2013年3月24日日曜日
169.大和郡山市の大納言墓、源九郎稲荷から郡山城
「アカシア紀行・俳句」2013年3月21日(木) 前へ 次へ
晴れた春彼岸の翌日、いつものメンバー6人で、
大和郡山市の大納言墓などを訪ねました。
集合地を郡山市額田部町のファミリー公園として、
まずフラワーパークの春の花を楽しもうとしましたが、
公園の駐車場にくると、元のフラワーパークのあたりは
工事の囲いがしてあり、以前人工滝のあった小山にシャベルカー
が乗って、木や土を取りこわしていました。
工事の人に聞くと、フラワーパークはほぼ1年前に広陵町へ
移転したとのことでした。事前の調査不足でした。
やむなく、すぐに北上して郡山城の南約500メートル、
金魚池近くの箕山町の大納言墓を訪ねました。
大納言墓は、豊臣秀吉の弟で、郡山100万石の城主であった
秀長の墓です。
約20メートル四方の白塀と玉垣で囲まれた墓地に、
大きな五輪塔と木々があるだけですが、入口に「お願いの砂」を
入れた箱があります。
その中に穴のあいた石の箱と砂があって、穴から砂を3回
落としながら願い事を唱えるとかなうそうです。
墓地の外の通路に句碑
「箕山しぐれ鬼貫がここにゐるやうな」 坂口草堤
が立っており、さつき(?)の若芽が出ていました。
江戸時代芭蕉の頃の俳人上島鬼貫がここを訪ねたのでしょうか。
大名墓願いの砂に春日差 常朝
(大納言墓:クリックで拡大:以後同じ)
(お願いの砂箱)
(箕山しぐれの句碑)
その後、郡山市市役所の駐車場に車を留めさせてもらい、
500メートルほど東南の洞泉寺町の勘九郎稲荷神社を訪ねました。
源九郎稲荷神社は、秀長が郡山城主の頃、城の守護神として、
城内に建てられたのち、江戸時代今の場所に遷座したそうです。
祭神は名前のとおり、源の九郎判官義経が吉野に隠れたとき、
佐藤忠信に変身して義経や静御前を助けたという白狐です。
境内はさほど広くないですが、本殿には白狐像が2頭祀られて、
狐面の絵馬がけがあり、狛犬ならぬ狛狐が2頭、それぞれ
巻物と玉をくわえています。
境内には、歌舞伎の中村勘九郎さんが襲名記念に植えた、
しだれ梅としだれ桜があり、梅の根元には白い花びらが散り敷き、
桜は咲き始めていました。
本殿の壁には去年2012年9月参拝した勘九郎さんや今年2月参拝の
市川猿之助さんの写真がビニールに包まれ掲示してありました。
父上の勘三郎さんは去年12月なくなりました。
境内には、大きな楠の木が芽を出し、椿、沈丁花、水仙など
さまざまな花が咲いていました。
襲名の記念の桜咲き初むる 常朝
楠の芽に日差やはらか狛狐 常朝
(源九郎稲荷神社)
(神社の略記)
(社務所)
(中村勘九郎さんの写真)
郡山城近くのレストラン「Le BENKEI」で昼食後、
追手門に駐車して郡山城跡を散策しました。
場内は29日からのお城まつりの準備で軽四輪などが
入って、雪洞(ぼんぼり)柱を立てていました。
場内いたるところに雪洞があるので、その黒い電線が
お城を巡っていました。
奈良の図書館を移築した市民会館の広場には、
以前、郡山城お月見茶会 に記入した山口誓子や森田許六の
句碑がありますが、その先の草原には祠と寄せ仏があり、
雪柳と白タンポポが咲いていました。
濠の土手には寄贈の桜がたくさん植えられていますが、
満開に近いのは2本だけでした。
そのうちの一本にヒヨドリがとまって、しきりに花の中に
くちばしを入れていました。
元の城内高校の校舎(今は郡山高校)の中から、
クラブ活動のバンド練習のにぎやかなリズムと歌声が
濠の土手まで響いていました。
バンド練習音に花びら散りさうな 常朝
花喰鳥ときをり見上ぐ城の空 常朝
(郡山城内)
(白タンポポ)
(郡山城天守台)
