2011年2月21日月曜日

118.深野、積田神社から九頭神社

「アカシア紀行・俳句」2011年2月19日(土)

 雪も止んで久しぶりの快晴の日、いつものメンバー6人で
奈良県宇陀市室生区の深野、名張市の積田神社などを訪ねました。

 深野は2008年、朝日新聞社の日本の里100選に選ばれた、日本有数の里山の
ひとつです。
近鉄大阪線三本松駅の北約2キロ、名阪国道25号線針ICの東約8キロにあります。
我々は針ICに9時頃集合し、白石交差点を左折して、残雪の山道を東へ6キロ
進んだ上笠間で右折して深野に入りました。

 深野は三方が山に囲まれた地形の大きな棚田のある集落で、ほぼ真ん中の
高台にある神明神社の4、5台分の駐車場に車を止めました。
本殿も境内も比較的小さいですが、そこから南に宇陀や名張方面の美しい山並み
が見えました。冬の夜明け前はときに「かぎろい」も見えるようです。

 神社の木立のある小さな丘には高野箒の枯れた茎と絮が沢山あり、
本殿のそばに蛭子神社の摂社があり小さな鈴がありました。
本殿右の集会所(長楽寺)の前の庭には「花橘」の蕾が沢山ついています。
青空にはうっすらとホウキ雲がかかり、飛行機雲が伸びていました。
集会所からたまたま女の人が出て、色々教えてもらいました。

 小原(峠?)地区のセカンドハウスに住んで、訪ねてきた深野が好きになって、
時々ボランテイアとして、お手伝いをしているとのことでした。
今日は林野庁の人も来て、地元とボランテイアの人たちが占地(しめじ)を
植えつけるとのことで、境内に松苗と瓶入りの占地菌が置かれていました。
6月にはササユリの花があちこちに咲くとのこと。
神明神社の秋祭りは10月で19日夜は火祭りとして各地域から松明を持って
集まるそうです。

        蛭子社の鈴音低き雨水かな      常朝

        鎮守社の木立高高雪解晴       常朝

       (神明神社:クリックで拡大:以下すべて)
       (深野の景色)


 深野から165号線へ出て名張市の積田(せきた)神社を訪ねました。
神社の由緒書によると、「つむたの宮」ともいい、767年、常陸の国の
鹿島大神(武甕槌命)が鹿島から奈良の春日大社に御遷幸の途中、留在された
霊跡で、神を乗せた白鹿の鞭の柿の枝を立てたら根がついて、今もある神柿の
大樹になったそうです。

 神社は165号線夏見交差点の東300メートル程にありますが、青蓮寺湖への道
から入った100メートルほどの参道には大きな乳垂れ銀杏もある立派な神社です。
本殿の裏側(北側)に注連縄を巻かれ、紙垂(しで)付きの縄で囲まれた
「神柿」が立っていました。(伝説通りなら樹齢1224年?)
幹が抱えられない太さの柿は生まれて始めて見ました。

 神社の森には藪椿がたくさん咲いて、つつじの苗が植えられていました。
脇を流れる名張川(供奉川)の右手上流に板橋があります。
我々は狭い道から板橋へ降りましたが、遠くに山も見える美しい谷川で、
雪解水が音立てて流れていました。

        神柿の注連新しき雨水かな      常朝

        宮川に板橋ありて雪解水       常朝

       (積田神社案内図:クリックで拡大:以下すべて)

       (やたらシッポの大きい狛犬)

       (積田神社拝殿)

       (神柿)


       (板橋)

       (名張川(供奉川))


 12時すぎ、神社から再び165号線に戻り、三本松の道の駅「宇陀路室生」の
レストラン「青葉の庄」で昼食をいただき、いただいた案内地図にある、
165号線北側の旧伊勢街道の宿場町跡を訪ねましたが、よく分からずに
通り過ぎてしまい、下笠間の九頭(くず)神社を訪ねました。

