「アカシア紀行・俳句」2010年9月9日(木)
9月の菊の節句(重陽)の日、いつものメンバー7人で京都・上賀茂神社
などを訪ねました。
この日は、神社では重陽神事として、斎王代が出られる神事のあと
相撲童子による「烏相撲(からすすもう)」がおこなわれます。
烏相撲は、祭神「わけいかづち(別雷)の神」の外祖父 賀茂建角身命
(かもたけ つぬみのみこと)が神武天皇東征に際し、八咫烏(やたがらす)
と化(な)って先導された故事を記念して、菊の節句に奉納される
ようになったとのことです。
桓武天皇が京都に遷都されたとき以降、八咫烏の子孫にこの地を与えられ、
先祖の神を祀るようになったのが(上と下の)賀茂神社らしいです。
上賀茂神社は京都堀川通りを北上して、御薗橋を渡ればすぐですが、
電車では地下鉄北大路駅など主要駅からバスがあります。
我々は左側の駐車場に車を止めて、一の鳥居に戻り境内の広い道
(葵祭の行列の道)を、土俵のある細殿の前まで歩きました。
10時頃、相撲童子24人が神職などに先導されて入場し、
本殿の方から斎王代も出られて清めの儀式後本殿で神事が行われました。
その後11時頃童子達は土俵の西側(ねぎかた)と東側(ほうりかた)に
別れて坐り、斎王代は細殿の御簾の向こう側に坐りました。
まず、神職二人が、細殿の前で、烏のしぐさでぴょんぴょんと横に跳ねて、
弓と太刀を立砂の立て掛け奉納し、烏の鳴き真似をしました。
別の神職が土俵に8の字を描いて地取りをし、童子の名簿(差し符)を
読み上げたのち、東西から一人ずつ立って相撲の取り組みが始まりました。
相撲童子は小学校5、6年生位の男の子達ですが、やせっぽちの子もいました。
よく日焼けした身体に白いさらしの褌を巻いて元気に相撲を取っていました。
途中土俵の土をならすため「えぶり」と熊手で「土俵なおし」を
何度もしていました。相撲は3巡するので、途中菊酒をいただきました。
その後ふれあいの会のコワイおばあさんがきて「ここは会の席やで、どいて」と
テントの下の日陰に坐っていた我々を立たせました。
うしろにはまだ空席があったのですがこれもふれあいの一つでしょうか。
相撲は12時前に終わり斎王代と記念撮影をして神事は無事終りました。
土俵なほし何度もありて宮相撲 常朝
花びらに埋まる菊酒いただけり 常朝
(上賀茂神社一の鳥居:クリックで拡大:以下すべて)
(神馬)
(童子の相撲)
(御手洗川)
(斎王代と記念撮影)
本殿参拝後、鳥居の前のみそぎ茶屋で昼食をいただき、
神社の西約1.5キロの山麓にある禅寺「正伝寺」に詣でました。
正伝寺は、由来書によると、鎌倉時代、東厳慧安(とうがんえあん)禅師が
創立した臨済宗南禅寺派の禅寺で、方丈などが重要文化財です。
とくに、方丈は、伏見桃山城の御成殿を移建し本堂にしたこともあり、
広縁の天井は、関ヶ原の戦の前、徳川の忠臣鳥居彦左衛門らが
立て籠もって戦った血の跡のついた廊下板を利用したので、
今も黒い血の跡が残っています。
広縁からは小堀遠州の石庭と借景の比叡山がきれいに見え、
法師蝉が鳴いていました。比叡山から烏も飛んできました。
登高や比叡山より烏来る 常朝
(正伝寺山門)
(本堂:方丈)
(石庭と比叡山)
(血天井のある広縁)
(中門)
その後、京都ホテルオークラB2のカフェヌーヴで小句会後解散しました。
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