午後3時頃奈良に戻り自宅で小句会を楽しみました。
空気はやや冷たいですが、午後曇りの予想に反して一日中快晴の
春彼岸らしい一日でした。
ラベル:
吟行案内
2013年3月8日金曜日
168.暗峠から枚岡神社
「アカシア紀行・俳句」2013年3月6日(水) 前へ 次へ
3月啓蟄の頃の快晴の日、いつものメンバー6人で、
主に梅見を目的に奈良県生駒郡平群町の暗峠(くらがりとうげ)から、
東大阪市の枚岡(ひらおか)神社を訪ねました。
第二阪奈有料道路の中山入口付近から9時半頃、国道308を西へ登り、
追分峠を越えて、南生駒駅東の「足湯」に立ち寄りました。
足湯は生駒市が2006年に創設した保健施設「歓喜の湯」足湯で、
生駒市小瀬町の国道308沿いの老人ホーム「やすらぎの杜」のそばに
ある無料施設です。
まだ10時前だったので、誰もきておらず、快晴ながら少し霞がかった
生駒山からまだ寒い風が吹いていました。
湯は36度とのことですが、足を浸けると40度位の感じです。
しばらくすると、ご夫婦らしい2組と女性のハイカーらしい2、3人が
きて、足湯に入りました。本を読む女性もいました。
梅の木はなく桜が2本まだ固い蕾をつけていました。
足湯して望む生駒の朝霞 常朝
(足湯:クリックで拡大:以後同じ)
(足湯から生駒山)
2、30分後我々は足湯を出て、308号を暗峠へ登りました。
この国道は奈良時代から大阪と奈良を結ぶ古道ですが、
今もやっと車1台が通れるほどの山道です。
暗峠のトンネルの手前に車を置き、峠の石畳を歩きました。
梅の木は紅梅1本だけ、まだ固い蕾でした。
峠の家の前に赤土を干していました。
道で会った人に聞くと苗代用の土だそうです。
道端には犬ふぐりが咲き、土手に水仙の若芽が出ていましたが、
その下の土に水仙の球根が数個出ていました。
猪が掘ったのかもしれません。
慈光寺まで歩いた組もありましたが、2、3人の女性の蓬摘みを
見たり、付近を散策後、トンネル奈良側のカフェ「有遊由」で
そばやうどんの昼食をいただきました。
犬ふぐり頬にきりりと峠風 常朝
(暗峠) (前回の記事写真へ)
(苗代の土)
その後308号線を東大阪側へ降り、枚岡神社を訪ねました。
枚岡神社は、社記によると神武天皇ご即位の3年前に、
天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売御神(ひめかみ)を、
祀って創祀され、孝徳天皇の頃650年この地に移された、
河内一の宮とのことです。
枚岡駅の東側の大きな鳥居をくぐった左手の駐車場に車を置き、
石段を登って本殿に参拝しました。
天児屋根命を祖神とする中臣氏と縁のある武甕槌命(たけみかづちのみこと)
のお供であった鹿の像「なで鹿」が境内にあります。
御手洗では鹿のくわえた巻物から春水が落ちていました。
本殿の右に大きな鯉の泳ぐ池があり、
池からの水かげろうが社殿の壁にゆらいでいました。
その右の道を登ると、急に明るく開けた枚岡梅林です。
大阪平野を見下ろす斜面にあり、
数百本の種々の梅の木が花を開いていました。
梅林は公園のように整備され、所々の石の椅子には家族連れや
カップル、小グループがのんびりと梅見を楽しんでいました。
やっと来た春を喜ぶように男性がギターで古い歌を歌っていました。
神社へ戻る坂道の杜では、鳩の群が落葉を盛んについばんで
いました。啓蟄の虫などを探しているようでした。
水かげろう社殿に揺らす春の鯉 常朝
梅林の日差に心ゆるびけり 常朝
(枚岡神社)
(赤い蕾の木)
(境内の紅梅)
(枚岡梅林)
(梅林の休憩所)
その後、神社の案内地図に、神社の南500メートルほどにあると
記された中世領主の水走氏の屋敷跡を訪ねましたが、それらしい遺跡が
