2019年9月29日日曜日

286. 奈良・梨山から阿田峰神社 

「アカシア紀行・俳句」2019年9月26日(木)    前へ   

 千葉に大停電を与えた台風15号が去って、秋らしい好天の日、いつものメンバー4人で7年ぶりに奈良・大淀町の阿田の梨山の直売店・明生園を訪ねました。(参照:アカシア紀行157) 

 奈良からは、吉野への国道169号線で大淀町桧垣本交差点を右折、車坂峠を超え花吉野カントリークラブを横切って約500メートルの梨店・青玉園の先の三叉路を左へ西南約500メートルほどの梨店(山の家)です。

 店前4、5台の駐車場に駐車させてもらい、梨山の中を見せてもらいました。
数十年ぶりに入る梨山は、昔と違い、散水用のホースが、約50センチ間隔の針金棚に沿ってめぐらされており、蝉は飛んでおらず、梨の木にあった雀の担桶(スズメノタゴ:イラガの繭)も見えません。刈られていない場所には、ヌスビトハギ、ネコジャラシなどが生えて蝶が飛んでいました。

 お店に戻って、梨を頂いてから、ご主人Hさん(86才、母の従兄弟の子)と久しぶりに話しました。
私の祖父は雷を恐れて避雷針を山の家(この店の数10メートル東にあった)に立てたのですが、若い頃Hさんが梨を手伝いに来ていて雷が近づき、部屋の真ん中に叔父達と3、4人集まって避難していたら、避雷針に落雷し、ものすごい音と光とショックで皆が倒れたそうです。怪我も被害もなかったようですが、避雷針があるとかえって落雷しやすいそうです。

 梨山にいたら、昔母から、祖母が結婚前の若い頃梨山の藪でツチノコを見たと聞いた話を思い出しました。今もその藪は梨山の北側にあります。太い蛇を見間違えたのかもしれませんが。

 注文していた梨のうち2箱を車に積んで、西へ進みました。
途中、阿田出身の童話作家・花岡大学の童話碑を見学して、海軍飛行場のあった新田に行き、阿田峰神社を訪ねました。

     (梨山)            (梨山の道)


     (梨山の家)          (梨山の道路)  


        梨園の針金枠に秋の空       常朝  

        つちのこの出しといふ藪葛嵐    常朝  

 小さい本殿の右脇に、モグラの掘り返した土、土竜塚が3,4個あり、サンゴジュが咲いていました。万葉歌碑のそばでは萩の花がきれいに咲いて風にゆれており、金剛山が黒々と稜線をくっきりとさせていました。境内の内外にはメナモミが棘のある青実をいっぱいつけていました。

     (花岡大学童話碑)       (童話碑説明板)


     (阿田峰神社)         (万葉歌碑)  



        めなもみの実に囲まれて阿田の杜   常朝  

        金剛山稜線強し秋の雲        常朝  

しばらく境内と近くを散策のあと、桧垣本の寿司店和好で遅い昼食をいただき、橿原神宮駅で解散しました。

 秋らしい天気に恵まれ、秋風の梨山と阿田の高原をゆっくり楽しめた一日でした。

2019年8月29日木曜日

285. 奈良・九品寺から一言主神社

「アカシア紀行・俳句」2019年8月28日(水)    前へ   次へ  

 猛暑が去って天気予報が一日中雨の日、11年ぶりにいつものメンバー4人で奈良葛城の九品寺を訊ねました。
奈良からは、天理街道(169)-中和幹線-葛本町東-165号線高架-大田南-山麓線南約5.5キロです。

 雨模様だったので寺には入らず、法師蝉の鳴く九品寺道の広場から番水時計を訪ねました。
東大寺管長だった清水公照(沙波)の歌碑もあります。
寺のすぐ下を通る九品寺道は葛城古道であり、一言主神社へ歩けるようです。
田の水を公平に配分するための番水時計は道の駐車場の北側約30メートルにあります。
すぐ下に、田への水を南北に振り分ける分水堰があり、そばには土嚢が2つ置いてあります。
時計の下に書いてある時間がくれば、土嚢を堰の一方に置いて水の流れを変えるのでしょう。

