2010年7月20日火曜日

107.朱智神社から近衛基通公墓、王竜寺

「アカシア紀行・俳句」2010年7月13日(火)


 梅雨明け近い雨模様の日、いつものメンバー7人で京田辺の朱智神社に吟行しました。
朱智神社は、京都と奈良の県境にある京田辺市・天王の山中にある神社です。
車では、京阪奈自動車道の精華下狛ICから南0.5キロ、西へ2キロの水取から
普賢寺小学校の北側の道をさらに西へ1キロほどにある天王バス停、さらに
西へ狭くて急な坂道を300メートルほど登ると駐車場があります。

 朱智神社は奥深い山地にあり、高い杉などの木々がうっそうと茂り、
いかにも神様のおられる山のようです。
たまたま居られた宮司からいただいた案内書などによると
仁徳天皇のころ創建され、神功皇后の祖父「迦爾米(かにめ)雷命」や
素戔嗚(すさのお)命、牛頭(ごず)天王などを祀っています。

 13日はこの神社の(元祖)祇園祭の宵祭りのため、宮司のほか3人の人が
社殿や境内を掃除されていました。
宮司の話では、平安時代清和天皇の頃、京都の八坂神社へ牛頭天王を移し、
祇園精舎を守ったとされる牛頭天王を祭る祇園祭のための「榊遷し」を
毎年行っていたがある年疫病のため都に入れず、それ以来中止とのことです。

 雨模様のなか、本殿にお参りし境内を拝見しました。
100段もあろうかと思う石段の下の方の耳石には、案内書のとおり、
永正4年(1507)などの銘が彫られていました。
宮司から祇園祭の粽(ちまき)を宵祭りの前だが分けてもよいとのことで、
帰りに中川家に立ち寄り、厄除け粽を分けていただきました。

        耳石に永正年号杜青葉       常朝

        撫で牛を撫でり薮蚊を払ひつつ   常朝

       (朱智神社:クリックで拡大:以下すべて)
       (本殿蛙股の絵)


 そのあと、水取に戻り、京阪奈道の北側の自動車教習所の手前(南)の
関白「近衛基通公」の御廟を参拝しました。
源平時代の関白で、隠居後この地に住んだので近くに公家谷という
地名もあります。

       (近衛基通公の御廟)


 のち、三山木駅手前のこぶや亭で昼食をいただき、
水取から打田への農道わきにある炭焼き窯跡を見ました。
そばの植田では稲が30センチ位に伸びており、つばめが飛んで
浮草が雨に打たれていました。


        県境の谷田をかすめ夏燕     常朝

        雨の水輪田の浮草を揺らさずに  常朝


 その後、打田経由で奈良市二名町の王竜寺を訪ねました。
王竜寺は黄檗宗の禅寺ですが、広い社地の一部を飛鳥カントリーゴルフ場に
譲ったとのことで今も深い森の中の寺です。
本堂の中に摩崖仏がありますが、中へは入れませんでした。
苔の庭には本堂の屋根から雨雫がしきりに落ちていました。


        苔庭に雫の穴や梅雨の寺     常朝

       (王竜寺本堂 2008年3月撮影)

       (王竜寺のヤマモモ 2008年3月撮影)


夕方メンバーの奈良の家で小句会後解散しました。

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