「アカシア紀行・俳句」2014年5月22日(木) 前へ 次へ
曇りがちで風の涼しい五月小満のころ、いつものメンバー6人で、
奈良・葛城市の二塚古墳、御所市伏見の菩提寺などを訪ねました。
9時半頃、葛城市の屋敷山公園に集合し、公園北側の道を西へ約1.5キロ
行くと、二塚古墳の案内標識があり、鋭角の坂を登って西端の池に着きました。
途中右手の土手上に説明板がありましたが、気付かずに池の土手まで登りました。
池の土手からは東方向に奈良盆地の南側が全貌できました。
夏霞のなか、棚田の先に大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)が見え、
桜井市や吉野の山々も見えて素晴らしい眺めです。
池の両端にはくくり罠に注意の看板があり、見ていたらホトトギスが
鳴きました。夏鶯の声も聞こえます。
農家の男性が軽四輪をUターンさせるため、池の土手に上がってきました。
100メートル程下の道に駐車、10分位作業をされて、帰りました。
池の菱青葉や箱型の罠も見て、山麓線(30号線)に戻り、南の伏見へ
行きました。
三山のあれが畝傍か夏霞 常朝
くくり罠注意の掲示ほととぎす 常朝
(二塚古墳の池からの眺め:クリックで拡大:以後同じ)
(二塚古墳の池)
(説明板)
伏見地区は山麓線の高天より南ですが、金剛山の水を引いた田があります。
左へ分岐した道の端に駐車して周囲の田を見ました。
田植えはまだのようですが、田には満々と水が張られています。
坂の畑で仕事をしている農家の男性に田植えのことなど、お聞きしました。
田植えは6月初からですが、昨日の雨で田の水が必要以上に増えたそうです。
人参やほうれん草の葉がきれいですねと話していたら、
畑の苺(いちご)を取って食べてと言われました。
お言葉に甘えて、2畝ある苺畑に入ってそれぞれ勝手に苺を
取っていただきました。まだ完全には赤くない苺も甘かったです。
毎年9月頃に伸びた葉柄の先を取って土に挿すと、また苺が育つそうです。
俳句に来ていると言うと、近くに菩提寺があると言われたので、
お礼を言って、山麓を登る道を約1キロ進んで、お寺を訪ねました。
(伏見の田と吉野の山々)
(苺畑)
右手の菩提寺駐車場に駐車して、小さいながら仁王門をくぐると、
奥に桜青葉が覆う寺庭に、小さな本堂と仏殿(仏間)がありました。
大国様(奥様)が、オオデマリの花などを教えてくれました。
境内の隅に先代住職の
「かつらぎの青葉背負ひて仁王立つ 仙將」
の句碑があります。
そばの大きな鉢の蓮の葉の水玉にみじんこがせわしなく動き回っていました。
お寺を辞するつもりで山門をでたら、帰山されたご住職がおられ、
お話を聞いていたら、本堂や仏殿を開けていただき、
五眼の法起菩薩や平安時代の境内絵図などを見せてくれました。
本堂の十一面観音像の右には毘沙門天があります。
江戸時代水争いがあったので、軍神毘沙門天に勝利を祈ったそうです。
愛染明王は修理中だそうです。
お話では、菩提寺は行基菩薩が昔金剛山麓に道場として創建、
弘法大師ほかが修験道場として中興し、33坊もある大寺だったそうですが、
南北朝の頃、南朝に加勢して、お寺を焼かれ、最高部にあった本堂を
中腹に再建し、昭和48年今の場所に修理再建したそうです。
お話を聞いているうちに大黒様がコーヒーとお菓子を用意されたので、
境内の木の長椅子でいただきました。
五條市の王隠堂の話や、高天の野草の里のエビネのこともお聞きしました。
葛城の寺の青葉に包まるる 常朝
みじんこの走る水玉蓮青葉 常朝
(菩提寺本堂)
(説明板)
(先代の句碑)
(蓮葉の上のみじんこ)
名柄の東約1キロの和田金で昼食を頂いた後、住職から教えていただいた
高天の野草の里を訪ねました。
30号線から高天彦神社への道を登ると約700メートルの左側に、20台位の
駐車場から入る高天・野草の里(山草園)があります。
地元の森村さんが持山の一部の桧や杉を間伐して、野草を植えたそうです。
入園料200円を納めて広さ約2町歩(2ヘクタール)の森の中に入ると、
背の高い桧や杉の木漏れ日のゆったりしたすき間に気品のある黄色や紫の
エビネ、オダマキソウ、スズラン、オオデマリ、一人静、二人静、
マムシグサ、シライトソウ、カンアオイ、ツツジなどが咲いています。
森の切株のベンチに坐っているとホトトギスが鳴き、ときどきカッコウが
聞こえました。
見学客も少なく木々が高い森は涼しく静かで快適でした。
森中の日差に浮かぶ海老根蘭 常朝
森の緑花ににじませ大手鞠 常朝
(高天山草園:野草の里)
(エビネ)