見つからず、マンションの近くに空地だけがありました。
少し山手に五輪塔があるようですが今回は訪ねませんでした。
3時前第二阪奈有料道路から奈良へ戻り自宅で小句会を楽しみました。
久しぶりの快晴に恵まれた早春の一日でした。
ラベル:
吟行案内
2013年2月24日日曜日
167.吉野・国栖奏
「アカシア紀行・俳句」2013年2月23日(土) 前へ 次へ
雨水の頃の朝晴れの日、いつものメンバー6人で
奈良県吉野町の国栖(くず)で行われる「国栖奏」を見学に訪ねました。
国栖は近鉄上市駅から国道370を東へ約12キロの吉野川沿いの集落です。
便数は少ないですが上市駅からバス便もあるようです。
また今回は訪ねませんでしたが紙漉きの家もあります。
「国栖奏」は、応神天皇が19年10月1日吉野の宮(宮滝)に来られた時、
国栖の人びとが一夜酒を作り、歌舞を見せたのが始まりとされています。
また、壬申の乱の折、国栖の人々は大海人皇子に味方して、皇子をかくまい、
慰めのために一夜酒やうぐい(腹赤魚)を供して歌舞を奏しました。
皇子はとても喜ばれて国栖の翁よと呼ばれたので翁舞と言うように
なったとのことです。
代々受け継がれて毎年旧正月14日に天武天皇を祭る浄見原神社で、
舞が奉納され、国栖奏として奈良県無形文化財にしてされています。
(吉野町観光課:浄見原神社の掲示板より)
壬申の乱のとき、裏返した舟に隠れた大海人皇子を探しに犬が
2匹来たので、村人は赤石で犬を殺し皇子を助けたそうです。
それ以来国栖の人は犬を飼わないようになり、
地元の神社にも狛犬がないそうです。
神社は、吉野川北岸の切り立った岸壁のすき間に建てられています。
下の吉野川は深い渕になっており、天皇渕と呼ばれています。
早春の水の青さよ天皇渕 常朝
(天皇渕:クリックで拡大:以後同じ)
我々の車は10時半ごろ駐車場に着きましたが、神社の境内は狭くて
遅れると13時から始まる舞などを見られないため、早めの昼食をとる
ことにしました。
親切な係の人が携帯電話でお店の営業を確認してくれたので、
1キロほど東の東吉野村に入ったすぐの「やんちゃ庵」で昼食を
いただきました。
11時頃神社に戻って、舞殿のすぐ横に立って、開式を待ちました。
すでに、見学者は50人くらい来ていましたが、さらに数10人増えて、
狭い境内は一杯になりました。
舞殿の端には祭壇が作られ供物が三方に載せられていました。
左から、もみ(赤蛙)、くにつもの(土毛、根芹)、腹赤魚(うぐい)、
こざけ(一夜酒)、山菓(くり)でした。
下の段には、それぞれ三方の上に、鈴2つ、笛4本、鼓1個が、
置かれていました。赤蛙とうぐいはまだ生きているようで、
ぴくぴく動いていました。
昼前は天皇渕の川面から春日が照り返して、舞殿の天井に
「水かげろう」がゆらいでいました。
水かげろうゆらぐ舞殿国栖の奏 常朝
(国栖奏伝習所)
(国栖奏説明板:クリックで拡大:以後同じ)
(舞殿)
(神饌の供物台)
13時すぎ、人を押し分けて、神主、舞人達11人が舞殿に登り、
祝詞に続いて翁舞が始まりました。
奏歌は「世にいでば腹赤の魚の片割れも国栖の翁が渕にすむ月」
など優雅な歌が3曲続き、そのあと「エンエイ」とはやしながら、
正月から12月を読み上げ、それに合わせて二人の翁が鈴と榊を持って
ゆっくりと舞いました。
最後の4曲目の歌は、聞いた時はまったく意味がわかりませんでしたが、
日本書紀第十巻の応神天皇の項を読むと、
橿の生(ふ)に よくす(横臼)を作り よくすにか(醸)める
おほみき(大神酒)うまらに きこ(聞)し 持ちを(食)せ
まろがち(父) でした。
派手さはありませんが、さすがに古代を彷彿とさせる典雅な舞でした。
1300年前に書かれた歌が今もそのまま祭で歌われているのは驚きです。
