2011年11月6日日曜日

138.斑鳩・上宮遺跡公園から太子道

「アカシア紀行・俳句」2011年11月5日(土)

 立冬近い、曇のち雨の予報の土曜日、いつものメンバー7人で奈良・斑鳩の
上宮遺跡公園から太子道を訪ねました。
太子道は聖徳太子が、愛馬黒駒に乗り、従者調子丸と飛鳥-斑鳩を往復された、
いわば太子の通勤ルートです。(参照:藤原浩氏のエッセイの地図 など)

 国道25号線の中宮寺東交差点を南下して斑鳩東小学校の東にある
上宮遺跡公園に着いたのは朝9時すぎでした。

 ここは、平成3年の発掘調査で、大型の建物数件の跡が確認され、
平城宮と同型の瓦が出たことから、称徳天皇の行宮(離宮)と推定され、
埋め戻された跡に作られた公園です。
このあたりは成福寺跡も含め聖徳太子の宮跡と伝えられているようです。

 公園には円形の石舞台があり、観月能(毎年9月22日)、
桜祭能(4月第1日曜)などが行われているようです。
山茶花が咲き、桜や百日紅、さつき、もみじなどが紅葉し始めていました。
また聖徳太子像や万葉集などの歌碑がいくつかあります。

        太子像裾にかかれる芒の穂      常朝

        (上宮遺跡公園:クリックすると拡大:以下すべて)
 
        (上宮遺跡公園説明板)

        (上宮遺跡の一部)

        (上宮遺跡説明板)


 しばらく散策後、東南約1.2キロの安堵町・太子道の飽波神社に行きました。
小さい神社ですが、氏子の人が箒で境内を掃除していて我々のために、
御手洗所の水栓を開けてくれました。
左手奥には、太子の腰掛け石(舟石)があり、拝殿には「なもで踊り」の
絵馬が掛けられています。拝殿右にモチノキの巨樹があり、木立に鵙が
鳴いていました。

        鵙鳴けり太子憩ひし杜の石      常朝

        (飽波神社)
 
        (飽波神社説明板)

        (なもで踊りの絵馬)


 その後、西名阪国道を越えて南下し、川西町の島の山古墳、比売久波
(ひめくわ)神社を訪ねました。
島の山古墳は全長190mの周囲に濠のある前方後円墳ですが、掘り出された
石が6つあるとのことで、石棺の天井石が神社の踏石になっています。
 濠は緑色ににごり、鴨や鳰が泳いでいます。
古墳本体は竹藪が覆い、裾の方に柿の実が2つ赤色を添えていました。

 古墳の西隣は、比売久波神社で、久波御魂神(くばみたま)と天八千千姫
(あまはちち)を祀る養蚕の神社で、御神体は桑の葉だそうです。
境内左手奥に、箕輪寺跡があり、明治の頃小学校だった頃の本堂の写真が
ありました。
左の遥拝所前では広場に子供達の描いた絵に銀杏が散っています。
また裏手の草原にはコマツヨイグサが黄色い花をつけていました。

        子等描きし斎庭の線画銀杏散る    常朝

        (島の山古墳)
 
        (比売久波神社)

        (比売久波神社説明板)



 11時半すぎ、東南へ600メートルほどの三宅町・屏風の太子道にある
白山神社と屏風・杵築神社を訪ねました。
道の東側の杵築神社は拝殿もありますが、白山神社は小さい本殿があるだけです。

        (杵築神社)

        (白山神社)


 杵築神社の境内には木立があり、左手に「屏風の清水」と名付けた小さな
井戸枠があります。「矢尻の井」の石碑も立ち、聖徳太子が従者の弓で地面を
掘ると清水が湧いたので、以来、太子がこの地を通られる時、
愛飲されたと説明板にあります。
今は井戸枠内に石が置かれているだけです。

拝殿には、「おかげ踊り」と「聖徳太子接待」の絵馬が掛けられています。
大きな狛犬の口は赤く歯は白く塗られて、左の阿吽の吽の足には禁足紐が
3本結んでありました。
また、神社入口には水草「あざさ」の鉢がいくつか置かれています。

 道の西側の白山神社には、太子の乗馬像の写真と説明板があり、
ここにあった像が第2次大戦で供出されたそうです。今は本殿の奥に
2メートル四方位の石の台があるだけです。


        狛犬の塗りの歯白し冬隣       常朝

        (屏風の清水:矢尻の井)

        (聖徳太子接待の絵馬)

        (白山神社・太子像の説明板)



 その後、中宮寺東交差点北側の「玄米庵」で昼食をいただき、
雨模様になったのとメンバーの夕方の予定のため、矢田の「茶暮里」で
小句会後3時すぎ解散しました。

 太子道は、今日はまだその北半分以下しか通っていませんが、
地元の人々が太子と触れ合ったあとを訪ねることができました。

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