の神はイザナギノミコトと関係があるようです。
近くの坂を登ると大きな桜にブランコがあり、ロープがたぐりあげて
ありました。
白とピンクの花の木が見えたので、
たまたまおられた農家の男性に聞くと、桃(源平桃)でした。
また白いラッパ形の花の木を聞くと、びっくり茱萸(ぐみ)とのことでした。
茱萸の枝は成長が早くて、剪定しないと垂れ下がるようです。
男性によると、北原白秋の唄「砂山(海は荒海向こうは佐渡よ)」
の3番の歌詞に「かえろよ茱萸原分けて」とある言葉の意味が、
茱萸を育ててやっとわかったと言われました。
レストランの白い花の木を聞くと梨の木と教えてくれました。
花蓮華笑い合ふごと揺れゐたる 常朝
塞の神祀る山道茱萸の花 常朝
(レストラン歩笑夢)
(塞の神案内板)
(塞の神)
(茱萸の花)
散策後、歩笑夢で小句会を楽しんだ後、170号線を北上、
西名阪道経由で奈良に帰りました。
春寒の晴れた日、いつものメンバー7人で、河内・富田林市の龍泉寺などを訪ねました。
集合地を葛城市の山麓道、屋敷山公園として、
まず、水越峠から309号線を西に約20キロの龍泉寺に参詣しました。
龍泉寺は河内長野駅の北東、約10キロの岳山のふもとにある古いお寺です。
入山料300円を納めていただいた説明書によると、
今は真言宗の霊場ですが、595年、推古天皇の勅命によって
蘇我馬子がこの地の池にいた悪龍を追い出して創建したとのこと。
その後、水が枯れ衰退した寺地で、
弘法大師が7日間雨乞いの祈祷をして雨が降り龍の八大龍王が戻り、
堂塔が再建されたそうです。
南北朝時代に岳山の山頂に南朝方の城を築いたので、戦乱で伽藍を
失い衰退し、織田豊臣時代、江戸時代から、修復されたようです。
境内には後醍醐天皇の皇子「尊性法親王」のお墓もあります。
池ほとりには雨乞いの井戸に、竜王の社が建てられ、
3つの池には聖天、弁財天、叱天(だてん)の社があります。
訪ねたときは池の工事中で水がほとんどなく、数人が島で整備をしていました。
井戸の石柵の一部は壊れて、社も古くなっていますが、戸を開けると、
井戸に春の水が溜まっていました。
護摩堂や威古神社を拝見してから車で、山を降りる途中のオレンジ園に
立ち寄りましたが、誰もいませんでした。
すみれ咲く大師祈りし井戸ほとり 常朝
護摩堂の床にたまりし春埃 常朝
(龍泉寺仁王門:クリックで拡大:以後同じ)
(龍泉寺本堂)
(竜王の池)
(雨乞いの井戸)
(行者堂:護摩堂)
その後、河内長野駅の西側の烏帽子形八幡神社を訪ねました。
南側からは石段が高くて急なので、西側へ回り、広い道路脇に駐車して
鳥居をくぐり参拝しました。
烏帽子形八幡神社は、烏帽子形山のふもとにあります。
ウィキペディアによると、この山に楠木七城(河内七城)のひとつとされる
烏帽子形城があり、楠小二郎が城の鎮護として創祀したものとのこと。
また神社の説明板によると、1480年創建され、すさのおの命、
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、重要文化財とのことです。
本殿の左に古い宝屋(宝蔵)があり、その左に稲荷神社が
あります。我々のほか誰もいない静かな杜にときどき烏が鳴き、
小鳥のさえずりがありました。
宝蔵の壁に落書囀れり 常朝
(烏帽子形八幡神社)
(本殿)
(説明板)
神社を出ると1時を過ぎていたので、
河内長野駅の南東5キロの岩瀬のレストラン歩笑夢(ぽえむ)に行きました。
歩笑夢は南海電鉄高野線の千早口駅東の川沿い1キロほどで、
道の南側の川の対岸です。
遅い昼食をいただいてから周囲を散策しました。
庭には水仙、ムスカリなどの花が植えられ、桜や白い花の木がありました。
レストランの川下に蓮華田があり、蓮華が風に揺れ、川岸に虎杖
(いたどり)が伸びていました。
少し雨模様でしたが、川のさらに南側の山麓道に歩くと、大きな
「塞神(さいのかみ)」の案内板があり、その右に石組みの祠が2つあります。
菊などが供えられ、椿の花が落ちていました。
説明板によると
塞の神は、邪神を統御する神と信じられたが、
道祖神との習合で、旅行神、縁結び、安産の神となり、
猿田彦が祭神 とのことです。
塞の神はイザナギノミコトと関係があるようです。
近くの坂を登ると大きな桜にブランコがあり、ロープがたぐりあげて
ありました。
白とピンクの花の木が見えたので、
たまたまおられた農家の男性に聞くと、桃(源平桃)でした。
また白いラッパ形の花の木を聞くと、びっくり茱萸(ぐみ)とのことでした。
茱萸の枝は成長が早くて、剪定しないと垂れ下がるようです。
男性によると、北原白秋の唄「砂山(海は荒海向こうは佐渡よ)」
の3番の歌詞に「かえろよ茱萸原分けて」とある言葉の意味が、
茱萸を育ててやっとわかったと言われました。
レストランの白い花の木を聞くと梨の木と教えてくれました。
花蓮華笑い合ふごと揺れゐたる 常朝
塞の神祀る山道茱萸の花 常朝
(レストラン歩笑夢)
(塞の神案内板)
(塞の神)
(茱萸の花)
散策後、歩笑夢で小句会を楽しんだ後、170号線を北上、
西名阪道経由で奈良に帰りました。
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吟行案内
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