2013年5月30日木曜日

173.宇治田原の茶畑から大滝・茶宗明神

「アカシア紀行・俳句」 2013年5年29日(水)     前へ   次へ

 梅雨入りの翌日で雨予報の日、いつものメンバー5人で、
宇治田原の茶畑から茶宗明神などを訪ねました。
天気予報では朝雨で午後時々雨だったのですが、
雲の中に少し青空が見えたので、雨の降らない内に茶畑を見ようと、
24号線の山城大橋の方へ車を進めました。

 途中の木津川河川敷には、大きなオウチ(楝)の木が沢山あり、
淡紫の花が咲き放題に咲いています。

 山城大橋を右折、307号線を東へ湯屋谷の北の谷村製茶工場の
角から大福集団茶畑に登りました。

 奥へ進むと、2人の農家の男性が急坂の茶畑で休憩していたので、
車を止めさせてもらい、話を聞きました。

 今は一番茶の茶摘みが終り2番茶のために茶葉を刈っているとのこと。
刈らないと新しい葉が(6月末頃から)出ないそうです。
茶は一年で4回叩かれる(刈られる)そうです。

 最近は茶をペットボトルで飲むので、急須で飲む本来の茶の味を
若い人は知らないため、宇治茶などは売りにくいとのこと。
本来の美味しい茶は黄色で、青色の茶は美味しくないそうです。
(抹茶などを別にすれば)

 宇治茶は高級品が多いが量が少ないこともあり、
ペットボトル用の(九州などの)大量生産による安い茶には、
勝てないようです。
今回刈る茶葉はほうじ茶として出していましたが、今はビジネスに
ならないので、畑の中に放置するそうです。

 乗用茶摘機が入れるよう、この辺りの急坂の茶畑をならして
平地にする計画があるそうです。
数年後には変化に富んだ美しい茶畑が見られなくなるでしょう。

 どこからか老鶯が良い声を聞かせてくれ、
茶畑の道にはニワゼキショウ、マツバウンラン、シロツメグサ、
ハハコグサなどが咲いていました。

 お二人が一台の弓型の茶摘機を持って茶葉を刈り始めました。
刈られた茶葉が飛んで、さらに山風で飛ばされていました。

 茶山のふもとの土手には木苺が赤い実をつけ、
夏わらびが茂っていたので先だけを少し採りました。

       老鶯や茶畑の畝は四方より   常朝

       茶摘機の弓の曲がりに青葉風  常朝

              (茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
              (茶葉を刈る人)

 その後茶山から307号線の5キロほど西、郷の口近くの
「コメリ」店の筋向いにある食事処「くつろぎ」で昼食をいただき、
茶宗明神を訪ねました。

 再び307号線を東へ4キロ程で右折、湯屋谷に行きましたが、
途中の三叉路で道を間違えたため、そのまま山中の大滝に行きました。

 大滝では、例年9月1日に五穀豊穣と雨乞い祭りをするそうです。
山深い谷道の行き止まりにきれいな細い滝があり、大滝大明神と書いた
鳥居と小さな建物があります。

 滝が細いので滝壺も直径1尺ほどにしか見えませんが、
滝音は山に響いています。
石段を登ると、大岩の下に不動明王が祀られていました。
それでも滝の頂上は木々に隠れて見えません。
時々高くきれいな鳥声がしました。

       谷音の滝音となる行きどまり  常朝

       一尺の滝壺の音山響く     常朝

              (大滝入口)
              (大滝)
              (大滝の不動明王)

 大滝から三叉路へ戻って、あらためて茶宗明神を訪ねました。
ここは6年前の12月訪ねましたが、今回は谷の湿気のうえに
梅雨の湿り気がありました。
神社のそばの永谷宗円の生家(復元)と庭は、竹垣で囲まれて
いました。シュロ縄の輪で閉じられた戸を開けて庭を拝見しました。
以前と同じく茶畑もあり、紫陽花の青葉がきれいでした。
右手の谷の対岸にも茶畑があり、夏わらびの間を黒い蛇が走りました。

       蛇走る茶宗明神の茶の畑     常朝

              (茶宗明神)          
              (茶宗明神本殿)
              (永谷宗円生家)
              (永谷宗円生家の庭)
              (JA宇治茶の郷)
              (お茶の陳列)

