2015年2月28日土曜日

207.大和郡山市の「大和な雛まつり」から郡山城の盆梅展

「アカシア紀行・俳句」2015年2月26日(木)    前へ   次へ

 2月雨水の頃の一日中雨の日、
いつものメンバー6人で、大和郡山市の「大和な雛まつり」の
雛展示のひとつ「旧川本邸」と郡山城の盆梅展を訪ねました。

 9時半すぎ郡山城の追手門で集合し、ひな祭りの代表的な会場である、
川本邸に行きました。
「大和な雛まつり」は今年で4回めで、市内の120ヶ所の店舗、民家などに
雛飾りを展示し一般に公開されています。(今年は2月21日から3月8日)

 旧川本邸は源九郎稲荷神社参道の西側にある元遊郭で建物は市が保存しています。
我々は車で稲荷神社を訪ねましたが、参道入口への道(駅前商店街)は、
一歩通行のため新紺屋町交差点からは入れず、
近鉄郡山駅のバスターミナルへ戻りましたが、そこからは商店街通りへは
入れず、2回も挑戦しました。結局、新紺屋町交差点の藺町線の南のオークワ
スーパーの駐車場に車を置かせてもらい、雨の中を300メートルほど歩きました。
オークワ駐車場のすぐ北に神社があるのですが、通路さえありませんでした。
(入り口を探して走ったので交差点を行き過ぎずメンバーを下ろすべきでした)

 川本邸は木造3階建で入り口は狭いですが、遊郭らしく小部屋が沢山あります。
玄関で、係の女性から署名用紙を渡され、建物が耐震でないので、
万一の時は自己責任を了解して住所氏名を記入して下さいとのことで、
全員署名しました。

 渡された袋に傘と靴を入れ、持ちながら各部屋にある雛飾りを見学しました。
昭和初期からの立派な雛壇から、階段上の90センチ四方の隙間に飾る雛壇まで、
約10種類以上の雛飾りを見学しました。
2階への大階段にも、ぎっしり雛人形がありました。
もちろん、内裏びな、三人官女、五人ばやし、左大臣、右大臣、仕丁、
雛道具、菱餅などです。

 雛人形は同じように見えますが、よく見ると顔や目の形が違いました。
雛道具には火鉢もあり、網付きもありました。
吊し雛には金魚もあり、別の部屋には、山と川を模して、三つの筏にのせた
「流し雛」もありました。
また帰りに、川本邸の壁を見るとハート型の桃尻窓がありました。


       悲しみとも慈愛とも見ゆ女雛の眼  常朝

       布製の金魚もありし吊し雛     常朝

         (川本邸案内図:クリックで拡大:以後同じ)
   (御殿雛)

              (川本邸内庭)
              (階段上の雛飾り)
              (階段の雛飾り)
              (流し雛)

 雨は降っていますが小雨程度なので、川本邸のすぐ南東にある源九郎稲荷神社を
再び訪ねました。        (参照:アカシア紀行169
ここでも雛飾りがありました。
雛壇に狐雛や狐面が置かれて、稲荷神社らしい雛飾りです。
歌舞伎の勘九郎が寄進した枝垂れ梅が咲き、狛狐が雨に濡れていました。

       稲荷杜に展示されたる狐雛    常朝

         (源九郎稲荷神社)
              (稲荷神社の雛飾り)
              (雛掛軸)


 その後、郡山城北西の「弁慶」で昼食をいただき追手門に戻って、
盆梅展を訪ねました。
普段は追手門の中は車禁止ですが、盆梅展中は車で中に入れました。

 盆梅展の会場は追手門の上の建物で、外の受付ボックスで
入場料(60才以上400円)を払い、傘と靴をそれぞれの袋に入れて
持ちながら見学しました。

 今年は12回目のようですが、展示の盆梅は、以前より立派で大きい感じでした。
幹が一抱えもあり、高さが3メートルほどの「大納言」という鉢もあり、
盆梅とは言えないようなものも多くありました。