 室町時代に建てられた、水神タカオカミの神を祭る神社です。
古い石灯篭があり、大きなカヤの木や高い杉に囲まれた鎮守の森で、
石段にはパンジーと葉牡丹のプランターがありました。
その後案内地図にある永仁の磨崖仏を探しましたが、見つけることができず、
句会の場所とした針ICに戻り、イタリアン・レストラン「メルカートロッソ」
で小句会後解散しました。

       (九頭神社)

       (九頭神社の拝殿)

2011年2月4日金曜日

117.竜田大社、信貴山の節分会

「アカシア紀行・俳句」2011年2月3日(木)

 久しぶりに快晴で暖かくなった節分の日、いつものメンバー6人で
信貴山の節分会などに参拝しました。

 信貴山の節分会は夕方なので、午後3時に竜田大社で集合しましたが、
たまたま、竜田大社でも節分祭だったのでしばらく参拝しました。
境内には1.5メートル四方くらいの大きな護摩壇があり、100人くらいの人が境内
の護摩の前に行列してそれぞれ玉串をささげていました。

 竜田大社は7月の風鎮祭という風祭で有名ですが、拝殿右には高橋虫麻呂の

「山おろしの風な吹きそな 打ち越えて名に負へる杜に 風祭せな」

の万葉歌碑(万葉集1751)があります。

 玉串奉奠(ほうてん)が終わると、神官が本殿で斎火(いみび)を点火し、
蔭灯(かげとう)に入れて、護摩壇まで捧げ来て、別の神官が護摩に点火しました。
斎火は火打石で点火したとのことですが、巫女の舞や護摩に気をとられて
見落としました。
太鼓と般若心経の声の中、護摩の煙はもうもうと立ちあがり、そのうち炎が斎竹
(いみだけ)を超えるほど高く燃えました。

 参拝を終え、火が下火になった頃、拝殿の前で餅まきがあり、5,6人の男女
が100人位の人々の上に紅白の餅を撒きました。
我々も餅を数個ずつ拾うことができました。
甘酒をいただいた後、若い神官に斎火のことなどをお聞きしたあと、
信貴山に向かいました。
餅まきの終わった大社の駐車場は早くもがらすきでした。

        護摩の火の斎竹越せり節分会     常朝

        風祭る竜田の杜に春立てり      常朝

       (竜田大社節分祭の護摩:クリックで拡大:以下すべて)
       (燃えた護摩壇)


 信貴山の寺は朝護孫子寺といい、聖徳太子が蘇我氏と共に物部守屋を討った
とき、寅の年、日、時にこの山で毘沙門天が現れ加護があったので建立された
とされ、境内のあちこちに虎の像があります。

 お寺のある信貴山は生駒山系の南にある高さ430メートル程の山ですが、
お寺へは奈良側からは近鉄信貴山下駅、大阪側からは、近鉄信貴山口から
タクシーやケーブルがあります。
車では、国道25号線の三室から西へ県道236号線を約5キロです。

 我々は駐車場で500円を払って、奥の駐車場まで行きました。
山中には、本坊のほか、千手院、毘沙門堂、成福院、玉蔵院など多くの塔頭が
ありますが、大寅の像のある赤門から樹齢1500年のかやの木稲荷、成福院、
虚空蔵堂、経蔵堂をへて、本堂に登りました。
経蔵堂には回転する経厨子がありますが、子供たちが回そうと押しても動かず、
父親も入り一家総出でやっと回りました。

 本堂の前は狭いながらも高い舞台で、王寺町の街並みなどを見下ろせます。
本堂の中に入って青シートの上に座って待っていると、5時過ぎからの法要が
始まり、10人くらいの僧が太鼓と共に般若心経や観音経を上げました。
その後、豆袋を持った烏帽子狩衣姿の人が数人本堂内に入ると、本堂前の賽銭箱
を乗り越えて、青鬼、赤鬼が3、4人(?)本堂内に乱入しました。