 その後JAやましろの「宇治茶の郷」で、お茶を買い、
奈良に戻り旧ドリームランド前のcocosで小句会を楽しみました。
梅雨の雨を覚悟しましたが、一日中傘を開かずに宇治田原の
茶畑や青葉の谷を楽しむことができました。

2013年5月13日月曜日

172.奈良・平群町の千光寺から白山神社・普門院跡


「アカシア紀行・俳句」2013年5年11日(土)     前へ   次へ

 立夏の雨模様の日、いつものメンバー6人で、奈良・平群町の
千光寺などを訪ねました。

 9時過ぎ近鉄生駒線の東山駅前で集合し、五月雨の中を西の
鳴川に沿って急坂を登り修験寺・千光寺に着きました。
いきなり青葉の中の谷の音に囲まれました。

 千光寺は、飛鳥時代に役行者が開いたとされる修験の寺で、
境内の石段などに役行者の石像が沢山並べれられています。
役行者が大峰山などへ移ってからも行者の母の白専女が残って
修行したので、元山上、女人山上ともいうそうです。

 五月雨の降ったりやんだりの中を参拝、散策しました。
時々鳥の声が聞こえましたが、雨が小止みになると
さえずりの声が近くに聞こえます。
燕も堂すれすれに飛んでいました。

 寺の右側の坂の途中に電柵に囲まれた苗代田があり早苗が育っています。
坂の右手には紫の木蓮、すずらん、おおでまりが咲き、
小山の上には青葉の中に藤の花が下がっていました。
だれかが小さいかたつむりをみつけ木の葉に載せました。

       修験寺の御堂かすめて夏つばめ  常朝

       囀や役行者の目は窪み       常朝

              (千光寺山門:クリックで拡大:以後同じ)          
              (本堂)
              (役行者像)
              (苗代田)
              (寺の説明板)

 その後、山を降りて、2キロほど南の福貴地区の白山神社を訪ねました。
白山神社は、平安時代法隆寺夢殿を再建した道詮律師ゆかりの福貴寺の
神宮寺です。
道詮律師の隠居寺として栄え、今はありませんが、60もの坊(建物)の
ある大きな寺だったようです。

 小止みになった田のそばの駐車場に駐車して、石段を登り割拝殿から
奥の本殿を参拝しました。本殿は覆屋があり、若楓が屋根に触れています。
拝殿には小学生の習字の一字書きが貼られていました。
誰もいない境内の左側に弥勒堂があり、その左の集会所のような建物も
戸が閉まっています。
右手の池の岸辺には雨の水輪の下、30センチ程のブラックバス(黒鱒)が
泳いできました。

       五月雨の水輪沸き立つ神の池   常朝

       黒鱒の岸に寄り来し神の池     常朝

              (白山神社)
           
              (神社の説明板)
              (割拝殿と本殿覆屋)


 平群駅東の168号線沿いのガストで昼食をいただいたあと、
福貴に戻り、普門院跡を訪ねました。
普門院は、道詮律師の住房(住まいの寺)でしたが、
今は廃寺跡となり、2008年訪ねた時は庫裏つきの小さな本堂が
壁の壊れたまま残っていましたが、今はきれいになくなり、
青梅と百日紅の木が残っていました。
小さな門だけ残り敷地が金網柵で囲まれていました。
安置されていた聖観音像は法隆寺に保管されているとのこと。

 裏側の畑にはそら豆、えんどうが花をつけており、
柿の花が実になっていました。


       そら豆の花の紫雨濡らす     常朝

       寺跡の堂なくなりて百日紅    常朝

              (普門院跡の門)
              (句碑 六十坊ありしを虫の坊一つ  吟蕗)

 その後奈良に戻り自宅で句会を楽しみました。 
五月雨の一日でしたが、句会が終わる頃は止んでいました。

2013年4月27日土曜日

171.宇陀の青蓮寺から仏隆寺


「アカシア紀行・俳句」2013年4年25日(木)      前へ   次へ

 穀雨の頃の晴れながらやや風の寒い日、いつものメンバー7人で、
奈良・宇陀市の青蓮寺、仏隆寺を訪ねました。

 最初は宇陀山中の大蔵寺を訪ねるつもりで、名阪国道・針ICの
針テラスに9時すぎ集合し、369号線を南下、榛原の南の栗野の山中に
車で登りかけましたが、途中でパトカーに止められました。
住職らしい方がおられて、入山禁止なので戻ってと言われました。