その後、御巡楽として祈祷料を納めた人の名が「エンエイ」という
掛け声と共に順次よみあげられました。
(舞人)
(正月エンエイの舞)
閉式後の撤饌は赤蛙から順次下げられ、境内の別の台に載せられたので、
写真を撮ることができました。
人々が神社から戻る2時頃、雪が降って来ました。
翁舞果てし川の辺春の雪 常朝
(供物の赤蛙)
(ぜんざいのサービス)
駐車場に帰る途中にある国栖奏伝習所前のテントではぜんざいが
200円でサービスされていたので、我々も焚き火に当たりながら
いただきました。
3時半から餅まきとのことでしたが、待たずに車で橿原観光ホテルへ戻り、
小句会後解散しました。
年一度の天武天皇祭である国栖奏を守り盛り立てていこうとする、
吉野町や国栖の人々の心が感じられる一日でした。
雨水の頃の朝晴れの日、いつものメンバー6人で
奈良県吉野町の国栖(くず)で行われる「国栖奏」を見学に訪ねました。
国栖は近鉄上市駅から国道370を東へ約12キロの吉野川沿いの集落です。
便数は少ないですが上市駅からバス便もあるようです。
また今回は訪ねませんでしたが紙漉きの家もあります。
「国栖奏」は、応神天皇が19年10月1日吉野の宮(宮滝)に来られた時、
国栖の人びとが一夜酒を作り、歌舞を見せたのが始まりとされています。
また、壬申の乱の折、国栖の人々は大海人皇子に味方して、皇子をかくまい、
慰めのために一夜酒やうぐい(腹赤魚)を供して歌舞を奏しました。
皇子はとても喜ばれて国栖の翁よと呼ばれたので翁舞と言うように
なったとのことです。
代々受け継がれて毎年旧正月14日に天武天皇を祭る浄見原神社で、
舞が奉納され、国栖奏として奈良県無形文化財にしてされています。
(吉野町観光課:浄見原神社の掲示板より)
壬申の乱のとき、裏返した舟に隠れた大海人皇子を探しに犬が
2匹来たので、村人は赤石で犬を殺し皇子を助けたそうです。
それ以来国栖の人は犬を飼わないようになり、
地元の神社にも狛犬がないそうです。
神社は、吉野川北岸の切り立った岸壁のすき間に建てられています。
下の吉野川は深い渕になっており、天皇渕と呼ばれています。
早春の水の青さよ天皇渕 常朝
(天皇渕:クリックで拡大:以後同じ)
我々の車は10時半ごろ駐車場に着きましたが、神社の境内は狭くて
遅れると13時から始まる舞などを見られないため、早めの昼食をとる
ことにしました。
親切な係の人が携帯電話でお店の営業を確認してくれたので、
1キロほど東の東吉野村に入ったすぐの「やんちゃ庵」で昼食を
いただきました。
11時頃神社に戻って、舞殿のすぐ横に立って、開式を待ちました。
すでに、見学者は50人くらい来ていましたが、さらに数10人増えて、
狭い境内は一杯になりました。
舞殿の端には祭壇が作られ供物が三方に載せられていました。
左から、もみ(赤蛙)、くにつもの(土毛、根芹)、腹赤魚(うぐい)、
こざけ(一夜酒)、山菓(くり)でした。
下の段には、それぞれ三方の上に、鈴2つ、笛4本、鼓1個が、
置かれていました。赤蛙とうぐいはまだ生きているようで、
ぴくぴく動いていました。
昼前は天皇渕の川面から春日が照り返して、舞殿の天井に
「水かげろう」がゆらいでいました。
水かげろうゆらぐ舞殿国栖の奏 常朝
(国栖奏伝習所)
(国栖奏説明板:クリックで拡大:以後同じ)
(舞殿)
(神饌の供物台)
13時すぎ、人を押し分けて、神主、舞人達11人が舞殿に登り、
祝詞に続いて翁舞が始まりました。
奏歌は「世にいでば腹赤の魚の片割れも国栖の翁が渕にすむ月」
など優雅な歌が3曲続き、そのあと「エンエイ」とはやしながら、
正月から12月を読み上げ、それに合わせて二人の翁が鈴と榊を持って
ゆっくりと舞いました。