(二人静)
3時半頃、山麓道から南阪奈道に入り橿原四条で下りて、
橿原観光ホテルで小句会後6時頃解散しました。
柔らかい日差しの中、葛城の青葉と涼しい風をゆっくり楽しんだ一日でした。
2014年5月23日金曜日
2014年5月11日日曜日
191.宇治田原町の茶畑、禅定寺から御栗栖神社
「アカシア紀行・俳句」2014年5月10日(土) 前へ 次へ
涼しい風の五月晴れの土曜日、いつものメンバー5人で、
宇治田原町の茶畑、禅定寺から御栗栖神社を訪ねました。
茶畑は宇治田原町のあちこちにありますが、去年訪ねた
国道307号線沿いの宇治田原郵便局の北東の茶畑を
今回も訪ねました。
郵便局の東800メートル位から左の山道を車で登り左、左と
Uターンのように約500メートル走って茶畑に着きました。
10時半頃、畑の道の木陰に駐車しました。
北西には変電所が見え、前後左右が茶畑の見晴らしのよい所です。
まだ茶摘みの終わっていない畑の畝は、黒い寒冷紗で
覆われており、大半がまるで黒い山のようでした。
去年来た時は、二番茶も終わり茶刈機で茶葉を刈り落としていましたが、
今回は、一番茶の刈り取りの時期のようです。
木立の前を南へ進むと、左手の畝で夫婦2人が弓型の茶摘み機を、
左右に別れて持ち、後ろに2メートル程の長い袋をつけて、エンジンで
茶摘みをしていました。
1~2分で長さ10メートル程の茶の畝を刈り取っていきます。
その都度一杯になっていないのに袋を変えていました。
茶の畝の中には夏ワラビが飛び出ている畝もあります。
土手にはワラビが沢山葉をつけていました。
茶畑の中には下に307号線道路が見える場所もあります。
高い柱に取り付けられた防霜扇が、風に吹かれて回っていました。
しばらく茶畑の涼しい風に吹かれたあと、307号線に下り、
宇治田原中学校近くの「魚よし」で昼食をいただいたあと、
岩山の禅定寺を訪ねました。
茶畑の風に波打つ寒冷紗 常朝
茶畑の風に吹かれて鳥を聞く 常朝
(茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
(茶摘機)
禅定寺は宇治田原の北部にある曹洞宗の寺ですが、
平安時代に創建され、南北朝の頃という五輪の塔があります。
山門には大草鞋が立てられ、左手には宝物館があります。
あいにく本尊の十一面観音像は、京都国立博物館に出開帳中との
ことでお寺は6月26日まで拝観中止でしたが、
庭仕事をされていたご住職にお庭だけでもとお願いして、
お庭を拝見させていただきました。
そのうち大黒様(奥様)が庭に見えて、
本尊がお寺におられないのは寂しいとか、
5年前葺き替えた本堂は葭葺きで、25年毎に葺き替えが必要と
言われました。
本堂が大きいのは、禅修行の寺であったためとのことです。
お寺の寺領も昔は禅定寺町全体だったが、戦後GHQの
農地改革で、ほとんどの土地を小作に開放し、
今は境内と裏山(府に寄贈)だけらしいです。
お寺の維持管理が大変なようでした。
しかし見晴らしの良い境内には花々が植えられ、
雑草も見えないほど管理された庭に、若楓、ツツジ、百日紅、梅、桜、
などが植えられ、藁葺きの四阿(あずまや)も美しい苔が覆っていました。
寺紋にある竜胆の青葉が庭のあちこちに出ており、
弁天池には白いメダカが元気に泳いでいました。
しばらく苔の四阿で休んだあと拝観料の代わりに少しばかり
お供えを預けてお寺を辞しました。
本尊は留守の大寺若楓 常朝
弁天の池に弾けり白目高 常朝
(禅定寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(拝観停止の掲示)
(葭葺きの本堂)
(弁天池)
(あずまや:四阿)
(山門の大草鞋)
その後、307号線の小学校交差点を左折南下して、南地区の
御栗栖神社を訪ねました。
周囲には田植中の田もあるかと期待しましたが、すべて植田でした。
余り苗が田の隅に置かれていましたが。
御栗栖神社は、天津彦根命ほかを祀る、鎌倉時代(以前?)からある
宇治田原南地区の旧郷社で、明治20年代までは毎年御所に栗を献上していた
そうです。
栗は壬申の乱のときの天武天皇ゆかりの栗だそうです。
直径1メートル以上の大杉と大欅が神木となっている、うっそうとした
境内に本殿、拝殿、旧拝殿(絵馬堂?)、神輿蔵などがあります。
神木の前にも賽銭箱がありました。
旧拝殿には、明治の頃の相撲番付などが奉額として掛けられ、
燕よけか、梁の上に鴉の模型が置かれていました。
老鶯鳴くお賽銭だけ忘るなと 常朝
(御栗栖神社)
(旧拝殿(?))