 仏事目的かつ予約者以外は入山できないようです。
(あとでホームページをよく読むと、写真撮影などレジャー関連の
 入山は禁止とのこと、5年前はOKでしたが)
入山者をとめるなら、もっと手前でするべき、とか、ぶつくさ
いいながら、山道でUターンして、同じく山中の青蓮寺を訪ねることに
しました。

 370号線の捨生(すてう)を東へ右折、166号線で約6キロの菟田野・
宇賀志から山中の道を4キロほど登ると青蓮寺です。

 ここは以前も訪ねましたが、奈良時代中将姫が配流された草庵を
もとに創立された尼寺(浄土宗)で、青葉の山中にあります。

 谷に半分乗り出した駐車場に駐車し、坂道をゆっくり登って行くと、
軽自動車でケアマネジャーの女性が登ってきました。
あとで聞くとご住職を訪ねてこられたがお留守とのこと。
若い尼僧がおられて、我々を本堂、阿弥陀堂に案内してくれました。

 本堂には中将姫の小さい坐像が祀られています。
寺の縁起によると、中将姫は14才のとき配流され、2年半後、狩りに来た
父上と再会、当麻寺で法如尼として当麻曼荼羅を感得されたのち、
19才のとき再びこの地に戻り、お堂を建てたそうです。

 境内には見事な八重桜やシャクナゲなどが咲いており、
八重桜の下にはかわいいヒキガエルの子が一匹跳ねていました。
以前にあった物資運搬用のレール・ウエイは、車道ができたためか
なくなっていました。

       八重桜下に尼僧の語らヘリ     常朝

       中将姫の坐像小さし百合の花   常朝

              (青蓮寺本堂:クリックで拡大:以後同じ)
              (八重桜)
              (中将姫遺跡の説明板)
              (シャクナゲ)
              (霧島?)


 捨生に戻り、あきのの湯の「おときや」で昼食をいただいた後、
再び166号線東の水分神社橋から北上、369号線の榛原高井から、
約2キロの仏隆寺を訪ねました。

 仏隆寺は弘法大師が最古の茶を栽培した地に、高弟堅恵(けんね)が
創設した真言宗の寺ということで、今は室生寺の末寺だそうです。

ここも以前彼岸花の頃などに何度か訪ねましたが、名物の大桜は終り、
人影はすくなかったです。
それでも、一本の大きな山桜が満開で白い花を散らし始めていました。

 駐車場の無人販売所には鹿避けの網カーテンが掛けられていました。
階段を避けて右の坂道を登ると、土手に野甘草の若芽が伸びて、
春の草花が色々咲いています。

 本堂下の道で大黒さま(お寺の奥様)とお会いしたら、
畑の草取りの最中だそうです。
高い猪垣の中の一反ほどの畑では、住職が草刈機を使っていました。
鹿や猪の被害は猪垣でなんとか止められたが、アライグマは土を掘って
侵入しじゃがいもなどを食べるそうです。

 坂の途中の谷にある楓が柔らかい若葉を揺らしていました。
境内に入ると藤棚に白い藤が咲いて、大きな山梨の木が白い花を
つけていました。

 500円の抹茶のサービスもあるようですが、畑の大黒様しか女性は
おられないようなので、あきらめて坂をおりました。


       やはらかき風にやはらか若楓    常朝

       本堂も庫裏も留守なり梨の花    常朝

              (仏隆寺の地蔵堂)
             
       (仏隆寺の説明板)
              (山桜)
              (本堂)
              (仏隆寺の畑)
              (山梨の花)

 その後、針テラスに戻りメルカートロッソで小句会の後、解散しました。
朝はやや寒く昼はやや暑い位の、お天気に恵まれた春の一日でした。

2013年4月13日土曜日

170.河内・龍泉寺、烏帽子形八幡神社から岩瀬の塞神

「アカシア紀行・俳句」2013年4年11日(木)       前へ   次へ

 春寒の晴れた日、いつものメンバー7人で、河内・富田林市の龍泉寺などを訪ねました。

 集合地を葛城市の山麓道、屋敷山公園として、
まず、水越峠から309号線を西に約20キロの龍泉寺に参詣しました。

龍泉寺は河内長野駅の北東、約10キロの岳山のふもとにある古いお寺です。

 入山料300円を納めていただいた説明書によると、
今は真言宗の霊場ですが、595年、推古天皇の勅命によって
蘇我馬子がこの地の池にいた悪龍を追い出して創建したとのこと。

