「アカシア紀行・俳句」2019年3月12日(火) 前へ 次へ
変わりやすい気候のなかの晴れの日、琵琶湖・石山から堅田漁港をいつものメンバー3人で訪ねました。
JR奈良駅を10時頃車で出発、京滋バイパスの石山を降りて、しじみ料理の「石柳」を9年ぶりに訪ねました。11時半頃着いたので、店には我々以外に客はおらず、久しぶりに鯉の洗いとしじみの定食をいただきました。昔席にきてしじみの産地の話などをしてくれた主人らしい人は見えなかったです。(参照:アカシア紀行101)
窓からは瀬田川のさざ波と、反対側の石山寺の駐車場のバスから降りる観光客が見えました。店を出る12時半頃は席はほぼ満席になっていました。
(石柳:クリックで拡大:以下同じ)
(石柳の店内)
瀬田川の波はさざ波蜆飯 常朝
その後、琵琶湖の西岸沿いに北上し、堅田漁港に1時20分頃着きました。
浮見堂のそばからややこしい狭い道を抜けて、お寺の駐車場に車を置かせてもらいました。
昔焚火をしていた人達は見えず、軽自動車の漁師らしい人が漁協の建物の前で職員らしい人に
8匹ほど箱に入れたニゴロブナを渡していました。
桟橋には漁船がぎっしり繋がれていますが、その桟橋を黒白の猫が走ってきて、浜の田村淡水の
建物に入りました。
我々も、田村淡水(佃煮、鮮魚卸)さんに入り、氷魚(ひうお)、スゴモロコ、鮒ずしを買いました。氷魚は3センチ位の鮎の幼魚で、透明ですが茹でると(釜あげ)白くなり、珍しいものです。
そばでは、高齢の男性と中年女性が、まだ生きている30匹くらいのニゴロブナ(煮頃鮒)の鱗や腸(はらわた)を取っていました。
よく見ると、鮒の腹は開かずに、あごの辺りに指を入れて腸を抜いていました。
聞くと、卵を残して、米を中に詰めるため、腹を開かないそうです。
最初塩を入れて2年、次に麹米を入れて1年、桶の中に寝かすそうです。
鮒ずしが高価なのは、この手間と時間がかかるからでしょう。
2時頃漁港を出ましたが、まっすぐ西へ出て橋を渡ると、堅田駅前の交差点に出ました。
これが一番の近道のようです。
(堅田漁港)
(漁船)
(田村淡水の工場)
(氷魚とスゴモロコ)
(ニゴロブナの調理)
湖の桟橋走る春の猫 常朝
春の鮒開かず腸(わた)を抜きゐたり 常朝
帰る途中、2時半頃、下坂本・四ツ谷交差点の四ツ谷湖岸緑地に駐車して、湖の鴨などを見ました。キンクロハジロや鷭が数十羽波に揺れており、そのうち時雨が降ってきました。
しかし雨に負けずに、鳶が2羽飛んできてピーィと湖に声を飛ばしていました。
2人の若者がきてブラックバスを釣りはじめました。
緑地には2本梅が咲いて、枯れ芦の間に近江富士が小雨に霞んでいました。
(湖岸緑地)
(湖岸緑地の梅)
湖に声わたらせて春の鳶 常朝
近江富士望む湖岸に春時雨 常朝
その後小雨の中、浜大津、膳所城跡などを通って石山に戻り、京滋バイパス、京阪奈道を
通って奈良へ戻りましたが雨は上がっていました。
久しぶりの蜆飯と早春の漁港や湖岸の風景を楽しめた、一日でした。
2019年3月13日水曜日
2019年1月23日水曜日
277. 桜井市・不動の滝から飛鳥・勧請縄
「アカシア紀行・俳句」2019年1月22日(火) 前へ 次へ
曇り空ながら大寒にしては暖かい日、奈良・桜井市の不動の滝をいつものメンバー3人で訪ねました。
不動の滝は、桜井市の南部、多武峰(とうのみね)の東、八井内交差点の北にある滝です。
天理街道・三輪大社の北の千寿庵でそうめん・天ぷらをいただき、165号線の薬師町交差点から南6キロほどの滝を訪ねると、まず破(やれ)不動という大きな岩が目に入りました。
この岩には不動尊が彫られており、名の通り後ろ側で刀で切ったように割れています。
滝は高さ6メートルほどで水量は多くないですが、崖の途中から吹き出るように水が出ています。
よく見ると滝の上に川がなく、下に2メートル程の低い滝の上に谷川があります。
しばらく冬の滝をみていたら 赤いドッグコートを着たポメラニアンの小犬を連れた60才くらいの
男性が来て、色々教えてくれました。
昔は低い滝しかなかったので、修行者のために上流から水を引いて、修行用に高い滝を作ったようです。冬でも時々、ラグビー部員や修行者が来て滝を浴びるそうです。
