2011年10月3日月曜日

136.伊賀上野城、鍵屋の辻、蓑虫庵から国分寺跡

「アカシア紀行・俳句」2011年10月2日(日)

 10月始めの秋らしい天気の日、いつものメンバー7人で伊賀上野を
訪ねました。
名阪国道(25号線)を天理から東へ約40キロ、上野ICで降りて北上し
西大手で右折、上野西小学校の北側にある駐車場から城跡を歩きました。

 上野城は城作りの名人といわれた藤堂高虎が
戦国時代織田信雄、筒井定次らが建てた城を改築した城ですが、
江戸時代は天守閣がなく、明治時代解体されたのを、昭和10年模擬天守が
建設されのちに国の史跡になったようです。

 天守に近づくと、和太鼓が聞こえてきました。
たまたま城まつりの2日目で、舞台で和太鼓の演奏中でした。
間をおいて忍者などのコスプレ行列など賑やかでした。

 我々は真っ白な天守に登らず、奥の堀端まで歩き、日本一高いという、
石垣などを見ました。鴨はまだ来ていませんでした。
母に連れられた幼子が拾った団栗を両手一杯にして見せてくれました。

        天守閣の白透きとほる天高し     常朝

        城跡の団栗両手に見せくれし     常朝

        鴨来るを待ちて静かな城の濠     常朝

        (伊賀上野 城まつり:クリックすると拡大:以下すべて)

        (城の濠と石垣)


 のち本丸北側の俳聖殿に行きました。
俳聖殿は昭和17年芭蕉生誕300年を記念して私財で建設された檜皮葺きの
2層の八角堂で、上の屋根は八角でなく、芭蕉の笠を模した丸屋根です。

 入口の芭蕉祭の句額(去年の分)を見ていたら、年配の人が出て来て、
中へ案内され、建設の由来や芭蕉の話を色々してくれました。

 芭蕉祭の代表句を数十句載せた句額は昭和21年頃からの分が、
中に掲示されています。
中央の壇には、お弟子さん達の絵から顔を復元したという伊賀焼の
芭蕉翁坐像があり、芭蕉俳句を読み込んだ歌が流れていました。


        秋深し芭蕉像聞く俳句の歌      常朝

        (俳聖殿)

        (芭蕉翁像)


 のち、城の西約700メートルの鍵屋の辻に行きました。
鍵屋の辻は有名な、荒木又右衛門と渡辺数馬の仇討ちの場所です。
辻のすぐそばの数馬茶屋に車を止めて、数馬祝い膳をいただきました。
決闘の前に食べたとされる「そば」といわし、かやくご飯
などですが、「そば」で「いわしたる」(やっつけるの関西弁)の
意味だそうで、又右衛門達が喜んだそうです。???。

 数馬茶屋は明治初期に一旦なくなった「よろずや」茶屋を、昭和51年に
名を変えて再建されたとのこと。
女将の話では、再建後は毎年芭蕉祭の頃、東京などから深夜バスなどで
俳人が来て句会をするそうです。

 女将がドナルド・キーンさんとの付き合いがあることも聞きました。
キーン氏は東北大震災後、日本帰化を決意され、9月に再来日された
文化勲章受賞の日本文学者、コロンビア大学名誉教授です。

 女将は、茶屋再建直後の芭蕉祭に、当時の永井文部大臣と伊賀を訪れた
ドナルド・キーン氏に気に入られ、今でもやりとりのあるとのことで、
再来日後の葉書を2、3枚見せてもらいました。
大臣と一緒の時は、SPが料理を毒見をしたそうです。
きっかけは茶屋で、キーン氏から芭蕉の俳句をいくつか
知っているかと聞かれ、奥の細道冒頭を暗誦したことだそうです。
芭蕉祭などで伊賀上野にきたときは、よく数馬茶屋に来られたとのこと。
その時は、携帯で途中の車の位置を聞き、着かれたとき丁度熱い料理を
出せるよう、分単位でがんばったとも。

 鍵屋が7軒長屋としてあったという通りを歩きましたが、
今は鍵職人はおらず、瓦屋がありました。

        鍵屋なき鍵屋の辻の薄紅葉      常朝

        (数馬茶屋)

        (仇討ち説明板:鍵屋の辻)


 昼食後、城の南約700メートルの蓑虫庵を訪ねました。
蓑虫庵は芭蕉の弟子「服部土芳」の住居跡で藁葺きの庵や
よく手入された庭があります。
 入園料300円を払って入ると、苔と椿、夏椿、百日紅などの庭があり
萩や彼岸花が咲いていました。
土芳の墓石や芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」などの句碑があり
ますが、鳥の声は聞こえず静かな庭でした。
建物の中で女性が庵の説明をしてくれました。
芭蕉の教えを土芳が記述した三冊子なども展示されています。

        鳥追ひの貝殻載せて蓑虫庵     常朝

        (蓑虫庵:貝殻を載せた屋根)

        (説明板)


 蓑虫庵を出て、名阪国道に戻り、上野東ICから東約2キロの、
伊賀国分寺跡を訪ねました。
奈良時代、ここは、東側の国分尼寺(長楽山)とともに伊賀の国の
国分寺があったそうです。
9年前訪れた時と比べて、草も刈られて整備されていますが、
300メートル四方位の広大な草原があるだけで、
中門跡、金堂跡、講堂跡、塔跡などの標識が立っているだけです。
周囲の土塁跡らしい薮には、ヒヨドリバナ、芒、萩、漆紅葉、
ヌルデ紅葉、秋の野芥子などが秋の色どりを添えていました。


        礎石なき金堂跡に芒照る      常朝

        (伊賀国分寺跡)

        (説明板)



 3時半ころ名阪国道の針ICに戻り、メルカートロッソで
小句会後5時半頃解散しました。
あまり良い句はできませんでしたが、天気にめぐまれ秋の伊賀路を
楽しむことができました。

追記:2019年2月24日ドナルド・キーンさんは心不全で死去されました。96才。
朝日新聞によると、氏は1922年ニューヨーク生まれ、コロンビア大学在学中に
源氏物語に触れ、1942年米海軍日本語学校後、語学将校としてハワイ、沖縄で従軍、
日本兵の日記翻訳や捕虜の通訳をした。戦後ハーバード大、ケンブリッジ大で日本文学を
研究、1953年から京都大学留学、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などと交流
徒然草、奥の細道などを英訳、1992年コロンビア大学名誉教授、1997年日本文学の歴史発行、2008年文化勲章受賞、2011年の大震災後日本国籍取得した。

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