 100人位の参拝者がいる狭い本堂内で、鬼たちに向かって、烏帽子組が豆を
打ち、大騒ぎとなりました。
私は豆を拾うのに気をとられて鬼たちの動作をよく見ませんでしたが、そのうち
毘沙門天が現れ、鬼達を本堂から追い出しました。
そのあと、お福さまという吉祥天が現れ、競って手を出す人々に福豆を配りました。
大騒ぎが終わった後、本堂の外の篝火のそばで毘沙門天やお福さまと記念写真を
撮る人たちもいました。
   
        山上の塔に陽光春立てり       常朝

        賽銭箱超えて鬼来し節分会      常朝

        本堂の鬼ともみ合ひ鬼やらひ     常朝

       (信貴山の大寅:クリックで拡大:以下すべて)

       (本堂への石段)

       (本堂の舞台より)

       (お福さま:吉祥天)

       (毘沙門天と赤鬼)


 6時すぎ、車で25号線に戻り、「さと」で夕食と小句会後8時半頃解散しました。

2011年1月15日土曜日

116.御所市吉祥草寺、子嶋寺、明日香・柏の森など

「アカシア紀行・俳句」2011年1月13日(木)

 松の内最後の日、いつものメンバー7人で奈良、御所市の
吉祥草寺、子嶋寺などを参詣しました。

吉祥草寺は、茅原(ちわら)の大とんどで有名な寺です。
634年役行者の誕生地で、舒明天皇創建、役行者が開基だそうです。
2度にわたり諸堂を消失、現在の本堂は1349年再建されたとのこと。
当時は東西4キロ、南北5キロの広大な寺だったそうです。
寺への途中城山など奈良の東の山には雪雲がかかり、
西の生駒は青空が見えていました。

国道24号線を奈良方面から南下し、御所市南の三室で右折、川沿いを
北東へ600メートル程の豊年橋を渡り、東へ1キロほどの、玉手交差点の
手前を左折すると吉祥草寺の参道で3、4台の駐車スペースが山門前に
あります。車を降りて、境内に入ると、本堂の前にすでに、
明日14日の大とんどの準備が一部できていました。

境内に、それぞれ直径1メートルほどのとんどの基礎が二つ組まれて
います。
それぞれ、太さ30センチほどの丸太が3本ずつ半分土地に埋められ、
太い藤蔓で縛られています。
この上に立てられる、高さ12尺(4Mほど)のジョウロ形の竹の大束が
そばに置かれていました。
広がった先には藁と茅(かや)の束がすでに埋めこまれています。

 住職が我々を本堂に案内し、本尊と4体の不動明王を参拝させて
くれました。
また小学校の講堂を移築した別堂に案内され、役行者や家来の鬼、
母の白専女(しらとおめ)、ここで勉学されたという弘法大師の
お像などを拝見しました。

お堂を出ると、大とんどの手伝いに来ている一人の80才位の地元の男性が、
色々説明してくれました。本堂に向かって右側が茅原地区の雌とんど、
左側が玉手地区の雄とんどだそうです。
昔、東寺田地区が雌とんどを維持できなくなったので、40年位前から
茅原地区が行うようになったとのこと。(星野さんのコメントにより一部修正)

 観音堂の縁にはまだ組まれていない茅原地区のとんどの藁が積まれ、
薬の石碑の前に沢山の青竹などが置いてありました。
役行者の産湯の井戸、腰掛け石、弁天池のほか、戦没の馬の塔や、
乳牛の碑、大椋の白龍大神の社などもあります。
筆塚には造花と生花の菊が供えてありました。


        城山に雪雲生駒は晴れてゐて     常朝

        筆塚の造花に混ぜて冬の菊      常朝

       (吉祥草寺山門:クリックで拡大:以下すべて)
       (本堂ととんど台)

       (五不動明王像)

       (とんどの写真:北谷氏寄贈)