そばには修行小屋があり、屋根にも中にも落葉がたまり、そばに薬莢が落ちていまいた。
氷柱でもないかと、滝の横の山道を歩きましたが、草氷柱も見えなかったです。
見上げると高い杉の木々のすきまから狭い冬空が見えました。
(破不動尊:クリックで拡大:以下同じ)
(不動の滝)
(行者小屋)
赤服の小犬を連れて冬の滝 常朝
杉山の空も見上ぐる冬の滝 常朝
そのあと、八井内交差点から西へ多武峰を登り、明日香に降りて石舞台の南の三ツ辻に駐車し、
周囲を眺めました。そこには大きな櫟の木と楡の実のような実をぶら下げた大樹が枯れ葉をつけていました。
そこから稲渕の橋のたもとの売店脇に駐車して勧請縄を見ました。
10日ほど前に掛け替えられたので垂や榊が新しく、風に少し揺れています。
数年前、榊を付けて勧請縄を上げるのを手伝ったことを思い出しました。(アカシア紀行141:参照)
南側の案山子ロードには、去年の大河ドラマの「西郷どん」の大きな案山子が犬の代わりに
猪を連れて立っていました。
(稲渕の勧請縄)
(西郷どんの案山子)
(紅茶館から見た崇神天皇陵)
飛鳥川棚田の下に冬菜畑 常朝
西郷どんの案山子猪連れゐたり 常朝
その後、天理街道を戻り、長岳寺のそばの紅茶館でケーキと紅茶をいただいて奈良へ戻りました。
大寒のわりに暖かい日を滝と明日香で過ごすことができました。
曇り空ながら大寒にしては暖かい日、奈良・桜井市の不動の滝をいつものメンバー3人で訪ねました。
不動の滝は、桜井市の南部、多武峰(とうのみね)の東、八井内交差点の北にある滝です。
天理街道・三輪大社の北の千寿庵でそうめん・天ぷらをいただき、165号線の薬師町交差点から南6キロほどの滝を訪ねると、まず破(やれ)不動という大きな岩が目に入りました。
この岩には不動尊が彫られており、名の通り後ろ側で刀で切ったように割れています。
滝は高さ6メートルほどで水量は多くないですが、崖の途中から吹き出るように水が出ています。
よく見ると滝の上に川がなく、下に2メートル程の低い滝の上に谷川があります。
しばらく冬の滝をみていたら 赤いドッグコートを着たポメラニアンの小犬を連れた60才くらいの
男性が来て、色々教えてくれました。
昔は低い滝しかなかったので、修行者のために上流から水を引いて、修行用に高い滝を作ったようです。冬でも時々、ラグビー部員や修行者が来て滝を浴びるそうです。
そばには修行小屋があり、屋根にも中にも落葉がたまり、そばに薬莢が落ちていまいた。
氷柱でもないかと、滝の横の山道を歩きましたが、草氷柱も見えなかったです。
見上げると高い杉の木々のすきまから狭い冬空が見えました。
(破不動尊:クリックで拡大:以下同じ)
(不動の滝)
(行者小屋)
赤服の小犬を連れて冬の滝 常朝
杉山の空も見上ぐる冬の滝 常朝
そのあと、八井内交差点から西へ多武峰を登り、明日香に降りて石舞台の南の三ツ辻に駐車し、
周囲を眺めました。そこには大きな櫟の木と楡の実のような実をぶら下げた大樹が枯れ葉をつけていました。
そこから稲渕の橋のたもとの売店脇に駐車して勧請縄を見ました。
10日ほど前に掛け替えられたので垂や榊が新しく、風に少し揺れています。
数年前、榊を付けて勧請縄を上げるのを手伝ったことを思い出しました。(アカシア紀行141:参照)
南側の案山子ロードには、去年の大河ドラマの「西郷どん」の大きな案山子が犬の代わりに
猪を連れて立っていました。
(稲渕の勧請縄)
(西郷どんの案山子)
(紅茶館から見た崇神天皇陵)
飛鳥川棚田の下に冬菜畑 常朝
西郷どんの案山子猪連れゐたり 常朝
その後、天理街道を戻り、長岳寺のそばの紅茶館でケーキと紅茶をいただいて奈良へ戻りました。
大寒のわりに暖かい日を滝と明日香で過ごすことができました。
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2019年1月9日水曜日
276. 春日荷担茶屋から天理・市座神社八日戎・竹の内
「アカシア紀行・俳句」2019年1月8日(火) 前へ 次へ
1月初旬の良い天気に恵まれ、新年の気分の残る奈良公園・春日稲荷茶屋 から 天理・市座神社の八日戎などをいつものメンバー3人で訪ねました。