(鴉の模型)
(新茶:JA販売店で)
307号線に戻り、すぐ左の農協販売店でそれぞれお茶を買い、
木津川市の梅谷口の青木ゴルフ場のそばの喫茶店杏樹(あんぜ)で
小句会後6時頃解散しました。
五月晴れの中、宇治田原の緑と風をのんびりと楽しんだ1日でした。
涼しい風の五月晴れの土曜日、いつものメンバー5人で、
宇治田原町の茶畑、禅定寺から御栗栖神社を訪ねました。
茶畑は宇治田原町のあちこちにありますが、去年訪ねた
国道307号線沿いの宇治田原郵便局の北東の茶畑を
今回も訪ねました。
郵便局の東800メートル位から左の山道を車で登り左、左と
Uターンのように約500メートル走って茶畑に着きました。
10時半頃、畑の道の木陰に駐車しました。
北西には変電所が見え、前後左右が茶畑の見晴らしのよい所です。
まだ茶摘みの終わっていない畑の畝は、黒い寒冷紗で
覆われており、大半がまるで黒い山のようでした。
去年来た時は、二番茶も終わり茶刈機で茶葉を刈り落としていましたが、
今回は、一番茶の刈り取りの時期のようです。
木立の前を南へ進むと、左手の畝で夫婦2人が弓型の茶摘み機を、
左右に別れて持ち、後ろに2メートル程の長い袋をつけて、エンジンで
茶摘みをしていました。
1~2分で長さ10メートル程の茶の畝を刈り取っていきます。
その都度一杯になっていないのに袋を変えていました。
茶の畝の中には夏ワラビが飛び出ている畝もあります。
土手にはワラビが沢山葉をつけていました。
茶畑の中には下に307号線道路が見える場所もあります。
高い柱に取り付けられた防霜扇が、風に吹かれて回っていました。
しばらく茶畑の涼しい風に吹かれたあと、307号線に下り、
宇治田原中学校近くの「魚よし」で昼食をいただいたあと、
岩山の禅定寺を訪ねました。
茶畑の風に波打つ寒冷紗 常朝
茶畑の風に吹かれて鳥を聞く 常朝
(茶畑:クリックで拡大:以後同じ)
(茶摘機)
禅定寺は宇治田原の北部にある曹洞宗の寺ですが、
平安時代に創建され、南北朝の頃という五輪の塔があります。
山門には大草鞋が立てられ、左手には宝物館があります。
あいにく本尊の十一面観音像は、京都国立博物館に出開帳中との
ことでお寺は6月26日まで拝観中止でしたが、
庭仕事をされていたご住職にお庭だけでもとお願いして、
お庭を拝見させていただきました。
そのうち大黒様(奥様)が庭に見えて、
本尊がお寺におられないのは寂しいとか、
5年前葺き替えた本堂は葭葺きで、25年毎に葺き替えが必要と
言われました。
本堂が大きいのは、禅修行の寺であったためとのことです。
お寺の寺領も昔は禅定寺町全体だったが、戦後GHQの
農地改革で、ほとんどの土地を小作に開放し、
今は境内と裏山(府に寄贈)だけらしいです。
お寺の維持管理が大変なようでした。
しかし見晴らしの良い境内には花々が植えられ、
雑草も見えないほど管理された庭に、若楓、ツツジ、百日紅、梅、桜、
などが植えられ、藁葺きの四阿(あずまや)も美しい苔が覆っていました。
寺紋にある竜胆の青葉が庭のあちこちに出ており、
弁天池には白いメダカが元気に泳いでいました。
しばらく苔の四阿で休んだあと拝観料の代わりに少しばかり
お供えを預けてお寺を辞しました。
本尊は留守の大寺若楓 常朝
弁天の池に弾けり白目高 常朝
(禅定寺山門:クリックで拡大:以後同じ)
(拝観停止の掲示)
(葭葺きの本堂)
(弁天池)
(あずまや:四阿)
(山門の大草鞋)
その後、307号線の小学校交差点を左折南下して、南地区の
御栗栖神社を訪ねました。
周囲には田植中の田もあるかと期待しましたが、すべて植田でした。
余り苗が田の隅に置かれていましたが。
御栗栖神社は、天津彦根命ほかを祀る、鎌倉時代(以前?)からある
宇治田原南地区の旧郷社で、明治20年代までは毎年御所に栗を献上していた
そうです。
栗は壬申の乱のときの天武天皇ゆかりの栗だそうです。
直径1メートル以上の大杉と大欅が神木となっている、うっそうとした
境内に本殿、拝殿、旧拝殿(絵馬堂?)、神輿蔵などがあります。
神木の前にも賽銭箱がありました。
旧拝殿には、明治の頃の相撲番付などが奉額として掛けられ、
燕よけか、梁の上に鴉の模型が置かれていました。
老鶯鳴くお賽銭だけ忘るなと 常朝
(御栗栖神社)
(旧拝殿(?))