 その後、御所市内のすし店「夢宗庵」で昼食をいただき、明日香の南、
高取町の子嶋寺に参拝しました。
子嶋寺は近鉄壺阪山駅の北東300メートルほどです。
奈良時代創建、現在は真言宗の寺ですが、国宝の両曼荼羅で有名です。
本物は国立博物館に保管され、本堂には複製の銅板がありました。
お寺の大黒さんと思われる女性が、本尊の大日如来や曼荼羅、
重要文化財の千手観音(今は博物館所蔵)などを説明してくれました。
山門は高取城の城門を移築したそうです。
庭にはすでに紅梅のつぼみが沢山ついており,山門外の冬木には
小鳥の古巣があったので取り下ろして見ました。

        香盤の灰整へて冬の寺       常朝

        山門は城門なりし梅ふふむ     常朝

       (子嶋寺山門)

       (子嶋寺本堂)

       (子嶋寺観音像)


 その後、明日香の栢の森へいき、地区で組まれたとんどを見ました。
勧請縄の雄綱、雌綱の先のやや広い谷で、左が田に所の凹みに
高さ5メートル程のとんどが組まれて先に注連縄がありました。
田の奥には猪垣があり、坂を登ると残雪がありました。

        組み上げしとんどの竹によき日差   常朝

       (柏の森のとんど)


 その後、栢の森の奥の加夜奈留美神社を参拝しました。
加夜奈留美の命は出雲の大穴持命の子女だったらしいですが、
訪れる人も少ないようで、本殿屋根に檜の実生があったり、
賽銭箱の屋根が苔むしていました。
おおきなカリンの木がありますが今は冬木です。
神社の脇の坂を登ると、棚田を見下ろす丘にでます。
九年母の実があったり、枇杷の花が咲き、土手には早くも犬ふぐりが
咲いていました。日陰の棚田には斑雪(はだらゆき)がありました。
帰りに飛鳥川勧請縄の男綱に立ち寄りました。
川には白い幣が落ちていました。

        飛鳥路の奥の棚田に斑雪      常朝

       (加夜奈留美命神社)

       (勧請縄の男綱)


3時半頃橿原に戻り橿原ロイヤルホテルの喫茶コーナーで
小句会後5時頃解散しました。

2010年12月13日月曜日

115.京田辺・一休寺から棚倉孫神社、流れ橋

「アカシア紀行・俳句」2010年12月11日(土)

 師走中旬のやや寒い日、いつものメンバー5人で京田辺の
一休寺から棚倉孫神社、流れ橋を訪ねました。

 京奈和高速道を田辺西ICで降りて、洛南の山手幹線を少し北上すると、
一休寺への案内板があり、左折すると50台くらいの駐車場があります。
10時前総門からゆるい坂を登り、拝観料500円を納めて境内に入りました。

 いただいた案内書によると、鎌倉時代建立の臨済宗の寺で、一休禅師が
康正年間(1455~)に再興、師恩に報いるために酬恩庵と命名したようです。

 受付のすぐ右手に菊の御紋のある一休禅師のお墓がありました。
一休禅師は後小松天皇の皇子といわれ、お墓は宮内省管轄とのこと。
さらに進んで右手の中門から庫裏と方丈を拝観しました。
中門わきには高いカリンの木が黄色い実をつけており、
庭には沙羅の冬木が数本赤肌を見せていました。

 庫裏は板敷で囲炉裏があり、炭火がおこされ、そばにカリンの実が
置いてあります。
方丈に渡ると広縁があり、立派な枯山水の庭に山茶花が咲いていました。
広縁のある方丈中央に一休禅師のお像が安置され、となりの部屋には
洞庭湖の描かれた襖絵が見えます。
廊下を左回りに巡って周囲の方丈庭園を拝見し庫裏に戻りました。

 のち、中門より北側(奥側)の本堂や老若の一休像、開山堂などを拝見し、
紅葉の残る回遊路を通って受付に戻りました。
ほうきを持った少年一休像は頭がテカテカに光っていました。
晩年の一休禅師をお世話した盲目の森女の遺跡などは、今回は見ることが
できませんでした。

        庭巡り戻れば強き囲炉裏の火    常朝

        一休像のまなざし強し冬紅葉    常朝

       (一休寺総門:クリックで拡大:以下すべて)