荷担茶屋(にないちゃや)は奈良公園・国際フォーラムの道の反対側・南100メートルほどの茶屋で、何度か訪ねていますが、今回は七草粥の万葉粥(年中ある粥料理)をいただきました。
粥には紅白の餅が入っており、塩かげんは絶妙でした。香の物なども美味しかったです。
(春日・荷担茶屋:クリックで拡大:以下同じ)
(荷担茶屋の庭)
そのあと、長岳寺に行こうと天理街道(169号線)を走っていると天理・河原城交差点あたりで、八日戎の旗を見たので街道を西にそれて、丹波市の市座神社の八日戎を訪ねました。途中の道には八日戎の旗が何本も立っています。
市座神社の元社は本殿右手にある妙見社で、鳥居の左には小さいながら恵比寿神社があります。
神社前の駐車場に駐車して鳥居をくぐると、さほど大きくない神社ですが、テントの中には地元の人達が10人位和やかに働いて、くじ引き、お神酒、ぜんざい、綿菓子などを振る舞っていました。
小学生の女の子たちが嬉しそうにもらった綿菓子を抱くように境内を歩いていました。
我々は本殿参拝後、いきなりぜんざいの接待をいただき、くじ引きではチッシュペーパー、醤油などをもらいました。
本殿横では20才位のかわいい巫女さん(福娘)が二人、福箕(ざる)、お守り売りなどをしていました。
地元神社の初戎なので人はそれほど多くなく、至極のんびりとした雰囲気で、
我々は巫女さんたちと初写真の記念写真を撮ってもらいました。
巫女としての鈴振りなどの稽古はなしでいきなり本番だったとのこと。
地元の男性によると、ここは昔の丹波市という市場の神社だったようで、市場のアーケードの屋根(陽屋根)が鳥居外の街道あとに残されているとのこと。
市座神社の裏手には、2つ穴の空いた大きな青石があります。これは古墳石棺の天井岩らしいですが長い間、中心を流れていた布留川の石橋だったとのこと。
鳥居を出るとすぐ右手に陽屋根があり、その横は道を横切る川だったそうです。(いまは暗渠)
陽屋根の中の説明書によると丹波市は平安時代からの市場で、花街もある宿場町だったそうで、明治の鉄道敷設後、天理の中心は東の天理街道付近になったようです。
(市座神社参道)
(八日戎の境内)
(市座神社)
(巫女さん達)
(陽屋根(昔のアーケード))
(丹波市の説明書:一部)
テントの人皆和やかに初戎 常朝
巫女の鈴ぶっつけ本番初戎 常朝
初戎の神社を出てもとの天理街道を走り、まず竹の内の柿畑を訪ねました。
勿論柿を見るのでなく、新春の奈良盆地を見渡すためです。
竹の内の手入れのいきとどいた大きな池の土手に登ると、生駒山、二上山、葛城山、金剛山、大和三山の初景色が見渡せました。さすがに葛城、金剛山などはすこし霞んでいましたが。
池の奥の方で鴨の群がおり、ときどきキュルーというような声で鳴きました。
その後南の長岳寺の道に入りましたが、今回はお寺には参らず、去年近くにできた紅茶の店「KURINOKI」を訪ねました。
入り口には英国の国旗があり、車は10台位駐車できそうです。
中に入ると、英国風の食器箪笥のほか、大きな電気スタンド、ピアノがあり、注文した家庭料理・リンゴスクランブルと紅茶は流石に美味しかったです。赤ネクタイの男性が紅茶の説明をしてくれました。
(竹の内の池からの二上山など)
(竹の内の池)
(紅茶館「tea house KURINOKI」)
(紅茶館のピアノ)
(メニューの一部)
(リンゴ・スクランブル)
餅花も飾ってゐたる紅茶館 常朝
お天気に恵まれ、奈良の初景色や和やかな地元の八日戎、英国風の紅茶などを楽しめた一日でした。
1月初旬の良い天気に恵まれ、新年の気分の残る奈良公園・春日稲荷茶屋 から 天理・市座神社の八日戎などをいつものメンバー3人で訪ねました。
荷担茶屋(にないちゃや)は奈良公園・国際フォーラムの道の反対側・南100メートルほどの茶屋で、何度か訪ねていますが、今回は七草粥の万葉粥(年中ある粥料理)をいただきました。
粥には紅白の餅が入っており、塩かげんは絶妙でした。香の物なども美味しかったです。
(春日・荷担茶屋:クリックで拡大:以下同じ)
(荷担茶屋の庭)
そのあと、長岳寺に行こうと天理街道(169号線)を走っていると天理・河原城交差点あたりで、八日戎の旗を見たので街道を西にそれて、丹波市の市座神社の八日戎を訪ねました。途中の道には八日戎の旗が何本も立っています。