 番水時計のやや下には無花果の青い実や柘榴の赤い実も見えます。
数メートル下にも分水堰があり、その間の田には稲の花が咲いています。
蓮田にはピンクの蓮が咲き、実が沢山付いていました。
麓を眺めると大和三山が見え、右には吉野の山々が美しく見えました。

     (九品寺道の広場)                (そばの小川)


     (清水公照歌碑)                  (番水時計)  


        蓮の実や九品寺道に風来たる     常朝  

        稲の花番水時計に時間表       常朝  


 九品寺道の眺めを堪能してから、1キロほど南の一言主神社を訪ねました。
ここもほぼ10年ぶりです。杉並木のの参道を通り、石段を登ると大きな銀杏があります。
庭にはムクロジの木が少しですが実を落としていました。

 本殿の左手奥には、芭蕉句碑 

        なほ見たし花に明けゆく神の顔      があります。

 一言主神は顔の醜い神様とのことで、芭蕉が見たかったのでしょう。
また仁徳天皇の皇后「磐之媛」の父襲津彦(神功皇后時代、新羅に派遣された)にちなんだ
万葉歌碑

 葛木の其津彦真弓荒木にも 憑めや君がわが名告りけむ   万葉集巻11

もあります。
 本殿の瓦が悼んだので、9月9日ご遷座して屋根の葺き替えをするため
高い足場が本殿の右に建てられています。後の高い木々から法師蝉が聞こえます。
ムクロジの黒い実をひとつ拾いました。

      (一言主神社)                  (足場と無患子の木)  


(大銀杏)                        (芭蕉句碑)


(碑歌せつひこ)                     (一言主神社説明板)


        無患子の実に想ひたり神の顔     常朝  

        ご遷座の足場高高つくつくし     常朝  

その後橿原観光ホテルで昼食をいただき解散しました。
雨模様の一日でしたが我々が外にいる間はほとんど傘が要らないほどでした。
久しぶりに葛城の山麓を楽しんだ一日でした。


2019年7月16日火曜日

284. 奈良・奥田の蓮池(捨篠池)   

「アカシア紀行・俳句」2019年7月15日(月)    前へ   次へ 

 梅雨の合間の曇りの日、いつものメンバー4人で奈良・大和高田市奥田の蓮池を訪ねました。
奈良からは、天理街道(169)-中和幹線-165号線-高田市から24号線の新庄町・南花内交差点の東1.5キロです。

 この蓮池は吉野金峰山寺・蔵王堂の蓮華会に供えられる、蓮の花を摘み取り送る行事が毎年7月7日に行われ、我々も10年前、3年前に訪ねました。  参照:アカシア紀行89
今回はメンバーの都合もあり、行事後の池とその周囲を訪ねました。

 地元の人に教えてもらい池のそばの駐在所の北側の防災倉庫前に駐車し、池の周囲を散策しました。蓮取り行事の旗があちこち残る池は100メートル四方ほどで、その東半分は蓮ばかりで青々としています。まだ花がぽつぽつ残り、いくつかの青い蓮の実は光る露を載せ、若葉は緑の阿闍梨笠のように長く巻いて心地よい風にゆれていました。
 
 この池には役行者の母(刀良売)が池の蛙に篠を投げると蛙の目に当たって一つ目蛙になり、それを気に病んで亡くなったので、後に役行者が供養のお堂を建てたなどの言い伝えがあるようです。役行者はこの池の南西100メートル位の福田行者堂のそばで生まれたとのこと。

 蓮の実のお守りを買おうと近くの善教寺を訪ねましたが、行事の日と違って庭には誰もいず、本堂のお経が聞こえるだけでした。そばの小川では以前見た大田螺は見あたりませんでした。

 寺から戻ると、他のメンバーが、捨篠神社(弁天神社)の御手洗石にボウフラ(孑孑)がいると教えてくれ、しばらくボウフラを見ていました。
帰り道に、池から北西250メートルほどの刀良売の墓を車から拝見しました。

     (捨篠池)                       (蓮取り説明板)


     (捨篠神社(弁天神社))               (民話伝承碑)  
 


     (善教寺)                      (刀良売の墓)