最後の4曲目の歌は、聞いた時はまったく意味がわかりませんでしたが、
日本書紀第十巻の応神天皇の項を読むと、
橿の生(ふ)に よくす(横臼)を作り よくすにか(醸)める
おほみき(大神酒)うまらに きこ(聞)し 持ちを(食)せ
まろがち(父) でした。
派手さはありませんが、さすがに古代を彷彿とさせる典雅な舞でした。
1300年前に書かれた歌が今もそのまま祭で歌われているのは驚きです。
その後、御巡楽として祈祷料を納めた人の名が「エンエイ」という
掛け声と共に順次よみあげられました。
(舞人)
(正月エンエイの舞)
閉式後の撤饌は赤蛙から順次下げられ、境内の別の台に載せられたので、
写真を撮ることができました。
人々が神社から戻る2時頃、雪が降って来ました。
翁舞果てし川の辺春の雪 常朝
(供物の赤蛙)
(ぜんざいのサービス)
駐車場に帰る途中にある国栖奏伝習所前のテントではぜんざいが
200円でサービスされていたので、我々も焚き火に当たりながら
いただきました。
3時半から餅まきとのことでしたが、待たずに車で橿原観光ホテルへ戻り、
小句会後解散しました。
年一度の天武天皇祭である国栖奏を守り盛り立てていこうとする、
吉野町や国栖の人々の心が感じられる一日でした。
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2013年2月11日月曜日
166.柳生・南明寺から長尾神社
「アカシア紀行・俳句」2013年2月7日(木) 前へ 次へ
立春をすぎてから凍ての戻った曇り空の日、いつものメンバー6人で
奈良市柳生の南明寺から長尾神社を訪ねました。
南明寺は奈良から柳生への道の途中、阪原町にある真言宗御室派の寺院で、
小さいながら美しい本堂があります。
建物は鎌倉時代らしいですが、中の薬師如来などは平安時代の
ものらしいので、周辺のお寺から仏像などが移されたようです。
インターネットでは2月7日から12日まで本堂の涅槃図が
公開されるとあったので、やや期待してお参りしましたが、
境内には誰もおられず、本堂を拝観することもできませんでした。
あとで地元の方からの話では、今日はお葬式のためご住職は
ほぼ1日おられないとのこと。
お葬式のために公開中止になったのか、あるいは私がインターネットの
記事の年号を見落としたためかは不明です。
本堂の北側には新しい庫裏があり、東側には戦没者の立派な石碑の列が
ならんでいます。
その後東側の鳥料理の宿「さかど」のあたりを歩きました。
ほぼ毎年別の句会で「薬食い」に来ているところですが、
いつも咲いている寒紅梅は今年はまだつぼみでした。
宿の前の道には3羽のガチョウが甲高い声でガーガー鳴いており、
名古屋コーチンが10羽くらいうろついていました。
ほとんど人が見えない静かな早春の田園ですが、老人が一人
北山杉の剪定をしていました。
さらに北側農道の左側にある「おふじの井戸」を訪ねました。
「おふじの井戸」は昔「柳生但馬守宗則」が奥さまとの出会いの
場所との伝説があります。
大きなシダの葉が濁らず澄まずの井戸水に浸かっていました。
葛蔓に巻きつかれたる梅ふふむ 常朝
蝋梅の色澄みゐたる大柳生 常朝
(南明寺本堂:クリックで拡大:以後同じ)
(寒紅梅のつぼみ)
(おふじの井戸)
(おふじの井戸説明板)
おふじの井戸から国道369号に出て約2キロ東、柳生の十兵衛食堂で
昼食をいただいたあと、同じ道を約1.5キロ戻り、長尾神社を訪ねました。
長尾神社は、阪原地区の鎮守社で、創祀由緒など不明ですが、
祭神は物部氏の祖神、饒速日命(にぎはやひのみこと)で
摂社は御霊神社(井上内親王)末社は戸隠神社などたくさんあります。
7年前訪ねたときは、偶然桧皮葺の葺き替え工事中で、