市座神社の元社は本殿右手にある妙見社で、鳥居の左には小さいながら恵比寿神社があります。
神社前の駐車場に駐車して鳥居をくぐると、さほど大きくない神社ですが、テントの中には地元の人達が10人位和やかに働いて、くじ引き、お神酒、ぜんざい、綿菓子などを振る舞っていました。
小学生の女の子たちが嬉しそうにもらった綿菓子を抱くように境内を歩いていました。
我々は本殿参拝後、いきなりぜんざいの接待をいただき、くじ引きではチッシュペーパー、醤油などをもらいました。
本殿横では20才位のかわいい巫女さん(福娘)が二人、福箕(ざる)、お守り売りなどをしていました。
地元神社の初戎なので人はそれほど多くなく、至極のんびりとした雰囲気で、
我々は巫女さんたちと初写真の記念写真を撮ってもらいました。
巫女としての鈴振りなどの稽古はなしでいきなり本番だったとのこと。
地元の男性によると、ここは昔の丹波市という市場の神社だったようで、市場のアーケードの屋根(陽屋根)が鳥居外の街道あとに残されているとのこと。
市座神社の裏手には、2つ穴の空いた大きな青石があります。これは古墳石棺の天井岩らしいですが長い間、中心を流れていた布留川の石橋だったとのこと。
鳥居を出るとすぐ右手に陽屋根があり、その横は道を横切る川だったそうです。(いまは暗渠)
陽屋根の中の説明書によると丹波市は平安時代からの市場で、花街もある宿場町だったそうで、明治の鉄道敷設後、天理の中心は東の天理街道付近になったようです。
(市座神社参道)
(八日戎の境内)
(市座神社)
(巫女さん達)
(陽屋根(昔のアーケード))
(丹波市の説明書:一部)
テントの人皆和やかに初戎 常朝
巫女の鈴ぶっつけ本番初戎 常朝
初戎の神社を出てもとの天理街道を走り、まず竹の内の柿畑を訪ねました。
勿論柿を見るのでなく、新春の奈良盆地を見渡すためです。
竹の内の手入れのいきとどいた大きな池の土手に登ると、生駒山、二上山、葛城山、金剛山、大和三山の初景色が見渡せました。さすがに葛城、金剛山などはすこし霞んでいましたが。
池の奥の方で鴨の群がおり、ときどきキュルーというような声で鳴きました。
その後南の長岳寺の道に入りましたが、今回はお寺には参らず、去年近くにできた紅茶の店「KURINOKI」を訪ねました。
入り口には英国の国旗があり、車は10台位駐車できそうです。
中に入ると、英国風の食器箪笥のほか、大きな電気スタンド、ピアノがあり、注文した家庭料理・リンゴスクランブルと紅茶は流石に美味しかったです。赤ネクタイの男性が紅茶の説明をしてくれました。
(竹の内の池からの二上山など)
(竹の内の池)
(紅茶館「tea house KURINOKI」)
(紅茶館のピアノ)
(メニューの一部)
(リンゴ・スクランブル)
餅花も飾ってゐたる紅茶館 常朝
お天気に恵まれ、奈良の初景色や和やかな地元の八日戎、英国風の紅茶などを楽しめた一日でした。
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2018年12月14日金曜日
275. 京都・祇園の事始め
「アカシア紀行・俳句」2018年12月13日(木) 前へ 次へ
青空の見える師走の中旬:事始めの日、いつものメンバー4人で京都祇園を訪ねました。
目的は年末の祇園の舞妓・芸妓さん達の行事「事始め」を見学するためです。
祇園は2009年節分祭で八坂神社、建仁寺を訪ねて以来9年ぶりです。(参照:アカシア紀行82)
奈良から24号線を北上、阪神高速京都線の鴨川西ICの北側をさらに北上、九条河原町を右折して東大路・清水通りの北の高台寺駐車場に10時半頃駐車し、タクシーで祇園:新門前通りの片山家能楽・京舞保存財団の表札のある井上八千代邸を訪ねました。
片山家や近所の家の門の左右には青竹を曲げた柵:犬矢来(駒寄せ)が置かれていかにも京の古い家並みでした。
狭い通りの門前には大勢(5、60人?)のカメラマンや見学の人々が道の右側(北側)に並んでいました。
しばらくすると5、6人の舞妓や芸妓さん達が、東側から片山家に入りました。
