2015年6月27日土曜日

216.岸和田城から包近の桃選果場

「アカシア紀行・俳句」2015年6月24日(水)    前へ   次へ

 6月下旬の梅雨晴れ間、いつものメンバー6人で、大阪・岸和田城から
包近(かねちか)の桃選果場を訪ねました。

 9時すぎ西名阪自動車道の香芝SAで集合し、阪和自動車道から
堺泉北道路経由、阪神高速湾岸線の岸和田南で高速道を降り、大北町北から
堺町を右折して、岸和田城の南の岸和田市役所駐車場に駐車しました。

 岸和田城は、入場料300円の天守閣でいただいたパンフレットによると、
戦国時代から泉州の城だったようですが、江戸時代高槻から入城した
岡部宣勝以来13代、岸和田藩:岡部氏の5.3万石の城だったようです。
文政の頃落雷で消失した天守閣が昭和29年再建されたとのことです。

 小ぶりながら白壁が美しい三層の天守閣を見上げながら、城門へ進むと
左手の濠には睡蓮がぎっしり咲いており、涼しい風が上がってきました。

 天守の前は千亀利(ちきり)公園で「八陣の庭」という緑泥岩を配した白砂の
美しい庭があります。
千亀利(千切り)は織り機の縦糸を巻く道具らしいですが、
城と二の丸の形が似ているので、千亀利城ともいわれたようです、

天守へ登ると、途中の階には展示室があり、岡部氏代々の肖像画や、具足、
阿弥陀像などが展示されています。

 最上階には城のパノラマがあり、外の回廊から岸和田市の市役所、
学校などを見下ろすことができ、海も見えます。

 11時すぎになったので、二の丸跡の観光交流センター内の
クラブ・コントラーダで昼食をいただきました。
1650円にしてはおいしいイタリアンのコースでした。

       睡蓮の風受け見上ぐ天守かな     常朝

       泉州の城は瀟洒に青葉風       常朝

         (岸和田城:クリックで拡大:以後同じ)         
         (濠の睡蓮)
         (観光交流センター)
(岸和田城絵図(http://www.geocities.jp/qbpbd900/kisiwada.html)より)
         (岸和田城城門)
         (天守閣)
         (八陣の庭・天守より)
         (櫓の下の大八車)
         (クラブ・コントラーダ)

 その後、土生交差点から30号線を北上、小松里から南下して
包近(かねちか)町の桃選果場に行きました。
1時半から販売開始でしたが、着いた1時過ぎには30人位の人が
並んでいました。
駐車場も満杯で40号線南の特設駐車場に駐車しました。
最上品は一箱4700円ですが、選果もれ(B品)は約15個一箱が1500円
だったのでメンバーそれぞれが並んで買いました。
選果場のそばの桃畑は大方摘果が済んで紙袋だけが残り、畑の端には
藪枯らしが伸び、蜜柑の木には青い実がありました。

 ギネスブックに載ったという糖度22.2の一個1000円の桃の畑を見ようと、
インターネットの地図を頼りに選果場の西のマルヤファームを訪ねましたが
桃農家の方に会えず、今回はあきらめました。

 再び岸和田城に戻り、観光交流センターのクラブ・コントラーダのテラスで
ソフトクリームなどをいただき、小句会を楽しんで解散しました。

       桃園の端にしこれる藪枯らし     常朝

       こちら向く鉄砲狭間氷菓食ぶ     常朝

         (包近桃選果場)
          (桃売り場)
         (選果場の池)

 6月下旬の梅雨晴れ間、泉州の海に近いお城と桃狩りを楽しんだ一日でした。

2015年6月15日月曜日

215.宇治平等院から京都高台寺

「アカシア紀行・俳句」2015年6月10日(水)    前へ   次へ

 6月上旬の梅雨晴れ間、小学校、中学校の同級生5人で
宇治の平等院、京都の高台寺を訪ねました。
メンバーは前日のクラス会のため東京から奈良に来たM子さんとT子さん、
大阪からのY君、奈良からのK子さんと私です。

