2015年2月1日日曜日

205.奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚神社

「アカシア紀行・俳句」2015年1月31日(土)    前へ  次へ

 1月最後の日、いつものメンバー3人(他のメンバーは欠席)で、
奈良・生駒市鹿畑町の素戔嗚(すさのお)神社などを訪ねました。

 10時すぎ、奈良の自宅に集まり、奈良先端技術大学院大学の北側から、
生駒市鹿畑町の素戔嗚神社に着きました。

 神社は、鹿畑町の北側のほぼ山頂にあり、境内からは
奈良の若草山が見えます。
説明板などによると、天正3年(1575)鹿畑町の鎮守として祀られたのが
始まりとのこと。

 素戔嗚命、大国主命、琴平明神、天照大神、春日明神、八幡神が
祀られ、愛宕神社もあります。

 石の鳥居をくぐった境内左手奥には小さな磐座(いわくら)が祀られ、
賽の神とあります。
賽の神の左手と鳥居の右側には宮座の(祭用の窓のない)建物があり、
中央には舞殿、右奥に社務所、奥に山車(だし)蔵もあります。
左手の石段上に拝殿と本殿があり、摂社を巡っていたら、宮司が来られて
石段下の掲示板の行事掲示を新しく変えられました。

 宮司のお話では、昔から東側山中に水神を祀っていたが、天正3年に
京都八坂神社から、祇園の牛頭(ごず)天王を勧請し、それが
素戔嗚命となったとのこと。
 
 宮座は集落ごとにあるので5つあるが今実動は4つ(4集落)で、
祭の時は2つの宮座建物に分かれてお供えを積み上げるようです。
10月の祭では、昔は舞殿で浪曲、萬歳などを奉納したが、
今はカラオケだけのようです。
大きな山車を163号線の道路まで引いて、また急な坂を登ってくるそうです。

 鹿畑町の住宅が増えたので、大晦日から元日は初詣の人出が多くなり、
宮司は朝まで境内におられたとのことです。

       風花や杜の大樫見上ぐれば    常朝

       行事表貼り替ふ宮司春近し    常朝

              (素戔嗚神社:クリックで拡大:以後同じ)
        (舞殿)
              (説明板)
              (行事表)
              (賽の神)

 その後、神社の北側の尾根道を車で進み、500メートルほどの右側にある
分水筒、さらに500メートルほどにある分水堰と農小屋、葱畑などを見ました。
分水筒や分水堰は、山からの水を、下の田に公平に分配するために
作られたコンクリート製の装置です。
3メートル以上もある分水堰は水が流れていませんでした。

       風冴ゆる分水堰に水あらず    常朝

       三面に割木積む小屋日足伸ぶ   常朝

              (分水筒)
              (池と畑小屋)

 分水堰からは高山町へ降り、自宅で昼食として「ほうとう」などをいただいて
解散しました。

 ここ数日間は雨模様でしたが、今日は寒風とともに日差しもあり、
雲間の青空から風花もちらほらと散って、春近いことを感じる一日でした。

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