2010年4月1日木曜日

102.須磨へ吟行

「アカシア紀行・俳句」2010年3月30日(火)


3月も終りの少し冷たい快晴の日、いつものメンバーで須磨へ吟行しました。
集合場所の須磨海浜公園の国民宿舎「シーパル須磨」に10時半頃つき、
喫茶コーナーでコーヒーをいただいたあと、砂浜に出ました。
浜続きの庭には和田岬から移設したという、赤い灯台が立っています。

 須磨は、古くから知られた風光明媚なところで、源氏物語須磨の巻では
源氏の君が失脚してしばらく須磨に滞在した話があります。
その頃は須磨の関があったようですが、源兼昌が

   淡路島通う千鳥の鳴く声に幾夜目覚めぬ須磨の関守

を詠んだ頃は関所はすでになかったようです。
千鳥はいませんでしたが、鳶が一羽浜を飛んでいました。

 源平の合戦があった一の谷はすぐ西の鉢伏山の麓で、
芭蕉が麓から登った山波もここから見えます。(笈の小文)

 須磨の美しい海岸から、正面に紀伊半島、右に淡路島、その向うに
四国、右端に明石大橋が見えて、すばらしい眺めです。


 芭蕉が

       須磨の海士の矢先に啼くやほととぎす

と詠んだ頃は、浜にたくさんのキスを干してあったのでしょう。
今は若布の養殖用の網が干してあり、砂浜に寄せる波はおだやかでした。
突堤下の澄んだ海中には若布が揺らいでいました。

        引くときは音も立てずに春の波    常朝

       (須磨の浜:クリックで拡大:以下すべて)
       (シーパル須磨)



 しばらく海岸を散策してから、山手の離宮公園に行きました。
須磨離宮(武庫離宮)は大正から昭和40年頃まで皇室の離宮でしたが、
今は神戸市の公園で大噴水のある王侯貴族バラ園、植物園や、
離宮の中門などがあります。
中門の露石(石の椅子)からは須磨の海が見下ろせて良い眺めです。
すぐ下の傾斜地に辛夷が咲いていました。
中門の外(?)には大きなクスノキがあり、アオスジアゲハの写真が
幹に貼ってあります。


        離宮跡の楠の大樹に涅槃西風     常朝

       (須磨離宮公園)

       (離宮公園案内図)


 その後須磨寺に行きました。
須磨寺は平安時代に建立された真言宗の勅願寺で源平合戦ゆかりの寺です。
駐車場は傾斜地の寺の上にあり、エレベーターで境内に降り、
墓地を通って、本堂へ降りる参道にでました。
参道では一絃琴の音を模したオルゴールが「異国の丘」を奏でていました。
一絃琴も青葉の笛ともに敦盛が愛した楽器だったようです。

 参道の下には敦盛の首塚があり、その五輪の塔は少し傾いていました。
寺の人によると、胴塚はさらに西の海よりにあるようです。
予想外に大きな寺で、本堂、寺務所のほか様々な建物があります。
芭蕉の
       須磨寺や吹かぬ笛きく木下闇

の句碑など多くの句碑、歌碑もあります。
下の庭には敦盛と熊谷直実の合戦の像も立っていました。

 寺務所右には「青葉の笛」の曲のボタン式キーボードがありました。
最初は宝物館の場所がわからず、寺務所で聞くとエレベーターで
降りた階下がそうでした。
青葉の笛はすでに往時の色を失って鉛色でしたが、
小さな逗子の中に立てられていました。

        敦盛の五輪傾く春寒し       常朝

       (須磨寺本堂)

       (青葉の笛の石碑)

       (芭蕉句碑)


 離宮公園前四叉路西のビッグボーイで遅い昼食後、
光源氏ゆかりの現光寺を訪ねました。
現光寺はJR須磨駅の北、国道2号線千守交差点の北100メートルほどの
道路からは右の石垣の上にあります。

 光源氏はこの寺近くの平中納言の家に滞在したことになっているようです。

石の坂を登った境内には、「源氏寺」の大きな石碑のほか、

      見渡せば ながむれば 見れば 須磨の秋   芭蕉

      読みさして 月が出るなり 須磨の巻     子規

の句碑もあります。、
思いがけず「須磨の関跡」の碑もありました。

        菜の花や光源氏の寺の坂      常朝

        海見えぬ須磨の関跡春寒し     常朝

       (現光寺)



 その後、シーパル須磨に戻り、小句会後5時半頃解散しました。
帰りの車の中からは大きな金色の満月が上がっていました。

        見上ぐれば満の金色春の月     常朝

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