 盆梅の銘も、宝船、朧月夜、悠妃、紅姫、霧氷、順慶など、
奥ゆかしい名が付けられていました、


       盆梅展出口に置かる梅も良し   常朝

         (盆梅展ポスター)
           
        (盆梅展入り口)
              (盆梅-朧月夜)
              (盆梅-大納言)

 出口で、梅を育てる人に聞くと、
大きい梅は庭に直植えされており、展示のために、鉢に移し、
終わるとまた庭に戻すとのことです。

 建物から出た庭にも盆梅があり、直植えの枝垂れ梅も数本ありました。

 やや小止みになった雨の中を筒井駅の西の「さと」に移動して、
3時頃から小句会後解散しました。

 今日はあまり寒くなく、春を感じさせる雛飾りや、
見事な梅のさまざまを楽しめました。
一日中雨でしたが、雛壇も盆梅も建物の中だったので、助かりました。

2015年2月13日金曜日

206. 奈良.河合町の広瀬大社「砂かけ祭」

「アカシア紀行・俳句」2015年2月11日(水)    前へ   次へ
 

 2月の寒い日が続いたあと、久しぶりに暖かな晴天にめぐまれた
建国記念日、いつものメンバー6人で、奈良・河合町の広瀬大社の
砂かけ祭を訪ねました。

 広瀬大社は去年花吹雪の日に訪ねましたが、大和川、飛鳥川、曽我川が
集まる水の要所にある、旧官幣大社として格式のある神社です。
(アカシア紀行189)(参照)

 砂かけ祭はお田植え祭で、砂を雨に見立てた祈雨の神事でもあり、
午前中の殿上の儀と午後の庭上の儀に分かれています。

 我々が10時前に神社の駐車場に着いたら、すでに数十台の車が、
臨時の駐車場とされた神社の隣の会社の駐車場にありました。

 300メートルもある長い参道の北側は数十の屋台が準備中でした。
また境内一面に厚さ5センチ位に砂が撒かれてあります。

              (広瀬大社:クリックで拡大:以後同じ)
         (拝殿)
              (砂かけ祭の場所)

 拝殿で参拝後、境内を散策していたら、殿上のお田植え祭に参列する
人々が、拝殿の左側に集まり、御手洗岩の水で手と口を清めて順番に拝殿にのぼりました。
御手洗岩では高校生らしい1人の巫女が杓を持ち、もう一人の巫女が
白い紙を持って、参列者一人ひとりに、手と口を清めるのを手伝いました。

              (手水を使う参列者)

 参列者約60人は拝殿にコの字型に座り、真ん中がお田植えの田とされます。
11時になると笙の音とともに、マイクで開式が宣言され、
お田植え祭が始まりました。

 宮司の祝詞やお祓い、巫女の舞のあと、田の農作業を模した儀式となり、
牛役と農夫役が拝殿の中央を巡って田を耕す仕草をしました。
消防団の若い人が、モオーと鳴く牛(牛役)に、「羊」と言って「メエー」、
「猫」と言って「ニャオー」と鳴かせたり、冗談を言って牛を笑わせたり
しました。その後2人の巫女の田植儀式がありました。

 殿上のお田植え祭が終わる頃は昼前になったので昼食のために、
神社の南側の寿司店「寿司の喜多八」に行きました。
店が混んでいたので予約して、外で待ちましたが1時間たっても席が空かないので、
あきらめて参道に戻り屋台のたこ焼きなどをいただきました。

              (たこ焼きの屋台)
              (屋台)

 午後2時、いわゆる砂かけ祭がはじまりました。
拝殿の前に竹(斎竹:いみだけ)で囲まれた10メートル四方位の土地を
田として、お田植え祭をおこないます。

 多勢の人々が囲む中、白覆面の人が出てきて、
周囲の田の畦をならすように木の鋤で砂を突き刺して一周したら、
いきなり、鋤で砂を見物客にかけ始めました。
見物客も若い人たちは、キャーキャーと騒ぎながら、
覆面男や他の人達に砂をかけ始めました。