        蓮の花ぽつぽつとある青世界     常朝  

        蓮若葉風に緑の阿闍梨笠       常朝  

        手を振りて孑孑ここと教へらる    常朝  


 その後、京奈和自動車道のある24号線を北上、165号線から橿原観光ホテルで昼食とコーヒーをいただき、2時すぎ、橿原神宮駅で解散し、奈良へ戻りました。

 梅雨の合間の曇り空で暑さはなく、池には蓮の青葉の風もあり、のんびり静かな一日でした。

2019年6月15日土曜日

283. 奈良・弘仁寺のちまき会式   

「アカシア紀行・俳句」2019年6月13日(木)    前へ   次へ  

 梅雨が近い晴天の日、いつものメンバー3人で奈良市・虚空蔵町の弘仁寺・ちまき会式を訪ねました。奈良からは、天理街道(169)の天理ICの北、窪之庄南を東へ左折して数キロです。
昼前だったので、桜井市の千寿庵でそうめん定食を頂いてからお寺を訪ねました。

  弘仁寺は平安時代の弘仁6年(615年)嵯峨天皇が建立されたという話と、弘法大師がこの山に落ちた流星:明星を見て建立したという話があるようです。
本堂右手には、本尊虚空蔵菩薩の化身「明星菩薩」を祀る明星堂があります。
寺山である虚空蔵山に少し登ると深い青葉の木立で、ホタルノオバサンという茶色の蛍が飛んできました。

 ちまき会式は毎年この頃、弘仁寺の本尊・虚空蔵菩薩に地元で作った粽(ちまき)を供え、自然の恵み、家内安全などを祈る行事です。

 13年前粽会式を訪ねたときは、地元の女性が集まり粽を作っているのを拝見できましたが、今回は、すでに出来上がった粽(束になった黄金粽)が、納屋の軒の青竹に並べて掛けてありました。
それを拝見に、庫裏の裏庭に入らせてもらいましたが、以前2、3度訪ねているので、
納屋や寺畑の風景がなんとなく懐かしく、昔庭と畑のあった母の生家を訪ねたような気持でした。

    (弘仁寺)                                       (護摩の忌竹)


     (黄金ちまき)                                        (明星堂)  


      (明星堂の奉額)                                               (虚空蔵山の山中)

   本堂を見上げる寺庭にはすでに結界の竹に囲まれた護摩壇が作られていました。
我々が着いた1時頃は、参拝者はまだ3,4人しか見えず、午後2時から護摩法要が始まっても、参拝者は10数人とカメラマン5.6人だけでした。
13年前訪ねた時は人が一杯で、粽の追加が必要だったのとは大違いです。
護摩法要を待つ間に、厄払いの黄金粽とは別の本物の粽をいただきました。

 本堂で虚空蔵菩薩に粽を供える法要、読経のあと、僧が2人庭に降りて護摩壇を囲む忌竹に入ったあと、一人の僧が、本堂から火を点けた竹竿を運んできて、護摩壇に点火しました。

 護摩壇の前に坐ったご住職が、虚空蔵菩薩への願文を読み上げました。
家内安全、無病息災、五穀豊穣などの祈願のようでした。
最後の日付を読んだ時、平成元年6月13日と読まれましたが、誰も気がついていないようでした。まさか元の願文に令和を平成と書くはずがないだろうと思います。

 そのあと、2人の僧の般若心経読経のなか、ご住職が呪文を唱えながら、順次、両手に護摩木を数本ずつ持って、頭の上から護摩壇へ勢いよく投げあげました。
別の寺男らしい人が、檀家が持参した古い粽の束などを護摩壇に投げ入れていました。

 護摩法要が終わったあと、ご住職が挨拶を兼ねて短い法話をされました。
以前と比べて参列者が少なくなったこと、檀家などを訪ねたときも、お経だけでなく
本を沢山読んでその中から関連する短い法話をするようにしているとのお話でした。

 その話の中には前の戦争の話もあり、海軍の殆どの空母や戦艦が撃沈されたなかで、
駆逐艦「雪風」が最後まで無事で終戦を迎えたとのことでした。
平和を願うご住職の心が、若い世代にどのように伝わるかは多少心配ですが。