その後も数分おきに、1人あるいは4、5人と門内に入る一方、時々門から白い箱や袋を抱いて
芸妓さん達がでてきました。 中にはカメラマンの要望があったのか、門前で並んで写真を撮らせたグループもありました。
邸内の様子はわかりませんが、おそらく舞妓さん達が師匠の井上八千代さん(5世)に挨拶をして、扇をいただいているのでしょう。
たまたま警戒のパトカーが来ましたが、マイクですみませんと断ってゆっくり門前を通り過ぎました。
11時すぎには邸内から報道カメラマン達が大きなカメラを持って出てきました。
その後、西側の角でタクシーに乗り高台寺に戻って車で花見小路・一力亭の前まで移動し、歌舞練場に駐車しました。
一力亭から挨拶をして出てくる芸妓さん達を花見小路で拝見してから、南側の料亭西坂で昼食をいただきました。昼は以前入った十二段家を訪ねましたが工事中とかで2020年5月まで休業と張り紙がありました。
西坂のお店の人たちは皆和服姿が決まっていました。
その後建仁寺前を通って 八坂神社南の東大路から奈良へもどりました。
(師匠宅へ歩く舞妓さん達)
(門前の舞妓さん達)
(片山家)
(門を出た芸妓さん達)
(花見小路一力の前)
赤草履音も軽やか事始 常朝
事始めジェット機高き京の空 常朝
今回は、お天気に恵まれ、久しぶりの祇園の年末行事を楽しむことができました。
たまたま帰宅後、NHKテレビの「花街の青春」という番組で、祇園の舞妓さんの新入生「仕込みさん」が1年以上も厳しい修業をしてやっと舞妓としてデビューするまでを見ました。祇園言葉、畳に手をついてお辞儀、歩き方など舞のほかにも修業すべきことが沢山あるようです。舞妓になってからもさらに修業して襟替え後、芸妓として活躍するそうです。
青空の見える師走の中旬:事始めの日、いつものメンバー4人で京都祇園を訪ねました。
目的は年末の祇園の舞妓・芸妓さん達の行事「事始め」を見学するためです。
祇園は2009年節分祭で八坂神社、建仁寺を訪ねて以来9年ぶりです。(参照:アカシア紀行82)
奈良から24号線を北上、阪神高速京都線の鴨川西ICの北側をさらに北上、九条河原町を右折して東大路・清水通りの北の高台寺駐車場に10時半頃駐車し、タクシーで祇園:新門前通りの片山家能楽・京舞保存財団の表札のある井上八千代邸を訪ねました。
片山家や近所の家の門の左右には青竹を曲げた柵:犬矢来(駒寄せ)が置かれていかにも京の古い家並みでした。
狭い通りの門前には大勢(5、60人?)のカメラマンや見学の人々が道の右側(北側)に並んでいました。
しばらくすると5、6人の舞妓や芸妓さん達が、東側から片山家に入りました。
その後も数分おきに、1人あるいは4、5人と門内に入る一方、時々門から白い箱や袋を抱いて
芸妓さん達がでてきました。 中にはカメラマンの要望があったのか、門前で並んで写真を撮らせたグループもありました。
邸内の様子はわかりませんが、おそらく舞妓さん達が師匠の井上八千代さん(5世)に挨拶をして、扇をいただいているのでしょう。
たまたま警戒のパトカーが来ましたが、マイクですみませんと断ってゆっくり門前を通り過ぎました。
11時すぎには邸内から報道カメラマン達が大きなカメラを持って出てきました。
その後、西側の角でタクシーに乗り高台寺に戻って車で花見小路・一力亭の前まで移動し、歌舞練場に駐車しました。
一力亭から挨拶をして出てくる芸妓さん達を花見小路で拝見してから、南側の料亭西坂で昼食をいただきました。昼は以前入った十二段家を訪ねましたが工事中とかで2020年5月まで休業と張り紙がありました。
西坂のお店の人たちは皆和服姿が決まっていました。
その後建仁寺前を通って 八坂神社南の東大路から奈良へもどりました。
(師匠宅へ歩く舞妓さん達)
(門前の舞妓さん達)
(片山家)
(門を出た芸妓さん達)
(花見小路一力の前)
赤草履音も軽やか事始 常朝
事始めジェット機高き京の空 常朝
今回は、お天気に恵まれ、久しぶりの祇園の年末行事を楽しむことができました。
たまたま帰宅後、NHKテレビの「花街の青春」という番組で、祇園の舞妓さんの新入生「仕込みさん」が1年以上も厳しい修業をしてやっと舞妓としてデビューするまでを見ました。祇園言葉、畳に手をついてお辞儀、歩き方など舞のほかにも修業すべきことが沢山あるようです。舞妓になってからもさらに修業して襟替え後、芸妓として活躍するそうです。