若い職人見習いの青年が、親方の指導で桧皮に竹釘を打っていました。
今日は神社には誰もいず、境内の砂紋がきれいに引かれていました。
境内には藁葺きの舞台があり、町の規模にしては立派な神社です。
その後、神社の東100メートルほどの「足痛地蔵」を訪ねました。
小さなお堂のなかにある高さ2メートル位の石地蔵です。
そばの草原には、龍のひげが群生し、青い青い龍の玉があちこちに
見えました。空は白い雲でおおわれていますが、
龍の玉の青い実に映る空はうす青い冬の空でした。
春寒し神社の杜を巡りても 常朝
曇り空青く映して龍の玉 常朝
(十兵衛食堂)
(長尾神社)
(長尾神社説明板)
(長尾神社舞殿)
(足痛地蔵)
そのあと奈良の青木ゴルフセンターの喫茶店「杏樹」で
小句会後3時頃解散しました。
ラベル:
吟行案内
2013年1月19日土曜日
165.葛城博物館の菩薩面展から白毫寺初閻魔
「アカシア紀行・俳句」2013年1月16日(水) 前へ 次へ
小正月明けの冬晴れの日、いつものメンバー7人で
奈良県・葛城市の歴史博物館から白毫寺を訪ねました。
葛城市の歴史博物館車は近鉄・忍海駅の北約300メートル、
国道24号線の西100メートルほどにあります。
奈良からの高架道から見える葛城、金剛、高円山は薄雪はかかっていました。
ここでは、先月から1月20日まで、
当麻曼荼羅(まんだら)完成1250年記念「当麻寺菩薩面と古代の匠の
プロフィール」と名付けて、当麻寺の二十五菩薩練供養で
過去に使われた菩薩面28面などが展示されています。
平日の朝なので、我々が着いた10時前は、博物館は殆ど無人でしたが、
11時頃には見学者が数組入館してきました。
中央常設展示室には埴輪や山城の模型が展示され、
右側の特別展示室に、鎌倉時代からの菩薩面や、当麻曼荼羅の複製が
展示されていました。
菩薩面はすべて金箔が張られた立派なものです。
殆どの面の頬の部分などは金箔がとれて漆の地が出ていますが、
黒光りがかえって重みを与えていました。
菩薩面うるし地光る淑気かな 常朝
(葛城市歴史博物館:クリックで拡大:以後同じ)
(展覧会ポスター:Internet Museumより)
そのあと常設展も見学して11時頃退館しました。
常設展では埴輪のほか、昭和の民家の部屋、二上山のサヌカイトなど
岩石標本や、山城の模型がありました。
奈良へ戻り、国立博物館北側の夢広場東の三山で昼食を
いただいた後、奈良市高円山の白毫寺に「閻魔もうで」をしました。
「閻魔もうで」は年二回、1月と7月の16日ですが、この日は
地獄の釜の蓋があいて、罪人も鬼たちものんびり過ごす日
だそうです。
白毫寺の初閻魔は入山料なしで、おまけに焚き火に当たり
ながらふるまいの甘酒をいただいていると、
1時半ごろ、宮崎ご住職が閻魔大王が安置されている宝蔵に入られ、
初閻魔の午後の祈祷が始まりました。
我々も含め20人位の人が宝蔵内に座り、般若心経などを
唱えたあと、ご祈祷を頼んだ人の住所、名と祈祷の言葉を
読み上げられました。
その後のお話では、閻魔大王の妹は弁財天でそのお使いが
白蛇で、宝蔵の鍵を預かっているそうです。
その関連で宝蔵に閻魔大王、司命(左)、司録(右)などが
安置されているのでしょうか。(右側は地蔵菩薩と阿弥陀如来像)
閻魔大王はお身内を大事にされたので、お祀りする時は
常に10人ほどのお身内を一緒にお祀りするそうです。
そのためか、祈祷後祭壇を拝見すると、
11枚の小皿のそれぞれにお米と小豆が供えてありました。
他にバナナ、蜜柑、さつま芋、白菜なども供えています。
宝蔵入り口の壁には地獄図が掛かっていました。
宝蔵を出ると、高齢の男の人(村松さん?)がテント内で
紙芝居を始めていました。
木蓮尊者が地獄の母を救うという地獄めぐりの話ですが、