(鴉の模型)
(新茶:JA販売店で)
307号線に戻り、すぐ左の農協販売店でそれぞれお茶を買い、
木津川市の梅谷口の青木ゴルフ場のそばの喫茶店杏樹(あんぜ)で
小句会後6時頃解散しました。
五月晴れの中、宇治田原の緑と風をのんびりと楽しんだ1日でした。
ラベル:
吟行案内
2014年4月20日日曜日
190.京田辺・観音寺、酒屋神社から京都府立大公園
「アカシア紀行・俳句」2014年4月17日(木) 前へ 次へ
曇りながらも暖かい春の日、いつものメンバー5人で、
京田辺市の観音寺、酒屋神社から京都府立大公園を訪ねました。
観音寺は近鉄京都線・三山木駅の西約2キロにある、今は真言宗のお寺です。
2007年にも訪ねましたが、奈良時代に創建された、法相宗などの寺で、
毎年2月東大寺二月堂のお水取りの松明のために竹送りをしています。
今回は参拝ついでに、菜の花まつりとして、参道周囲の田を埋め尽くす
菜の花などを拝見しました。
今年は19日(土)から農作業のため、菜の花を見られるのはあと2日のみ
という時期でしたが、花はまだまだ沢山咲いていました。
気のせいか花の黄色の強さは少し弱くなっていましたが。
参道には、日本タンポポ、トキワソウも咲き、ノビルもでています。
鶯の声の合間に本堂からは参拝客へのご住職の話し声が漏れ聞こえました。
境内には池が2つ、本堂周囲には幅1メートル程の濠があり、大鯉が
泳いでいます。小さな溝のそばには「地獄の釜の蓋」ともいわれる、
紫の「きらん草」も咲いていました。
左手には、地祇神社があり、神社の右手には、塔心跡の標識がありました。
菜の花の包む参道一歩ずつ 常朝
菜の花や笑顔に見ゆる鬼瓦 常朝
(観音寺本堂:クリックで拡大:以後同じ)
(菜の花畑)
(きらん草)
(説明板)
その後、同志社大学田辺キャンパスの中の道を通って、
興戸地区の酒屋神社を訪ねました。
神社は、説明板によると、神功皇后の三韓征伐の際、山中に酒壺を埋めて、
(戦勝を祈り)無事帰国したので、建立したとのこと。
藤原氏の先祖中臣の一族が、ここで酒(あるいは酒器)を作ったので、
祖先を神として祀ったともあります。
境内はさほど広くないですが、拝殿の奥に本殿が山に接するように立ち、
参道右の水の抜かれた池に若草が伸び、左手には神具などの物置でしょうか、
倉庫があり、広場の右手は児童公園のように遊具が幾つか置かれています。
拝殿は割り拝殿で、中の通路の両側に長椅子が置かれて、
男性が一人座っていたので、話をしました。
拝殿には出征軍人名を列挙した奉額もありました。
ときどき歴史好きの男性や歴女達が団体で訪ねて来るそうです。
樹齢200年という大きな栂の木が、小さな松かさのような実を落としていました。
数年前一人で訪ねたとき、キビタキが美しい声を聞かせてくれたので、
あわよくば、また聞けるかもとも思いましたが今回は鶯だけでした。
奉額に出征人名春の風 常朝
(酒屋神社)
(説明板)
(参道)
三山木に戻り、二又交差点の西のこぶや亭で昼食をいただいたあと、
南西5キロほどの京都府立大学の精華キャンパスの公園を訪ねました。
ここは、2009年までは、京都府のフラワーパーク「花空間けいはんな」
でしたが、今は、府立大学の付属公園となっています。
我々が着いたときは、係員数人のほかは誰も園内にいませんでした。
広大な園内には、チューリップや芍薬などの花壇のほか、
しだれ桜、桃、桜、ハナミズキ、などは花がありましたが、
藤棚はまだ蕾で、楠の木などがポツンポツンと立つ、やや閑散とした
感じでした。温室などの建物も今は入室できません。
奥の林から鶯の声がときおり聞こえ、四阿(あずまや)のそばの池に
真鴨が一羽いるだけでした。
予算の問題でしょうが、花壇の手入れもあまりされていないようです。
しばらくして、車いすに奥様を載せて老夫婦が入園し、
園内をゆっくり散歩しはじめました。
藤棚の空まだ見せて蕾揺る 常朝
チューリップ撒水ホースのたうたせ 常朝
(京都府大公園の花時計)
(しだれ桜)
(桃の花)