 数分すると太鼓の音が聞こえ、砂かけは一旦中止となりましたが、
数分休憩すると再び覆面男が出てきて砂をかけ始めました。
このような掛け合いを8回繰り返すそうです。

 最初は覆面男は一人だったので、カメラマンが主役に集中して、
姿が見えないほどでしたが、3回目位からは、覆面男が3人になり、
斎竹の外側にも出てきて、我々が立っていた神馬堂や売店の方まで
砂を飛ばしたので、皆頭から砂を被りました。
幸いビニールの合羽を着ていたので、助かりましたが。

 砂の掛け合いが盛んなほど豊作といわれ、掛かる砂は厄除けに
なるそうです。

       牛の声猫にも変りお田植え祭   常朝

       逃げゐても砂の掛かりし春祭   常朝

              (砂かけ祭:覆面が砂かけ男)

 砂かけはまだ続いていましたが、我々は3時頃神社を辞して、
法隆寺東の「さと」で小句会後解散しました。

2月としては暖かい天気に恵まれ大和の珍しい祭を体験できた一日でした。

2015年2月1日日曜日

205.奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚神社

「アカシア紀行・俳句」2015年1月31日(土)    前へ  次へ

 1月最後の日、いつものメンバー3人(他のメンバーは欠席)で、
奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚(すさのお)神社などを訪ねました。

 10時すぎ、奈良の自宅に集まり、奈良先端技術大学院大学の北側から、
生駒市鹿畑町の素戔嗚神社に着きました。

 神社は、鹿畑町の北側のほぼ山頂にあり、境内からは
奈良の若草山が見えます。
説明板などによると、天正3年(1575)鹿畑町の鎮守として祀られたのが
始まりとのこと。

 素戔嗚命、大国主命、琴平明神、天照大神、春日明神、八幡神が
祀られ、愛宕神社もあります。

 石の鳥居をくぐった境内左手奥には小さな磐座(いわくら)が祀られ、
賽の神とあります。
賽の神の左手と鳥居の右側には宮座の(祭用の窓のない)建物があり、
中央には舞殿、右奥に社務所、奥に山車(だし)蔵もあります。
左手の石段上に拝殿と本殿があり、摂社を巡っていたら、宮司が来られて
石段下の掲示板の行事掲示を新しく変えられました。

 宮司のお話では、昔から東側山中に水神を祀っていたが、天正3年に
京都八坂神社から、祇園の牛頭(ごず)天王を勧請し、それが
素戔嗚命となったとのこと。
 
 宮座は集落ごとにあるので5つあるが今実動は4つ(4集落)で、
祭の時は2つの宮座建物に分かれてお供えを積み上げるようです。
10月の祭では、昔は舞殿で浪曲、萬歳などを奉納したが、
今はカラオケだけのようです。
大きな山車を163号線の道路まで引いて、また急な坂を登ってくるそうです。

 鹿畑町の住宅が増えたので、大晦日から元日は初詣の人出が多くなり、
宮司は朝まで境内におられたとのことです。

       風花や杜の大樫見上ぐれば    常朝

       行事表貼り替ふ宮司春近し    常朝

              (素戔嗚神社:クリックで拡大:以後同じ)
        (舞殿)
              (説明板)
              (行事表)
              (賽の神)

 その後、神社の北側の尾根道を車で進み、500メートルほどの右側にある
分水筒、さらに500メートルほどにある分水堰と農小屋、葱畑などを見ました。
分水筒や分水堰は、山からの水を、下の田に公平に分配するために
作られたコンクリート製の装置です。
3メートル以上もある分水堰は水が流れていませんでした。

       風冴ゆる分水堰に水あらず    常朝

       三面に割木積む小屋日足伸ぶ   常朝

              (分水筒)
              (池と畑小屋)