 朝10時、京都駅近鉄改札口で集合し、まず宇治へ行くことにしました。
切符売場に移動したら、一人の中国の学生らしき女性から声をかけられ、
東海道線で名古屋へ行きたいが切符を買うのを教えてほしいと頼まれ、
Y君と二人で、駅員に聞いたりして、JRの切符売場を案内しました。
2590円ですが米原で乗り換える必要があるようです。

 その後我々もJR各停に乗り、30分程で宇治駅に着きました。
平等院は数回訪ねていますが、最近は車ばかりなので、参道を歩いたのは
数十年ぶりの感じです。

 参道は昔より立派になっていますが、宇治茶や菓子などの店の看板を
見ると古くて XXX兵衛 などの名前がいくつかありました。
多分江戸時代から続いているお店もあるのでしょう。

 山門で600円を納めて、平等院の庭に入りました。
56年ぶりの大改修が約2年かけて昨年(2014年)3月完成したので、
池もきれいになり、建物も朱や緑の色が見事にあざやかで、
本堂屋根の鳳凰も金色にかがやいていました。

 10円玉の模様とおなじ平等院ですが、世界遺産にしては新しすぎるかな、
とも感じました。
屋根の金色の鳳凰のどちらが雄でどちらが雌か5人でもめましたが、
結論がでないまま、境内をめぐりました。
池の手前では自撮り棒で写真をとっている女性グループや、
中国人らしき外国人グループも、大勢いました。


       梅雨空に鳳凰も入れ自撮り棒     常朝

       鳳凰のいずれが雌や池青葉      常朝

         (平等院山門:クリックで拡大:以後同じ)         
          (平等院)
         (池に映る本殿)
         (観月)

 境内を出てから、参道のお店で抹茶ソフトクリームなどをいただきました。
食事処を探しましたが、参道入口の店が定休日だったので、
平等院南の県神社の東、宇治川に近い「観月」で昼食をいただきました。
暑い中を歩きましたが、6畳位の部屋が貸し切りのようになったので
ゆっくりしてメールアドレスのテストもできました。

 宇治駅からJR快速で2時すぎに京都へ戻り、2台のタクシーに分乗して
四条の八坂神社の南の高台寺を訪ねました。

 高台寺は、秀吉の死後菩提を弔うため夫人の北政所(ねね)が出家して
高台院湖月尼となり、創立した寺だそうです。
たびたびの火災で残っているのは、開山堂と霊屋(おたまや)などらしいです。

 我々は受付で500円を納め、順路にそって庫裏や方丈の北側を巡りました。
途中の渡り廊下の屋根に青サギが池を見ているようでした。
その後庫裏で渡された袋に靴を入れて、本堂(方丈)や書院とともに庭を
拝見しました。

 庫裏に戻り靴をはいて、東側の開山堂や霊屋(おたまや)を参拝しました。
開山堂には第一世住持の三江紹益禅師や「ねね」の兄、木下家定夫妻の
像があり、霊屋には、墓所として北政所が祀られ、その像と秀吉像が
あります。
霊屋での女性の説明がテープレコーダーのように抑揚がなく面白かったです。

 境内では修学旅行の高校生が男女とも浴衣姿で楽しそうに歩いたり、
ソフトクリームを食べたりしていました。

 その後、京都駅へタクシーで戻り、カフェ鴨川でコーヒーなどを
いただいた後、解散しました。

       ねね殿の御廟は暗し青葉風      常朝

       ねね殿も浴衣で参る修学生      常朝

         (高台寺方丈)          
          (高台寺の庭)
         (高台寺の青鷺)
         (北政所御廟)
         (カフェ鴨川)

 梅雨時にもかかわらず天気に恵まれ、久しぶりに会う同級生たちと
楽しい一日を過ごすことが出来ました。

2015年6月14日日曜日

214.飛鳥の蛍狩

「アカシア紀行・俳句」2015年6月12日(金)    前へ   次へ


 6月の梅雨晴れ間、茅花流しの風の金曜日、いつものメンバー 6人で、
奈良、明日香村の飛鳥川へ蛍狩に行きました。  

 飛鳥川の蛍狩りは4年前の6月15日にも行きましたが、その時よりは
少し早いので蛍が飛んでいるか少し心配でした。

 せっかくの飛鳥なので、明るいうちに棚田の田植えなどを見ようと、
午後2時明日香夢販売所で集合し、石舞台の南の勧請縄のある
稲渕へ行き、勧請橋のたもとに駐車しました。

