2011年12月5日月曜日

140.信貴山大根焚き・雁多尾畑

「アカシア紀行・俳句」2011年12月4日(日)

 師走の冬晴れの日曜日、いつものメンバー6人で奈良・信貴山の
大根焚きのあと雁多尾畑(カリンドオバタ)を訪ねました。

 9時半頃我々が信貴山朝護孫寺の駐車場に着いたときは、
もうすでに50台分くらいの駐車場はほぼ満車に近いほどでした。

 さっそく、塔頭のひとつ千手院に参拝すると、
法要開始の10時前でしたが、受付で一人ずつ受付用紙をもらって
名前と祈願を記入し、大枚1000円を納めて護摩木をいただきました。
そこにあらためて家内安全などの祈願文字と名前を記入し、
護摩壇前の台に置いてもらいました。
次から次へと入ってくる信者には大柄の僧が祈願記入などを
案内していました。

 我々は開始前に大釜で煮られている大根焚きをお椀でいただきました。
大根は信州産とのことで、大釜の大根がなくなると次から次へと
庫裏で既に煮られた3センチ程に切られた大根が大型バケツで
運ばれてきます。
5、6人の堂守らしい人が釜の周囲でお椀に大根を入れて箸を渡したり
戻りの椀を受けたりと大忙しです。

 そのうち法螺の音で法要が始まり、釜の横の護摩壇の周囲に
行者が並んで、法螺を吹いたり、心経や真言を唱えたりして
護摩に火がつけられ、白煙が境内をかけまわりました。

 法要が終り火も下火になった頃、護摩壇の前で一人ひとり行者さんに
背中に散杖(さんじょう)とかいう棒を当てて加持祈祷をしてもらいました。

        大根焚案内係は大坊主       常朝

        護摩の煙釜にも届き大根焚     常朝

        (千手院境内:クリックすると拡大:以下すべて)

       (大根焚きの釜(中央))
 
        (大根焚きの法要)


 11時過ぎになったので、近くの信貴山観光ホテルの「おはし」で
昼食をいただき、雁多尾畑(カリンドオバタ)へ移動しました。
雁多尾畑は昔、鉄の技術者集団がたたら炉などを作って鉄鉱石から
鉄を製造していたところらしいです。

 雁多尾畑へ降りる途中東へ左折すると留所(とめしょ)山といわれる
なだらかな土地があり、桜の園の名で、有志が桜を植えつつありますが、
その先のふもとの林の中に「龍田神社本宮跡」の石碑があります。
龍田神社は昔この地にあったとのことです。
車が入れないので、私だけ歩いて写真を撮りました。

        (龍田神社本宮跡の石碑)


 そこから鉄の神様である金山媛、金山彦を祀る神社を訪ねるつもりが、
山から降りる道を間違えて、東の峠地区に入りました。

 ここは昔の竜田街道の峠で峠八幡神社があります。
あとで参拝するつもりでしたが、まず八幡神社を訪ねました。
山のふもとの傾斜地にある小さな神社ですが、石段から南正面に
大和川対岸の山の冬紅葉が見事でした。境内にも紅葉、
西隣の畑に山茶花が満開でした。石段の下に古い地蔵堂があります。
また、石段右の土手にたつ地すべり標識は写真のように
曲っていました。多分地すべりで柱が回転移動したのでしょう。

        正面の山まるごとの冬紅葉      常朝

        (峠八幡神社) 
        (曲がっている地すべり標識)


 その後、西へ500メートル程の「亀ヶ瀬」に行きました。
亀ヶ瀬はJR河内堅上駅のそばにある大和川の瀬ですが、
昭和の始めに大きな地すべりがあり、
鉄道のトンネルを川の北側から南側へ移す大工事をしたそうです。
今も地すべりの対策保存地域になっています。
ここは江戸時代以前は船着場で、大阪湾からの船を上流用の
小舟に荷物を移し替える流通拠点だったようです。
冬の川には亀の形の大岩が見えましたが、
岩の周囲が少し深い位で船着場跡らしいものは何もありません。

        亀岩の下は深き瀬冬の川      常朝

        (亀ヶ瀬)
 

 一旦国道25号に出てから雁多尾畑に車を進め、まず金山彦神社を
訪ねました。
金山彦神社は、柏原市雁多尾畑の道沿いの池の北側の神社ですが、
周囲は池をめぐる公園のようで四阿(あずまや)もあります。
拝殿には平成10年に再現された土の溶鉱炉である、
「たたら炉」の跡が展示されています。

        たたら炉の跡は土塊(つちくれ)冬日差  常朝

        (金山彦神社)
 
        (拝殿のたたら説明板)

        (拝殿の古代たたらの写真)


 まだ少し時間があったので約1キロ北の金山媛神社を訪ねました。
高い石段を上がると社務所兼神主宅があり、右手が神社拝殿です。
狭い境内を拝見していると、神主が拝殿の戸を開けて、我々を
案内してくれました。
拝殿の中の右手にはきんぴかの金幣(きんぺい)があり、正面には
径46センチの八咫鏡がありLED光が中心に輝いていました。
神主が金幣の由来や鏡の由来を話し、金幣によるお祓いをしてくれ、
榊の玉串奉奠もさせてくれました。
話が長く皆多少疲れてきたので、3時過ぎ神社を辞して
王寺駅南の「さと」で小句会後5時すぎ解散しました。
少し玉串料を納めたお礼か蜜柑を一つづついただきました。
いただいた名刺によると、金山媛神社と金山彦神社の両方の
宮司となっていました。

        金幣の鈴背に受けて冬の杜    常朝

        (金山媛神社)

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