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2018年11月22日木曜日
274. 京都・木津川市の浄瑠璃寺から沈水橋
「アカシア紀行・俳句」2018年11月21日(水) 前へ 次へ
秋も深まった11月下旬、久しぶりのメンバー4人で紅葉狩りを兼ねて京都・木津川市の浄瑠璃寺などを訪ねました。
浄瑠璃寺は3年前5月にも訪ねています。(参照:アカシア紀行212)
今回はもともと新そばを味わいたいと、桜井市の「笠そば処」を訪ねる予定でしたが、
水曜日レストランが休みとわかったので、門前の吉祥庵の新そばを目的に浄瑠璃寺を訪ね、10時半ころ門前駐車場に着きました。
ところが吉祥庵もたまたまお休みで、昼食は境内の「あしびの店」ということにして、境内を散策しました。
紅葉で美しい宝池(ほうち)をはさんで、九体仏を安置する本堂と薬師如来の三重塔が緑の山を背に立っています。
池には紅葉の落ち葉が池面を敷きつめるほど浮いており、鯉が紅葉を押しわけて顔をだしています。岸辺には野紺菊が咲き、万両が赤い実を沢山提げていました。
本堂右の紫色の実をつけた豊国柿の下あたりに子猫が3~4匹いたので頭をなでても嫌がらずに平気でした。
受付で拝観料400円を収めて、九体仏と特別開扉中の吉祥天女像などを拝観しました。
九体仏のうち二仏は、現在修復中で本堂にはお留守でした。今年夏から5年かけて九体仏を順次修復するようです。
世田谷の九品仏には仏様の名前札がありましたがこの寺の九体仏には、上品上生、中品中生、下品下生などの名札がないのでどの仏様が修復中かはわかりませんが、左端と右から二体目がお留守なのでおそらく下品仏でしょう。
彼岸の本堂から反対の此岸へ歩き、三重塔を拝観しました。池の周囲の紅葉は日を受けて見事でした。
境内の「あしびの店」でそば定食などをいただき、岩船寺下までドライブしました。
(浄瑠璃寺の紅葉)
(浄瑠璃寺の本堂)
(九体仏:寺の説明書より)
(吉祥天女像:寺の説明書より)
(三重塔)
(浄瑠璃寺の境内:寺の説明書より)
(あしびの店)
紅葉明かり吉祥天の頬白し 常朝
日を透かす色こそよけれ冬紅葉 常朝
そのあと、当尾(とうの)の山中を走り、加茂駅そばから木津川沿い163号線を東へ遡上し、笠置大橋の東3キロの沈水橋を訪ねました。この橋も3年前の出水のあと訪ねました。(参照:アカシア紀行220)
今回は水も少なく、低い橋の下のさらに低い川底の石がはっきり見え、橋のたもとには冬芒がまっすぐゆれていました。
上流の水面には冬紅葉が映っていました。橋の南詰を登ると東海自然歩道の案内図がありました。
(木津川枕水橋)
(枕水橋案内図)
沈下橋の底石覗く冬の川 常朝
沈下橋近き川面に冬紅葉 常朝
しばらく橋の上から川面や山を眺めたあと、奈良に戻り、夢風広場のレストラン「幡Inoue」でケーキセットをいただいたあと、JR奈良駅で解散しました。
深秋の良い天気に恵まれ、加茂山中の美しい古寺や紅葉、木津川の景色などをゆっくり楽しむことができました。
秋も深まった11月下旬、久しぶりのメンバー4人で紅葉狩りを兼ねて京都・木津川市の浄瑠璃寺などを訪ねました。
浄瑠璃寺は3年前5月にも訪ねています。(参照:アカシア紀行212)
今回はもともと新そばを味わいたいと、桜井市の「笠そば処」を訪ねる予定でしたが、
水曜日レストランが休みとわかったので、門前の吉祥庵の新そばを目的に浄瑠璃寺を訪ね、10時半ころ門前駐車場に着きました。
ところが吉祥庵もたまたまお休みで、昼食は境内の「あしびの店」ということにして、境内を散策しました。
紅葉で美しい宝池(ほうち)をはさんで、九体仏を安置する本堂と薬師如来の三重塔が緑の山を背に立っています。
池には紅葉の落ち葉が池面を敷きつめるほど浮いており、鯉が紅葉を押しわけて顔をだしています。岸辺には野紺菊が咲き、万両が赤い実を沢山提げていました。
本堂右の紫色の実をつけた豊国柿の下あたりに子猫が3~4匹いたので頭をなでても嫌がらずに平気でした。