(公園の庭園)
我々は園内を散策後、奈良の自宅へ戻り小句会後解散しました。
そよ風の吹く洛南のお寺や神社、菜の花畑などをのんびりと楽しんだ1日でした。
曇りながらも暖かい春の日、いつものメンバー5人で、
京田辺市の観音寺、酒屋神社から京都府立大公園を訪ねました。
観音寺は近鉄京都線・三山木駅の西約2キロにある、今は真言宗のお寺です。
2007年にも訪ねましたが、奈良時代に創建された、法相宗などの寺で、
毎年2月東大寺二月堂のお水取りの松明のために竹送りをしています。
今回は参拝ついでに、菜の花まつりとして、参道周囲の田を埋め尽くす
菜の花などを拝見しました。
今年は19日(土)から農作業のため、菜の花を見られるのはあと2日のみ
という時期でしたが、花はまだまだ沢山咲いていました。
気のせいか花の黄色の強さは少し弱くなっていましたが。
参道には、日本タンポポ、トキワソウも咲き、ノビルもでています。
鶯の声の合間に本堂からは参拝客へのご住職の話し声が漏れ聞こえました。
境内には池が2つ、本堂周囲には幅1メートル程の濠があり、大鯉が
泳いでいます。小さな溝のそばには「地獄の釜の蓋」ともいわれる、
紫の「きらん草」も咲いていました。
左手には、地祇神社があり、神社の右手には、塔心跡の標識がありました。
菜の花の包む参道一歩ずつ 常朝
菜の花や笑顔に見ゆる鬼瓦 常朝
(観音寺本堂:クリックで拡大:以後同じ)
(菜の花畑)
(きらん草)
(説明板)
その後、同志社大学田辺キャンパスの中の道を通って、
興戸地区の酒屋神社を訪ねました。
神社は、説明板によると、神功皇后の三韓征伐の際、山中に酒壺を埋めて、
(戦勝を祈り)無事帰国したので、建立したとのこと。
藤原氏の先祖中臣の一族が、ここで酒(あるいは酒器)を作ったので、
祖先を神として祀ったともあります。
境内はさほど広くないですが、拝殿の奥に本殿が山に接するように立ち、
参道右の水の抜かれた池に若草が伸び、左手には神具などの物置でしょうか、
倉庫があり、広場の右手は児童公園のように遊具が幾つか置かれています。
拝殿は割り拝殿で、中の通路の両側に長椅子が置かれて、
男性が一人座っていたので、話をしました。
拝殿には出征軍人名を列挙した奉額もありました。
ときどき歴史好きの男性や歴女達が団体で訪ねて来るそうです。
樹齢200年という大きな栂の木が、小さな松かさのような実を落としていました。
数年前一人で訪ねたとき、キビタキが美しい声を聞かせてくれたので、
あわよくば、また聞けるかもとも思いましたが今回は鶯だけでした。
奉額に出征人名春の風 常朝
(酒屋神社)
(説明板)
(参道)
三山木に戻り、二又交差点の西のこぶや亭で昼食をいただいたあと、
南西5キロほどの京都府立大学の精華キャンパスの公園を訪ねました。
ここは、2009年までは、京都府のフラワーパーク「花空間けいはんな」
でしたが、今は、府立大学の付属公園となっています。
我々が着いたときは、係員数人のほかは誰も園内にいませんでした。
広大な園内には、チューリップや芍薬などの花壇のほか、
しだれ桜、桃、桜、ハナミズキ、などは花がありましたが、
藤棚はまだ蕾で、楠の木などがポツンポツンと立つ、やや閑散とした
感じでした。温室などの建物も今は入室できません。
奥の林から鶯の声がときおり聞こえ、四阿(あずまや)のそばの池に
真鴨が一羽いるだけでした。
予算の問題でしょうが、花壇の手入れもあまりされていないようです。
しばらくして、車いすに奥様を載せて老夫婦が入園し、
園内をゆっくり散歩しはじめました。
藤棚の空まだ見せて蕾揺る 常朝
チューリップ撒水ホースのたうたせ 常朝
(京都府大公園の花時計)
(しだれ桜)
(桃の花)
(公園の庭園)
我々は園内を散策後、奈良の自宅へ戻り小句会後解散しました。
そよ風の吹く洛南のお寺や神社、菜の花畑などをのんびりと楽しんだ1日でした。
ラベル:
吟行案内
2014年4月7日月曜日
189.奈良・馬見丘陵公園から広瀬大社