宝蔵を拝見していたので最後の方しか聞けませんでした。
その後判じ絵を見せて絵から元の言葉を当てる江戸時代の
クイズを楽しませてくれました。
例えば蜘蛛の巣の前に錐(キリ)が2つある絵を見せられて、
答えは「キリギリス」などと他愛も無いのですが、
結構引き込まれてしまいました。
紙芝居説法が終わった後、境内を散策し、
正月飾りを燃やす「飾り焚き」の焚き火を見たり、寒桜や
つぼみの五色椿を見たあと、お寺を辞しました。
石段下の駐車場の奥様によると、ご住職がご高齢のためか、
今年から夏の閻魔もうではやらないそうです。
ご住職手書きの閻魔大王のうちわは夏にお参りすれば500円で
わけていただけるとのこと。
初閻魔もちもの失せし司録像 常朝
紙芝居は地獄の話初閻魔 常朝
(白毫寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(えんまもうで案内)
(宝蔵へ入られるご住職)
(地獄図)
(地獄図の一部)
(紙芝居)
夢広場の天平庵で小句会後5時頃解散しました。
天気に恵まれて清冷な大和路の初吟行を楽しむことができました。
ラベル:
吟行案内
2012年12月8日土曜日
164.堅田漁港から彦根・赤かぶ干場
「アカシア紀行・俳句」2012年12月5日(水) 前へ 次へ
初冬のやや寒い好天の日、いつものメンバー5人で
滋賀県・堅田漁港から彦根の赤かぶ干し場を訪ねました。
車では名神・栗東ICから琵琶湖大橋が時間的に最良でしたが、
今回は車で京滋バイパス石山から琵琶湖西岸を北上し、
浮御堂の北の堅田漁港に着いたのは10時半頃でした。
漁港は一般車が入れないよう入り口に鎖が掛けられていましたが、
氷魚(子鮎)などを買うつもりもあったので、鎖を下げて漁港内に
駐車させてもらいました。
リモコンで入口の鎖が下がる仕組みです。
漁港に入ると数十艘の漁船が船溜りに停泊しており、
空には鳶が舞い、海には百合鴎が浮き、船には鷺がとまっています。
姿は見えませんが鳰のピュルピュルという鳴き声がきこえます。
浜では2人の男性が焚き火をしていたので、我々も当たらせてもらい、
話を聞きました。
今年は鮎の漁が少なく、放流用の稚魚を出すのが精一杯で、
釜揚げなどの食料用には殆ど回せないとのことでした。
岸の漁船から夫婦が漁の「はす」の箱などを陸揚げしており、
なかの茶色の小魚は何ですかと聞くと、「ごり」と答えただけで、
無言で仕事を続けていました。
しばらくかもめなどを眺めた後、漁港内の田村淡水
(琵琶湖の佃煮専門店)を訪ねました。
ご主人が留守だったので、値段のわかるものだけでしたが、
稚鮎、すご諸子の釜揚げや鮒ずしを分けてもらいました。
近江富士望む漁港に焚火せり 常朝
船溜り姿見えずに鳰の声 常朝
(堅田漁港から近江富士:クリックで拡大:以後同じ)
(田村淡水)
(子鮎とすごもろこ)
その後、琵琶湖大橋から栗東IC経由で、名神・彦根ICの西の
彦根ビューホテルのレストラン・ビスタで昼食をいただき、
すぐ南の松原水泳場北側にある赤かぶ干場を訪ねました。
彦根城の北1キロほどの湖岸です。
今は東海漬物さんが利用されていますが、浜に出ると、
長さ約50メートル、高さ5メートルほどの大きな干し台(稲架)に
長い竹を水平に9段取り付けた蕪(かぶ)干し場がありました。
今日はその中の中央の干し台(長さ15メートルほど)に、
赤蕪を4~6個ずつ束にしてぎっしりと吊ってありました。
先日電話でお聞きしたら3日午前に赤蕪を集荷し午後に浜に
干すとのことだったので、まだ3日目でしょうが、蕪の葉は風に
乾いて縮れて揺れていました。
岸近い湖上には、ひどり鴨の群が冬の荒い波に揺られています。
岸の砂にはクルミの実が数十個打ち上げられていました。