 その後、水が枯れ衰退した寺地で、
弘法大師が7日間雨乞いの祈祷をして雨が降り龍の八大龍王が戻り、
堂塔が再建されたそうです。

 南北朝時代に岳山の山頂に南朝方の城を築いたので、戦乱で伽藍を
失い衰退し、織田豊臣時代、江戸時代から、修復されたようです。

 境内には後醍醐天皇の皇子「尊性法親王」のお墓もあります。
池ほとりには雨乞いの井戸に、竜王の社が建てられ、
3つの池には聖天、弁財天、叱天(だてん)の社があります。
訪ねたときは池の工事中で水がほとんどなく、数人が島で整備をしていました。

 井戸の石柵の一部は壊れて、社も古くなっていますが、戸を開けると、
井戸に春の水が溜まっていました。

 護摩堂や威古神社を拝見してから車で、山を降りる途中のオレンジ園に
立ち寄りましたが、誰もいませんでした。

       すみれ咲く大師祈りし井戸ほとり  常朝

       護摩堂の床にたまりし春埃     常朝

              (龍泉寺仁王門:クリックで拡大:以後同じ)
              (龍泉寺本堂)
              (竜王の池)
              (雨乞いの井戸)
              (行者堂:護摩堂)

 その後、河内長野駅の西側の烏帽子形八幡神社を訪ねました。
南側からは石段が高くて急なので、西側へ回り、広い道路脇に駐車して
鳥居をくぐり参拝しました。

烏帽子形八幡神社は、烏帽子形山のふもとにあります。

 ウィキペディアによると、この山に楠木七城(河内七城)のひとつとされる
烏帽子形城があり、楠小二郎が城の鎮護として創祀したものとのこと。
また神社の説明板によると、1480年創建され、すさのおの命、
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、重要文化財とのことです。

本殿の左に古い宝屋(宝蔵)があり、その左に稲荷神社が
あります。我々のほか誰もいない静かな杜にときどき烏が鳴き、
小鳥のさえずりがありました。

       宝蔵の壁に落書囀れり     常朝

              (烏帽子形八幡神社)
             (本殿)
              (説明板)


 神社を出ると1時を過ぎていたので、
河内長野駅の南東5キロの岩瀬のレストラン歩笑夢(ぽえむ)に行きました。
歩笑夢は南海電鉄高野線の千早口駅東の川沿い1キロほどで、
道の南側の川の対岸です。
遅い昼食をいただいてから周囲を散策しました。
庭には水仙、ムスカリなどの花が植えられ、桜や白い花の木がありました。

 レストランの川下に蓮華田があり、蓮華が風に揺れ、川岸に虎杖
(いたどり)が伸びていました。
少し雨模様でしたが、川のさらに南側の山麓道に歩くと、大きな
「塞神(さいのかみ)」の案内板があり、その右に石組みの祠が2つあります。

 菊などが供えられ、椿の花が落ちていました。
説明板によると

 塞の神は、邪神を統御する神と信じられたが、
 道祖神との習合で、旅行神、縁結び、安産の神となり、
 猿田彦が祭神  とのことです。

塞の神はイザナギノミコトと関係があるようです。

 近くの坂を登ると大きな桜にブランコがあり、ロープがたぐりあげて
ありました。

 白とピンクの花の木が見えたので、
たまたまおられた農家の男性に聞くと、桃(源平桃)でした。
また白いラッパ形の花の木を聞くと、びっくり茱萸(ぐみ)とのことでした。

 茱萸の枝は成長が早くて、剪定しないと垂れ下がるようです。
男性によると、北原白秋の唄「砂山(海は荒海向こうは佐渡よ)」
の3番の歌詞に「かえろよ茱萸原分けて」とある言葉の意味が、
茱萸を育ててやっとわかったと言われました。

 レストランの白い花の木を聞くと梨の木と教えてくれました。

       花蓮華笑い合ふごと揺れゐたる  常朝

       塞の神祀る山道茱萸の花     常朝

             (レストラン歩笑夢)
             (塞の神案内板)
             (塞の神)
(茱萸の花)