 橋には南渕請安師の講義の絵などが掛っており、ときおり茅花流しの
涼しい風が飛鳥川の川面に白い草の絮を飛ばしていました。
橋のすぐ上流の分水路(田への)では一人の農夫が50個ほどの苗箱を丁寧に
洗っていました。
周囲の田を見ると皆田植えが終わってきれいな植田になっていました。
田の土手の茅花の穂がときおり風で飛んでいきます。
下流の植田で別の農夫が一人余り苗を持って挿し苗をしているようでした。

       茅花流し絮を飛ばせり飛鳥川     常朝

         (飛鳥稲渕-勧請縄:クリックで拡大:以後同じ)          
         (稲渕案内図)
         (稲渕の売店)
         (勧請橋)
         (南渕請安師講義図:右は中大兄皇子と中臣鎌足か)

 売店(かんなびの里稲渕)を覗いたりしてしばらく散策後、まだ田植えを
している田があるかもと、北側の細川の左右の道を車でゆっくり走りましたが、
皆植田になっていたので、甘樫の丘東南の麓の蘇我邸跡の駐車場に行き、
周囲を散策しました。蘇我邸跡は埋め戻されて、葛の蔓が走っており、
そばの合歓の木の青葉がきれいです。
道路の東側にはまだ田植えをしていない代田や田植え中の田がありました。

       甘樫の丘を映して代田澄む      常朝

         (蘇我氏邸跡-甘樫丘東南麓)         
         (飛鳥夢の楽市)

 その後甘樫の丘の東の「飛鳥夢の楽市」で、飲み物や野菜を買ったあと、
少し早い夕食をとろうと、午後4時すぎ食堂を探しました。
金曜日なのに、石舞台の「あすか野」、飛鳥駅の東の「御園」など、お休みの
店が多く、やむなく飛鳥駅東の「コッコロ」でピザトーストなど軽食を
いただき、5時すぎ飛鳥川へ戻りました。

 前回同様、稲渕の飛び石への降り口付近で一旦駐車しましたが、
まだ明るすぎるし、蛍を生育するビオトープがあって蛍が確実に見られるという
稲渕の東の関西大学飛鳥文化研究所のそばの飛鳥川に移動しました。

 着いた時はまだ6時すぎだったので、周囲を散策しました。
研究所の庭には美しい青や白の紫陽花が咲いています。
犬を散歩させている女性に会いましたが、犬は10才で糖尿病だそうです。
谷の合歓の木は葉を完全に閉じていました。

 日没の7時10分頃になると飛鳥の谷の空は茜色に染まり、燕が飛んで
行きました。
暗くなる頃カメラマンが一人来てビオトープの小さい池にカメラを
セットしました。
8時頃、そのビオトープへの狭い石橋付近の楓青葉の中で蛍が一つ、二つと、
光り始めました。しばらくして他の家族連れが2組ほど来た頃は、
数匹が弱々しく谷の上を飛び始めました。
蛙はうるさい程ですが、河鹿の声は聞き取れませんでした。

 8時15分頃、稲渕の飛び石の近くの棚田憩いの館のそばに駐車して、
道路から東側の飛鳥川板橋付近を見ました。
じっと目をこらすと、数匹の蛍が川面やそばの田の上を飛んでいました。
川への農道を行く人の懐中電灯が時々、巨大ホタルのように光り、
空にはジェット機のランプがいくつも南北に飛んでいました。

       上等の手箒持ちて蛍狩        常朝

       蛍待つ飛鳥の谷の夕茜        常朝

       田に映り飛びゆく蛍ことのほか    常朝

               (蛍のビオトープ)
         (関西大学飛鳥文化研究所-蛍の谷)            
          (棚田憩いの館)