  (護摩の願文奉読)                                             (護摩壇の法要)


      (桜井の千寿亭)                                       (植村牧場の喫茶店いちづ)



        庫裏の庭どこかなつかし青葉かな    常朝  

        粽会式頭の上から護摩木投ぐ       常朝  

        夏の法話駆逐艦雪風も出て        常朝  


 3時ころ、奈良へ戻り、奈良坂の植村牧場の喫茶店でケーキとコーホーをいただき解散しました。
6月にしては天気に恵まれ、虚空蔵山の深い青葉のなか伝統ある行事をゆっくり拝見できました。

ただ、伝統ある宗教行事に参列者が減っているのと、戦争を知らない政治家たちが威勢よく武力で領海・領土を守れというのとは、どこかでつながっているような気もします。

2019年5月16日木曜日

282. 奈良・下市のシャクヤクガーデン   

「アカシア紀行・俳句」2019年5月15日(水)    前へ   次へ

 風薫る5月中旬の好天の日、いつものメンバー3人で奈良・下市町のシャクヤクガーデンを訪ねました。
奈良からは、桜井市の阿部交差点を南下、岡寺駅前から169号線を吉野川(紀の川)沿いに、上市駅南の桜橋を渡って、まず平宗で腹ごしらえをしました。子持ち鮎うどんと柿の葉すしをいただきました。 窓から川をみると鳶が舞っていました。

  (平宗の句額:秋櫻子)
  (高き名の鮨あり鮎の吉野川)              (平宗から見た桜橋)


桜橋を戻って右折し小橋の草餅を買い、千石橋を渡って右折、栃原のシャクヤクガーデンに着いたら12時半頃でした。

 このあたりは昔生家の持山があって小学生の頃祖父と薪とりに大八車を押して登ったところです。
生家からは今は舗装された役場の北側の坂道を登りましたが、今回は千石橋南から2車線の道があり、案内の旗に沿って3キロ程南へ走ると簡単に着きました。

 シャクヤクガーデンは南北200メートル、東西50メートル程の細長い土地におがくずのようなチップが敷かれ、何十もの畝に芍薬が咲いています。
園に入ると作業小屋のような建物に受付があり、入園料500円を払うと、それぞれに鋏と水の少し入った花模様のバケツを渡され、20本までは切り取りができるとのこと。
芍薬は花として売らず、根を漢方薬の薬剤(鎮痛剤?)として売るそうです。薬草の当帰の苗も売っていました。

 我々も、他の数組の入園者と同様、柔らかい畝間の道を歩いて、先に蕾のある芍薬を鋏で切り取りました。
そばでゆっくり芍薬を見たのは初めてで、直径7~10センチ位の花に花びらが2重に10枚位ついています。
花は赤、ピンク、白ですが、それぞれ色に濃淡があり、変化があってきれいでした。
並んだ葉から花の茎が少し突き出て見えるので、「立てば芍薬、坐ればボタン、歩く姿はゆりの花」という、美人の例えがわかるような気がしました。
(腹の立ちやすい人には芍薬をという意味もあるらしいですが)

 花(蕾)を切っている間にも蛙がコロコロと鳴きました。
それぞれ20本をバケツに入れ、別のテントに持っていくと、2人の女性が、新聞紙に花束として包んでくれました。

      (シャクヤクガーデンのテント)                               (シャクヤクガーデン)


     (当帰の苗)                          (芍薬の花)
        柿の葉寿司食へば川面に鳶舞へり   常朝  

        芍薬の花重たげに山の風       常朝  


 1時過ぎ、千石橋へ戻り、岡崎交差点を西へ左折、紀の川の取水場を訪ねました。
ここは昭和49年(1974年)大和平野に水を送るために完成した農業と上水用の取水場です。
鮎の解禁まではまだ2週間ほどありますが、取水場の魚道の上には青鷺がしばらく立っていました。
上空には鳶が舞っていたので、取水場には何か魚がいるのでしょうか。

     (吉野川取水場)                                     (十津川紀の川開発説明板)