 分水堰からは高山町へ降り、自宅で昼食として「ほうとう」などをいただいて
解散しました。

 ここ数日間は雨模様でしたが、今日は寒風とともに日差しもあり、
雲間の青空から風花もちらほらと散って、春近いことを感じる一日でした。

2015年1月11日日曜日

204.奈良・正暦寺清酒祭から春日十日戎

「アカシア紀行・俳句」2015年1月10日(土)    前へ   次へ

 正月の十日戎の日、いつものメンバー6人で、
奈良・正暦寺の清酒祭から春日大社摂社の十日戎を訪ねました。

 9時すぎ、天理インターチェンジの入口のセブン-イレブンで集合し、
まず菩提仙川上流の正暦寺を訪ねました。

 9時半頃着くと、すでに寺の駐車場にはテントが張られ、
すでに清酒祭が始まっていました。

 今日は酒の仕込みと蔵元への引き渡しを行う清酒祭です。
30人位の人が集まっており、据え付けられた大きな甑(こしき:蒸し器)
からは、米を蒸す湯気が高々と寺山に上がり、
地面には葦簀(よしぅ)が6枚敷かれています。

 前回のアカシア紀行にも記入しましたが、正暦寺は清酒発祥の寺とされ、
寺領で採取された麹(こうじ:菩提もと)による清酒の酒母を
奈良の蔵元9社に配布しているようです。

 大原住職が、マイクで酒の仕込みの手順を説明されました。
酒は通常寒い時期に仕込みますが、ここは乳酸の殺菌力を利用して、
夏でも作れるようになったとのこと。

 そのうち6~7本の長い杵で、見学者も参加して餅搗きが始まり、
皆に、きな粉と餡かけの餅をふるまってくれました。
さらに、具の沢山入った粕汁もふるまわれました。

 蒸し上がった米が、葦簀の上に広げられ、数人の男女が、手袋の手で、
こまかくならしました。
10度以下に温度を下げて、別の大きな釜に、麹と乳酸の入った
水と共に入れ、発酵させ、酒母を作るとのこと。

 我々は次の予定があったので、釜に入れるのを見ないでお寺を辞しました。

       寺山に湯気高高と寒造り     常朝

       具の多き粕汁もあり清酒祭    常朝

              (正暦寺清酒祭テント:クリックで拡大:以後同じ)
              (甑(こしき))
              (飾り樽)
              (もちつき)
              (蒸米さまし)

 奈良市の東大寺南大門手前の夢広場のTEN-TEN-CAFEで昼食をいただき、
春日大社の佐良気神社(恵比寿神社)へ参道を歩きました。
参道には山上憶良の秋の七草の万葉歌碑があります。

  萩の花尾花葛花なでしこの花
   をみなへし藤袴また朝顔(桔梗)の花  山上憶良

              (山上憶良の歌碑)

参道では雌鹿がせんべいを欲しがっていたので、メンバーの女性は
売店で鹿せんべいを買いましたが、お金を払う前から、
鹿に背中などをつつかれていました。
勿論せんべいは、あっという間になくなりました。

 また今年来年は春日大社の20年毎の60回目の式年造替なので、
参道には桧皮寄進(1000円)の垂れ幕もありました。

 万葉植物園の入口では、神社の人々が笹を参拝者に渡しています。
笹は無料ですが、ぶら下げる吉兆(招福の飾り物)は1個300円以上と、
商魂たくましいようです。

 春日山中の佐良気神社に着くと、本殿の前の吉兆売り場には、
5~6人の福娘が、美しい巫女姿で烏帽子を被って、
参拝者に縁起物などを売っています。

 笹に吉兆を飾り付けたあと、参拝者に対して一人ひとり鈴を振ります。
吉兆をつけてもらったあと、春日若宮入口で甘酒をいただき、
春日大社を辞しました。

       吉兆買ふ春日の森によき日差    常朝

       福娘は大社の巫女よ良き鈴音    常朝

              (佐良気神社)
              (佐良気神社説明板)
              (吉兆売り場)