 立って川面を見るのも少し疲れてきたので、8時半頃解散しました。
梅雨の中の天気に恵まれた一日、今年初めての蛍狩りを楽しみました。

2015年5月30日土曜日

213.松尾寺から矢田公園菖蒲園

「アカシア紀行・俳句」2015年5月29日(金)    前へ   次へ

 晴天の続いたあとの5月の最後の金曜日、いつものメンバー 6人で、
大和郡山市の松尾寺などを訪ねました。  

 松尾寺は、奈良時代の養老2年(718)天武天皇の皇子、
舎人親王が、日本書紀完成と厄除けを祈願して建立された寺で、
日本最古の厄除け霊場の寺として有名です。

 9時半すぎ、天理街道(169号線)窪之庄南の交差点から西へ約6キロ、
池ノ内町交差点を左折、約2キロほどで右折、県道123号線を西へ登り、
大和郡山市の矢田丘陵にある山中の松尾寺の駐車場で集合しました、

 青葉の下の長い参道を登ると滝行場がありました。
滝といっても石樋から落ちる水を受ける行場ですが、行場の岩の周囲の
水には睡蓮が咲き緋鯉や金魚が泳ぎ、岩には卯の花が散っていました。

 左の石段を登ると、厄除け祈祷の受付のある福寿院があり、
薔薇園の入口となっています。入園無料のバラ園を訪ねました。

 バラ園は本堂南側の福寿院のさらに南に20X15メートル位の花畑があり、
そこにアーチなども作られて数十種類の色とりどりのバラが植えられています。

 福寿院の入口にもバラの植木鉢が沢山並べられていました。
花の時期は少し過ぎたようですが、何種類かのバラは見頃でした。
モンローなどという西洋品種とともに、平安、万葉、奈良の光、嵯峨野、
大原女、円山、清涼殿、大文字、洛陽などと和名の品種もありました。

 バラ畑への通路の左にはビワの木が沢山の実をつけて、竹藪の竹に
押されていました。
また薔薇園の奥には修行のための参籠所がありました。

       老鶯や行場の水を見てをれば     常朝

       薔薇園の奥にありたる参籠所     常朝

         (松尾寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
         (滝行場と睡蓮)
         (松尾寺本堂)
         (バラ園入口:福寿院)
         (バラ園)
         (三重塔)

  11時前、矢田丘陵を降りて、北へ6キロほどの奈良高等専門学校の
南側の「御幸」で蕎麦などの昼食をいただき、近くの大和民俗公園の
菖蒲園を訪ねました。

 菖蒲園は民俗公園の東側にある60メートル四方位の湿生園です。
多くの水路の間に、それぞれ優雅な名札のある花菖蒲、かきつばた、
あやめの畝があり、その間を木道(八つ橋)が通っています。
左奥には水車小屋がありますが、水不足のためか止まっていました。

 時期が少し早かったのか、花はまだちらほら咲いている程度です。
それでも白蝶が花を探し、水車小屋からは揚羽蝶が飛び出ました。
菖蒲園の木道を電動車椅子の人がゆっくり動いていました。

 菖蒲園の北側には畑があり、細長い麦畑がまだ青い穂をつけて
風に揺れていました。さらに奥には勾玉形の池があり、父子が
ザリガニ釣りをしていました。

       水車止まりて静か菖蒲園       常朝

       重さうに穂の揺れゐたる麦畑     常朝

         (矢田民俗公園の菖蒲園)            
         (ザリガニ釣りの父子)

 そのあと奈良へ戻り自宅で小句会を楽しんだあと夕方解散しました。

 あまり良い句はできなかったですが、少し風のある薄曇りの初夏の日、
万緑の山や菖蒲園などをゆっくり楽しむことができました。

2015年5月16日土曜日

212. 浄瑠璃寺、岩船寺から杜若園

「アカシア紀行・俳句」2015年5月13日(水)    前へ     次へ

 台風6号のすぎた5月の快晴の日、いつものメンバー 6人で、
浄瑠璃寺、岩船寺などを訪ねました。  

 9時半奈良で集合、まず奈良阪の北東の浄瑠璃寺を訪ねました。

 浄瑠璃寺は、6年前の秋にも訪ねましたが、京都府木津川市の山中にある
平安時代からの真言律宗の寺です。(参考:アカシア紀行93浄瑠璃寺ほか
        
 バスも駐車できる駐車場から約100メートルの参道を南へ歩くと山門があり、
すぐに池と本堂が見えます。
山門右手、本坊前の柿の木の下に御手洗と藻の花や百合などの鉢があります。