「アカシア紀行・俳句」2014年4月6日(日) 前へ 次へ
夜の雨が残り、春北風の吹く寒い日曜日、いつものメンバー7人で、
4月の花々を見ようと、広陵町の馬見丘陵公園から広瀬大社を訪ねました。
9時前奈良を出て、天理から25号線を西へ、法隆寺東交差点を南下して、
馬見丘陵公園の北駐車場に着いた10時前は、雨が止んでいましたが、
天候が不安定で、しばらくは降ったり止んだりでした。
公園の北エリアはチューリップの花祭で、広大な丘に色とりどりの
チューリップの花壇が美しく配置され、ふもとからはまるで花の虹の
ように見えました。
花壇に一部は小学校の学童が球根を植えたそうです。
チューリップ花壇には、種が飛んできたのでしょう、ナズナや菜の花が
紛れ込んで咲いていました。
花見茶屋「Cafe' +f」のそばのテントでは、広陵町、葛城市、香芝市、御所市、
大和高田市などの特産品売店があり、葛城店で小麦餅、大和高田店であんぱん
などを買いました。
その後、トンネルを通って、中央エリアに移動しましたが、
ハナミズキなどはまだ早いので、満開の桜や、土筆を見ただけで、
駐車場に戻り、車を前池の北側に移動、池の鴨や桜を見ながら、
天神社、宇賀神社などを参拝、散策しました。
土手の寄せ仏のそばには、ワラビが伸びていましたが、芦の角はまだでした。
チューリップ花の虹なす園の丘 常朝
チューリップ花壇に紛れなずな咲く 常朝
(馬見丘陵公園プレート:クリックで拡大:以後同じ)
(案内図)
(花の広場)
(桜とチューリップ)
(葛城市などの売店)
(前池)
(天神社)
法隆寺東の「さと」で昼食をいただいたあと、広陵町の広瀬大社を
訪ねました。
広瀬大社は、2月の砂かけ祭で有名な神社で、廣瀬大忌神 (ひろせおおいみの
かみ)、櫛玉命 (くしたまのみこと)などを祀る旧官幣大社です。
境内に入ると、ちょうど周囲の桜が春北風に散って、花吹雪となりました。
境内真ん中には沢山の菖蒲の苗鉢がシートで作られた浅いプールに、
ぎっしりと並べられていました。
真中の大きな橘は実が沢山付いており、右手の神馬堂には、神馬像が置かれ、
砂かけ祭の砂が、背中や腹に付いていました。
左手の池の奥の桜の木の下では、2、3組の花見客がバーベキューや
ピクニックを楽しんでいました。時々子供達が飛ばすシャボン玉が
池の上まで飛んできました。
その後、左手の春泥の道を石の太鼓橋まで移動して、
大和の春の景色を眺めました。
花吹雪斎庭にありて昂ぶれり 常朝
春祭の砂背に残し神馬像 常朝
(広瀬大社:クリックで拡大:以後同じ)
(説明板)
(たちばなの木)
(水足神社)
(花びらの池)
(太鼓橋)
その後、斑鳩町三井のCafe Oneで小句会後解散しました。
その頃は、青空が見えるほど天気は回復していました。
上空に寒気があるためか、やや風と雨模様でしたが、
チューリップの花園と満開の桜、花吹雪など、4月らしい花づくしの1日でした。
夜の雨が残り、春北風の吹く寒い日曜日、いつものメンバー7人で、
4月の花々を見ようと、広陵町の馬見丘陵公園から広瀬大社を訪ねました。
9時前奈良を出て、天理から25号線を西へ、法隆寺東交差点を南下して、
馬見丘陵公園の北駐車場に着いた10時前は、雨が止んでいましたが、
天候が不安定で、しばらくは降ったり止んだりでした。
公園の北エリアはチューリップの花祭で、広大な丘に色とりどりの
チューリップの花壇が美しく配置され、ふもとからはまるで花の虹の
ように見えました。
花壇に一部は小学校の学童が球根を植えたそうです。
チューリップ花壇には、種が飛んできたのでしょう、ナズナや菜の花が
紛れ込んで咲いていました。
花見茶屋「Cafe' +f」のそばのテントでは、広陵町、葛城市、香芝市、御所市、
大和高田市などの特産品売店があり、葛城店で小麦餅、大和高田店であんぱん
などを買いました。
その後、トンネルを通って、中央エリアに移動しましたが、
ハナミズキなどはまだ早いので、満開の桜や、土筆を見ただけで、
駐車場に戻り、車を前池の北側に移動、池の鴨や桜を見ながら、