 その後、再び夢広場に戻り天平庵で小句会をしました。
三連休の始めの土曜日のためか、店がかなり混んでいたので、
披講はやめて早々に退散・解散しました。
一日中曇りの予報でしたが、午後は日差が戻り少し暖かくなり、
穏やかな恵比寿の日でした。

2014年12月14日日曜日

203.奈良・崇神天皇陵から正暦寺

「アカシア紀行・俳句」2014年12月13日(土)   前へ   次へ

 12月の快晴ながら冷えの厳しい事始めの日、いつものメンバー7人で、
奈良・崇神天皇陵から正暦寺を訪ねました。

 9時半前、天理インターチェンジの入口のセブン-イレブンで集合し、
169号線を南へ約6キロの崇神天皇陵の駐車場に駐車しました。

 ここは去年も訪ねていますが、今回は鴨とオシドリを見るのが
主な目的でした。(アカシア紀行182

 高い石段の上の拝所に立つと、陵の濠が見えますが、
あいにくオシドリは見えず、鴨が数羽悠々と泳いでいました。
左に小さな島があり、その周囲を鳰が一羽潜りを繰り返しています。

 石段の下には陪塚があり、「飛地は号」と名札がありました。
お墓なのに名前がなく、番号が付いているだけです。

 その後、陵の南側の道を東へ登りましたが、昔あったという竹炭窯もなく、
坂道の落ち葉でタイヤが滑って登れないので、砂防ダムの手前で
引き返し、正暦寺を訪ねました。


       流れゐる如きさざ波鴨の濠    常朝

       陪塚のぽっこりまるし冬日差   常朝

              (崇神天皇陵:クリックで拡大:以後同じ)        
              (陪塚)

 正暦寺も6年前に訪ねていますが、12月に来たのははじめてです。
                             (アカシア紀行51
 客殿手前の駐車場に車を留めて、まず客殿の土間に入りました。
扁額は「龍華樹院(正暦寺の院号)」とあります。
正暦寺は正暦3年に創立され、清酒発祥の地とされています。
 そばの菩提仙川から採れた菩提酛(ぼだいもと)と名付ける麹(こうじ)菌で、
お酒のもととなる酒母を造り、奈良の酒造会社数社に配布しているとのこと。
各社で作られた酒を、机に並べて販売されていたので、
メンバーがそれぞれ三諸杉や百楽門などの酒を買いました。

 その後、山手の本堂を訪ねましたが、電気柵などで囲まれており、
立入禁止となっていました。猪対策など保安管理上の理由があるようです。

 川の両岸に沢山ある南天や、橋のそばのタラヨウの赤い実を
見て駐車場に戻ると、二人の男性がいたので、庭の大きな樽状の
装置を尋ねると、酒をつくるこしき(蒸し器)とのこと。
ここで、お米を蒸して麹を加え、建物内の装置で酵母を加えて酒母を
作るそうです。各酒造会社は酒母をもとに、さらに麹などを加えて
独自の酒を造るようです。

       酒発祥の寺に酒買ふ事始め   常朝

       寺川の音やはらかき冬の水   常朝

              (正暦寺説明板)          
              (多羅葉の実)
              (菩提仙川の冬紅葉)
              (正暦寺客殿)
              (客殿玄関・酒販売所)
              (甑(こしき))

 169号線に戻り、勾田町南の「さと」で昼食をいたいた後、
ミカン狩りを期待して、天理観光農園と巻野内のみかん農家を
訪ねましたが、いずれも11月末に終わったとのことでした。
やむなく農家で「ゆず」などを買って、桜井の天平庵で小句会後解散しました。