受付で拝観料400円を収めて、九体仏と特別開扉中の吉祥天女像などを拝観しました。
九体仏のうち二仏は、現在修復中で本堂にはお留守でした。今年夏から5年かけて九体仏を順次修復するようです。
世田谷の九品仏には仏様の名前札がありましたがこの寺の九体仏には、上品上生、中品中生、下品下生などの名札がないのでどの仏様が修復中かはわかりませんが、左端と右から二体目がお留守なのでおそらく下品仏でしょう。
彼岸の本堂から反対の此岸へ歩き、三重塔を拝観しました。池の周囲の紅葉は日を受けて見事でした。
境内の「あしびの店」でそば定食などをいただき、岩船寺下までドライブしました。
(浄瑠璃寺の紅葉)
(浄瑠璃寺の本堂)
(九体仏:寺の説明書より)
(吉祥天女像:寺の説明書より)
(三重塔)
(浄瑠璃寺の境内:寺の説明書より)
(あしびの店)
紅葉明かり吉祥天の頬白し 常朝
日を透かす色こそよけれ冬紅葉 常朝
そのあと、当尾(とうの)の山中を走り、加茂駅そばから木津川沿い163号線を東へ遡上し、笠置大橋の東3キロの沈水橋を訪ねました。この橋も3年前の出水のあと訪ねました。(参照:アカシア紀行220)
今回は水も少なく、低い橋の下のさらに低い川底の石がはっきり見え、橋のたもとには冬芒がまっすぐゆれていました。
上流の水面には冬紅葉が映っていました。橋の南詰を登ると東海自然歩道の案内図がありました。
(木津川枕水橋)
(枕水橋案内図)
沈下橋の底石覗く冬の川 常朝
沈下橋近き川面に冬紅葉 常朝
しばらく橋の上から川面や山を眺めたあと、奈良に戻り、夢風広場のレストラン「幡Inoue」でケーキセットをいただいたあと、JR奈良駅で解散しました。
深秋の良い天気に恵まれ、加茂山中の美しい古寺や紅葉、木津川の景色などをゆっくり楽しむことができました。
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2018年8月5日日曜日
273. 奈良・洞川の龍泉寺
「アカシア紀行・俳句」2018年8月4日(土) 前へ 次へ
猛暑続きの8月初旬、いつものメンバー4人で避暑を兼ねて奈良・天川村・洞川の龍泉寺などを訪ねました。洞川は3年前の7月末にも訪ねています。(参照:アカシア紀行218)
今回は橿原神宮西口で10時集合し、雲ひとつない8月の青空のもと下市、丹生、黒滝から11時半頃洞川・龍泉寺の駐車場に着きました。
すでにお寺の境内の駐車場は空きが2台しかない状態でした。
龍泉寺は大峰山修行者のための行者寺ですが、さすがに行者祭の翌日は行者らしい人はすくなく、境内は静かでした。役行者像のある水行場も今回は誰もいませんが、立っていると涼しい風がたえず吹いてきて、さすが海抜820メートルの行者寺です。
龍の口という湧き水から出る山の清水が境内のあちこちの池を美しく潤しています。
駐車場に近い南側の池には藻の花が咲いており、大鯉が底の砂に影をくっきりと落としてゆっくり泳いでいます。
見ていると、藻の下から大鯉がぬーっと顔を出して驚かされました。
龍の口の岩の説明書では、男の子を生んだ母親が白蛇の化身であると知らされ、自分の目を子に与えて、岩から湧き出る龍の口の泉に消えて、朝夕の鐘を合図に泉から出てきて乳をあげたとのこと。
また境内には、なでると軽くなり、叩くと重くなるという「なで石」があります。
試しになでてから両手で持つとなんとか上がりましたが、叩くと重くなるというのは、心臓に悪い気がしてやめました。
(龍泉寺山門-修験門:クリックで拡大、以下同じ)
(竜泉寺の前の橋(山上川))
(龍泉寺前のトイレ)
(洞川案内図)
(役行者像と水行場)
(龍の口伝説の説明板)
(なで石説明板)
(なで石(おもかる石))
(藻の花の咲く寺の池)
(藻の花)
藻の花の下より大鯉行者寺 常朝
白蛇の消えしてふ岩清水湧く 常朝
しばらく境内を散策してから、400メートル程南の「とり長」で鮎の塩焼き定食をいただきました。
混んでおり、7組分待ちましたが、その間下を流れる山上川をのニジマスの群れや鮎を見ました。
1時頃机に坐ってからも30分待ちましたが、充分お腹が空いて鮎も美味しかったです。
窓から道をみていたら、下山したのでしょう、頭襟(ときん)、結袈裟(ゆいげさ)姿で錫杖(しゃくじょう)を持った正装の行者が一人通りました。