天神社、宇賀神社などを参拝、散策しました。
土手の寄せ仏のそばには、ワラビが伸びていましたが、芦の角はまだでした。
チューリップ花の虹なす園の丘 常朝
チューリップ花壇に紛れなずな咲く 常朝
(馬見丘陵公園プレート:クリックで拡大:以後同じ)
(案内図)
(花の広場)
(桜とチューリップ)
(葛城市などの売店)
(前池)
(天神社)
法隆寺東の「さと」で昼食をいただいたあと、広陵町の広瀬大社を
訪ねました。
広瀬大社は、2月の砂かけ祭で有名な神社で、廣瀬大忌神 (ひろせおおいみの
かみ)、櫛玉命 (くしたまのみこと)などを祀る旧官幣大社です。
境内に入ると、ちょうど周囲の桜が春北風に散って、花吹雪となりました。
境内真ん中には沢山の菖蒲の苗鉢がシートで作られた浅いプールに、
ぎっしりと並べられていました。
真中の大きな橘は実が沢山付いており、右手の神馬堂には、神馬像が置かれ、
砂かけ祭の砂が、背中や腹に付いていました。
左手の池の奥の桜の木の下では、2、3組の花見客がバーベキューや
ピクニックを楽しんでいました。時々子供達が飛ばすシャボン玉が
池の上まで飛んできました。
その後、左手の春泥の道を石の太鼓橋まで移動して、
大和の春の景色を眺めました。
花吹雪斎庭にありて昂ぶれり 常朝
春祭の砂背に残し神馬像 常朝
(広瀬大社:クリックで拡大:以後同じ)
(説明板)
(たちばなの木)
(水足神社)
(花びらの池)
(太鼓橋)
その後、斑鳩町三井のCafe Oneで小句会後解散しました。
その頃は、青空が見えるほど天気は回復していました。
上空に寒気があるためか、やや風と雨模様でしたが、
チューリップの花園と満開の桜、花吹雪など、4月らしい花づくしの1日でした。
ラベル:
吟行案内
2014年4月1日火曜日
188.奈良・百済寺から河俣神社
「アカシア紀行・俳句」2014年3月30日(日) 前へ 次へ
歌にあるフランシーヌの場合と同じ3月30日の日曜日は、朝からはげしい雨
でしたが、いつものメンバー7人で、花見を兼ねて奈良・広陵町の百済寺から
橿原市の河俣神社を訪ねました。
元の予定は馬見丘陵公園でしたが、雨が激しかったので、公園に集合後
方向を変えました。
百済寺は広陵町役場の東1キロほどにある、真言宗の古い寺で三重塔と
小さな本堂があります。奈良時代の官寺であった百済大寺の故地との
言い伝えらしいですが、最近の説では、官寺でなく地元の寺であったようです。
しかし鎌倉時代の三重塔の周囲にけやきの大樹などと共に、
8分咲きくらいの桜が雨に打たれて、風情がありました。
本堂は小さく、十一面観音が祀られているようですが、無住寺で、
同じ境内の春日若宮神社の神主が管理されているようです。
お寺に着いたときすでに雨が激しかったので、
神社の拝殿の軒に雨宿りして塔やお堂を拝見し、桜を見上げました。
ときおり強い風もあり、まさしく春の嵐でした。
嵐の中での花見は初めてです。
絵馬堂もあり、鉄線の鍵を開けて中に入ると、尉姥(じょうとんば)や、
宇治川先陣の絵などが沢山掛けられ、静御前の絵もありました。
三重の塔を雨打つ春嵐 常朝
絵馬堂に静舞ふ絵も花の寺 常朝
(百済寺三重塔:クリックで拡大:以後同じ)
(百済寺本堂)
(本堂の雨と桜)
(百済寺公園)
雨が止みそうもないので、数キロ南の広陵町大塚交差点の北の今日亭で
少し早い昼食をいただき、橿原市雲梯町の河俣神社を訪ねました。
河俣神社は、三輪の大国主命の御子である事代主命(ことしろぬしのみこと)を
祀る神社で、曽我川の桜並木のそばにあります。
ここは、いずれも大国主の御子を祀る御所市の高鴨神社、飛鳥の加夜奈留美神社
とともに、古代の大和を守ったそうです。
雨も小止みになってきた境内は割合広くて細長く、樫やけやきのような大樹が
沢山あります。
参道脇に、万葉歌碑があり、説明板もありました。
思はぬを思ふといはば 眞鳥住む卯名手(うなて)の社(もり)の
神し知らさむ。 万葉集・作者不詳