        導水場たぎる水音青葉風       常朝  

        導水場堰に青鷺凛と立つ       常朝

 しばらく美しい川と取水場を眺めたあと、奈良に戻り、東大寺東の天極堂でコーヒーをいただいて3時頃解散しました。
 天気に恵まれ、青葉風のなか、花ときれいな川を楽しめた一日でした。


2019年5月6日月曜日

281. 奈良桜井市・細峠から竜在峠

 「アカシア紀行・俳句」2019年5月5日(日)      前へ    次へ

 5月の天気に恵まれた子供の日、奈良・桜井市の細峠から竜在峠を訪ねました。
 細峠や竜在峠は、江戸時代、芭蕉や本居宣長が吉野を訪ねたとき登った峠です。
竜在峠については、亡くなられた元帝塚山短大名誉教授の猪俣静弥さんの短歌額が家にあるので、 前から一度登ってみたいと思っていました。
 猪俣静弥さんの短歌(竜在峠三首)は

  枝うちの梯子は道にくさりつつ竜在峠にふる杉の雨
 かたくなを常におろかにつらぬきて今日在りさまよふ竜在峠
  残る生にさびしくならばこの山に来む二度三度いく度も来む     です。    

 奈良からは車で約1時間半で桜井市の南の鹿路につき、最初竜在峠をと、旧トンネルの北入口に駐車しましたが、 龍在峠への広い道は通行止だったので、やむなく車の通れない狭くて急な舗装路から細峠をめざしました。  

 山吹の咲く急な坂道を約10分のぼると舗装路はなくなり、土と岩の道を約10分で細峠に着きました。 そこには高さ1メートルほどの

   ひばりより空にやすらふ峠かな

の芭蕉の石の句碑があり説明板がありますが、殆ど読めませんでした。

     (細峠への道:クリックで拡大:以下同じ)     (芭蕉句碑(ひばりより空に))


     (句碑の説明板)                  (細峠の案内標)


           (そばにある五輪塔)

        耳元に頬白聞きて細峠        常朝    

 そこを右に進むと、青草が周囲に生えているなだらかな道で、ホオジロらしい鳥の声が聞こえ、 途中急坂もありましたが、細峠までの道より歩きやすい道を約1キロ進むと、峠に出ました。  

 龍在峠という標識が見当たりませんが、スマホの地図によると すぐ近くに竜在峠のマークがありました。(国土地理院の地図では海抜752.3メートル) 峠の頂上への道がないので高さ20メートル位の丘を見上げるだけにしました。

  近くの小高い丘への道があり、その最高点で休んで茶を飲みました。 北西の明日香の山の間に二上山(葛城市)が見え、その左に畝傍山らしい山が見えました。

  その後、休憩所のあるという北側の道を探しましたが、北側は急な崖のようで、見つけることができませんでした。
(あとでわかったのですが、冬野へと鹿路への交差点が「竜在峠」で見晴らしは良くないようです。城ヶ峰の三角点まで崖を登って南東から北へUターンしないと北側の竜在峠へ行けないようです。そこから北東、鹿路方向に休憩所があるようです)

  南への道には、マムシグサや竹煮草が緑の葉を伸ばしていました。 芭蕉の句のように、北側のやや下方の青葉の山から雲雀のような鳥声が聞こえました。

    (細峠から竜在峠への道)             (まむし草)


    (竹煮草)                    (休憩した竜在峠近くの高所)



        風薫る竜在峠に竹煮草        常朝

       竜在峠青葉に見たり畝傍山      常朝

  結局、休憩所はあきらめて細峠に戻り、10分で鹿路のトンネル入口に戻り、通行止めのある竜在峠への道の シャガの花を見てから、3時半奈良へ出発しました。  
今回は、生まれてはじめての細峠が収穫でしたが、27年ほど前の猪俣さんの歌にある梯子はさすがにありませんでした。
いつか冬野からでも再び竜在峠を訪ねたいと思いました。

追記:猪俣静弥さんは2009年亡くなりましたが、運河支部・大和句会の私の先輩・猪俣洋子さん(2011年没)の夫です。いつも句会の隣席におられた洋子さんの句には、2004年7月大岡信の「折々のうた」(朝日新聞コラム)にとりあげられた句、
   紙の幡(はた)仏飯に立て施餓鬼舟         があります。