3年前と同じく、洞川の旅館街で胃腸の薬「陀羅尼」と羊羹を買い、東の女人結界を訪ねました。
洞川温泉の旅館街の皿徳旅館のような行者宿は、夏休み中なので、中学生らしい子供たちがおそらく林間学校として、座敷や縁側で楽しそうに話していました。
結界では絶えず涼しい風が吹く中、父親が男の子に門を見せて子供の写真を撮っていました。
(とり長のメニュー)
(女人結界)
(黒滝・道の駅)
結界の湧き水旨し青葉風 常朝
行者宿は林間学舎子等の声 常朝
帰りに駐車料500円を収めて山の湧き水「ごろごろ水」をタンク一杯、ペットボトル3本分もらい、街で豆腐を買い、3時すぎ洞川を出ました。
途中黒滝の道の駅でソフトクリームをいただき、5時頃橿原神宮西口で解散しました。
下界は最高温度38℃の暑さだったようですが、おかげで暑さ知らずの一日を山の行者町で過ごすことができました。
猛暑続きの8月初旬、いつものメンバー4人で避暑を兼ねて奈良・天川村・洞川の龍泉寺などを訪ねました。洞川は3年前の7月末にも訪ねています。(参照:アカシア紀行218)
今回は橿原神宮西口で10時集合し、雲ひとつない8月の青空のもと下市、丹生、黒滝から11時半頃洞川・龍泉寺の駐車場に着きました。
すでにお寺の境内の駐車場は空きが2台しかない状態でした。
龍泉寺は大峰山修行者のための行者寺ですが、さすがに行者祭の翌日は行者らしい人はすくなく、境内は静かでした。役行者像のある水行場も今回は誰もいませんが、立っていると涼しい風がたえず吹いてきて、さすが海抜820メートルの行者寺です。
龍の口という湧き水から出る山の清水が境内のあちこちの池を美しく潤しています。
駐車場に近い南側の池には藻の花が咲いており、大鯉が底の砂に影をくっきりと落としてゆっくり泳いでいます。
見ていると、藻の下から大鯉がぬーっと顔を出して驚かされました。
龍の口の岩の説明書では、男の子を生んだ母親が白蛇の化身であると知らされ、自分の目を子に与えて、岩から湧き出る龍の口の泉に消えて、朝夕の鐘を合図に泉から出てきて乳をあげたとのこと。
また境内には、なでると軽くなり、叩くと重くなるという「なで石」があります。
試しになでてから両手で持つとなんとか上がりましたが、叩くと重くなるというのは、心臓に悪い気がしてやめました。
(龍泉寺山門-修験門:クリックで拡大、以下同じ)
(竜泉寺の前の橋(山上川))
(龍泉寺前のトイレ)
(洞川案内図)
(役行者像と水行場)
(龍の口伝説の説明板)
(なで石説明板)
(なで石(おもかる石))
(藻の花の咲く寺の池)
(藻の花)
藻の花の下より大鯉行者寺 常朝
白蛇の消えしてふ岩清水湧く 常朝
しばらく境内を散策してから、400メートル程南の「とり長」で鮎の塩焼き定食をいただきました。
混んでおり、7組分待ちましたが、その間下を流れる山上川をのニジマスの群れや鮎を見ました。
1時頃机に坐ってからも30分待ちましたが、充分お腹が空いて鮎も美味しかったです。
窓から道をみていたら、下山したのでしょう、頭襟(ときん)、結袈裟(ゆいげさ)姿で錫杖(しゃくじょう)を持った正装の行者が一人通りました。
3年前と同じく、洞川の旅館街で胃腸の薬「陀羅尼」と羊羹を買い、東の女人結界を訪ねました。
洞川温泉の旅館街の皿徳旅館のような行者宿は、夏休み中なので、中学生らしい子供たちがおそらく林間学校として、座敷や縁側で楽しそうに話していました。
結界では絶えず涼しい風が吹く中、父親が男の子に門を見せて子供の写真を撮っていました。
(とり長のメニュー)
(女人結界)
(黒滝・道の駅)
結界の湧き水旨し青葉風 常朝
行者宿は林間学舎子等の声 常朝
帰りに駐車料500円を収めて山の湧き水「ごろごろ水」をタンク一杯、ペットボトル3本分もらい、街で豆腐を買い、3時すぎ洞川を出ました。
途中黒滝の道の駅でソフトクリームをいただき、5時頃橿原神宮西口で解散しました。
下界は最高温度38℃の暑さだったようですが、おかげで暑さ知らずの一日を山の行者町で過ごすことができました。
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