湖畔の宿聖樹を誰も見てをらず 常朝
湖と思へぬ荒さ冬の波 常朝
干し蕪に触るれば少しへこみけり 常朝
(彦根ビューホテルから彦根城)
(松原水泳場・ひどり鴨と彦根ビューホテル(左端))
(赤蕪干し場)
(赤蕪)
だんだんと寒くなってきたので、3時頃浜を出て、帰途につきましたが、
名神・彦根ICまでの車の中から、大きな日暈の虹が太陽の左右に
見えました。
奈良・旧ドリームランド前のココスで小句会後解散しました。
少し寒かったですが風は強すぎず、お天気に恵まれて、
初冬の近江を楽しむことができました。
初冬のやや寒い好天の日、いつものメンバー5人で
滋賀県・堅田漁港から彦根の赤かぶ干し場を訪ねました。
車では名神・栗東ICから琵琶湖大橋が時間的に最良でしたが、
今回は車で京滋バイパス石山から琵琶湖西岸を北上し、
浮御堂の北の堅田漁港に着いたのは10時半頃でした。
漁港は一般車が入れないよう入り口に鎖が掛けられていましたが、
氷魚(子鮎)などを買うつもりもあったので、鎖を下げて漁港内に
駐車させてもらいました。
リモコンで入口の鎖が下がる仕組みです。
漁港に入ると数十艘の漁船が船溜りに停泊しており、
空には鳶が舞い、海には百合鴎が浮き、船には鷺がとまっています。
姿は見えませんが鳰のピュルピュルという鳴き声がきこえます。
浜では2人の男性が焚き火をしていたので、我々も当たらせてもらい、
話を聞きました。
今年は鮎の漁が少なく、放流用の稚魚を出すのが精一杯で、
釜揚げなどの食料用には殆ど回せないとのことでした。
岸の漁船から夫婦が漁の「はす」の箱などを陸揚げしており、
なかの茶色の小魚は何ですかと聞くと、「ごり」と答えただけで、
無言で仕事を続けていました。
しばらくかもめなどを眺めた後、漁港内の田村淡水
(琵琶湖の佃煮専門店)を訪ねました。
ご主人が留守だったので、値段のわかるものだけでしたが、
稚鮎、すご諸子の釜揚げや鮒ずしを分けてもらいました。
近江富士望む漁港に焚火せり 常朝
船溜り姿見えずに鳰の声 常朝
(堅田漁港から近江富士:クリックで拡大:以後同じ)
(田村淡水)
(子鮎とすごもろこ)
その後、琵琶湖大橋から栗東IC経由で、名神・彦根ICの西の
彦根ビューホテルのレストラン・ビスタで昼食をいただき、
すぐ南の松原水泳場北側にある赤かぶ干場を訪ねました。
彦根城の北1キロほどの湖岸です。
今は東海漬物さんが利用されていますが、浜に出ると、
長さ約50メートル、高さ5メートルほどの大きな干し台(稲架)に
長い竹を水平に9段取り付けた蕪(かぶ)干し場がありました。
今日はその中の中央の干し台(長さ15メートルほど)に、
赤蕪を4~6個ずつ束にしてぎっしりと吊ってありました。
先日電話でお聞きしたら3日午前に赤蕪を集荷し午後に浜に
干すとのことだったので、まだ3日目でしょうが、蕪の葉は風に
乾いて縮れて揺れていました。
岸近い湖上には、ひどり鴨の群が冬の荒い波に揺られています。
岸の砂にはクルミの実が数十個打ち上げられていました。
湖畔の宿聖樹を誰も見てをらず 常朝
湖と思へぬ荒さ冬の波 常朝
干し蕪に触るれば少しへこみけり 常朝
(彦根ビューホテルから彦根城)
(松原水泳場・ひどり鴨と彦根ビューホテル(左端))
(赤蕪干し場)
(赤蕪)
だんだんと寒くなってきたので、3時頃浜を出て、帰途につきましたが、
名神・彦根ICまでの車の中から、大きな日暈の虹が太陽の左右に
見えました。
奈良・旧ドリームランド前のココスで小句会後解散しました。
少し寒かったですが風は強すぎず、お天気に恵まれて、
初冬の近江を楽しむことができました。
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