       (一休寺庫裏)

       (方丈庭園)

       (一休禅師像)


 三山木駅西のこぶや亭で昼食をいただき、22号線を戻って一休寺の
東500メートル程の棚倉孫神社(たなくらひこ)に参拝しました。
ここは秋の瑞饋神輿(ずいきみこし)で有名ですが、12月の今は、
境内社殿に神輿が置かれているだけです。
大小二つの神輿があり、いずれも屋根はずいきで葺かれており、
花や豆や麦などの作物で美しく作られた紐や壁で飾られていました。
拝殿右には山茶花の大樹が遥拝所の石碑の上にあり、痩せた狛犬に
時雨が降ってきました。
絵馬流し(絵馬掛けの台)には多くの絵馬が掛けられ、その屋根は
銅板で緑青がきれいでした。

        絵馬流しの屋根に緑青冬の杜    常朝

       (棚倉孫神社)

       (ずいき神輿(小))


さらに22号線を北上し、上津屋の流れ橋を訪れました。
流れ橋のそばには駐車場がないので、流れ橋交流プラザのある四季彩館の
駐車場に車を停めました。
四季彩館には売店やレストランもあります。
流れ橋はそこから東へ歩いて2、3分の木津川に掛かっています。
橋は木の板をつなぎ合わせたような作りで、幅2.5メートル、
長さ370メートルほどもありますが橋下の大方は枯野原です。
流れても復元しやすいように、すべての木板がワイヤーで
つながれています。
どこで、ワイヤーが留められているかと雨の中を歩いて探したら、
その端が中流のコンクリートの橋桁につながれていました。
つまり、流されると橋板はつながったまま川の真ん中の橋桁に
ぶらさがる感じになるようです。
去年10月の台風で流れた時の写真が掲示されていたので、
カメラで複写させてもらいました。

        枯野原一直線に流れ橋    常朝

       (流れ橋。手前は茶畑)

       (2009年10月台風18号で流れつつある流れ橋)

       (2009年10月台風18号で流れた流れ橋。横に長く見えるのが橋板)

      

そのうち雨は小止みになりましたが、3時頃に四季彩館から
木津川の東側を奈良方面に戻り、梅谷口の喫茶店「杏樹」で
小句会後解散しました。

2010年11月12日金曜日

114.奈良・天河弁財天社・円空観音堂からみたらい渓谷

「アカシア紀行・俳句」2010年11月11日(木)

 11月の日本列島秋晴れの日、いつものメンバー7人で奈良・天川村の
天河弁財天社・円空仏の観音堂からみたらい渓谷を訪れました。

 9時すぎ飛鳥夢販売所前で集合し、309号線から黒滝経由で天川・河合に、
さらに南下し赤い橋を渡って天河弁財天社(天河大辨財天社)につきました。
ここは役の行者が修行の地として開いたと伝えられ、弁財天、吉野熊野の神、
南朝四代の御霊などを祀っています。
また、天の岩戸を開く時アメノウズメの命が持って踊った五十鈴(いすず)と
同様の鈴が祭ってあるため、芸能の神として多くの芸能人が参拝しているようです。

 駐車場から境内に入ると、右手の低い山に頂上まで達するような大きな銀杏が
見事な黄葉を輝かせていました。
左手の社務所の右に石段がありその上に拝殿があります。
石段の途中左に5つの末社がありその前に「天石」というい奇妙な形の
1メートルほどの石があります。
説明によると、これは鬼を閉じ込める4つの天石の一つだそうです。

 石探しのあと拝殿に着くと右側に能舞台があり左側に大きな五十鈴が
吊られています。綱を振っても大きすぎて音が出ませんでした。
どんどんお金が入りますよう弁財天にお祈りしたあと、拝殿の裏側の石段を降り、
行者堂や天石を見て、黒木御所跡の碑に行きました。

        神山と高さを競ふ銀杏黄葉    常朝

       (弁財天拝殿へ:クリックで拡大:以下すべて)