 少し寒いながらも好天に恵まれ、広大な御陵の水鳥や山中の寺の
冬紅葉などを楽しめた1日でした。

2014年11月23日日曜日

202.奈良・月日亭、峠の茶屋から磐之媛陵

「アカシア紀行・俳句」2014年11月22日(土)   前へ     次へ


 小雪近い11月の快晴の日、いつものメンバー6人で、
奈良・春日原始林入り口の月日亭、峠の茶屋から磐之媛陵を
訪ねました。

 10時前、車で春日大社駐車場東の水谷神社の道を東へ入り、
料亭月日亭の入り口手前に駐車しました。

 あたりは高い木々に囲まれ、見事な紅葉が道を覆うようです。
そばを流れる水谷川(みずやがわ)の谷には、丸い太陽と
月を並べて彫った岩(月日岩)が暗い水面に影を映しています。
岩の手前の岸には、猪があばれたと思われる「ぬた場」があります。

 しばらく紅葉を眺めて散策後、県庁の東側から、
正倉院のそばを通って、1750円を払って奥山ドライブウエイに入り、
4キロ程の地道の先、柳生街道の「峠の茶屋」に行きました。

       月日岩黒黒写す冬の水      常朝

       原始林の道に華やぎ冬紅葉    常朝

              (月日岩:クリックで拡大:以後同じ)          
              (春日原始林の紅葉)
              (水谷川の標識)

 「峠の茶屋」は6年前の4月に訪ねました(アカシア紀行58)が、
70才位になった店主(男性)が今回もひとり、店番をしていました。
店先には床几(机)が2つあり、店先の竈(かまど)には
おでんの鍋が湯気を立てています。
屋根には右書きの峠茶屋の看板があり、軒には草餅と大書した
提灯がぶら下がっています。

 我々は6年前と同じように草餅をいただき、店主としばらく話しました。
ナナという犬は見えませんでした。

 店主は6代目で、跡継ぎがいるようです。
車では有料道路経由しか来られないので、ハイカーが時々立ち寄るだけ
ですが、最近の若い人は殆ど買ってくれないと嘆いていました。

 そのうち若い男女がきたので、お餅でも買ってあげてと
誰かが言ったら、床几に坐ってうどんを注文しました。
左手のマユミの木には薄紅色の実が付いていました。

       小春日や六代目てふ峠茶屋    常朝

       湧き水のおでん売りをり峠茶屋  常朝

              (峠茶屋)
              (真弓の実)

 しばらく散策後、旧ドリームランド前のココスで昼食をいただいて、
平城京北の磐之媛陵を訪ねました。
ここは3年前の5月も訪ねましたが、今は枯れ葉が
混じった睡蓮の葉が濠を覆っています。(アカシア紀行35アカシア紀行125
拝所から見える御陵対岸には山柿が沢山の実をつけて
水面に触れんばかりでした。
土手にはシャシャンボ(小小坊)の木が2本、小さいブルーベリーのような
食べられる実を多くつけています。
濠の岸辺を白い蝶が飛んでいました。

 御陵のすぐ南の水上池には、真鴨が10羽位、鳰が2、3羽、
樹の下に白鳥が一羽いました。時々鵜が飛んできたり、
鳰が忙しそうに水面を走り飛びしたりしました。

 真鴨の雄の頭は青いですが、そばに来てくれた雄一羽が
向きを変えると、冬の日差に頭がさらに青く輝きました。
自転車で来た男性が、先日カンムリカイツブリを水上池で見たが
今日はいないと教えてくれました。
首などは白く頭が黒いそうです。

       皇后陵濠の日差に冬の蝶    常朝

       急用のありしや鳰の走り飛び  常朝

 その後、奈良山の北の梅谷口の北の喫茶店「杏樹」で
小句会後解散しました。


 3連休の初日の好天にもかかわらず、
渋滞に巻き込まれず、静かな原始林の冬紅葉、峠の茶屋や水鳥などを
楽しめた1日でした。

2014年11月13日木曜日

201.吉野・桜木神社から龍門

「アカシア紀行・俳句」2014年11月11日(火)    前へ   次へ

 秋も深まる11月の好天の日、いつものメンバー6人で、奈良・吉野の
桜木神社から津風呂湖、龍門の吉野山口神社などを訪ねました。

 10時前、近鉄飛鳥駅東の飛鳥夢販売所で集合し、
169号線を吉野川に沿って上流の宮滝橋を渡り、
まず象川(きさがわ)ほとりの桜木神社に着きました。

 近江朝時代、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野におられた頃、
敵に追われて桜の木に隠れたという伝説のある神社です。