 散策後、歩笑夢で小句会を楽しんだ後、170号線を北上、
西名阪道経由で奈良に帰りました。

2013年3月24日日曜日

169.大和郡山市の大納言墓、源九郎稲荷から郡山城


「アカシア紀行・俳句」2013年3月21日(木)        前へ  次へ

 晴れた春彼岸の翌日、いつものメンバー6人で、
大和郡山市の大納言墓などを訪ねました。

 集合地を郡山市額田部町のファミリー公園として、
まずフラワーパークの春の花を楽しもうとしましたが、
公園の駐車場にくると、元のフラワーパークのあたりは
工事の囲いがしてあり、以前人工滝のあった小山にシャベルカー
が乗って、木や土を取りこわしていました。

 工事の人に聞くと、フラワーパークはほぼ1年前に広陵町へ
移転したとのことでした。事前の調査不足でした。

 やむなく、すぐに北上して郡山城の南約500メートル、
金魚池近くの箕山町の大納言墓を訪ねました。
大納言墓は、豊臣秀吉の弟で、郡山100万石の城主であった
秀長の墓です。

 約20メートル四方の白塀と玉垣で囲まれた墓地に、
大きな五輪塔と木々があるだけですが、入口に「お願いの砂」を
入れた箱があります。

 その中に穴のあいた石の箱と砂があって、穴から砂を3回
落としながら願い事を唱えるとかなうそうです。

 墓地の外の通路に句碑

 「箕山しぐれ鬼貫がここにゐるやうな」   坂口草堤

が立っており、さつき(?)の若芽が出ていました。
江戸時代芭蕉の頃の俳人上島鬼貫がここを訪ねたのでしょうか。

       大名墓願いの砂に春日差     常朝

              (大納言墓:クリックで拡大:以後同じ)
                (お願いの砂箱)
              (箕山しぐれの句碑)

 その後、郡山市市役所の駐車場に車を留めさせてもらい、
500メートルほど東南の洞泉寺町の勘九郎稲荷神社を訪ねました。

 源九郎稲荷神社は、秀長が郡山城主の頃、城の守護神として、
城内に建てられたのち、江戸時代今の場所に遷座したそうです。
祭神は名前のとおり、源の九郎判官義経が吉野に隠れたとき、
佐藤忠信に変身して義経や静御前を助けたという白狐です。

 境内はさほど広くないですが、本殿には白狐像が2頭祀られて、
狐面の絵馬がけがあり、狛犬ならぬ狛狐が2頭、それぞれ
巻物と玉をくわえています。

 境内には、歌舞伎の中村勘九郎さんが襲名記念に植えた、
しだれ梅としだれ桜があり、梅の根元には白い花びらが散り敷き、
桜は咲き始めていました。
本殿の壁には去年2012年9月参拝した勘九郎さんや今年2月参拝の
市川猿之助さんの写真がビニールに包まれ掲示してありました。
父上の勘三郎さんは去年12月なくなりました。

 境内には、大きな楠の木が芽を出し、椿、沈丁花、水仙など
さまざまな花が咲いていました。

       襲名の記念の桜咲き初むる    常朝

       楠の芽に日差やはらか狛狐    常朝

              (源九郎稲荷神社)

               (神社の略記)
              (社務所)
              (中村勘九郎さんの写真)

 郡山城近くのレストラン「Le BENKEI」で昼食後、
追手門に駐車して郡山城跡を散策しました。

 場内は29日からのお城まつりの準備で軽四輪などが
入って、雪洞(ぼんぼり)柱を立てていました。
場内いたるところに雪洞があるので、その黒い電線が
お城を巡っていました。

 奈良の図書館を移築した市民会館の広場には、
以前、郡山城お月見茶会 に記入した山口誓子や森田許六の
句碑がありますが、その先の草原には祠と寄せ仏があり、
雪柳と白タンポポが咲いていました。

 濠の土手には寄贈の桜がたくさん植えられていますが、
満開に近いのは2本だけでした。
そのうちの一本にヒヨドリがとまって、しきりに花の中に
くちばしを入れていました。

 元の城内高校の校舎(今は郡山高校)の中から、
クラブ活動のバンド練習のにぎやかなリズムと歌声が
濠の土手まで響いていました。

       バンド練習音に花びら散りさうな  常朝

       花喰鳥ときをり見上ぐ城の空     常朝

              (郡山城内)
               (白タンポポ)
              (郡山城天守台)

 午後3時頃奈良に戻り自宅で小句会を楽しみました。
空気はやや冷たいですが、午後曇りの予想に反して一日中快晴の
春彼岸らしい一日でした。