       (社務所)

       (弁天池)


 南北朝の頃、このあたりに一時南朝の御所があったとのことです。
石碑の奥の芝の広場に供養塔があり、南北朝の御霊の和解の供養として
数年前建てられたようです。
そばに崩れた猪垣があり、山の湧き水がバケツに溜められ、横の穴から水が
飛び出ていました。桜や朴の木もあり、枯れ葉がまだ多く木に残っています。

        湧き水の飛び出る馬穴秋日差   常朝

       (黒木御所跡碑)

       (南北朝供養塔)


 のち、さらに南の栃尾の観音堂に行きました。橋を渡った細い道の奥にあり、
お堂の前に3台くらいの駐車場があります。
江戸時代の遊行僧円空が作った観音像などの木彫りの仏像が4体安置されています。
格子戸を開けて中に入り、さらに格子の内側の円空仏を格子の下にある電灯の
スイッチを押して拝見しました。
いずれも杉の木彫で中央の観音様は1メートル以上ありやさしいお顔でした。
左は弁財天立像、右は金剛童子、護法神像です。
俳優滝田栄の寄贈の額もありました。
お堂の左に銀杏の巨樹があり、円空が植えたとされて、樹齢320年以上とのこと。
きれいな銀杏黄葉がちらちらと舞い降りて屋根にもかかっていました。

        円空仏のおももちやさし銀杏黄葉    常朝
        一葉また一葉と散れり銀杏黄葉     常朝
 
       (栃尾観音堂)

       (円空聖観音像)

       (滝田栄の額)


 12時を過ぎたので河合に戻り、かどやでアマゴ塩焼きなど昼食をいただいた
あと、みたらい渓谷に行きました。
ちょうど紅葉の時期で、多くの観光客が車で来ていました。
渓谷を見上げる橋の上から上流の岩を見ると、インド人(多分)が一人、岩の上で
踊っていました。
4,5人の観光グループの一人のようで、紅葉のあまりの美しさに感動しているようでした。
橋の下の岩を滑り落ちる水が宙を飛んで滝つぼに着水しています。
紅葉の頃の訪問ははじめてなので、渓谷の美しさに感動しましたが、
俳句はほとんでできませんでした。

        岩走り飛ぶ水迅き紅葉かな      常朝

       (みたらい渓谷)


 3時頃渓谷を離れて、309号線を戻り橿原観光ホテルで小句会後5時頃解散
しました。天気と紅葉に本当に恵まれた吟行でした。

2010年11月1日月曜日

113.井上内親王墓から西吉野・立川渡の釈迦堂・八坂神社

「アカシア紀行・俳句」2010年10月29日(金)

 秋雨の日と台風14号の日に挟まれた秋日和の日、いつものメンバー6人で
奈良五條市の井上(いのえ)内親王墓から西吉野・立川渡の釈迦堂などを訪ねました。

 栄山寺のレストラン「よしのがわ」で9時半前に集合し、まず五条市・紀の川の
南・168号線の霊安寺町に、井上内親王ほかを祭神とする御霊神社に参拝しました。

 井上内親王は聖武天皇の皇女で、光仁天皇の皇后になった人ですが、
天皇を呪詛したという讒言(多分)にあって、773年皇太子他部(おさべ)皇子と
共に、今は五条駅前の須恵町にあった藤原家の没官の家に幽閉され、
2年後775年に皇子と同じ日にになくなったとのことです。
(その後山部皇子が即位して桓武天皇になった)

 その後、さまざまな祟りがあったので、霊を鎮めるために、
桓武天皇は800年お墓を改葬し霊安寺と御霊神社が建てられました。
この御霊神社は後に周辺に建てられた22の御霊神社の本社とのこと。

 神社はバス停「霊安寺」を東へ登った丘の住宅地にあります。
神社の縁起によると本殿は寛永14年建立らしいですが拝殿は割合新しいようです。
20メートル四方位の斉庭は木々に囲まれ、1、2本の木は薄紅葉でした。
左側の大きな切り株2つに、それぞれ万両と柊(ひいらぎ)が生えて、
ヒヨドリが鳴いていました。