 象川の屋形橋を渡ると木々に囲まれた境内で、斜面に建てられた本殿の
左手前に高さ40メートルもの大きな神杉があります。

 境内の右手は狭いキャンプ場で休憩所があり、並べられた丸太の椅子には
キノコが沢山付いています。川幅は狭いですが大きな岩がゴロゴロして、
岩の間を澄みきった水が流れています。

 本殿右には山辺の赤人の万葉歌碑

「み吉野の象山の際(ま)の木末にはここだもさわぐ鳥の声かも」

があり、赤人が聞いた鳥の子孫でしょうか、
カケスがギャーというような声で何度も鳴きました。

 その内、一人の男性がブロア(木の葉を飛ばす)で、川向うの道の
落ち葉を掃除し始めました。


       象谷に一樹明るき銀杏黄葉    常朝

       懸巣鳴く桜植樹のある杜に    常朝

              (桜木神社:クリックで拡大:以後同じ)          
              (神杉)
             (休憩所)
              (山辺赤人の歌碑)
              (象の小川)

 しばらく散策後、吉野川・桜橋の平宗で昼食をいただいて、
169号線を東へ戻り、津風呂湖の自然公園を訪ねました。

 公園は、ダムの南側で東に駐車場、売店、釣り店があり、
土手から湖を見下ろすと、大きな桟橋に4、5人が
ワカサギ釣りをしていました。
秋の日差の中、割合よく釣れているようです。
青い湖を囲む山の緑に所々紅葉が見えます。

       寒釣の人よく動く日和かな    常朝

       山囲む湖青し冬紅葉       常朝

              (津風呂湖釣り桟橋:クリックで拡大:以後同じ)          
              (津風呂湖ダム)

 湖から北上して、平尾交差点を右折、龍門の吉野山口神社を訪ねました。
神社の説明板によると、江戸時代紀州の殿様が参勤交代の折、
ここに参詣したようで、吉宗公寄進の大きな燈籠が2基あります。
周囲は田や畑があり道は農道の拡張のようでいずれも狭い集落です。

 拝殿は割拝殿ですが、真中の扉は閉じられていました。
本殿は大きくはないですが、さほど古びておらず左右に孔雀の壁画があります。
右手にも別の摂社がありますが神名の表示はありません。

 右手の大杉の根元に雀蜂が巣を作っていたようで、
巣の後に砂利が置かれて、杉の落ち葉も掛かっていました。

 その後、北西0.5キロ程の菅生寺(すぎょうじ)を訪ねました。
竜門は菅原道真公の父母の土地で、道真公誕生地との伝説もあります。
本堂の壁には、歴代天皇の肖像が掛かっているとのことですが、
時間の都合もあり、今回は本堂参拝をせずにお庭だけを拝見しました。

 庭には仏像のほかに、菅公の「龍門寺に遊ぶ」の詩碑があります。
菅公が宇多天皇のお供で当時あった山上の龍門寺を訪ねた時の
詩です。しばし都の政務を忘れて遊んだ寺と自然を讃えた詩です。

       本殿の壁画に孔雀冬日差     常朝

       菅公の詩碑に山茶花龍門寺    常朝

              (龍門の吉野山口神社)
              (本殿)
              (菅生寺)
              (菅公詩碑の説明板)

 お寺を辞して、橿原市に戻り、橿原観光ホテルで小句会後、
解散しました。
芭蕉も訪ねた龍門の地名は聞いていましたが、
生まれてはじめて現地を訪ねることができました。