 まず300円を納めて本堂の九体阿弥陀仏とこの時期開扉されている
吉祥天女像を参拝しました。
本堂裏の廊下には右手の山の木々から子鴉の甘え声も含めうるさい程の
鴉の鳴き声が聞こえました。

 中央の大きな阿弥陀如来像の左右に4体ずつ、九体の阿弥陀仏は
それぞれ目を開いたり、半眼にしたり閉じたりしておられ、中央左手の
厨司の中にあでやかな吉祥天女像がありました。

 阿弥陀如来を参拝後、境内に出て池や三重塔などを拝見しました。
池の右側(本堂側)は彼岸で、反対の三重塔側は此岸とのことです。
塔の周囲には山つつじ、池の岸辺には青いアヤメなどが咲いていました。

       吉祥天のお顔に映えて花菖蒲     常朝

       浄瑠璃寺の彼岸に青きあやめかな   常朝

             (浄瑠璃寺参道:クリックで拡大:以後同じ)          
             (浄瑠璃寺本堂)
             (吉祥天女像:拝観のしおりより)
             ;(浄瑠璃寺の池)
             ;(浄瑠璃寺三重塔)

 門前の道路の蕎麦店はあいにく定休日で、やむなく昼食を後回しにして
岩船寺を訪ねました。

 岩船寺は奈良時代聖武天皇の命で行基が阿弥陀堂を建てたことから始まると
される真言律宗の古寺です。
まず入山料400円を納めて、本堂の四天王に囲まれた阿弥陀如来を参拝し、
境内の阿字池や三重塔などを見ました。

 池の周囲などあちこちに青紫の都忘れの花が咲き、オオデマリが白い花びらや
白い手毬を散らしています。石楠花はもう花の終わりでした。
三重塔の奥の休憩所では20人位の団体がお弁当を広げていました。


       大庇よき風来たり青葉寺       常朝

       都忘れ供花の如くに石仏       常朝

             (岩船寺山門)       
             (岩船寺本堂)
              (都忘れの花)
             (オオデマリ)

 その後、城陽市の杜若(カキツバタ)園を見ようと北の加茂から163号線を
西へ24号線へと向かいましたが、道を間違えて東の笠置へ遠回りしたのち、
163号から24号線に入り、1時すぎ城陽市の「さがみ」で遅い昼食をいただきました。 

 親切な女店員が杜若園(畑)への地図と花卉工場への地図を描いてくれたので、
迷わず城陽市観音堂地区の杜若畑に行くことができました。
「さがみ」からは南東1.5キロくらいの、南城陽中学校の西側の水田を転作した
杜若畑です。

 我々が見て歩いたのは南側の奥の畑でしたが、周囲をあわせると
4~5ヘクタールはあると思われる水田跡の杜若畑で、殆どの畑がちょうど満開で、
常時地下水をポンプで汲み上げ補水していました。
道脇の泥田には雨乞い地蔵の社があり、水の好きな地蔵様を土中から引き上げ
お祀りすると雨が降るそうです。
杜若畑の隣にはユーカリ、栗、桃なども植えられていました。

 眼前に広がるカキツバタを見ていると涼しい風がきて、
青紫の花や葉が揺れ、隙間の水面には太陽がまぶしいほどでした。


       杜若水面の日輪まぶしくて     常朝

       杜若どれか揺れゐる園広し     常朝

              (城陽市の雨乞い地蔵社)
              (雨乞い地蔵説明板)
              (杜若(カキツバタ)園)

 その後奈良へ戻り、旧ドリームランド前のCOCOSで小句会後
解散しました。気の早い台風一過後のさわやかな5月の一日でした。