        拝殿の屋根越し低き薄紅葉    常朝

       (御霊神社:クリックで拡大:以下すべて)


 その後、168号線丹原交差点の南を西に入り、井上内親王墓に参りました。
名前は「宇智陵」となっていますが、御陵の周囲は広い柿畑です。
右隣は北田農園という柿農家で柿の直売をしていました。
御陵の生垣に柿直売の旗が立っています。
そのご主人はお墓の衛士でもあり、御陵に関する資料をいただきました。
御陵の農家側に衛士小屋があり、大正ガラスの窓が開いており、
落ち葉を掃くブロアーが置いてありました。
それぞれ柿を数キロずつ買ってから、御陵南方の吉祥寺を訪ねました。

        陵に柿直売の旗揺れて      常朝

        幽閉の后の墓に小鳥来る     常朝

       (井上内親王墓)

       (井上内親王墓)

       (柿農家)

 吉祥寺は真言宗の寺で、いただいた縁起書によると、柴水山(しばしさん)
ともいい、三大「毘沙門天出現霊場」の一つで、弘法大師が高野山の鬼門にあたる
この地に毘沙門天を祀ったのが起源だそうです。
昔は16も塔頭のある大寺でしたが、明治の排仏運動で、護摩堂(現本堂)、
鐘楼、庫裏のみが残ったと、縁起をいただいた住職からお聞きしました。
真言宗は檀家がないので、住職一人が寺の維持に努力されておられるようです。
庭の剪定も作務衣姿一人でとのこと。
 小さな山門を入った境内には数本の薄紅葉があり、本堂前には、
弘法大師が毘沙門天を拝したという護摩壇のような四角い植え込みがありました。
庭には、檜葉宿り木が枝についた珍しい椿や、モミジアオイなどさまざまな
草花の切り株がありました。
本堂裏には半鐘があり真言修行僧に食事など時間を知らせた鐘だそうです。

        山門は頭すれすれ薄紅葉     常朝

       (吉祥寺山門)
       (吉祥寺本堂)


その後、五条新町の和食レストラン「源兵衛」で昼食をいただき、
西吉野の立川渡を訪ねました。
ここは、先日NHKで放映された古い釈迦堂のある地区です。
車では、168号線を南下し、賀名生の南、宗川野で49号線に入り、1キロ程
立川渡郵便局の南の橋を渡ります。
釈迦堂は4間四方位の吹き抜きのトタン葺きの平屋ですが、
その奥に格子の檀があり、中に十一面観音が3体安置されています。
我々が着くとまもなく自治会長さんが車でこられたのですが、
順天堂大学の先生が来られたと勘違いされたようです。
会長さんによると、この堂は、昔、山の上にあった10軒以上の部落が、
疫病で全滅したので、この地域の村が合同で、移築したとのことです。
中の古い観音像は立派な彫刻なので、文化財指定の調査もされたのですが、
年代が不明で、現在は無指定だそうです。
中央は薬瓶、右は蓮の花瓶、左はひょうたんのような物を持った
立像ですがいずれもやさしいお顔です。

        吹き抜きの堂に古佛や秋深し   常朝

       (立川渡の釈迦堂)

       (釈迦堂の観音像)


そのあと左手の坂を上り、急な石段の上の八坂神社に参拝しました。
自治会長さんと後で来られた総代の人が、高く見える梢は大杉ですよ
と言われたのですが、石段下からはさほど大杉には見えません。
しかし石段を登ってそばに寄ると、周囲4メートルほどの巨樹でした。
走り根も巨大でした。

        走り根の上に走り根秋澄めり   常朝

       (八坂神社)
       (八坂神社のそばの人工滝)


釈迦堂で戻るともう一人の人が来ていてお堂の説明資料プリントを
見せてくれました。

 のち309号線経由で戻り橿原観光ホテルで小句会後6時すぎ解散しました