(あなたを想ってもいないのに、想っていると言っても、鷺の住む、
雲梯の杜の神には、わかってしまうだろうなあ)
鷺はいませんでしたが、拝殿の手前左には、木の柵で囲まれた榊がありました。
境内の東側は曽我川の舗装された土手道で、桜が雨に打たれながら
見事に咲いていました。土手にはニラの花、水仙、仏の座などが
雨に咲いています。
川は雨の増水で、土色に濁り、ときどき花びらが流れてきました。
並木の川濁して止みし花の雨 常朝
濡れそぼつフランシーヌの日の桜 常朝
(河俣神社)
(河俣神社拝殿)
(拝殿より本殿を望む)
(参道)
(万葉歌碑)
(歌碑の説明板)
(曽我川桜並木)
(土手のニラの花)
その後雨の殆ど止んだ頃、橿原観光ホテルでケーキなどをいただき、
今回は句会なし解散しました。
春の嵐の雨風に打たれる桜や三重塔、濁流の上の桜並木など、
めったに経験できない嵐の花見の1日でした。
歌にあるフランシーヌの場合と同じ3月30日の日曜日は、朝からはげしい雨
でしたが、いつものメンバー7人で、花見を兼ねて奈良・広陵町の百済寺から
橿原市の河俣神社を訪ねました。
元の予定は馬見丘陵公園でしたが、雨が激しかったので、公園に集合後
方向を変えました。
百済寺は広陵町役場の東1キロほどにある、真言宗の古い寺で三重塔と
小さな本堂があります。奈良時代の官寺であった百済大寺の故地との
言い伝えらしいですが、最近の説では、官寺でなく地元の寺であったようです。
しかし鎌倉時代の三重塔の周囲にけやきの大樹などと共に、
8分咲きくらいの桜が雨に打たれて、風情がありました。
本堂は小さく、十一面観音が祀られているようですが、無住寺で、
同じ境内の春日若宮神社の神主が管理されているようです。
お寺に着いたときすでに雨が激しかったので、
神社の拝殿の軒に雨宿りして塔やお堂を拝見し、桜を見上げました。
ときおり強い風もあり、まさしく春の嵐でした。
嵐の中での花見は初めてです。
絵馬堂もあり、鉄線の鍵を開けて中に入ると、尉姥(じょうとんば)や、
宇治川先陣の絵などが沢山掛けられ、静御前の絵もありました。
三重の塔を雨打つ春嵐 常朝
絵馬堂に静舞ふ絵も花の寺 常朝
(百済寺三重塔:クリックで拡大:以後同じ)
(百済寺本堂)
(本堂の雨と桜)
(百済寺公園)
雨が止みそうもないので、数キロ南の広陵町大塚交差点の北の今日亭で
少し早い昼食をいただき、橿原市雲梯町の河俣神社を訪ねました。
河俣神社は、三輪の大国主命の御子である事代主命(ことしろぬしのみこと)を
祀る神社で、曽我川の桜並木のそばにあります。
ここは、いずれも大国主の御子を祀る御所市の高鴨神社、飛鳥の加夜奈留美神社
とともに、古代の大和を守ったそうです。
雨も小止みになってきた境内は割合広くて細長く、樫やけやきのような大樹が
沢山あります。
参道脇に、万葉歌碑があり、説明板もありました。
思はぬを思ふといはば 眞鳥住む卯名手(うなて)の社(もり)の
神し知らさむ。 万葉集・作者不詳
(あなたを想ってもいないのに、想っていると言っても、鷺の住む、
雲梯の杜の神には、わかってしまうだろうなあ)
鷺はいませんでしたが、拝殿の手前左には、木の柵で囲まれた榊がありました。
境内の東側は曽我川の舗装された土手道で、桜が雨に打たれながら
見事に咲いていました。土手にはニラの花、水仙、仏の座などが
雨に咲いています。
川は雨の増水で、土色に濁り、ときどき花びらが流れてきました。
並木の川濁して止みし花の雨 常朝
濡れそぼつフランシーヌの日の桜 常朝
(河俣神社)
(河俣神社拝殿)
(拝殿より本殿を望む)
(参道)
(万葉歌碑)
(歌碑の説明板)
(曽我川桜並木)
(土手のニラの花)
その後雨の殆ど止んだ頃、橿原観光ホテルでケーキなどをいただき、
今回は句会なし解散しました。
春の嵐の雨風に打たれる桜や三重塔、濁流の上の桜並木など、
めったに経験できない嵐の花見の1日でした。
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